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第三話

 エドモンドの突然のプロポーズから一週間、リディアは王都の父からの手紙で、エドモンドとの婚約が決まったことを知らされた。この間、リディアが意思を示す機会は一度も与えられなかった。


 貴族の結婚といえばそんなものかも知れないが、リディアは幼馴染みに対して憤慨していた。


――何故私の返事も聞かずに進めるの!?


 リディア自身、エドモンドからのプロポーズに対して戸惑いが大きく、すぐにイエスの返事はできない。あの場で聞かれても型通りに「考えさせてくれ」と答えただけだろう。

 だからこれほど早く正式な婚約が結ばれる事は不可能だっただろうが、それでも一度くらいは返事を聞いて欲しかった。


 一応父が決めた事なので了承の旨を手紙に(したた)めて送ったが、不安ばかりだ。


 異性ながらエドモンドのことを親友だと思っていた。まさかその彼が結婚相手に、夫になるなんて。


 領地のことを考えれば、ロクスター商会の会頭が夫になるのは願ってもないことだろう。毛織物が高値で売れるのも、元々商会から性能の良い織り機を紹介してもらって品質が上がったからなのだ。

 

 エドモンドはウルクで自身が会頭となって商会を展開しており、父親のものよりも大規模に商いを行なっている。そもそも父親の商会も、副会頭として名を置いているので実質彼が全てを執り仕切っているらしい。


 まだ十代だというのに天才的な商才を見せるエドモンドは貴族籍も得たことでより引く手数多だろう。その中で二人の婚約を整えることはリディアの父にとって何より優先すべき事柄だったのかもしれない。


 リディアは次にエドモンドと会う時にどのような顔をすれば良いのか分からず悶々とした日々を過ごす羽目になった。



 父からの手紙の一週間後、再びエドモンドがやって来る事になった。今度はしばらく館に滞在予定だということで、リディアは胃を痛くした。


 二ヶ月後には王都で婚約式を行い、その半年後には結婚ということまで既に決められており、友人に愚痴を言う暇も与えられていない。


 寧ろ既に二人の婚約は周知されているようで、友人達から次々と祝いの手紙と贈り物が届く始末だ。


「リディア、嬉しいよ。婚約を受け入れてくれて。絶対に後悔させないからね」

 開口一番そう言って跪き、薔薇を差し出したエドモンドにリディアの頬は引き攣った。


――断る隙も与えなかったのは誰よ!


 リディアは薔薇を受け取りながらそう思ったが辛うじて飲み込んだ。


「……ありがとう。でも私まだ信じられないような気持ちで、戸惑っているのよ。……どうか少し時間をいただけないかしら?」


「分かってるよ。何も考える暇も与えず話を進めて悪かったと思ってる。これから時間をかけて受け入れて貰えたらそれで良いよ」


 エドモンドはリディアを安心させるように笑ってそう言った。その様子にリディアも安堵した。


 婚約者だからと言っていきなり距離を詰められては、拒絶感の方が大きくなってしまう。それこそ友人として過ごしてきた年数が長いので溝を埋めるのに時間を要するだろう。


 エドモンドは居住まいを正すと普段の様子に戻って言った。

「ところで、領内の新産業の提案があるんだけど、興味ない?」


「新産業?もちろんよ!どんなアイディアなの?」

 リディアは顔色をパッと明るくして応えた。


 領内では牧羊が盛んで、紡績、染色、織布まで行なっているが、牧羊地面積が限界で、羊毛の調達がこれ以上は輸入に頼らざるを得ず、産業の発展に壁がある状態になっている。何とか次の手をと毎日頭を絞って考えている所なのだ。


「まずはこれを見て」

 エドモンドは艶のある布をいくつか取り出した。

 触れると滑らかで手触りが良い。


「これはシルク?混紡してるの?」

 それらの布は羊毛と絹の混紡のようで通常の羊毛よりも艶があり美しい。


「そうだよ。シルクの量で光沢や肌触りが変わる。衣料向けに大変人気の素材だ。最近は各地で混紡が盛んで毛織物も混紡素材が主流になっている」


 リディアも混紡素材が輸入されていることは知っていた。でもまだ価格的に折り合いが付かず繭玉を輸入することは考えあぐねていた。

 しかし、商業の中心都市にいたエドモンドが主流と言うなら、混紡素材への参入は避けては通れないだろう。


 リディアは眉根を寄せて、布の感触を確かめる。確かに衣料用に最適な肌触りだ。滑らかでありながら温もりも感じられる。


「そうね。でもシルクは元が高いし、養蚕農家の伝手も無いわ。………まさかだけど、新産業って養蚕!?」


「ご名答!蚕と桑の苗の当てがあるんだ。技術指導も付けるけどどう?」


「……やってみる価値はあるわね。養蚕なら牧畜に比べて要する面積が狭くて済むし、山林を活用できるもの。桑ってどれぐらいで育つの?」

 一番のハードルである蚕の調達が可能なら、養蚕はまさに「金の卵を産むニワトリ」のようなものだ。

 桑の木も育てやすい植物だと言われている。


「とても成長が早いんだ。一年で人の背丈ほどになる。温暖な気候を好むから、南の斜面か温室で育てたら良いよ」


 エドモンドの言葉にリディアはますます機嫌が良くなった。頷きながら頭の中では色々な可能性を模索する。


「良いわね。この国には今養蚕を行なっている所はないし、桑って製紙にも適しているのでしょう?」


 新しい産業に未来を感じて瞳を煌めかせているリディアにエドモンドは嬉しそうに頷いた。


「そうだね。じゃあまずどんな風に始める?」


「お父様に相談して、近くの山を一つ桑の栽培用にさせてもらうわ。それから庭に温室を作ってそこでも桑を育てましょう。一年で費用と産出量を比べて、最適な方に注力ね。あと養蚕用の作業場は当面屋敷の一室を利用するわ。微粒子病や軟化病対策のためにも衛生面で注意が必要ね」


「流石だね。蚕のことをよく知っている」


「織物を生業としているんだもの。常識よ。軟化病でこの国含めた周辺国で養蚕業が壊滅した話は紡績史の基本のキよ」


 リディアは新しい産業の可能性に胸を躍らせた。

 養蚕業は百年程前まで各地で盛んだったが、蚕の間で伝染病が何度か流行し、周辺国含め壊滅してしまったのだ。今では絹は遠方国からの輸入品で大変高価になっている。


 領地内での絹織物の大量生産は難しいかもしれないが、羊毛との混紡なら、十分商品として流通に耐えるし、価格も羊毛だけの物より倍以上で取引きされるだろう。


 蚕を手に入れることができるエドモンドに感服する。蚕は輸出規制が厳しく、現在では遠方国のほぼ独占産業なのだ。流石に世界を股にかける商人は規格外だとリディアはよく知る幼馴染みの別の顔を見たようで新鮮に感じた。


「で、初期費用はおいくらかしら?蚕と桑の苗木と技術者でしょ?金塊一本では足りないわよね?」


 過去の取引はそれぐらいだった筈だが、今ではもっと希少価値が上がっているだろう。いや、遠方国で大量生産されているので絹自体の価値は比較的安価になりつつはある。


 しかし、リディアの予想に反してエドモンドは首を振った。

「いらないよ。持参金がわりさ。費用は僕が持つから安心して」


「えっと、でもそれでは貰い過ぎる気がするわ」

 あのネックレスだけでも金塊一本分以上の価値があったのだ。いくらロクスター商会が資産家だと言っても、貰い過ぎると落ち着かない。


「大丈夫だよ。シャレムの養蚕農家を商会で一つ買い取ったんだ。僕の資産を持ち出すだけだから費用はただも同然さ」

 シャレムはそれなりに大きな国だ。ウルクと同じく自由貿易の国だが、その分物価は随分高いはずだ。そして絹の産地の一つだが、それを一つ押さえたとなればとてつもない金が動いたことは想像に難くない。


 どれだけやり手なのかと舌を巻く。幼い頃は普通の少年に見えたのだが随分見誤っていた気がしてリディアは少し寂しく感じた。近かった距離が遠く感じられたのだ。自分などとは別世界の人間の様な気もした。


「さあ、良かったら君が思ってる山に連れて行っておくれよ。桑の栽培に適しているか確認しよう」

 エドモンドがリディアに手を差し出す。その姿は子供の頃と変わらない


「待って、馬じゃないと行けないから着替えてくるわ」

 リディアはエドモンドの手を取って立ち上がったが、すぐその手を離して部屋に急ぐ。


――そうね。どんなに凄くなってもエドモンドがエドモンドであることに変わりはないわ。


 リディアは今までと変わらず接しようと心に決めた。


 でもそれから更にエドモンドが規格外であることを見せつけられ、またリディアは思い悩む羽目になる。





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