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第一話

 リディアは溜息を吐いた。

 数ヶ月ほど前、王都を騒がせた()()の渦中にいたリディアは今は自領で新たな領主になるべく邁進中……、というのは建前で、実際は両親から謹慎を言い渡され、領地内から出ることが叶わない。


 昨年、リディアは元同級生だった王太子フレドリックの新たな恋のお相手として、また側妃候補として自身の意に反して名を轟かせた。


 概ね歓迎ムードだったことが災いして、完全に王太子との接点が切れた今でも、リディアが側妃候補だという噂が消え去っていない。

 お陰で適齢期であるはずのリディアに全く縁談が来なくなり、両親はかなり焦っていた。


 確かに学生の頃から王太子に淡い想いを抱いていたリディアだったが、側妃になれる訳がない事は彼女自身が一番良く分かっていた。

 実際、噂が立った時点で王太子からも接触を拒まれている。


 噂の切っ掛けは、舞踏会で数度王太子と踊ったことから始まった。その内、何故かリディアが王太子に片想いしていた事が知れ渡り、更にはリディアを側妃に推す声が上がり出した。理由は、リディアが王立学院を優秀な成績で卒業したからというものだ。

 それを正妃予定のエリザベスのモートン公爵家の方でも認めたという噂が立ち、本人たちの実情を余所にどんどん話が大きくなってしまった。


 噂に気付いた王太子がリディアとの接触を拒んだのは当然の事だった。

 何しろ彼は婚約者であるエリザベスを昔から一途に想っているのだ。

 エリザベスが噂が立ってすぐに倒れ伏した時には、大変な憔悴振りだったと聞く。


 同級生として側で見てきたこともあり、リディアは王太子がエリザベス以外に興味を示す事はないだろうとよく分かっていた。万が一本当に側妃に選ばれたとしてもそれはきっと「白い結婚」になるだろう。

 その先に待っているのは想う人から見向きもされずにただ、国に尽くすだけの毎日だ。

 それは淡いながらも初めて会った時以来王太子に想いを寄せてきたリディアにとって耐え難い話だった。



◇◇◇


「リディア、ちょっとフレドリックに協力してやってくれないか」

 あの日、旧友のデイビッドが発したそんな一言が始まりだった。


「何でしょうか?まあ、殿下のお役に立てるなら喜んで何でもさせていただきますけど」

 リディアは憧れのフレドリックの為ならと内容を聞く前に快諾した。現実的に公爵令息のデイビッドや王太子の頼みを断る選択肢など一介の伯爵令嬢であるリディアにはなかったのもあった。


「いや、フレドリックが婚約者のエスコートに余りにも緊張しているからね。女性に慣れさせようと思ってね」

「慣れさせる!?」

 リディアは身体を差し出さねばならないのかと顔を硬らせた。デイビッドはリディアの勘違いに気付き、すぐ取り成す様に言った。

「変な意味じゃないよ!ただちょっとダンスの相手を試しにして欲しいんだ。……ああ、殿下!お連れしましたよ。さあ、今度はちゃんとリードして証明して見せて下さい!女性恐怖症じゃないってね!」


 デイビッドの視線の先には不機嫌そうなフレドリックと可笑しそうに笑う同級生達がいた。


 フレドリックは頭を振り言い返した。

「デイビッド、おふざけに人を巻き込むな。俺は女性が苦手な訳じゃない!リディアもすまない。デイビッド達が馬鹿なことを言い出しただけなんだ。気にしないでくれ」


 リディアは久しぶりに間近に見たフレドリックの姿に胸が高鳴った。その理知的な鼻梁も、鋭く凍てついた瞳も初めて見た瞬間と変わらず、とても心惹かれるものだった。

 リディアはそのまま頭を下げて去ることが勿体無い様に感じ、口を開いた。周りに学生時代を共に過ごした何時もの顔ぶれがいたことも、リディアを気安い気持ちにさせもした。


「あら、殿下、せっかく参りましたのにダンスの一曲ぐらいお誘いくださらないなんて、寂しいことですわ。宜しければ、お相手くださいませんか?そして、彼らに殿下が学院時代と変わらず完全無欠(パーフェクト)であることを見せつけてやりましょうよ!」

 リディアは悪戯な微笑みを浮かべ、フレドリックを誘った。旧友達も面白がって囃し立てた。


「いいぞ、リディア!フレドリックも女性の誘いを断るなんて無粋なことはしないよな!」

「そうだ。これは疑惑を払拭するチャンスだよ!先程のガチガチのダンスじゃなくて優雅に踊って見せてくれ」


 そんな彼らのノリに、フレドリックも渋々と頷いた。


「……わかったよ。リディア嬢、一曲お付き合いいただけますか?」

 右手を胸に添えて左手を差し出したフレドリックにもちろんリディアは快諾した。

「喜んで!」


 それは思い掛けず憧れの人の手を取るチャンスができたリディアにとって、本当に夢の様なひと時だった。

 フレドリックは危なげなくリディアをエスコートして、そのリードは始めから終わりまで正に完璧と言えた。

 

 ダンスの最中に軽口を叩く余裕もあり、リディアとフレドリックは顔を近づけて、悪ふざけを始めた旧友達に対してこっそり悪態を吐いて笑い合った。


 ダンスが終わって二人が旧友達の下に戻ると、皆、フレドリックの完璧なリードを讃え、なのに何故婚約者とは上手くいかないのかと大袈裟に不思議がり、笑い合った。


 誰もがフレドリックが婚約者を愛し過ぎて緊張がいつまでも解れないのだと知っていた。そしてそれは学生時代よりお決まりのからかいのネタだった。

 他のことは完璧な王太子フレドリックの唯一の弱点が婚約者であるエリザベスだった。

 それもエリザベスの女神の様な(かんばせ)を見れば、十分納得できたのだが。


 フレドリックが婚約者との事でからかわれるのは、皆のやっかみもあったのだろう。特にデイビッドはエリザベスの婚約者候補の一人だったと噂があったし、実際とても仲が良い従兄妹同士であるらしい。

 


 暫く皆でワイワイと話していると、おずおずとその夜が社交界デビューである白いドレスの少女達がやって来て、フレドリックにダンスを申し込んだ。この国では王子から女性にダンスを申し込むのは婚約者か身内か賓客のみと決まっているが、逆に女性からなら誰でも申し込みができるのだ。普段、近寄り難い雰囲気を醸し出しているフレドリックは今まで申し込まれることはなかったが、先程のリディアとのダンスの様子に安堵したのかその夜は次々と少女達が申し込みしてきた。


 フレドリックはその少女達を丁寧に、そして愛想良くリードした。そして、その晩を切っ掛けに貴族女性のフレドリックに対する評価が一気に上がったのだった。


 リディアも、ダンスを申し込めば踊ってもらえることに気付き、それから夜会で会う度に毎回フレドリックに踊って欲しいとお願いした。


 踊れば昔話に花が咲き、まるで学生時代に戻ったかの様に、他の学友達との会話も盛り上がったので、リディアは以前はあまり好きではなかった舞踏会をとても楽しみにし出した。


 しかしそれは長くは続かなかった。女友達からの指摘に、リディアは顔を青くした。


「リディア、貴女本当に殿下の恋人になったの?」

「何言ってるの!?そんな事ある訳ないじゃない」

 リディアは予想外の言葉に心底驚いて慌てて否定した。


「あら、おかしいわね?王太子殿下の新恋人、リディア・ハリスンの名は今や王都で知らぬ人はいないわよ」

「やめて!不敬にも程があるわ……」


 リディアが否定しても噂はどんどん広がり、事態は悪化していった。それでもリディアはフレドリックをダンスに誘わずにはいられなかったが……。



 だが、そんな日々はある舞踏会でのフレドリックからの言葉で終わった。


「リディア、踊るのはこれが最後だ。妙な噂になって申し訳ない」


 とうとう噂がフレドリック自身の耳にまで入り、リディアの細やかな幸せな時は消え去った。


 リディアは側妃の噂を耳にした時、とんでもない事になってきたと、内心落ち着かなかったが、フレドリックからのはっきりとした断りを受けホッとした気持ちにもなった。でもそれはリディアの初恋の終わりでもあった。


 エリザベスの美しい顔を見ると、リディアは罪悪感と嫉妬が入り混じるのを感じた。

 それでもこんな妙な噂にまで発展して謝罪が必要だろうと、声を掛けようと後を追った。

 

「エリザベス様、お待ちください」

 早々と会場を出ようとするエリザベスを呼び止めたが、振り返ったその女神の姿に息を呑み、言葉を失う。


 エリザベスは固まるリディアに優しい笑みを向けた。

「お名前を伺ってもよろしいかしら」


 お互い顔を見知っていたが、話をするのは初めてだった。


「リディア・ハリスンでございます」


 ぎこちなくカーテシーを執るリディアにエリザベスは優美な礼を返す。その姿は「貴族令嬢のお手本」と呼ばれるとおり、素晴らしく洗練されていた。


「エリザベス・モートンです。はじめまして。殿下と兄のご学友でいらっしゃるリディア様でいらっしゃいますね。今後とも二人をよろしくお願いいたします」


 屈託のない笑みを浮かべ、小首をかしげる様子は見るものを魅了する。リディアも思わず見とれてしまい、言葉を紡ぐことができなくなった。


「……あ、あの……」


 それ以上言葉を発せずにいると、エリザベスは困っ

た様に小首を傾げて言った。


「リディア様、申し訳ないけど、少し疲れておりますの。失礼いたしますわ」


 そうしてエリザベスは連れの手を取り、馬車に乗り込み、後にはただ立ち竦むリディアが残された。


 エリザベスの美しさの前で自分が本当に醜く矮小に思えて、「消え去りたい」と心から願ってしまったリディアは、誰にも告げずにその場を去った。


 リディアは翌日、すぐに王都を発ち、領地の屋敷に引き篭もった。側妃の噂は両親の耳にも届いていたが、堅実で分を弁えた二人は、とんでもない話だと火消しに回ってくれたのが救いだった。


 それからしばらくしてエリザベスが倒れたと耳にした。罪悪感でリディアはますます外との繋がりを断とうとした。そしてエリザベスの快復を願った。


 王太子の献身な看病でエリザベスがまた元気になったという噂が届いたのは数ヶ月後で、年末の社交シーズンが始まる頃だった。


 本来ならリディアも王都に行き、社交を行うべきなのだが、今回は両親から止められ領地に残った。

 リディア自身もまだそんな気持ちになれないこともあった。



◇◇◇


 そうして年が明け、季節は春だ。

 もうリディアは十八歳になったというのに、一向に側妃の噂が消えず、縁談は途絶えたままで、両親が頭を抱える羽目になったのだ。


 そうして今日もリディアは溜息を吐く。


 今月半ばにはフレドリックとエリザベスの結婚式がある。本来なら領主候補としてリディアも参列する予定だったのだが、噂の件があったのでこうして屋敷で謹慎中だ。

 少なくとも熱りが覚めるまでは王都に近寄ることはできない。


 リディアは今日も一人淡々と領主としての執務に励んだ。一人娘のリディアは伯爵領を父から受け継ぐ事になっている。

 何処かの貴族の男性を早いうちに伴侶として迎える必要もあるのだが、この騒ぎのせいで女性の適齢期と呼ばれる二十歳未満での結婚はできないかもしれない。


 リディア自身はそれでも問題ないのだが、両親にしてみれば、なるべく早い内に良い条件の婿を取りたいと思っていた。しかし、元々女領主の婿というのは選定が難しい。


 貴族の嫡男以外は大概騎士や文官になり王都に残る。あるいは同じような女領主に婿入りする。


 領地を持たない貴族なら嫡男であっても大きな問題はないのだが、そんな彼らも王都にいるのが常だ。


 いずれにしろ、伯爵領に閉じこもっていては出会うことも、見合いを設定することも難しく、通常年頃になるとすぐ王都で社交に勤しみ縁談を整える。


 リディアがこれまで上手く相手を見つけられなかった理由が一つあるとしたら、それはフレドリックを始めとした王立学院の同級生達が華々しいメンバー過ぎたことだろう。


 優秀なリディアはフレドリックと同じ最優秀のクラスに振り分けられた。そのクラスは高位貴族の嫡男ばかりで、リディアの婿としては役不足でとても望めない方々ばかりだった。優秀な平民もいたが平民と貴族の結婚は簡単には許されない。


 結局、社交に出てもリディアはハイスペック過ぎる友人達に囲まれて、「伯爵家の婿」に相応しい男性に出会うことは稀だったし、出会ったとしても縁が無かったのか上手く話が進まずにこの年になった。


――この騒動でフレドリック殿下に疎まれただろう私を選んでくれるような人なんていないわよね……。


 最後のダンスでフレドリックの顔が苦痛に歪んでいたのを思い出す。自分の愛して止まない女性がリディアのせいで傷ついたのだろうから、許してもらえるとは思えなかった。


 フレドリックは謝罪の言葉を口にしてくれたが、後から聞いた話では、エリザベスの兄からリディアと何度も踊ったことを責められたようだ。

 恨まれても仕方がないだろう。


 リディアは落ち込みそうになる気持ちを紛らわせようと冷めたお茶を一飲みした。

 頭が少し冷静になり、また目の前の仕事に集中することができた。


 しばらくして、執務室の扉がノックされ、侍女が手紙を持って入ってきた。


「リディア様、お手紙が届いております」


 茶会や夜会の招待はひっきりなしに届いていたので、またかと思い渋々と受け取るとそこには予想外の名前が書いてあった。


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