山に湧き出る聖水と量産される呪いの人形
何もかも終わりのように感じた。ミラは確かに生きている。ルッツィが慌ててミラを抱きかかえて診療所に駆けこんだ頃にはミラは黒い液体に覆われつつあった。
「早くっ! この子を助けてあげてっ!」
「いったいどうしたのですか。そんなに慌てて……、ちょっとっ! その子を診療所の中に入れないでくださいっ!」
すごい剣幕でエリアはミラを抱えたルッツィを外に追い立てた。外はもう真っ暗でシンとしていたせいでとっさに感じた怒りが萎えかけた。
「どうして、ですか? この子を助けないつもりなんですかっ?」
ミラを抱きかかえるルッツィの腕が震える。助けるために走ってきたため、息も上がっていた。問いかけられたエリアは首を振って言った。
「……この子は、私の魔法薬では治せません。この子は、すごく厄介な呪いにかかっています。そして、その黒い液に触れたあなたも……」
暗い谷底に突き落とされた気分になった。もうそこからは這い上がれそうもないくらい深い谷底に……。
「どうすれば、この呪いは解けるんですか?」
藁にもすがる思いでルッツィは聞いた。過去に自身の故郷の村の人たちを魔物に食い殺されたこともあり、どうにかミラだけでも助けたいと思ったのだ。
「一つだけ方法をあげるとするならば、聖水を飲むことです」
「じゃあっ! その聖水をくださいっ! まずこの子に飲ませてっ!」
「……ここにある聖水はもうわずかしかありません。わずかな量では、呪いは解けません。聖水はある山からわき出ています。でも、とても危険です」
「この子のためならどんな危険だって冒せますっ! 聖水があるのはどこの山ですかっ!」
「……サルーシャ山です」
牢屋からようやく出ることのできたパツィたちはどういうわけか肩で息を切らせていた。その理由は目の前の大量の兵士にあった。
パツィたちが牢獄から逃げだしているのは周知の事実だったらしく、外につながっているらしい扉まで来たときジェイル父長が雇った兵士が雪崩のように押し寄せてきたのだ。
万事休すとばかりゼルは顔が青ざめたが、そんなことは見切っていたとばかりヨエルが雪崩くる兵士を吹っ飛ばし始めた。
しかし一人で吹っ飛ばせる数には限りがあり、パツィたちはいっせいに囲まれてしまった。剣も鎧もないゼルはなすすべもなくただ青くなるばかりだったが……。
「私たちをなめるんじゃないわよ!」
パツィが威勢を張った後、パツィたちを囲んだ兵士たちはいっせいに吹き飛んだ。パツィがステップを踏んで体に魔力を貯め込み地団太のような足踏みをしたからだ。吹き飛んで行った兵士たちは皆一様に気絶をしておきる気配はない。
「よかったー。どうなるかとおも……、あれ? ゼルがいない。どうして……」
「どうしてじゃないっ! お前が足踏みなんかするから俺まで吹き飛んだだろ!」
怒鳴り声がしたほうに目を向けると、ゼルとヨエルが二人仲良く(?)シャンデリアに吊るされていた。
ゼルは片手一本でどうにかシャンデリアにつかまっていたが、ヨエルのほうは気絶していてシャンデリアに引っかかった服も今に破れそうだ。
「ごっ、ごめんっ! 今から降ろすからっ」
「どうやっておろすんだよっ。はしごでも持ってくる気……」
「そうじゃないってっ! 待っててっ!」
そう言うとパツィは足を踏みこんだかと思うと跳びはねた。魔力を貯めているのでゼルとヨエルが吊るされているシャンデリアのところまで飛びあがることができた。が、距離が遠くゼルまで手が届かずそのまま床に落下した。
「いたた……」
すんでのところで補助魔法をかけなおし大けがを負わずに済んだがしりもちをついてしまった。その近くにはパツィが吹き飛ばした兵士も何人かいた。
「あのなぁ、お前が兵士の上にでもおちたら起きてしまうだろ、おぉっ」
「ゼルっ」
ゼルは長いことシャンデリアにつかまっていたせいか手が震え出し今にも手を離してしまいそうになっていた。ヨエルの服も破れてきており落ちるのは時間の問題だ。
「どうしようっ」
窮地に陥らずに済んでいるのはスカイただ一人だけかもしれない。というのも、マダムから逃げおおせた後いろいろと物をくすねていたからだ。最初は慣れない左手で盗もうとしたためつかまりそうになったが、今では左手で軽々と盗めるようになっていた。
「やっぱりルッツィのことが気になるな……。あいつだけでも森の診療所から連れだすべきだったな。はやいとこ逃げて診療所にでも戻るとするか」
盗んだものを懐に隠し広場を通り過ぎようとした時だった。何の気なしに顔をあげるとパツィの悲愴な表情が見えた。いや、正確には見えた気がしただけだ。なぜならスカイの視線の先にあったのはパン・シール教団の本拠地だったからだ。
(……診療所に戻るのは後回しにするか。久々にきれいなお宝ゲットしなきゃなっ)
こんな不穏な気持ちに押しつぶされそうになるのは呪い師になってから初めてのことだった。マダムが幼かった頃には異民族というだけでいじめられていたが、今回のことはその比ではないと直感していた。
異民族だけでなく巨人であるアールのような亜人も消されようとしている。ここ最近増加している魔物は人間を襲うだけでは飽き足らず、エルフや獣人族、そして魔物よりもはるかに大きい巨人の住処さえも荒らしまわっていることがマダムの調査でわかったのだ。
だからこそ都会で流行っているパン・シール教団のやっていることは看過してはいけないことだった。『すべての命を大切に』と彼らは謳っているが、その実は魔物の命を守ろうというのが魂胆であるに違いなかった。
何のために魔物を守ろうとしているのか考えただけでも戦慄が走るようなことであったが、今はアールを元に戻す方法を探すことが先決と思われた。
「……ねえ、アール。サルーシャ山に戻らない?」
「い、いやだよっ! 父さんの嫌な記憶があるってのに、なんでわざわざ戻らないといけないんだよっ」
「あなたを元に戻す方法が一つだけ思い出したからですわ」
「ほ、本当に? うそじゃ、ないよね?」
「ええ、本当ですわ。サルーシャ山からわき出る聖水を飲めばあなたは元に戻れますわよ」
影と化して絶望しきっているアールに嘘は吐きたくなかったマダムだったが、今はそれにかけるしかなかった。サルーシャ山でわき出ている聖水が今や涸れかけていて、呪いを解くにはその量では足りないとわかっていても。
エミリーは後悔していた。幼いころからあこがれだったトルストゥールの人形工房に親の了解を得てやっと就職できたというのに、仕事と称して今やっていることは犯罪まがいのことだらけだからだ。
ありとあらゆる実在する人に似せた人形を工房主であるザカリーが造り、呪いの込められた石をエミリーが人形の瞳につける。
最初こそ人形作りを手伝えるとあって気分は浮ついていたが一週間も経たないうちにその気持ちはしぼんでしまった。それに、呪いの人形作りだとわかっていれば就職などしなかったはずだ。
「……家に帰ろっかな。もうやめたい……」
「そういうわけにはいかないな」
「……っ! て、店主ご、ごめんなさいっ。さっきのは聞き流して……」
いつの間にか彼女のそばに店主であるザカリーが立っていた。怒気をはらんだ表情でエミリーを見据えている。
「お前はもう少しいい助手になると思ってたんだがな。何、心配することはない。お前にはしばらくの間パン・シール教会に行ってもらうだけだ」
「……え?」
意味がわからなかった。叱られるとばかり思っていたエミリーは拍子抜けした。が、ザカリーが次に言った言葉で小さな希望は打ち砕かれた。
「そこで一週間過ごしてお前のできそこないの思想を叩き直してもらう。お前の無駄な考えを矯正すればもっといい働き手になるだろう」




