拡がりゆく災い
ミュリエルはぐったりして眠っていた。魔物に襲われた人達の治療の手伝いで心身ともに疲労がたまったのだ。それはミュリエルに手伝わさせていたエリアも同じで、二人とも机の上で突っ伏して寝ていたのだった。
そんな中、寝ていないものがいた。ミュリエルが連れてきた人形のテレージアである。寝ることのない人形はけが人の容体を見守るようミュリエルに言われたせいでふくれっ面になっていた。
「この人達もう治療が済んだのだから私が見ることないじゃないっ。あーあ、退屈だなー」
けが人たちも寝ているためか、話し相手がいないテレージアは暗くなった診療所を見まわした。壁にある棚には所狭しと乾燥させた薬草が詰まっているビンが陳列しているだけで、特に面白そうなものは何もない。
「人形工房にいたときは仲間たちがいたのにな……。ザカリーは今も気に食わないけど、あそこにいたときが一番良かったのかも……」
工房にいたときのことを思い出していたときだった。ベッドに寝ているはずの人が起き上がる気配がした。
その人は一番ケガがひどい人で聖水につけた薬草を何度もケガにすり込まなくてはいけなかったのだ。それなのに、痛がるそぶりも見せずベッドから起き上がり立ち上がったのだった。
「ちょっとっ。寝てなきゃダメ……、ひっ」
起き上がった人に注意をしようとしてその人を見たときテレージアは小さく悲鳴をあげた。その声に気が付いたのか、エリアが起きてしまったようだった。
「どうしたの……、何があった……。こ、これはっ」
どうやらエリアはすっかり目が覚めてしまったようだった。寝ぼけていたのに次の瞬間に表情を引きつらせていた。それはどうやら起き上がったけが人に原因があるようだった。
「なん、なの。これ……」
起き上がった人は揺らめきながら歩き始める。そして、次の瞬間顔の穴という穴から植物のツルのような物が生えてきた。そのツルはうねうねと動きそばにいた眠りこんだけが人たちを締め上げ始めた。
「皆、逃げてっ!」
『人は皆、見えない色メガネをかけて生まれてくる。問題なのはそれを正しいと思いこみ赤の他人に自分の色メガネをかけさせようとすることにある。それがどういう結果をもたらすのか、深く考えもせずにな。自分は良いことをしたと思ったとしても、合わない色メガネをかけさせられた方はどう思うだろうな。なんであれ、人生をひどく狂わされるだけだろう』
いつだったか、いとこにそう言われたことを思い返しながら、パツィは朦朧とした頭でジェイル父長の説教を聞いていた。隣に座っているゼルやヨエル、スカイも顔つきはぼんやりとしていた。
重装備の兵士に捕まった後、皆そろいもそろって魔法を跳ね返す仕様の金属の鎖で縛りあげられ、休むことも許されないままジェイル父長の弁舌を聞かされる羽目になったのだ。
「我らがサン・ミリア様はすべての命を守るために私の前に降臨されたのだ。その意味がわかるかね? そこの君、パツィといったね。答えてくれたまえ」
唐突に質問され、ハッとしたがどうこたえて良いか分からずしどろもどろになった。
「え、えーと、よく聞いてませんでした……」
「まったく、わがパン・シール教の良さを分かろうともしないサン・マリ教徒の無知蒙昧な頑固さにはあきれ果てる。これから君たちをパン・シール教徒にさせてあげようというのにその体たらくでは困るな」
その言葉にわずかにではあるがゼルが反応した。先祖代々ディレル国の国教であるサン・マリ教を信仰してきたミドルーラ家の子息であるゼルにとって、ジェイル父長の言葉は侮辱そのものだったのだ。
「……サン・マリ教をバカにするなよ」
「ん? 何か言ったかね。意見ははっきり大きく言ってもらわないと困るんだが」
小声で言ったにもかかわらずジェイルには聞こえていたらしい。咎められたゼルはわざとらしく顔をそらしたが、悔しそうに唇をかみしめたのをパツィは見逃さなかった。
「ゼル……、どうかした……」
「つまらない雑談を始める気ならやめてくれ。私の高尚な話は君たちの愚鈍な頭にはどうやらまだあわないらしいな」
「うるっせーんだよっ! クソおやじ! ふざけた真似をっ、ぐっ」
ジェイルの言葉に怒りスイッチが入ったスカイが立ち上がりジェイルを罵った。が、その瞬間金属の鎖がスカイを締め上げた。まるで意思があるかのような鎖の動きにパツィはぞっとした。どんな反論も意見も言わせないつもりだ。
「……余計なことを言うな。あとでひどい目に遭わされるぞ」
平静を装ってヨエルがそうつぶやいたが、そう言う彼の膝も震えていた。この状況を打破できなかったヨエルに微塵の同情も覚えなかったパツィだったが、この時ばかりはヨエルの意見はもっともだと思った。
(どうしてこんな世の中になったのか。何で自分が間違っている側に立たされているのか。どうして魔物を素晴らしいと思わなければいけないのか。邪悪なことをどうして世の中は許すんだ)
ジェイルの長広舌にうんざりし自問自答しながらゼルは考え込んだが、あいにくそれに応えてくれそうなものはここには誰もいなかった。
サルーシャ山にアールやマダム、ルッツィが登っていった後、呪いにかかったミラはというと見捨てられたわけではなかった。診療所にほど近い小屋の中に一人隔離されていたのだった。
体からほとばしり出る呪いの黒い液はありとあらゆるものを侵食していたが、エリアがミラの周囲に張った結界のおかげでその黒い液は結界に触れると同時に消えた。
その場しのぎでしかないことはわかっていたが、エリアは僅かばかりの聖水をミラに飲ませていた。それも呪いの黒い液を食い止めるには不十分だったのだ。
今や黒い液はミラを覆いつくし、見る影もなくなっていた。結界は黒い液を消し去ってくれるものの、ミラからあふれ出る呪いの液は尽きることがなかった。
そんな時に診療所にいたけが人の一人が暴れだしたのだった。顔の穴という穴から植物のツルが出てきて近くにいた人達を絞め始めた。
「エリアさんっ! 危ないっ」
エリアに狙いを定め襲いかかったツルを食い止めたのは、さっきまで熟睡していたミュリエルだった。補助魔法を使い最大限の力でツルの猛攻を阻んだのだった。
が、一本のツルの動きを止めることができても他のツルがまだ暴れ回っていた。到底一人で太刀打ちできるものではない。
もう終わりかと思われたときだった。一人踏ん張っているミュリエルを別のツルが襲いかかろうとした。
「ミュリエルっ!」
けが人を救おうとしていたエリアの横を素早く通り過ぎた小さな何かがその体には不釣り合いに大きなハサミを持って襲いかかってきたツルをちょん切った。
「ツルがいきなり切れた? どうして……」
ツルを断ち切ったのは大きな裁ちばさみを剣のように携えたテレージアだった。心なしか自慢げに見える。
「ただ単にかわいがられるだけが人形じゃないってこと、よく見てなさいっ」
さっきまでの落ち込みようはどこへやら、アールはぐんぐんと山を登っていった。彼自身が黒い影となっているせいもあってか、魔物や締め上げてくる植物を難なくすり抜けて行った。
その後を必死になってマダムとルッツィが追いかけている。マダムが魔物よけ呪文を唱え、ルッツィが気配を消す薬を飲んでいてもやはり真夜中の山は険しかった。マダムがとりだした魔法灯があたりを照らしていたが見える景色はむなしさをかきたてるだけだった。
行く先々に遭遇する魔物の気配が以前の山とは違うことを物語っていた。
「おーいっ! はやく来いよ!」
「先に行かないでよっ! こんなに暗いとアールがどこにいるかわからないじゃないっ。……うっ」
いきなり眩暈がしたかと思うと、ルッツィは地面に膝をついてしまった。どうも息が荒いようだ。
「……少し、休みましょうか? ここで……」
「いや、先に行っててください……」
「でも……」
「いいから先に行っ、ゴホっ」
暗くてよく見えなかったが、魔法灯が照らし出した先に見えたのはルッツィの口から流れれでる黒い液体だった。黒い災厄は何もかものみ込もうとしていた。




