向けられる憎悪
こんなことになるとは思ってもみなかったと、誰しもがそう思っていた。ゼル、パツィ、そしてヨエルは魔物をころそうとしたとしてパン・シール教会の地下牢獄に閉じ込められたのだ。誰も口を開こうとはしない。口を開けば三人とも互いを罵りあうに違いなかった。……が。
「……ねえ、あんた魔術士なんでしょ? ここから出ていく魔法とか使えないわけ?」
声を発したのはパツィだった。その声は明らかにヨエルに向けたものだった。彼は魔法の杖はおろか、魔法使いにありがちな三角帽子もかぶっていない。なのに、パツィはヨエルを魔術士だと見抜いたのだった。見抜かれたヨエルは驚いたふうでもなく頭を振った。
「ここに張り巡らされている罠は強力だ。得体の知れない呪術が使われている跡がある。それにもし私がここから出ていく魔法が使えるのなら、捕まえられる前にとっくにそうしている」
「なあ、さっき得体の知れない呪術って言ったよな? それは具体的にどんなものなんだ?」
ゼルの顔には明らかにいら立ちが現れていた。まさかミドルーラ家の血筋である彼自身が牢獄に入れられるなんて捕まえた人は気が狂っているとでも思ったのだろう。
「考えれば考えるほど恐ろしい……。その呪術は……」
「なんなのよ? もったいぶってないで言ったらどうなの?」
張り詰めた空気に気圧されそうになりながらもヨエルはいやいや答えることにした。
「……街全体に黒魔法、いや呪いがかかっている。この呪いに耐性がない者は自身の信念を書き換えられる。パン・シール教団に都合のいい思想を吹きこまれる恐れがあるということだ。私が反対魔法を唱えれば、どんなしっぺ返しが反ってくるかもしれない」
「街の人達が、私たちを捕まえて薄汚い牢獄にぶち込んだのって、呪いにやられたからなの? じゃあ、じゃああの黒い影は何? あれは、あいつは……、もしかして呪いの効果がなかった人たちをころそうとするために……」
パツィの言葉はしりすぼみになった。見覚えがあるその姿の名前を言うことができなかった。あれは確かに巨人のアールだった。どうして黒い影みたいになったのかはともかくとして、兵士にした行為が信じがたかったのだ。騎士になりたいアールがどうして人をころしたりする必要がある?
会話もこれまでかと思われたときゼルが立ち上がった。目つきが異様に鋭くなっている。その視線は明らかにヨエルを貫いていた。もううんざりしたと言わんばかりの表情だ。
「……でもそれじゃ話がおかしくないか? 俺たちを手伝った兵士たちはお前が言う呪いにかかったような感じはしなかったし、俺たちも変な信念を吹きこまれた覚えはない。確かに街の人達の様子はおかしかったけどな。お前はただ、ここから出る方法を思いつけないだけじゃないのか?」
「そ、それは、違うっ。断じて……、そんなことは、ない……」
「お前自身、魔術士としてまだたいしたことはないんだろう。だから脱獄できない理由をあれこれひねりだすんだろう!」
「もう、いい加減にして! 言い争ったって何の解決策も出ないじゃないっ」
「でもこいつがっ。……いや、そうだな。パツィの言う通りだ。すまん……」
「……私も悪かった」
パツィの悲痛な声で言い争いは断ち切られた。が、剣呑な空気が牢獄内を覆っているのはどうしようもなかった。たとえ街に呪いがかかっておらずともピリピリとした雰囲気は人を険悪な態度にさせるものかもしれない。
ゼルたちが捕まった後、ディレル街にいた兵士たちは色めき立っていた。仲間である兵士の一人が亡くなった挙句、魔物捕縛を手伝いに来たはずのゼルがいつの間にか姿を消したとあっては、さまざまな憶測が兵士たちの間で飛び交うことになった。
ある者は逃げだした臆病者と罵しり、またある者は逆に魔物に連れ去られたと言い張った。堂々巡りの主張が続き、結論が出ないかと思われたときだった。ある兵士が血相を変えて話しこんでいた兵士たちのところに駆けこんできたのだ。
「ま、魔物がっ! 魔物が正体を現した! 今すぐ来てくれ! 捕まえるのを手伝ってくれ!」
日が沈みそうなころ、マダムはようやくヨエルの手掛かりをディレル街に見出していた。薄暗い中で見る購入したばかりの人形は不気味なぐらいマダムにうり二つに見えた。そんな幻想を振り払い、マダムはトルストゥールから出た後、さっそく瞬間移動用の魔法陣を地面に描いた。
「怖いのね。あなた自身の予感が当たってほしくないのね」
唐突に聞こえた声はマダムの持っている袋の中から聞こえた。人形がしゃべっているとわかった瞬間背筋に冷たいものが走り、鼓動が速くなった。
「……話しかけないでくださらない? 急用ですのよ」
落ち着いて話したつもりだったが、緊張感は隠しきれなかった。どんな黒魔術が使われてるかもしれない人形に心を動かされてはならない。もしかしたら、これは人の心を支配するのかもしれないのだから。
痛々しいほど静まり返る中、皆怪我人の治療の手伝いに専念していた。だれもがルッツィがあんなふうに怒るとは思っていなかった。一体ルッツィの過去に何があったのかミュリエルが聞きそうになったぐらいだ。
部屋の中が異様に静かだった。時折怪我人の呻き声が聞こえるが、それ以外は誰もが無言だった。そんななか、ミュリエルがぽつりと言った。
「……あの右手がない人、どこにも見当たらないですけどどこに行ったんですか?」
薄暗くなる中、森の中をスカイは一人突っ切っていた。診療所でとどまっていたらいろいろ面倒ごとを押し付けられるのが目に見えていたからだ。第一、どうしてなんの見返りもないのに怪我人の世話をしなければならないのか、スカイには理解しかねることだった。
「うう、寒っ。まだ雪が溶けきってねえなぁ……、オレやルッツィが住んでたところじゃ、ここまで雪なんか降らなかったのによぉ……。ここは寒すぎるなぁ。オレが一儲け出来たら、贅沢三昧できるのに……、そしたらこんな寒い思いをせずにすむのに……」
一人ぶつぶつ言っていると、いつの間にやら森を抜けていた。夕日で空が赤く染まっている。が、何かがおかしい。違和感を探そうとして目を凝らしようやくその理由がわかった。ディレル街を覆う空が真っ黒なのだ。日が暮れる中、赤く染まる空の中でディレル街の上空だけ異様に黒かったのだ。
「……何だあれ、曇じゃ……、ないよな?」
嫌な予感がしたスカイは知らず知らずのうちにディレル街に向って走りだしていた。
空を飛ぶ変な夢を見た後、重いまぶたを開いたアールは、自身が場違いな場所で寝ていたことに気づいた。洞窟の中で寝ていたにもかかわらず目を覚ました場所は見知らぬ城下町だったのだ。
重い体を起こそうとしたその時、鋭い矢じりがアールめがけて飛んできた。が、矢が刺さった感触はなかった。アールを射ようとしたその矢は、アールの身体をすり抜けて石畳に刺さったのだった。
どうしてこんなことをするんだ、と叫ぼうとした時ある視線とぶつかった。一人の兵士がアールを睨んでいたのだ。手には弓を持ち、今にもまた矢を射ようとしていた。
その兵士の目つきはアールを憎い敵を見るかのように憎悪で満たされていた。その時アールは、自身がもはや普通の巨人ではないということを嫌でも分からざるを得なかった。
たくさんの兵士がとり囲んでいたのはアールという名の巨人ではなくディレル市民に魔物とよばれた漆黒の影だった。




