信頼できそうにない
ディレル街の近くにある森、パルアベルゼの森には腕利きのヒーラーがいる。エルフでありながら人間の治療も行うエリアは森に住む生き物だけでなく人間からも尊敬されていた。アールは今、このヒーラーの下でケガの治療をしてもらっている最中だった。
「……ということはパツィさんが力を溜める舞を踊って、無理にこの巨人さんを引っ張りだしたらケガをしてしまったということですね」
すり鉢で蓬をすりつぶしながらエリアはパツィに聞いた。エリアはきれいな顔だちなのでパツィがそれに見とれていると、横からゼルがパツィを小突いた。
「えっ、あ、はい、そうですっ」
赤面しながら答えるパツィ。目の前でアールが痛々しそうにしているのには気がつかないふりだ。
「まったく、運よく抜け出させることができたからよかったというもの、これ以上のケガを負ったかもしれないんですよ。それでもあなたは踊り子兼補助魔道士ですか?」
「はい……」
すりつぶし終えた蓬を包帯に塗りつけてきぱきとアールに巻いて行く。痛いことを指摘されうなだれているパツィだが、アールがもし仲間でなかったら見捨てるところだとは口が裂けても言えなかった。
「これで治療は終わりです。もしものために消毒用の薬草を渡しておきますね」
治療中、アールがちらちらとエリアのほうを見ていたことに気が付いたパツィは思わず吹きだしそうになったが誰もそのことに気が付くものはいなかった。
日暮れが近づいてくる頃のことだった。ディレル街に入ろうとしたゼルはハタと足を止めた。アールもパツィもどうしたんだろうとゼルのほうを見ると顔が青ざめている。
「ど、どうしたんだよ? 何か悪いものでも食ったんじゃ……」
心配そうなアールをよそにゼルは喚き始めた。
「なんておれはバカなんだ! お前を仲間に入れたばっかりにっ! 今日泊まるはずだったホテルにチェックインできなくなったじゃないか!」
こんな風に怒るゼルを始めて見たアールは茫然としたが、聞いていくうちに今夜泊めれるところに泊まれなくなったことを理解したアールはゼルの機嫌を治そうとヤキモキし始めた。しかし、どうしてアールが仲間に入ったばっかりにホテルというところに泊まれなくなったということだけはどうしても理解できなかった。
「と、泊まれるところなんて他にもあるだろ? ほら、近くに村があるしそれが嫌だったらおれの家に泊まっても……」
「断る! お前だけ自分の家に戻ればいい。俺たちは予定通りホテルに泊まるから!」
その言葉にショックを受けたアールだったが、この言い争いを聞きつけるかのように馬車が近づいてきた。
その馬車から降りてきたのは、どこからどう見ても異国の人だった。異国のショールを羽織り、異国のキセルを持ったその女性はどうしてここに駆けつけて来たのだろう? その疑問をはらうかのように女性が口を開いた。
「ごきげんよう。諍いの途中に失礼ですけれど、この巨人を引き取りに来ましたの」
「え? 引き取るってどういう……」
突然の申し出にあっけに取られたアールたちだったが、その女性は何のためらいもなくすらすらとここに来た理由を言ってのけた。
「まだ自己紹介してませんでしたわね。わたくしマダム・マーラと申します。呪い師をしておりますの。今朝占いをしてみたら、アールと言う名の巨人をあたくしが引き取るというお告げが出ましたの。こちらの方がアールで間違いありませんわね?」
「そ、そうだけど……」
こいつ以外に誰がいるんだよ、というパツィの冷ややかな目つきを逃れるようにアールはマダム・マーラのほうを見た。黒い髪に黒い瞳だが、刺すような目つきは見方によっては魅力的だ。人間といえばゼルやパツィのような茶髪や金髪しかいないものだと思っていたアールにとっては新鮮だった。
「それじゃ準備に取りかかるとしますわね」
そう言うと袋から何かを取りだした。一見何の変哲もない棒だ。何をするのか、と思った時マダムは地面に魔法陣らしきものを書いていった。一体何を書いているのか分からないアールはあたりが薄暗くなってきていたのでよく見ようと一歩前に進もうとした。
「動かないでっ!」
「え、ど、どうして……」
「魔法陣を消されたら効果がなくなってしまいますわ。出来上がるまで待っていてくださいな。あ、そうでしたわ。ゼル……さんでしたわよね?」
唐突に話しかけられたゼルは一瞬返事しようか迷った。マダムの登場といい最初からあまりにもできすぎているので、信用できるのか決めかねていたのだ。
「……そうですが?」
「一晩だけアールをうちに泊まらせますけれど、問題ないですわよね?」
「えっと……」
「もちろんですよっ! 速く連れていってくださいっ!」
ゼルの代わりにパツィが勢い良く答えた。あまりにノリノリなので、はやくアールにその場を去ってもらいたいのが見え見えである。パツィの返答にわかりやすく傷ついたアールだったが、会って一日も経ってないので信用されてなくても当然だった。
そうなると、ケガしたアールのためにゼルが森の診療所に連れて行ったのはまだ良心的な方だといえた。
(そんなにおれ、信頼できないかな……)
アールは自分の目を疑った。さっきまでディレル街の城壁の前にいたはずなのに、どういうわけか今まで見たことのない建物が眼前に立ちはだかっていたのだ。呆然としていると、マダムが話しかけてきた。
「どう? ここがいわばわたくしの根城というものですわ」
どうして一瞬にして知らない建物の前に来ることができるのなら初めて会ったときは馬車で来たのか、と言おうとしたがあまりの出来事に頭が混乱したせいで言葉が迷子になってしまった。
「あの、その……」
「ああ、もしかしていつも魔法陣で移動してるんじゃないのかって聞きたいんですのね?」
「あぁ、まあ……」
あれが魔法陣というものということを今初めて知ったアールだったが、マダムが自身の疑問を汲み取ってくれたのには感謝した。
「それはね、あまりこの場所に馬車を呼びたくないからですわ。ここにはわたくしの財産、と言っても魔術道具がたくさんありますの。あまり知らない人に見せびらかしたくないんですわ」
「でも、おれをここに呼んだのは……」
「さっきも言った通り、お告げであなたを引き取ると出ましたの。それに、今までわたくし一人でしてよ。誰かいたほうが楽しいじゃない」
お告げが一向になんなのか分からずじまいだったが、とりあえず野宿する危険性は逃れられそうと思ったアールは、気が緩んだのかついこんなことを言ってしまった。
「ここなら、毎日剣の稽古ができそうだ」
厄介払いを済ませたゼルだったが、気がかりなことが一つ残っていた。アールが騎士になりたい、と言っていたことだ。目つきは真剣そのものだったので、またゼルの前に現れて弟子入りさせてくれと頼むに違いなかった。溜息をつきそうになると、パツィの顔が目に入った。心なしか嬉しそうである。
「……どうしたんだよ?」
「ねえ、今日こそはグレードの高いホテルに泊まらせてくれるんでしょ?」
その言葉にはおいしい食べ物が食べたい、という意味が含まれていた。ゼルの屋敷に補助魔法ダンサーとして仕えてはいるが、もともと庶民だからかこういうことには目ざといのだ。
「ああ、そのことか……」
金を払ってるのは俺なんだよ。少しは感謝しろよ、という言葉が喉もとを出かかったが、グッとこらえた。パツィと仲たがいする理由はないからだ。
「……いつもどおり二部屋とるからなっ」
「はーいっ。というより、誰もあなたとのことなんて期待してませんよっ」