第二話
「あら、これエドモンドよね」
リディアは久しぶりに目にした幼馴染みの名前に顔を明るくし、いそいそと封を開いた。
エドモンドは大商会の息子で平民だったが、最近世界中の貿易拠点として名高い都市国家ウルクの貴族籍を得ていた。リディアにとっては気の置けない幼馴染みであり、フレドリック達と同じく同級生の一人だ。
「まあ!ウルクからこの国に一時帰国するのね。嬉しい。変わらずにいてくれると良いのだけど……」
リディアはエドモンドの手紙を熱心に読んだ。フレドリックの結婚式に参列するため、戻って来るようだ。そして、その前にリディアを訪ねたいとあった。
その日付が今日の午後になっている事に気付いてリディアは焦った。
「大変!すぐに料理長を呼んで頂戴!幼馴染みをおもてなししないと!」
リディアの気持ちは春らしく一気に弾んだ。
エドモンドとリディアが出会ったのはお互い七歳の時なのでもう十年以上の付き合いになる。
エドモンドの父がハリスン家に商談で訪れた時に、同い年だということで一緒に付いて来たことが切っ掛けだった。
大商会であるロクスター商会は、伯爵領の毛織物を大量に仕入れて国内外に卸してくれている。
エドモンドはそのロクスター商会の嫡男で、今はウルクを拠点に世界中を股に掛け、商会の仕事を担っている。
最後に会ったのは学院の卒業式だったので三年程前だ。度々各地から手紙や珍しい物を贈ってくれるこの優しい幼馴染みは、リディアにとって貴重な癒しでもあった。
リディアは料理長に指示し、エドモンドが好きなミートパイを用意させた。
羊肉にスパイスがよく練り込まれたそれは、濃厚なバターの風味とよく合う伯爵領の名物だ。
リディア自身も庭師と花を選び、サロンを整えたところで、ちょうどエドモンドが到着した。
「やあ、リディア!三年ぶりだね。会いたかったよ」
エドモンドは三年前より随分背が伸び、とても逞しくなっていた。しかし、その笑顔は初めて会った時と寸分変わらないもので、リディアをほっとさせた。
「お久しぶりね、エドモンド。また会えて嬉しいわ!仕事はどう?」
「ああ、お陰様で順調だよ。ほらお土産があるんだ。こっちはスパイス。それからシャレムのシルクに、ラビトアの香水。……ああ、あとこれはロンシャンの練り薬。腰痛に効くそうだから、爺さんに」
エドモンドは大量のそれらを出しながら、自らメイドにそれぞれの取り扱いについて説明して下げさせた。相変わらず手際が良いとリディアは感心した。
爺さんというのは庭師のマルコの事だ。リディアとエドモンドは良く庭で遊び、マルコの仕事の邪魔……もとい手伝いをしていた。
「ありがとう!マルコも喜ぶわ。そこの花はさっきマルコと選んだの。貴方の好きな花ばかり選んだのよ」
「どうりで、心地よい良い匂いがすると思った!ありがとう、リディア」
「ええ、貴方の好きな物をもう一つ用意したの。ほら来たわ。ハリスン家特製ミートパイ!」
美味しそうな香りと共に、メイドが焼き立てのミートパイを持ってきて、二人に切り分けた。
顔を輝かせたエドモンドがフォークとナイフを差し入れるとシャクリと小気味良い音が響き、パイ生地の焼き上がりが最適だと告げる。
一口サイズに切り取られたそれがエドモンドの口に入ると、エドモンドは幸せそうに頬を緩めた。
その昔と変わらぬ様子を見てリディア自身も気を緩ませる。三年の間に随分と凛々しくなった幼馴染みに対してどういった態度で接するべきか緊張していたのだが、エドモンドの本質は以前と変わらずリディアのよく知る彼なのだと安堵することができた。
「ねえ、ウルクのことを聞かせてよ。水の都なんでしょ?建物の中に庭園があると本で読んだの。実際どんななの?」
エドモンドがパイを食べ終えた所で、リディアが切り出した。エドモンドが移住すると聞いてすぐに、本で色々調べたが、貿易で栄えた豊かな都市国家ウルクは、いつしかリディアにとっても憧れの地になっていた。
「ああ、ウルクは素晴らしく美しいところだよ。運河で全てが結ばれてて、建物の中にも川が流れているんだ。建物は階段上になっていて、各屋上部分は植物が植えられている。そこにも水路が張り巡らされていて、とても気持ちが良いよ。まあ暑いところだから、建物の中を涼しくするためのものなのだけど、耕作地がわりに菜園になってる所も多いな。何しろ土地が狭くて食べ物はほとんど輸入頼みだし」
リディアはその様子を頭に想像してみた。神話の中の楽園のような街、それがウルクのイメージだったが、エドモンドの言葉に更に妄想が広がる。
「すごいのね。いつか行ってみたいわ」
リディアが感心したようにほうっと溜息を吐いてそう言うと、エドモンドは大きく頷いた。
「いつでも連れて行ってあげるよ!僕は仕事の基盤が整ったので、これからはこの国を拠点にして商会の仕事を行うことにしたのだけど、どうしても年に数回はウルクに戻らないと行けないからね」
「嬉しいわ。じゃあまたしょっちゅう会えるのね」
リディアが顔を綻ばせるとエドモンドは困った様な顔をして肩を竦めた。
「しょっちゅうじゃなくて僕は毎日でも一緒にいたいよ、リディア。……僕は今日これを渡すためにここに来たんだ」
そう言ってエドモンドは美麗な箱を取り出して、差し出した。ゆっくりと開けられたその中には、エドモンドの瞳と同じ色の大きな翡翠の嵌め込まれた豪奢なネックレスがあった。
「あの、これは……」
その翡翠は透明感と艶があり、琅玕と呼ばれる最高級な物だと分かったリディアは、その価値にただのプレゼントではないことを察した。
「リディア、君に結婚を申し込みたい。初めて会った時からずっと君が好きだった。どうか僕の心を受け取って」
リディアが予想外の申し込みに呆然としていると、エドモンドはネックレスを箱から外して、リディアに近寄り、彼女の首にそっと掛けた。
正面から首に腕を回され、エドモンドの顔が息遣いが感じられる程近くにある事に遅れて気付いたリディアは彼の翡翠色の瞳に釘付けになった。
エドモンドはしばらくリディアを見つめた後、視線を逸らさずにゆっくり遠のいた。
「よく似合うよ。思った通りだ」
リディアのよく知る柔らかい笑顔でそう言ったエドモンドは荷物を取ってリディアの答えを聞く前に部屋を出て行った。