復讐の火が燃え盛る
「全部燃やし尽くしてやる!」
一度ついた火は誰にも止められない。魔物と化した植物をアールは消し炭にしていくうちにいつの間にかサルーシャ山全体を燃やし尽くす勢いになっていた。呪いにかかったルッツィは、その周りに結界が張ってあるため事なきを得たが魔物の樹に気絶させられたマダム・マーラは炎に飲みこまれたかに見えた。
ルッツィのジェイル父長へ復讐したいという思いは確かにアールに受け継がれた。マダム・マーラがアールの前で魔物の樹に倒されて等いなければそのような思いは芽生えなかった。それほどアールにとってマダムは大切な人だということだ。
その復讐の炎は半分魔物化したジェレマイアの体やマダム・マーラに似た人形でさえも飲み込んだ。呪われたモノは呪われてない者より勢いよく燃え盛った。
「全部消し炭にしてやる!」
「あの山を覆う火は一体……」
「誰か邪魔者が入ったらしい。わが楽園を潰さんとする者がついに山火事を起こしたか……」
目の前の白い壁にはサルーシャ山が燃え盛っている様子が移っていた。ミュリエルは一刻も早く逃げだしたい気持ちを抑えながら彼女を捕らえたジェイル父長に口裏を合わせていた。とはいえ彼女は逃げようとすると体を拘束するローブを身にまとわされていたのだが。
「それは大変ですね。誰か止めに行くのですか?」
「そんな面倒なことはしない。天候魔法で雨を降らせば済むことだ」
天候魔法など聞いたことがないミュリエルは耳を疑った。人類の知恵をもってしても天気を変える魔法は成功したためしがないのだ。それなのにこの男はいとも簡単に天気を変えるなどと言ってのけた。はったりか? それとも本当のことなのか?
「天候魔法って……」
ついうっかり疑問を呈しそうになった口を噤んだ。ジェイル父長は信用ならない男だ。言ったことさえ鵜呑みにすることはできない。しかし、漏らしてしまった言葉はしっかり彼の耳に入っていたようだ。
「天候魔法は可能か、と聞きたいのだろう? 何も恐れることはない。私は命を愛するものだ。君を痛めつけようなど、これっぽっちも思って等無いのだから」
(嘘つき。パン・シール教徒には優しいくせに信じていない人には辛く当たるんじゃないの?)
言葉では口裏を合わせていたが頭の中ではジェイル父長を散々罵っていた。大丈夫、心の声など聞こえなどしないのだから。けれどもその思いこみは父長が放った一言でしぼんでいった。
「ああ、無駄なことは考えないほうがいい。君の思考は読み解けるのだからね」
驚愕の表情が出ていたに違いない。ミュリエルの顔を見た父長はにやりとしてこう言っただけだった。
「君は信じていないようだがね。私には不可能なことなどないのだよ」
その時ミュリエルは気づいてなかったが、白い壁には炎をあげる山のほかにもう一つの不気味なものが写し出されていた。ディレル街が黒い霧に覆われていたのだ。街の様子は分からないが、この霧を吸いこんだ住人は無事では済まないだろう。
ミュリエルはジェイル父長の笑みにゾクッとしないわけにはいかなかった。彼の言う理想郷がどのような形であれ、ミュリエルにとって幸福なものであるはずがないのは確かだった。
脱出はあっけないほど速やかだった。外で響いた音兵士たちが確認しにいったおかげでパツィたちは玄関の近くまで来れたのだった。
「よし、これでこんな所とはおさらばできるぜっ」
「あまり喜びすぎるなよ。まだ外に兵士らがいるかもしれないぞ」
喜び勇んだスカイが言った一言にすかさず突っ込むゼル。閑散としたロビーを横切ってドアの前に来た四人のうちスカイだけは解放感に満ちて走りだしそうな勢いだ。それを見越した幽霊が外を見てくると言った。
「外に兵士らがいたらドアを開けたとたんに捕まってしまうかもしれないってことか」
そう言いながらヨエルはドアを見上げた。広いロビーに似つかわしく、ドアも大きく観音開きだ。ドアには魔物たちの装飾があり見ているだけで吐き気を催しそうだった。
「そんなの言われなくってもわかるわよ。それにしても、このドア趣味悪い……。これ魔物が人間を食べてる絵もある……」
「それが奴のやり方なんだろう。自分自身では反対するものをころさず、魔物に汚れ仕事をやらせるのが」
「それよりもさ、外に出たら自由だぜ? いつまでも陰気な顔してられっかよ!」
魔物が増えている今自由も何もあるか、とゼルが言いかけたとき幽霊が戻ってきた。戻ってきてもやはり陰鬱な顔はそのままだったのでその表情からは外がどういう状況なのか幽霊が口を開くまで読み取れなかった。
「壁にヒビが入っている。誰かが爆発物を投げ込んだらしい。兵士らはその確認に追われている。ドアも閉めるのを忘れたようだ」
「おおっ! やっと外に出れるぞっ!」
「お、おいっ。待て! 兵士に気づかれたらまずいぞ!」
ゼルの忠告も聞かずにスカイはそのまま外へ飛びだしていった。見つかってしまったらまた牢獄行きなのを分かっているのか、という思いを禁じ得ない。あわててゼルたちは扉の向こうへ駆けていった。
間一髪だった。ヘドロ蛇に襲われそうになったところ誰かがヘドロ蛇を爆発したのだ。轟音に耳をふさいでいたミラは跡形もなく消えたヘドロ蛇のいた場所を見て腰を抜かしそうになっていた。
「た、助かった……」
突然起きた爆発で呆然としていたルッツィだったがヘドロ蛇を爆発した人物の顔を見て驚愕の表情になった。
「マダム・マーラ! どうしてあなたがここにっ!」
見間違いようがなかった。黒い髪、黒い瞳、独特な文様の付いたショールを羽織ったその姿は間違いなくマダム・マーラだった。
「わたくしもあなた方と同じように呪いにやられてしまって気が付いたらここにいたというわけですわ」
その声は冷静そのものだったが実は彼女は気が動転していた。うかつにも街にかかる黒い霧に気を取られ魔物化した植物に薙ぎ払われてしまったのだから。
「……あの、一つ聞きたいのですが、いいですか?」
悪臭のせいで鼻がもげそうだったが今はもう慣れてしまっていたルッツィがマダムに尋ねた。ミラはその横で臭そうに鼻をつまんでいる。
「何かしら? わたくしが答えられることなら何でも、というわけにはいかないけど答えて差し上げますわよ」
ふと思いついた何気ない疑問だった。馬鹿げているかもしれない。けれどルッツィは聞かずにはいれなかった。
「マダム。ジェイル父長が魔物を造って人を襲わせた理由って何でしょうか? 魔物のための理想郷なら、ただ魔物を造るだけでよくて人を襲わせなくてもいいはずです」
「あら、そんなことわたくしに聞くなんて思いもしませんでしたわ。あなたはジェイル父長のことを知っているじゃありませんの?」
「知りません。知りたくもないです。両親や村の人たちを魔物に襲わせた人のことなんか。でも、復讐したい相手のことを知らないまま復讐しても意味がない。奴の弱点をぜひとも知っておきたいんです」
一時の間が重苦しい。ルッツィは何としてでもジェイルを倒したいと思っているからか、焦ってさえいたのだろう。ルッツィはじれったそうにマダムが口を開くのを待った。
「……彼の弱点なんてわたくしも知りませんわ。魔物は昔からいるにはいました。瘴気のある場所や人がたくさん亡くなった場所から魔物は発生するのですわ。……憶測ですが彼の精神はおそらく魔物に近しいものがあるのだと思いますわ。人よりも魔物のほうを愛しているのでしょう。だから魔物をけしかけ人を襲わせるのですわ」




