血染めの楽園
空気が冷えて刻一刻と冬が近づいている。それはまるでこれからのアールの人生を象徴しているかのようだった。ディスバニーの呪いを受けたときでさえ朝起きられなくなっただけ、とアール自身は気にしていなかったが、さすがに今回のことは堪えてきた。
幽霊のように体が透き通ってしまったせいで、マダムはアールが声を出さない限りそこにいることに気が付けないし、ミラも匂いを嗅いでアールの居場所を突き止めるありさまなのだ。
「ねえ、マーラっ! 食事にしようよ! おなかすいた! 魔法薬なんていつでも作れるでしょ!?」
三人はマダムの屋敷が火事で崩壊したせいもあって山のふもとでテントを張って暮らすことにしていた。テントとはいえマダムの魔法で作ったテントなので、中に入るとそこは普通の家のようになっていた。おなかがすいてしょうがないミラはマダムが何かの魔法薬を作っているそばでさっそく駄々をこね始めていた。
「そうはいきませんわ。あのメガネの代わりを作らないといけませんの。そうでもしないといつまでもアールが見えないままですわ」
マダムが言うあのメガネとは魔法のメガネの事だ。それをかければ見えないものが見えるようになるが、火事の時に壊れてしまったのだ。
「ねえ、マダム、どうにか元通りにはならないの? おれずっとこのままなんて嫌だよ。おれは騎士になりたいのに……」
「っ……」
騎士になりたい。そう聞いた瞬間マダムは手に持った木のスプーンを滑らせそうになった。アールが騎士にあこがれていることは何となく気が付いていたが、ここまで熱心に考えていたとは思ってもみなかったのだ。
「……マダム? どうかした?」
「い、いえ、なんでもありませんわよ……。でも騎士の夢はしばらくあきらめたほうがよさそうですわね……。ほら、元に戻れるのにどれくらい時間がかかるか分からないし、それに、あなたは夜しか起きられないはずですわ」
「そっか……」
「でもあたしは、兄ちゃんがきしになれるって信じてるよっ! 夢は持ったもの勝ちだよっ! きしってなにかわかんないけど……」
「ミラはいい子だな。おれの夢を応援してくれるなんて……。そういやミラは何か夢はあるか?」
おなかがすいてたまらないミラだったがアールと話すのは好きらしい。質問されたと同時に目を輝かせ始めたからだ。
「あたしの夢聞いてくれるっ?! あたしねっ、世界一の料理人になるのっ! あたし食べるの好きだからさっ。あたしが好きなものいーっぱい作るんだっ!」
「楽しく話しているところ悪いのだけれど、少し離れてくださらない? 魔法薬作っている途中ですのよ?」
隣でうるさく話されて集中できない、とばかりに手をひらひらさせながらマダムが言った。それもそのはず今作っている魔法薬は一歩間違うと爆発の可能性があるからだった。そんなことも知らないアールとミラはマダムの横で楽しそうに話していたのだ。
「わかったよ……。じゃ、ミラあの暖炉の近くに行こうか」
座っていたらしいアールが立ち上がろうとした時、ミラがすかさず声を張り上げた。
「兄ちゃん気をつけてよっ。あたしは兄ちゃんの匂いで居場所がわかるけど、兄ちゃんがどんな動きをしてるか分からないんだからっ」
「うん。気をつけるよ……。でもミラ、少しでもおれの姿見えることはないか?」
「うーん。わかんないっ。ねえ、マダムは見える?」
「うっすらと見えますけれど、顔かたちまでははっきりとは見えませんわね。しいて言うなら影のようなもやに見えますわ」
注意をしたのにさっそく話をふられたマダムはアールたちのほうを見もせずに答えた。魔法薬を火にかけているところなので、目を離している隙に爆発させてはいけないからだ。
「なあ、ミラ。もうマダムに話しかけるのはよそう。魔法薬を作ってるのを邪魔したら悪いだろ?」
「わかった……。でもおなかすいたー。なんかない?」
「仕方ありませんわね……。今日は出来合いのものしか出せませんけど、それで我慢してくださいな」
そう言ってマダムが手を振るとアールとミラの目の前にあったテーブルの上に料理が出てきた。野菜が多めだが、中には呪いにかかって野菜が食べられなくなったアールのための生肉が置いてあった。それに気がついたミラはすかさず生肉の前に来た。
「あたしこの肉がいいっ」
「それはアールのためのものですわよっ。あなたは他のにしなさいっ」
「ちぇー」
ふてくされたミラは渋々と野菜スープを口にしたが、その後少し顔をしかめた。獣人族であるミラは雑食性とはいえ、やはり肉が大好物なのだ。その後、スープを置いたミラは生肉を見てはよだれを垂らし続け、マダムのひんしゅくを買うことになった。
そのころ、思いきって工房を飛びだしていたミュリエルはさっそく自分の行動を後悔し始めていた。どこか雇ってくれるところを探したはいいものの、不気味な人形を連れているためか、だれもミュリエルを雇おうとする殊勝なものはいなかったのだ。
自分自身の持ち金を切り崩しながら宿屋を転々としたためか、いつの間にか彼女の財布の中はすっからかん同然になっていた。人形を売ることさえ考えたが、やめた。最初こそ不気味に感じていたが、今ではいい話し相手になっていたからだ。
「ところで、あの工房に戻る気はないの? 私の仲間たちも連れていきたいのだけど……」
「そうしたいのはやまやまなんだけど……」
あの工房に戻ることを考えるだけでミュリエルは寒気がした。今まであの横暴な師匠の下でよく頑張ってこれたものだ。よくよく考えてみれば彼女自身あそこに戻りたいかと問われれば、素直に肯定できない自分がいることに気づいた。
「まあ、戻りたくないのなら強く勧めたりしないけど……、寝る場所に困るじゃない?」
「うん、そうだ、ね……」
家に戻ろうかとも思ったが、あそこに戻れば親に何と言われるか簡単に想像できた。
『早くいい人見つけなさいよ。何もそこまで働かなくてもいいじゃない』
『妹をあそこに専属ダンサーとして雇わせたのがそもそもの間違いだったか……』
「あっ、忘れてた! あの子がいるんだったっ!」
そう、ミュリエルには妹がいる。何で早くそこに気が付かなかったのだろうか。妹は確かあそこにいるはずだった。何かを決めたらしいミュリエルがいきなり立ち上がったため、肩につかまっていた人形が振り落とされそうになった。
「ど、どうしたのよっ。落ちそうになったじゃないっ!」
「妹がいるところに手紙を書くのっ。もしかしたらそこで私も働けるかもしれないじゃないっ」
「妹ってたしか、ミドルーラ家ってところにいるんでしょ? あそこって確か名家のはず……、って、ひゃっ」
何かを指摘したいらしい人形の言葉は突然走りだしたミュリエルによってかき消された。雇ってもらえないかもしれない、という思いはミュリエルの中にはなかった。彼女は妹と同じ補助魔法が得意なのだ。それを売りにすれば雇ってもらえるかもしれない。その思いだけがミュリエルを突き動かした。
「いきなり走るなんて落ちたらどうしてくれるのよ!」
冬が差し迫ったディレル街の薄暗い路地裏。通るものといったらスリや泥棒など、スカイみたいなやつばかりでロクな人が通る気配がない。そこをあえて通っている人物がいた。銀髪の少年がそこを通っていたのだ。なぜか服がボロボロで服を変えてないように見えるのは気のせいだろうか。
後ろを振り返りながら歩いたためか、はたから見ると挙動不審な動きをしていた。ようやく目当てのところにたどり着いたらしく足を止めた。手には刃渡りの鋭いナイフが握られている。もう片方の手には袋が握られており、血で汚れている。
「……まったく、あの犬娘に手こずらされるなんて……。あの人にばれたらなんて言われるか……」
「私がどうしたのかね?」
「……っ! ど、どうしてここにっ」
「せっかく迎えに来たのに、その態度はいただけないな。さて、目的の物は持ってきたかね?」
少年の目の前にいつの間にかジェイル父長が立っていた。路地裏に似つかわしくないきらびやかな服装をしているがジェイルはそんなことは気にしていないようだった。少年はいやいやながら手に持っていた血に汚れた袋を差し出した。
ジェイルは袋を受け取るとさっそく中を見た。そこには人のものと思われる指や舌、果ては眼球までもが入っていたのだ。袋の中を見る父長の目は満足げにきらめいたように見えた。
「これこそがわが楽園を作る素となる……。ランコア、お前も知らないような楽園が、な」




