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夜の山に潜むもの

 いつも通りの暮らしを続けていたアールにとって体質の変化というものは最初こそ衝撃をもたらしたものの、一週間も経たないうちに慣れていった。


 朝に目覚めるどころか日が沈むころに目を覚まし、狩りをして捕獲した獲物も火を通さず食べた。アールが野菜を一切受け付けなくなったことがマダムにとっては痛いことだったらしく、無理に野菜を食べさせようとする努力もいつの間にか立ち消えになった。


 夕食の後も目が覚めたばかりのアールは早く動きだしたくてうずうずしていた。マダムの心配をよそに外を出歩こうとした時は魔物よけの護符を渡されたぐらいだった。


「なるべく早くに戻って来なさいよっ!」


「わかってるって。心配されなくてもおれは大丈夫だから」


 マダムの心配は別なことにあったが、あえてアールには言わずにおいた。この呪いにかかった者はほとんどが村の人間が多く呪いにかかった場合も他の村の人たちによってため池に溺死されることが多かった。それに、人間以外がこの呪いにかかった場合将来的にどうなるかなど全くの未知数だったのだ。


(……呪いが精神に影響を与えるかもしれないし、与えないかもしれない。呪いの治療法も確立してるわけじゃない……。どうしたら……)


「ねえ、マーラっ! お兄ちゃんと一緒に行ってもいいでしょ!」


 いつの間にかミラがアールの横にいて夜の散歩について行く気満々のようだった。手にはいつものように毛玉を持っている。毛玉は抵抗するそぶりを見せず逃げるのをあきらめたかのようだ。


「……え、よ、夜中に出歩くなんてダメに決まってるでしょう? それにあなたの親だって危ないことしてほしくないはずですわよ?」


「危なくないもんっ! だってアール兄ちゃんがいるんだもんっ! どんな奴だってあっという間にやっつけるよっ! ね? そうだよね? 兄ちゃん?」


「何か危険なことがあったらすぐに帰るから。ちゃんとミラのこと守るから心配すんなよ、マダム」


 マダムの不安を意に介さないアールにため息が出そうになった。まったくこっちの気も知らないで、と言いかけたがマダムは代わりにこう言った。


「それじゃ、この山を絶対ふもとまで下りないこと。危険な魔物に近づかないこと。誰かいても近寄らないこと。それが守ることができるならミラを連れていってもいいですわ。良いですわね?」


 まさか散歩するだけで制約を受けると思ってなかったアールだったがマダムを心配させないために大きくうなずいた。


「……わかった、約束する。この山を出て行ったりしないよ」


 が、この約束はこの後ものの見事に粉砕されることとなる。




 しばらく山を道なりに歩いていると、ミラの手に握られた毛玉が唐突にこんなことを言いだした。


「ねえねえ、ちょっとお願いがあるんだけど……、その手離してくれないかな? いつまでも握られてたんじゃ、苦しくなっちゃうなぁ」


「だめっ! 離しちゃったら絶対逃げる気でしょっ!」


 まったく離すつもりがないことがわかった毛玉はミラを懐柔することにしたようだ。次の瞬間には、ミラの機嫌を取るようなことを言ったからだ。


「それじゃあさっ。皆で追いかけっこをしようっ。君もここのところ遊んでないんじゃない?」


「あたし、お兄ちゃんが一緒にいるから退屈しないよっ! でも、追いかけっこしたいっ。いいでしょ? 兄ちゃんっ!」


 その時アールはなぜかぼんやりと上の空になっていたので、ミラの問いかけにうまく答えることができないでいた。


「……どしたの? 気分が悪いの?」


「ああ……、なんでもないよ。ただちょっとボーとしてただけだから。……で、どうしたいんだったっけ?」


「もうっ! 兄ちゃんってばっ! 聞いてなかったの? 皆で追いかけっこしようって言ってたんだよっ! ね? らんこ?」


「僕の名前はランコアだって、前もいったじゃないかっ! ……ねえ、アールも追いかけっこ、したくない?」


 何やら含みを持たせた言い方だった。が、アールもミラもそんなことに気づく様子はない。アールは少し考えるそぶりをしたが……。


「……いいよ。ちょうど体を動かしたくなってた頃だしなっ。けどだれが追いかける役をするんだ?」


「あたしが追いかけ……」


「それはアールが追いかけるのがいいんじゃない? ……ほら、騎士になる修行にぴったりだよ。走るってのは」


 何をどうもってして走るのが騎士の修行にぴったりなのか分からないし、どうして毛玉がアールが騎士になりたいことを知っているのか定かではなかった。が、二人はそんなことを気に留めることもなくアールが追いかけ役で良いということにまとまった。





「どうして僕を持って走るんだよっ! 走るとき邪魔じゃないかっ!」


「いいじゃないっ! 持って走りたいんだもんっ!」


 毛玉の目論見もむなしくミラは毛玉を持ったまま走った。毛玉ことランコアは、追いかけっこの途中で抜け出そうとしていたのだが、掴まれたままでは逃げだそうにも逃げだせなくなっていた。


 ミラの全速力の後方、アールはといえばミラが素早く走れることに驚きミラを見失っていた。山の中を走ることもあり、かなり無理な体勢で走ったせいもあって、少し息切れして休み休み走っていた。


「ミラのやつ、どこへ行ったんだろうな……。あとで戻らないといけないのに……、あれ? 誰か……いる?」


 はるか前方、空に星が瞬いてるとはいえ暗い山の中に誰かがいるのがわかった。もしかしたら、見失ったミラかもしれない。そう思いアールはその誰かに近づいてみることにした。





 もうそろそろ呼び戻したほうがいいんじゃないか、とマダムが考えていたときだった。窓の外から全速力で近づくものがある。かなりの速度なのでもしかして魔物か、と勘繰ったマダムはもっと窓の外をよく見ようとした。


 だんだん近づいてくる。悩んでる暇はないと窓から相手にけん制をかけるための爆弾を投げようとした時だった。何やら叫んでいる。近づいている者は走りながら叫んでいた。これは危険な生き物かもしれないと、マダムが判断を下そうとした時……。



「おーい! マーラ! 帰って来たよ!」


 近づいてくる何かはミラだった。全速力で走りながらマダムの屋敷に向っていた。よく見ると、手に何か持っている。暗いしよく見えなかったがよく見える魔法の双眼鏡を使ってみてみると、それは毛玉だった。ミラが毛玉をグルグル振り回して走っているので、気のせいか気を失っている。


 あっけに取られているうちにすでにミラはマダムの屋敷の玄関に着いていた。


「たっだいまー! 帰ってきたよー!」


「お、おかえり……、……あら? アールは一緒じゃないの?」


 辺りを見渡してもアールらしき巨大な影は見当たらない。が、もしアールがミラを追いかけようとしても、ミラのあの全速力の前ではアールは追いつくことはできないだろう。


「ううんっ。帰る前に追いかけっこしようってなったからあたしだけ走って帰って来たのっ! 多分兄ちゃんも後から帰ってくると思うっ!」


 朗らかに答えたミラとは裏腹に、マダムは肝が冷える思いがした。ディスバニーの呪いがかかったままのアールを一人きりにさせてはいけない。直感がそう訴えかけていたが、マダムは気持ちを落ち着けさせるのに精いっぱいだった。


「……どうしたの? 何か変なもの食べちゃったの?」


「そうじゃないのただ……、ただアールを一人きりにさせちゃ……」


「? なんだかマダム変だよ? 気分悪いんだったらはやく寝なくちゃっ」


 ミラにアールを一人きりにさせてはまずいことを教えようかとも思ったが、今はアールを探すことが先決だと思い至りマダムは言いかけた言葉を無理やり別の言葉に替えた。


「い、いいえ。その……、アールを探すの手伝ってくれないかしら? 早く見つけないといけないの」

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