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第四話

「何これ?」


 翌日の午後、エドモンド宛に商会から大量の品物が届いた。


「あら、これ半年待ちのマーシャルの焼き菓子よね。それにこちらは毎年完売になるヘイゼンのイヤープレート。それからこれはロレインの白粉!……凄いわ。どれもプレミアがつくものばかりね」


「よく知ってるね。ほらおいで、焼き菓子を食べて感想を聞かせておくれよ」


 そう言ってエドモンドはクッキーを摘んでリディアの口元に差し出した。美味しそうなバターの香りに負けて行儀が悪いと思いながらもそのまま口にすれば、豊潤な香りと僅かな塩味が、クッキーのほのかな甘さを引き立てた。


「美味しい!以前食べた物より美味しいわ」

「そう?何処が良い?」

「優しい塩味が甘さを引き立てるのね。でも甘すぎなくて、ああ、いくらでも食べられそう!」


「隠し味で岩塩が少量混ぜ込んであるんだ。塩味が食欲を唆るからね。じゃあこれは正解だな。うん」


 エドモンドは紙に何か書き留めた。


 しばらくエドモンドは親鳥のようにリディアの口ににせっせとクッキーを運んでいたが、「次はこれを試して」とリディアを鏡の前に座らせて、七宝焼きのケースに入った白粉を取り出した。


 鏡がよく見えるようにとリディアの後ろに立ち、腕を伸ばしてリディアの目の前で白粉をブラシで掻き混ぜる。よく見ると七色に輝くその粉を、エドモンドはそっとリディアの頬に乗せた。


「素敵。一刷きで顔色が明るくなったわ!」


「白だけじゃなくて色んな色の粉が混ざってるんだ。真珠粉も入ってるから輝きも出るし、どんな肌色にも合うはずだよ。付け心地はどう?」


「軽くて良い付け心地よ。でもどれぐらい持つか気になるわね。あんまり軽いとすぐ飛んでいきそう」


「湿気を吸うようになってるから密着はすると思うんだけど、時間を置いてまた様子を確認させてくれるかい?じゃあ次々と申し訳ないけどこれも見て」


 そして今度はイヤープレートを取り出して、またリディアに意見を求める。


「これは今年の年末に向けて売り出す予定の物なんだけど、この模様どう思う?」


「これ、寓話の一場面ね。パッと見は可愛らしいけど、全体のストーリーを思い出すと贈り物には向かない気がするわね」


 それは有名な雪の少女の物語を思い出させる絵柄だった。最後は火に溶けて消え去ってしまう物悲しい話だ。


「なるほど、なるほど。流石リディアだ。よくこれだけで気付いたね」


 白い少女と子供が遊ぶだけの場面だが、少女が普通の人間でない事は、よく見れば分かるだろう。

 製作者がもしあの物語と関係ないと言っても少女が雪の精霊で、近く溶けて消える事は想像に難くない。


「あの話、本で読んで何度も泣いたの。『消え去る』って悲しいことだわ。何も残らない、残せないなんて嫌よ。……それにしても貴方って老舗の商品開発まで担当してるの!?」


「まあね。うちの商会で取り扱う物だから、特に限定物など特別品はなるべく僕が目を通す様にしているんだ。ブランドを構築するのはこういった特別な品だからね。これらが失敗するとブランドの価値が大きく下がるんだ」


「そうなのね。本当にロクスター商会って凄いわ。手に入れられない物はないんじゃない?」


「そうでもないさ。でも手に入れたいと思った物は絶対に逃さないけどね」


 エドモンドは不敵に笑って見せた。それは何時もの様子と違って少し怖く感じたが、それ以上に幼馴染みの影響力の大きさにリディアは怖気付いていた。




 それからも毎日のように各国、各地の銘品が届いた。

 全てエドモンドの仕事の一環で各取引店の新作のサンプルとのことだ。


 エドモンドは一つ一つを吟味し、サラサラと評価を書きつけ次々と指示を出していく。


 そして、その時にリディアにも度々意見を求めた。それだけなら良いのだが、そのやり方にリディアは少々不満があった。


「ねえ、エドモンド。私達近付きすぎだと思うの。何故いつも後ろから覆いかぶさるようにするの?」


 エドモンドはリディアが座っていようが立っていようが、必ずリディアが商品を見る時、いつの間にか背中に張り付く姿勢を取る。

 あまりに自然に行われるのでその違和感に気付くのが遅れたが明らかに未婚の男女の距離感ではない。


 リディアの指摘にエドモンドは悪怯れずににっこりと答える。

「リディアには商品を真っ直ぐ見て貰いたいからね。そうなるとリディアの後ろから両手を出した方がリディアも商品を見やすいだろ?あてて鏡を見るにしても、横からより僕も様子がよくわかるしね」


 今も後ろから耳元で囁くようにするエドモンドに対して、リディアは意識してしまい身体が熱を帯びていくのを感じた。


 リディアは有名店の新作コートをあてながら鏡に映る自分に夢中だったが、視線を上に逸らした瞬間バッチリとエドモンドと目線が合った。途端に意識してしまい気恥ずかしくなって先程の発言になったのだが、思えばいつも真後ろにいることに今更気付いて驚愕する。


「リディア、もしかして、やっと意識してくれたの?」

 嬉しそうにエドモンドが言い、また少し距離を詰められる。リディアは一歩前に逃げるが、前は鏡だ。あっという間にエドモンドの両手が鏡を押さえ、リディアの逃げ場は無くなった。


「もう!近いわ。ちょっと離れてよ」


 リディアがもがくがエドモンドは頑として動かない。


「今更?毎日ほとんどこの距離だったのに、全然拒否されないから、喜んで良いのか悲しむべきなのか悩んでたんだ。意識してもらえないのか、僕といることが自然すぎて抵抗がないのかどっちだろうって」


「い、意識なんて……」


「耳まで赤くなってくれて嬉しいよ!焦るリディアは新鮮だな。可愛い」

 

 ご機嫌になったエドモンドはリディアの顔を鏡越しに見つめニコニコと笑っている。逆にリディアはコートを握り締めて硬くなり、ますます顔を赤くした。


 その日からリディアはエドモンドをとても意識するようになってしまった。


 思えば手を繋ぐのも、一緒のソファに並んで座るのも、なんならハグをするのも子供の頃からの習慣だったので一切抵抗が無かったのだが、それが男女の距離だと考えた途端にぎこちなくなってしまうものなのか。


 エドモンドと結婚するのだという事実が不意に現実味を帯びて感ぜられるようになって、それまでの友達の延長線上から意識が完全に外れてしまっている。


 そして、エドモンドはそんなリディアの変化を楽しむようにますます距離を詰めてくる。


 座る時は肩に手を回し、移動する時は腰に手を回す。やたらと顔を近付けるし、ますます密着するようになった。


 リディアが避けようとすると大袈裟に眉を寄せて、悲しそうな顔を見せ、罪悪感にリディアが引けば更に甘い言葉でリディアを戸惑わせる。


「エドモンド、お願いだからもう少し距離を取って。私が困ってるの楽しんでるでしょ!」


「困ってるのを楽しんでなんかいないよ。ただ()()()()()接してくれることが嬉しいだけさ。リディアと距離を取るなんて今まで無かったのにそんな悲しい事を言わないで」


「今までは腰に手を回したりなんてしなかったわ!」


「そうだったっけ?でも婚約している大人の男女なら普通だよね。僕は本当に幸せなんだ。何時も君に触れられる権利をようやく手に入れることができて。……リディア、もっと僕のことを意識して。他のことなんて考えなくて良いから、僕だけを見て……」


 そう言って、エドモンドは腰に回す手に力を入れ、ますます顔を近付ける。それでも何時も触れるか触れないかのギリギリの所で留まっていることが、リディアを一層意識させた。


 エドモンドはまだリディアにキスをしていない。

 子供の頃は頬にキスをし合ったりしたものだが、いつの間にかそれもしなくなった。


 顔が近付くたびキスをされる!と身体を強張らせていたリディアだが、まだ一度もそうなっていないことに徐々に焦りを感じ始めた。


――本当にエドモンドは私を好きなのかしら?養蚕に参入するのにちょうど良いと思って選ばれただけでは無いのかしら?もう婚約してひと月になるのだから、普通はキスくらい交わすものよね?


 リディアは自分の事を棚に上げてそんな風に思った。自分からはできない。でも相手に求められないのは不安になる。

 デートも何度かしているし、二人きりの事の方が多いのだが、どんなに距離が近くても口付けされることは今までなかった。


 そうなると、本当に自分自身が求められているのか疑問に思うようになる。万が一エドモンドに恋愛感情がなくても、夫としてこれ以上相応しい人物は今のところ他にいないのだが、愛の告白付きで求婚されたので、もしそれが本物で無かったのなら悲しすぎるとリディアは一人落ち込んだ。


 エドモンドと距離を取ろうとしたのは自分自身であるのだが、意識し始めると逆にもっと求められるのが普通ではないかと自分勝手な考えに苛まれる。リディアはそんな自分の浅ましさにも嫌気がさして、更に気持ちを沈ませた。


 婚約式を間近に控え、二人は王都に移動した。ちょうど人気のオペラが千秋楽を迎えるとあって、パトロンの一人でもあるエドモンドがリディアを連れて劇場に足を運んだ。


 歌劇場も立派な社交の場の一つだ。二階のバーカウンター前では貴族達が集まり歓談するのだが、リディアはまだそこに顔を出したくなくて、用意されたボックス席に閉じ籠った。


 最上位の場所の一つであるそこはとても豪奢な作りになっており、五、六人で楽しめるほど広いのだが、今日はリディアとエドモンドの二人だけだ。

 向かい側のボックス席には王族専用のものがあり、今日は国王陛下と王妃殿下がいらっしゃっている様だった。王太子御夫妻でないことにリディアは安堵する。


「私、ボックス席って初めてだわ。そもそも観劇に来たことが一度しかなかったのだけど」

 

 開演の合図がして場内の明かりが落とされる。

 エドモンドはリディアの肩に手を回し、リディアはその温もりを意識した。


「意外だな。伯爵家ならボックス席を所有してそうなものだけど」


 エドモンドは視線を舞台に残したままで頬をリディアの髪に寄せた。リディアの鼓動がトクンと鳴った。

 リディアは平静を装って、言葉を返す。


「いいえ持ってないの。それに母や叔母と来たのだけど、二人が好きな俳優が出ていて、ボックス席じゃなくて一階の中央席が良いと言い張っていたし」

 

 エドモンドは頷いて言った。

「ああ、それは分かるね。真剣に観るなら絶対に中央席の方が良いよ。ボックス席(ここ)は密談やいけない事をする場だ」


「いけない事って?」

 リディアは分かっていたが知らない振りをして聞いてみた。視線を舞台からエドモンドに移す。

 エドモンドも顔を向け、その目の中には潤んだ瞳のリディアの姿があった。


「教えてほしい?」


「……ええ」


 エドモンドはリディアを膝に乗せカーテンの影に隠すようにしてゆっくり抱きしめた。リディアの唇に自分の唇を重ね、喰むように這わせる。リディアがそれに応えるように少し口を開くと舌先を差し入れて更に深く口付けをした。


「……愛してるよ。リディア、君は僕の全てだ……」

 切なく囁かれたその言葉にリディアはただ頷いた。





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