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呪われた水がもたらす暗黒の理想郷

 山から突然わき出した黒い水。その勢いはすさまじく、聖水を枯らすほどだった。そんなことも知る由もないアールは聖水を得るためマダムと共に登山中なのだが、その間も苦難の連続だった。というのも、魔物と化したクマが行く先を阻んだためである。


「こいつ、おれの攻撃が当たらねえぞっ!」


「当然じゃありませんかっ! あなたの身体は今煙のような物、そのような身体でクマを倒せるとお思いですのっ?!」


「じゃあ、どうすればいいんだ? こいつ退いてくれそうもないし……」


 思案している間にも、クマはマダムだけを見据えていた。クマの目にはアールは見えていないらしい。が、アールの声は聞こえているらしく二人目の獲物がどこにいるのか、匂いを嗅いで特定しようとしていた。


「ああ、もうじれったいですわねっ! わたくしがクマを倒しますわよっ!」


「ダメだってっ! このクマはおれが倒したいんだっ! 元の姿に戻って騎士になりたいんだっ!」


 なりふり構ってられないらしいアールはそのままクマに突っ込んでいった。






「幽霊を探す? 本気で言ってるの? 私たち閉じ込められてるのよ? どうやって探すのよ?」


 嫌悪感もあらわにパツィが言った。その意見に同意だと言わんばかりにスカイがうなずいたがパツィはあえてそれを無視し、幽霊を探すと言いだした張本人であるヨエルを睨みつけた。


「やつはこの金属の壁をすり抜けられる。ということは抜け道も見つけられる」


「その抜け道とやらが罠だったらどうする。それにここから出ることができなければ本物どころかニセの抜け道にだってたどりつけやしないじゃないか」


 ヨエルの言葉には微塵も説得力がない、と言わんばかりの剣幕でゼルが突っぱねた。鎧をはぎ取られたゼルは一般人に見えるがそれは一瞬だけのこと、よく見ると鍛え上げられた肉体が服の上からも確認でき騎士ならではの威厳は少しも損なってないように見えた。


「し、しかしあの幽霊はこの建物の中を移動できる。この建物のことを把握するのは重要……」


「この建物はパン・シール教団の管轄内だ。どのような罠が張り巡らされているか分からない。幽霊が俺たちに協力すると言ってくれてもそのことを奴らに察知されたらどうなる? あの幽霊が黒魔術で消されるかもしれないんだぞ? お前の言ってることは問題解決どころか、窮地に陥らせるだけのような気がしてならない。俺としてはその意見には賛成しかねる」


「そ、そうかもしれないが……」


「オレはお前が幽霊を一人で見つけだしたら協力してやってもいいぜ?」


 にやにやした口ぶりでスカイが愉快そうに言う。きっとこの監獄から脱獄した後、ヨエルから金をせびる心づもりでいるのだろう。しかしそのことに感づいたヨエルは盗賊の助けはいらないとばかりにだんまりを決め込んだ。


「な、なんだよっ。人がせっかく助けてやろうって言うのにさ……」


「お前は下心が見え見えなんだよ。だいたいここからどうやって出るのか分からないうちから出た後のことを考えるのは現実的でないぞ」


「そういうなよ~。オレとお前の仲だろ?」


「お前が勝手に俺の家の財産を狙ってるだけだろうが。盗賊との縁など不要だ」


「なんだとっ」


 ゼルとスカイの言い争いが始まりそうなところに檻の外から足音が聞こえてきた。全員が檻の外を見るとそこには看守らしき人が来ていた。感情の読めない表情でゼルたちを見つめた後、こう言い放った。


「これからお前たちに仕事を与える。その仕事の間は質問はなしだ。逃げだそうなんて気を起こしたらただではすまないぞ」


 これから一体何をやらされるのか考えただけでも悪寒が走ったらしいパツィは顔が青ざめた。ゼルは勇敢にも看守を見返したが内心は冷や冷やしていたことだろう。スカイとヨエルは体が震えるのを必死に隠そうとしていた。彼らにとって地獄はまだ始まったばかりだった。






 アールやゼルたちに苦難の雨が降り注ぐ中、ディレル街近郊の村で騒ぎが起きた。魔物に襲われそうになった少女を救おうと父親がすきを振り回して魔物を撃退しようとしている最中、街から来たらしい身なりのいい人達が抗議の声をあげたのだ。それは、魔物に対してではなく少女を救おうとした父親に向けて発せられていた。


「魔物に対して武器を振り回すなんて、魔物がかわいそうだと思わないんですか! その武器を今すぐ捨てなさい!」


「邪魔するな! 俺の娘が魔物に襲われているのに、魔物がかわいそうもくそもあるか! そこをどけ!」


「聞きました? この人の言葉を? なんて野蛮なんでしょう! この魔物はただ少女にじゃれついているだけです。それなのにあなたはそれがわからないんですか?」


 魔物に襲われている少女は何とか魔物の攻撃をかわし、木の上に登って逃げたが魔物は少女を追って木の上によじ登ろうとした。頭から角の生えた狼のような魔物の目はらんらんと輝き、少女を獲物とみなしているようでじゃれているようには決して見えない。


「そこを退けと言ってるんだ! 俺は何としてでもあの子を救う! 退きやがれ!」


「みなさん! この人の愚かな考えは変わらないようです。この人を捕まえなさい!」


 抗議していた人がそう声をあげると後ろについていた人達が皆そろって父親に向って走り始めた。手には頑丈そうな縄が握られている。


「離せっ! 離しやがれっ! あの子を助けなきゃいけないのにっ」


「助けてっ、いやっ、来ないでっ、みんな助けてよっ! お父さんに構わないでっ。私を助けてよっ」


 少女の悲痛な叫びは無視されたままだ。その間にも魔物は木をよじ登って少女に詰め寄る。少女の願いはむなしく父親はいとも簡単に縄で縛られ村の外に連れだされていった。


「え、エレナっ! エレナー!」


「お父さーん!」


「不届きもののこいつをジェイル父長に差し出したらさぞかし喜ばれるでしょう。後はジェイル父長がこいつに再教育を施してくれるはずです」


 隣の家の者たちは自分たちに災難が降りかかるのを恐れてか、誰もドアを開けようともしない。後には樹に登った少女と、それを狙う魔物だけが残されたのだった。





 皆が皆、窮地きゅうちから脱しようと必死に努力していたが、皆が知らないことがあった。呪いの源はパン・シール教団の建物の中で作られているということだ。その材料は銀髪の少年ランコアが切り取った人間の体の一部で、目玉、舌、髪の毛、ありとあらゆる体の一部分、もちろん右手を斬られたスカイの指もその材料に入れられていた。


 恐るべきことに、それから作りだされた呪いの水は霧状にしたり、山の地下水に仕込まれたりした。他の水に接触するとその水まで呪いの水になるあくどい仕様だ。呪いの水は地下に染みわたると地下水にたどり着き、地下水もあっという間に呪いの水に変わっていった。


 山の湧き水で暮らす村人は知らず知らずのうちにその呪われた水を飲んだ。たとえ無色透明に見えても呪いの影響を免れた水はなかった。


 呪われてしまったミラやルッツィも知らず知らずのうちに呪われた水を飲んだに違いなかった。しかし、本当に恐ろしいのは呪われた水に触れてしまったものがどんな末路をたどるのか、完全にわかっていないことだ。生き物が魔物化したりするのは氷山の一角でしかないということだ。


 本当の地獄はここからだということをアールたちはまだ知らなかった。

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