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第六話

 王宮に来るのは何ヶ月振りだろうか。

 リディアは記憶の景色とあまり変わらないその場所にほっと息を吐いた。


 王太子が結婚し、王太子妃を迎えた筈の宮殿は特別にどこが変わったという事もなく、以前と変わりなく整然としている。


――もっと新婚ムードに()てられるかと思ったけど。


 エリザベス王太子妃殿下はその華やかな見た目と違い、意外に質素で落ち着いた雰囲気を好むという噂は本当だったようだ。装飾や花で過剰に飾られるということはなく、以前と全く同じに見える。


 リディアは思いの外動揺せずに歩みを進められた。何より、横にいるエドモンドの存在が大きかった。

 彼が横にいるだけで何だか居心地が良い気がするのだ。肩肘を張らずに付き合える相手、そして最後まで信頼できる相手であることは幼い頃からよく分かっているし、この二カ月で改めて実感できている。


「良かった。顔色が良くなってきたね」


「……エドモンドが横にいてくれているから。貴方がいれば怖いものがなくなる気がするわ」


 今日はリディアの両親も一緒なので、行きの馬車の中ではエドモンドと向い合せで座っていて少し距離があった。

 だが、今はその腕に手を添え温もりを感じることが出来る。それだけで心が落ち着いたのだから、どれだけエドモンドに依存しているのかと自分でも呆れるが、幼い頃からの癖のようなものなのだと納得もできた。

 いずれにしろ、リディアにとっては昔も今もエドモンドの腕の中が「世界で一番安心できる場所」だというのは紛れもない事実なのだからと。


 婚約後、無意識に随分密着していることに気付いた時には狼狽したが、思い返せば出会った頃からそのような距離感だった気がする。同い年で人当たりの良いエドモンドは、平民と貴族の垣根を越えてすぐにリディアに、そしてハリスン家に馴染んだ。

 リディアの両親もエドモンドを実の息子の様に気に入り、いつもエドモンドを養子にしたいとぼやいていたほどだ。

 ハリスン夫妻にしてみれば、貴族籍を得たエドモンドがリディアに婚姻を申し入れてくれたことはまさに長年の願いが叶ったようなものだろう。

 

 ホールに入ると、エドモンドが多くの人に注目されているのを感じた。エドモンドはそんな視線をどこ吹く風という様に泰然としている。

 リディアは年若い令嬢たちが羨望の眼差しで彼を見つめていることに気付き、チラリとエドモンドの顔を見ると視線が合って驚く羽目になった。エドモンドはずっとリディアの顔を見つめていたようだ。


「エドモンド、あまり見ないで」


「どうして?今日も本当に美しいよ。その緑のドレス、本当に良く似合ってる。贈った甲斐があった」


 声を落として窘めたリディアに、エドモンドは全く聞く耳を持たずに囁き返した。

 耳に息が吹きかかってリディアはゾクリと痺れのようなものを感じて顔をほのかに赤らめた。

 

 今日のリディアのドレスは、金糸で刺繍が施されたタフタ生地のノースリーブドレスで、胸元にはプレゼントされた翡翠のネックレスが輝いている。

 エドモンドの瞳の色であり、リディアのアッシュブロンドに良く映えているそのドレスは、鮮やかでとても目を引くものであるが、それでいて気品と落ち着きをも感じさせた。


「……ありがとう。私もとても好きよ。このドレス」


「……ドレスだけじゃなくて、僕にもその言葉がそろそろ欲しいな」


 素直に褒められた礼を言ったつもりが、エドモンドが混ぜ返す。

 リディアは揶揄われていると感じ「もう!」と言って視線をそらした。

 エドモンドはその様子を見て、クスクスと笑いながら追いかけるように顔をリディアの髪に寄せた。

 エドモンドの唇が旋毛に触れるのを感じて、リディアは向き直って怒った顔を見せたが、赤く染まった耳がエドモンドを益々調子づかせ、二人の距離がまた詰められる。

 エドモンドは腕に添えられたリディアの手にその手を重ね、指を絡めた。指先を撫でるように擦ればリディアの眉根が少し解れる。


 その時丁度国王陛下が登場し、ホール内の空気が変わった。

 夏至の舞踏会は一年の中でも最も華やかで大規模なものだ。ある意味神聖な儀式の様でもある。

 各領主が集まり、国王夫妻、王太子夫妻に目通りし、国の繁栄を願う儀式だ。


 音楽が奏でられる中、高位の者から次々と挨拶を行い、遂にリディアたちの番がやってくる。

 父親が、エドモンドを婿に迎えることを国王に告げる横で、リディアは初恋の人に再び対峙することになった。


「リディア、エドモンドとの婚約おめでとう。その、先日はすまなかった。エドモンド、また後程」


 フレドリックは普段通りの様子だったが、ほんの少し申し訳なさそうな顔色を滲ませ、囁くようにそう言った。

 リディアは思わぬ謝罪を受け、慌てて首を振ったが言葉を発する前に次の人に場所を譲る時間になってしまった。慌てすぎて、横でエリザベスがどんな顔をしているのかも確認ができないほどで、また気を悪くさせたのではとリディアは後で胃を痛くさせた。


――まさか殿下から謝罪があるなんて。


 あの最後のダンスの時も「すまない」と言われたのだが、まさかまた謝罪の言葉があるとは思わなかった。

 リディアが思う様に、フレドリックはリディアは疎ましくは思っていなかったのだろうか。

 もしかしたら自分がずっと領地に引き篭もり、結婚式にも参列しなかったことを気に病まれたのかもしれない。それなら謝罪すべきは自分の方だろうと、リディアは一人悶々とした。


 各貴族の挨拶が終わり、王太子夫妻のファーストダンスが終わると、エドモンドもリディアを連れ出した。

 

「殿下のことが気になる?」

「……殿下のことと言うよりお言葉がね。なぜお謝りになったのかしら。エリザベス様、気を悪くされたのではないかしら」

 踊りながら二人はそんな会話を交わした。エドモンドとは婚約式でも踊ったが今まで踊った誰とよりも踊りやすい。まるで羽が背中に生えたかのように身が軽く感じられるのが不思議だったのだが、リディアの動きにエドモンドがぴったり合わせてくれているからだろう。


 踊っている内にリディアは自然に笑顔になって、その笑顔を見てエドモンドも華やかな笑顔を振りまいた。

 

「……私気付いたことがあるわ。エドモンドってハンサムだったのね」

「ハハッ!何だい?今更だな。僕はこれでも美貌の青年実業家って言われてるんだけどね」


 エドモンドは確かに整った顔をしていた。リディアは見慣れ過ぎて気付かなかったが、一般的に男性からは好感を持たれ、女性からは好意を向けられるタイプの誠実そうで爽やかに見える美形顔だった。

 その上、エドモンドは商売を有利に進めるためにこの顔をどのように動かせば良いのか熟知していた。

 時に地味に、時に人懐っこく、時に知的に、時に朗らかに。

 そして時には凶暴にも変わるその顔で、相手を上手くコントロールする。

 先ほどのフレドリックとの対面時のエドモンドの瞳は正にそのような類のものだった。


 リディアとエドモンドがテラスに出て、寛いでいるとフレドリックとエリザベスがやって来た。


 リディアは咄嗟に腰を落とし、エドモンドもそれに合わせて、姿勢を正した。


「邪魔をしてすまない。だが少しだけ時間をくれないか。リディア、私が不甲斐無いばかりに君を巻き込んで申し訳無かった」


「そんな!殿下、その様な事を仰らないで下さい。全ては私の不徳でございます。妃殿下に置かれましてもご心労の一因となりました事、大変申し訳ございません。深くお詫び申し上げます」

 リディアは更に腰を深く降ろし頭を下げた。王族に謝罪することはあっても、謝罪される事など本来あり得ない事だ。

 いくら元同級生だからと言って駄目だろう。


 そんなリディアを守る様にエドモンドは抱き寄せ、穏やかに言った。


「殿下、もう謝罪は結構ですよ。これ以上はリディアが気に病むのでもうそっとしておいてください」


「しかし、エドモンド!それでは私は君との約束を破ったままになるだろう。リディアに許されてこそ、約束は果たされる」


「はあ、もう良いです。この通り、リディアは僕の腕の中ですからね。お互い水に流しましょう」


 リディアはフレドリックから隠す様にエドモンドに抱き込まれた。


「ちょ、ちょっと。エドモンド!」

 リディアは羞恥で赤くなったが、それよりも「約束」という言葉が気にかかった。二人は一体何を約束していたのだろうか?


「エドモンド、貴方不敬よ!それに約束って一体何なの?」


「秘密!男同士の約束さ!さあ、フレドリック殿下、そろそろ戻られては?大丈夫、僕の貴方に対する友情は変わりないですよ。ご安心ください」


「エドモンド……」

 フレドリックは納得していない様な顔をしたが、クスクスと笑うエリザベスに腕を引かれて名残り惜しそうに去っていった。


 リディアが知るところではないが、フレドリックの結婚式の時に二人は言葉を交わし、エドモンドからフレドリックは散々嫌味を言われ、詰められ、果ては経済的に戦争を仕掛けることも可能だと脅されていた。もちろん半分冗談だったが、半分本気でもあった。実際今のロクスター商会にとって一国の経済を混乱させることなどさして難しいことではなかった。


 フレドリックもリディアが引き篭もってしまったことについて罪悪感を感じていた上に、「男同士の約束を反故にした」と言われれば、ぐうの音も出ない。


『僕がいない間、どうかリディアを守ってください。

僕はウルクで成功して、必ずブルトン王国に新たな繁栄をもたらしますから』


 それが学院の同級生達とエドモンドが交わした約束だった。

 そして、言葉通りにエドモンドは王国に繁栄をもたらした。各領地の特産物の中から競争力のある物を各国に売り込み、各国で有用な物を王国に持ち込み、更なる発展の一助となった。


 学院の同級生達の領地は経済的に潤い、王国全体に富が廻り始めている。


 そんな中、リディアを傷付けられたのだからフレドリックに対するエドモンドの怒りは当初凄まじかった。もちろん事の発端になった他の同級生達は締め上げ済みだ。


 それでも本気で彼らを潰す事をしなかったのは、彼らのお陰でリディアが他の誰かに奪われる事なく無事にエドモンドの婚約者となったからである。




「ねえ、『約束』って何よ」

 また二人きりになってリディアはエドモンドを問い詰めたが、はぐらかされるばかりで聞き出す事はできなかった。

 諦めてホールに戻り飲み物でも貰いに行こうとするリディアに、エドモンドは囁いた。


「フレドリック殿下のこと、まだ好き?」

 少し声を落とすエドモンドの顔を見ると、いつもの彼と違い不安が滲み出ており、リディアの心がキュンと締められた。


「……お慕いはしているわ。でも臣下としてね。今の私は誰かさんに夢中みたい……」


 リディアはエドモンドに向き直った。

 エドモンドはリディアの腰に腕を回した。


「……それは緑の瞳の男と思って良いのかな?」


「そうね、『美貌の青年実業家』って呼ばれてるそうよ」


 エドモンドはバツが悪そうに赤くなり、リディアは笑い出した。


「フフフ、エドモンド、ねえ大好きよ。私、貴方の事が本当に大切で大好き。前から家族みたいに愛してたけど、今はそうじゃなくて恋してるわ。だってこんなに胸が高鳴ってる」


 リディアは満面の笑みを浮かべて、エドモンドの顔に手を添えると自ら口付けをした。

 エドモンドは啄む様に何度もその唇を受け入れ、そしてまた深く抱き合った。


 


 ホールに戻るとリディアはエリザベスと目が合った。結局まともに言葉を交わす事はできなかったが、ずっと気になっていた謝罪ができたのは何よりだった。


 そう思っていると、エリザベスの華の(かんばせ)がふわりと花開く様に微笑みを浮かべ、リディアは釘付けになってしまった。


「……どうしよう、エドモンド。私、今度はエリザベス様に夢中みたい。目が離せないわ」


「えっ、リディア!しっかりして!女神(エリザベス)様相手じゃ、殿下よりも手強いじゃないか!」


 リディアのボーッとした顔にエドモンドは珍しく本気で焦りを見せた。


 リディアはすぐに悪戯そうに笑って言った。

「冗談よ!嫌ね、本気にしたの?」


「エリザベス様といえば、男女問わず見る者を魅了する美の化身だよ。女性の崇拝者(ファン)はこの国だけじゃない。商会でもエリザベス様がお召しになった物は飛ぶ様に売れるんだ。正直、恋愛では勝てても信仰に勝つ自信はないね」


 流石のエドモンドもエリザベスには敵わない様だ。確かに単なる美女を超越した存在なので分かる様な気もした。


「でも、普通心配するの逆じゃない?エドモンドはどうなのよ?あんなに美しい方、欲しいと思わないの?」


「僕の女神は、今隣にいる緑のドレスがよく似合う人だけさ。昔も今もね」

 エドモンドはそう言って、こっそりリディアの耳にキスをした。









 

 

 

 

 






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― 新着の感想 ―
リディアが傷付けられたって… 恋人と噂されてるのを知ってて何度も踊りに行ったのはリディア自身で、恋心を抱いていたのもリディアだけ。 フレデリックは最後まで知らなかったし、まぁ無神経とゆう意味では八つ当…
エドモンドが怒るべきなのはフレデリックじゃなくて本当はラウルとデリックじゃないかなー
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