とある未来の話 -壊れゆく日常とドクター・ハイネの謎-
ほかの授業に出席する気も起きず、中庭でぶらぶらしていた。講義で嘘を教え込まされるよりよっぽどマシだろうと思ったからだ。けれど、その行動が私自身の立場をもっと危うくさせるなどとはこの時は思っていなかった。
嫌なことがありすぎて先のことなど考える余地もなかったからだ。相談できる人はダニエラも含めておかしな幻想を信じ切っているし、それ以外の人達はあからさまなほど私のことを無視していたため相談できそうな人は学校とは無関係のドクター・ハイネだけだった。
けれども彼女とはそれほど信頼関係を築いているわけではない。出会って間もない人に心の内の不安をぶちまけるのはためらわれた。
そんなわけで私は中庭で一人きり悶々している、そんな時だった。校舎から誰かが勢いよく飛びだしてきた。下を向いていたのでわからなかったけれど、足音が荒いせいでその勢いよく駆けてきた人は怒っているのだと直感した。
恐る恐る顔をあげると、そこにいたのはジョシュア・ウェルシュだった。たった一度だけ医務室で話したきりだったが、会話の内容のせいで嫌でも思いださざるを得なかった。そして、私が思っていた通り彼は怒っていた。けれど、何に対して?
見られていることに気づいたのか、彼はチッと舌打ちした。かなりイライラしているようだ。
「なんだよ? 何か用か?」
「よ、用はないに決まってるじゃない。ただ、誰か来たのか確認しようとしただけよ」
「ふん、そうかよ」
そう言うなり彼はまた中庭を横切って向かいの校舎に入ろうとした。そこで私は何を思ったのか、そこで彼を引き留めてしまった。けれど、引き留めてしまった以上何か話さないといけなかった。
「用はないんじゃなかったのか? 俺はお前と話すことはないんだよっ」
「確かにそうだけど、どうしてイライラしているのかだけでも話してくれない?」
「何でお前に話す必要があるんだよ。話したって事態がよくなるわけじゃない……」
そう言う彼の顔つきが曇った。きっと彼も何か悩みごとを抱えているに違いない。気になった私は突っ込んで聞いてみることにした。
「事態って何のこと? 何か嫌なことでもあったの?」
「……そんなに気になるか」
イライラしていたとは思えないほど彼は冷静に聞き返してきた。けれど、表情は相変わらず暗いままだ。
「気になるから聞いてるんじゃないの」
「けどお前には関係のない話だ。話しても意味は……」
「あるかもしれないじゃないっ。興味がないかもしれないけけど今日の出来事を言わせて。私だってさっき嫌なことがあったの。歴史の授業が変だったの。今までなかった歴史が突如現れたの。パン・シール教団の生命創造……」
「おい、ちょっと待て。それ本当かっ?」
今まで暗い顔をしていたのに私がパン・シール教団のことを持ち出した時途端に目つきが鋭くなった。あまりに鋭い目つきなので私は思わず後ずさった。
「う、うん。そうだけど……、もしかしてジョシュ……、あなたも歴史の授業を受けていたの?」
名前を言いかけてとっさにあなたと言い換えた。今までロクに話したこともないし、親しいわけではない。なれなれしく名前を言ったところで友達認定されるわけでもないだろう。
「そうじゃない。……実は、俺の受けていた魔物対処法の授業がなくなった。それで、新しい講義を代わりに受ける羽目になったんだっ」
「あ、新しい講義って……?」
聞くのも恐ろしかった。魔物対処法は上級生になると必ず受けることになる防御魔法の一種だ。それがなくなるなんて……。けれども本当に恐ろしいのは彼が受ける羽目になった新しい講義のほうだった。
「魔物生成術だよっ。わかるか? 魔物を造らされるんだよっ! この学校は狂ってるっ! もう、何もかも嫌になったから飛びだしてきたんだっ。この学校は何もかも終わりだっ」
そう怒鳴ったかと思うと、彼はまた駆けだして行ってしまった。一瞬あっけに取られたが私は彼を追うことにした。彼はダニエラやほかの人と違って変な幻想を信じていない。突如芽生えたかすかな希望だけれど、私は彼なら信用できると感じていた。
私自身にかけられた呪いのことは彼に言うことはできない。けれども、この現状を打破するための打開策を一緒に練ることなら、できるはず。
私はこのかすかな希望に一縷の望みを託すことにした。
図書室の歴史コーナーでたくさんの本を机の上においてある一冊を真剣な眼差しで読みこんでいる人がいる。ドクター・ハイネこと、マリー・ハイネが眉間にしわを寄せて『魔物の歴史』なるものを読んでいた。
「……魔物を保護するために、魔物ではない動物を補殺することを推奨……。一方では命を大切に、と謳っておきながら別のところでは魔物以外の動物は処分してもいいとは、矛盾も甚だしい……。気味の悪いきれいごとのオンパレードだな……。ところで、そんなところでこそこそしてないで出て来たらどうだ」
ドクター・ハイネの周りには人っ子一人いないはずだった。が、いつの間にか彼女のそばにあの銀髪の少年が立っていた。そばにいたことがバレていたにもかかわらず全く動じていないようだった。
「いやー、やっぱりあなたはすごいなぁー。ちゃんと気配は消したはずなのにな。何でバレたんだろ?」
銀髪の少年は悪びれずにそう言った。口角がわずかに上がっているところをみると、この状況を楽しんでいるようだった。
「お前が使う魔法はわずかにでも痕跡が残る。上級魔法を知っていれば見抜けることだ。……それに用があって私のところに来ているのだろう? さっさと話したらどうだ」
「テレパシーは使えるのに頭の中を読むことができないなんて、上級魔導士が聞いて呆れるー。……もう、怒った顔しないでよ。僕だってここでゴタゴタを起こしたいわけじゃないんだからさっ」
少年が言った通り、マリーは眉間のしわが寄りすぎで目つきだけで少年を射貫きそうな恐ろしい形相をしていた。
「話しをはぐらかすな。何か用があって来たんじゃないのか、と聞いているんだ。何も用がないなら失せろ。でなきゃお前の口を一生開けないように唇の皮をふさぐぞ」
「おっかなーい。……でも、そんなに僕の話が聞きたいのなら、まずあなたか話すすべきだと思うなあ」
「……私からお前に話すことはない。前にも言った通り、お前と私はもう縁は切ってある。お前は私の息子ではないと言ったはずだ」
「そんなのわかってるよ。あなたがもう僕の親でないことぐらい、重々承知してるさ。……けど、いつまで隠し通すつもり?」
図書室の空気がいつになく凍った。マリーの顔つきもいつになくこわばっていた。
「……何のことだ?」
「なに、もったいぶっちゃってー。知ってるくせにっ。あなた自身のことに決まってるじゃん。いつまで別人の格好をしているつもり? 女のふりしても根っこは男なのバレバレだよ? マリーなんて、らしくない名前……」
「やめろっ。……これ以上私のことは言うなっ。私の過去は捨てたも同然……」
いつも冷静な表情をしているドクター・ハイネの顔が怒りに震えた。ここは図書室だということを忘れて危うく大声を張り上げてしまうところだった。
「わかってるよ。あなたがカリドゥス国から失踪したある魔法使いだってこと、内緒にしててあげるからさっ。じゃあっ」
「お、おいっ。用があるんじゃなかったのか?」
「……うん、そのつもりだったよ。けど、やめた」
「……は?」
「気になってるんでしょ? どうして僕があの方の魔物づくりに加担するようになったのかって。でも、僕がこうなったのはあなたのせいでもあるんだよ? 人形狂いのヨ……」
その後、机の周りの本が暴発し、銀髪の少年に向って吹っ飛んだ。が、少年にぶつかったはずの本は床にむなしく散らばり、少年はいつの間にか山にたなびく靄のように消え去っていた。
「図書室では暴れないでくださいっ! 出て行ってもらいますよっ!」




