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歴史改竄(2)

 さて、1934年頃、史実で言えば「五・一五事件」あたりで軍部の大規模なクーデターが発生し、その混乱から成立する政府は、ショック療法の結果比較的安定した政党政権になる可能性を秘めています。

 

 統帥権に法的足かせがあれば、軍の粛正も多少はラクでしょう。

 現役軍人を大臣にするという、文民統制上無茶苦茶な法も通らない筈です。

 

 そして新たな政権において、井上蔵相の後を引き継いだ高橋是清による財政改革が進められます。

 もちろん、彼が計画した一時的軍縮による緊縮財政への転換です。

 

 いっぽう、米英寄りの海軍主導政府により、第二次ロンドン会議出席の流れが作られる事でしょう。

 国連にも加盟したままで、英米との協調路線を維持しようとする政府が存在するなら、会議参加を否定する要因がほとんど見つかりません。

 

 ようやく当面の勝利が見えてきたように思えます。

 

 ですが、ここで問題が二つ発生します。

 

 ひとつ目は、軍部独裁にならないので、日本の軍事予算そのものが革新的に増額されない事です。

 おかげで、第三次海軍補充計画で超戦艦と大型空母を2隻ずつ作るという贅沢な計画は実現不可能となります。

 

 ふたつ目は、ワシントン、ロンドン軍縮条約を破棄せず、第二次ロンドン条約に参加してしまうと、夢の巨大戦艦建造ができないどころか、「海軍補充計画」が史実とは違ったものになってしまいます。

 

 当面建造できるのは、せいぜい3万5000トンの中型戦艦ですし、空母も2万3000トンになって、その他諸々の制約もこれに加わってきます。

 

 ババリアのチョビ髭率いるナチの豚野郎が、手前勝手で我が儘な戦争をおっぱじめても、エスカレーター条項で建造できる上限は4万5000トン。

 史実でアメリカが6万トンのマンモス戦艦建造を計画したのは、「両洋艦隊案」である第3次ヴィンソン案+スターク案で、スターク案が通った時に計画された戦艦7隻の中でです。

 つまり、親米英路線で日本が形振り構わず巨大戦艦を建造できる政治的環境ができるのは、早くても1939年になってからです。

 

 ですから、1937年から始まる第三次海軍補充計画にて、「壱号艦」、「弐号艦」を建造する事はかないません。

 戦艦が複数建造できたとしても、史実での米英のように条約型戦艦を建造しなくてはなりません。

 

 まあ、ここでは個々の軍艦について見るわけではないので次に進みましょう。

 

 ただし、現在の想定のままだと1937年に大和が建造できない事は忘れないでくださいね。

 


 さて、1936年の第二次ロンドン会議開始を経て1937年に入ると、世の中かなりきな臭くなっています。

 

 足下のシナでも、日本が多少大人しくても国共内戦真っ盛りです。

 国共合作が成立せず、共産軍のテロが少なく、第二次上海事変のような国府軍の国際ルールを無視した挑発がなくても、内輪で勝手に盛り上がっているのは間違いありません。

 それが中華大陸の「伝統」です。

 

 しかも、史実通りチャイナ各勢力が、日本を挑発する可能性も十二分にあります。

 

 中華各勢力の動きに対して日本側は、満州をガッチリ固め、天津、上海などの利権を他の列強と連携して守る姿勢を示す以外何もしないようにします。

 そして、連中がなにかしでかすたびに、それを欧米社会に訴え、あわよくば日支問題でなく、シナと列強全ての問題にすり替えてやればよいのです。

 

 そうすれば、最低でも国府軍は身動きとれません。

 

 外交ヘタ、宣伝ヘタな日本にここまでできるかかなり怪しいですが、融和外交重視の幣原外交がシナ指向でなく欧米指向なら、少しは期待できるのではと思います。

 

 そしてシナに対する融和外交がどれだけ無理無駄が多いかを既に思い知っているので、方向性としては英米重視の国際協調路線で問題ないと思います。

 


 いっぽう欧州では、スペイン内乱が一番目立ちそうですが、これ以外にもイタリアがエチオピアに侵攻したり、ソ連で大粛清が発生したり、ソ連とドイツが膨脹外交を展開したり、日英米以下全ての海軍列強が事実上の軍拡に転じたりと、別に日支事変がなくても世の中戦いの火種には不自由していません。

 

 日本が多少まともな道を歩いていようが、そんな事は欧州にとって、当時の世界にとっては半ばどうでもよい事です。

 特にドイツとロシアでの二つの異なるイデオロギー勢力にとっては、軍国主義に傾かない日本など政治的には眼中にありません。

 それに日本は経済的には弱小国だし、極東なんてその名の通り世界の片田舎です。

 ロシアは国境を接しているので多少気にはなりますが、守勢以上のリアクションは取らないでしょう。

 

 ですが、満州事変以後の10年間日本は、基本的に臥薪嘗胆で経済と工業態勢の刷新と規模拡大以外は、軍備の近代化以外手を出してはいけません。

 戦争や大規模な紛争など以ての外です。

 でなければ、「海軍補充計画」の完遂が難しくなってしまいます。

 

 米英の矛先をかわすために、満州を安定化させた後には、彼らの資本導入も少しぐらいは認めてやりましょう。

 それができなかったとしても、米英の顔色を伺うことを忘れてはいけません。

 この間の日本外交の基本は「臥薪嘗胆」、「国際協調」。

 これに尽きます。

 

 それに欧米の資本が満州などに入り込めば、それは日本経済にとって大いなる回転資金ともなってくれるでしょう。

 そして日本の過半の余剰資金、資本を1940年の東京オリンピックと東京万博に向けて投入するのです。

 

 もちろん、戦後の高度経済成長のようにはいかないでしょうし、ちまたに溢れる火葬戦記のようにうまくもいかないでしょう。

 しかし、途上国特有の経済原則に従い、鉄鋼、造船、土木などの分野が計数的に発展し、その他の分野もそれに引っ張られて、それなりの内需拡大がもたらされる可能性は極めて高くなります。

 

 そして今回の目的達成のためにも、史実の数倍(ソ連並み)は無理でも、史実の1・5倍程度の総合工業力は欲しい所です。

 何しろ1・5倍と言えば粗鋼生産力だけでも300万トンも多く生産できるワケですからね。

 これだけ粗鋼生産が上がれば、大艦隊もなんとか建設可能です。

 

 しかし、日本が発展に向けて懸命に駆け上がっている1939年9月、ババリアのちょび髭野郎が欧州で再び大戦争を始めてしまいます。

 

 まったく困ったヤツです。

 

 まあ、ドイツも色々あってここに至ったのですし、他者の非難中傷をしてもしかたないので、ここでは日本への影響だけ見ましょう。

 


 さて、1939年9月、東京オリンピックまであと一年、東京万博開幕まであと半年というところで欧州は大戦争に突入してしまいます。

 

 日本は、聯合艦隊と帝都を魔改造することにしゃかりきなのに、世界はいきなり大戦争です。

 

 ドイツの横暴により、イギリス、フランスがドイツとの戦争状態に入り、ポーランドが蹂躙される直前にドイツとソ連は不可侵条約を結んでしまいます。

 

 これを何となく経済建設にだけ血道を挙げてきた日本から見ると、いったいどう映るでしょうか。

 

 近代日本の不倶戴天の敵は、言うまでもありませんがロシアであり、偶然と必然からここを母体として発生した共産主義政権のソヴィエト連邦です。

 

 アメリカは海軍にとっての仮想敵の一つではあっても、本来なら経済競争上のライバルでしかありません。

 二つが重なったソ連は、日本にとって悪の帝国以外のなにものでもないのです。

 

 そして大戦直前の独ソ不可侵条約は、日本にとっての天敵である共産ロシア(ここでは当時の日本人の心理面の要約としてこう呼びます。)と国家社会主義という何だか得体の知れない政体を持ったドイツが事実上の同盟を結んだように見えるでしょう。

 その上、いまだ世界政治を主導している英仏が、この勢力との戦争を始めてしまいます。

 

 良心的火葬戦記なら「いざ鎌倉」で、日本も英国追従外交に従って対ドイツ参戦、欧州で帝国陸海軍がバリバリ活躍しちゃうぜ、といったところになるでしょうか。

 

 ですが、今回は目的が違います。

 

 「いざ鎌倉」ではいけません。

 

 ここで欧州での大戦争に深く首を突っ込んでしまうと、今回の目的である「海軍補充計画」達成が遠のくばかりか、まったく違ったものになります。

 なにしろアメリカを敵とする必要がかなり薄れますし、当面海軍拡張どころではなくなりますからね。

 

 何とかしなければなりません。

 

 で、ここで出番が「ノモンハン事変」です。

 

 日ソの局地的国境紛争を史実以上に派手にしてしまって、限定的な日ソ戦争に発展したとすればどうでしょうか。

 日支事変がなく、依然平時状態を維持している日本陸軍(17個師団態勢のままのもの)しかない日本が、独ソ不可侵条約もあってソ連への警戒感を増し、第二次世界大戦の直前に日ソ関係が極端に悪化してしまえば、日本の軍事力が本土近くから動けなくなる可能性はかなり高くなります。

 

 少なくともドイツがソ連と泥沼の殴り合いを始めるまで、日本が第二次世界大戦に関わるのを阻止する事でしょう。

 何しろソ連は、日本にとってブッチギリの仮想敵第一位です。

 

 いっぽう、副次的効果として日本陸軍に当面の目的を思い出させ、これ以後シナ大陸で火遊びしようという考えを大きく抑制すること疑いありません。

 

 また、全面戦争にならなければ軍の大動員には発展しないでしょうが、ノモンハン事変以後の陸軍予算の多少の増額は確実で、日本的バランスから海軍予算も増えること請け合いです。

 

 そして日本陸軍は、ソ満国境での要塞建築と陸軍全体の近代化などが、史実よりも大きく進展する可能性も高いのではないでしょうか。

 

 ではここで、歴史や国際政治、経済の話しに飽きた方のために、日支事変が無かった場合の1939年頃の日本陸軍の状況を少し考えてみましょう。

 


 日本帝国陸軍は、日露戦争後19個師団を基幹戦力として、これに朝鮮併合後2個師団が加わりました。

 しかし、大正時代の宇垣軍縮で4つが廃止されます。

 その代わりに、航空隊や戦車隊設立などの近代化が推し進められました。

 

 そして1937年時点では、17個師団を基幹としていました。

 これに各地の騎兵部隊、台湾とシナの守備隊、関東軍に属する各種部隊、一部の独立混成旅団、少数の戦車隊、陸軍航空隊が加わって、だいたい27万人といったところでしょう。

 

 これを単純な編成表にすると、おおよそ以下のようになります。

 


 ■昭和12年(1937年)現在の日本陸軍常備兵力


 現役師団

近衛師団 (東京)

第1師団 (東京)    第2師団 (仙台)

第3師団 (名古屋)   第4師団 (大阪)

第5師団 (広島)    第6師団 (熊本)

第7師団 (旭川)    第8師団 (弘前)

第9師団 (金沢)    第10師団 (姫路)

第11師団 (善通寺)  第12師団 (久留米)

第14師団 (宇都宮)  第16師団 (京都)


 朝鮮軍(漢城)

第19師団 (羅南)

第20師団 (龍山(京城))


 一時廃止中


第13師団、第15師団、第17師団、第18師団



 関東軍(新京)


独立混成第1旅団(実験的な機甲部隊・一時期存在)

独立混成第11旅団

独立守備隊×5(大隊〜連隊規模)

(※これに5個師団程度の内地の現役師団が交代で加わる)



 シナ駐屯軍(天津・上海)


シナ駐屯軍歩兵旅団

※上海には、海軍陸戦隊が連隊規模で存在。

 

 台湾軍(台北)


 戦車隊(各地の部隊の隷下)

戦車第1連隊 (久留米)

戦車第2連隊 (習志野)

シナ駐屯戦車隊 (天津)


 騎兵連隊 ×25個連隊

 野戦重砲兵 ×4個旅団


 航空兵団 飛行連隊×15(1個連隊=27〜36機)


 こうして編成表を見ると、なかなかのものですね。

 豊富な植民地を持たず、大海軍を持っている列強とは思えないぐらいの大規模な陸軍と言ってもよいと思います。

 37年という時を思うと、列強としてはちょっと古くさい編成ですけど……。

 

 そして、見て分かるとおり17個師団を基幹と言いますが、各種独立部隊や騎兵を師団単位に換算すると、プラス3〜5個師団ぐらいになるでしょう。

 お馬さんの数なんて、その他諸々を加えると20万頭近くいるはずです。

 

 また、この頃の日本陸軍の師団といっても、その編成はまちまちです。

 近衛師団のように、歩兵以外の兵科である野戦砲兵、騎兵も旅団編成で持つ重編成師団もあれば、かろうじて連隊規模で持つだけのもの、戦車連隊を持つものなど様々です。

 史実の大東亜戦争時の関東軍には、総数7万人を抱える「師団」があったとする資料すらあります。

 まさに満州やシベリアで戦うことだけを考えた大部隊ですね。

 

 また、この頃になると機械化と重装備化、そして戦略単位としての師団の増加を目的として、日本陸軍でも3単位制が導入され始めます。

 

 ここから、単純に17個師団の歩兵連隊数を68個とすると、連隊単位での再編成で22〜23個師団、大隊数を272個とすると30個師団ほどに再編成できる計算になります。

 これなら、少なくとも下士官、将校は増員なしに確保できるので、人材面では比較的簡単に師団の増加ができる事になります。

 

 実際、日支事変での急速な増加のいくつかは、既存の師団の改変から誕生していますし、ガ島戦で有名になった一木支隊や川口支隊なども、元は四単位編成師団(二師、五師、七師など)から分離した部隊(連隊)だったりしますね。

 ほかにも、戦中の新設師団も最初から3単位制で編成されています。

 

 また、国力の増大に伴い陸軍予算も増額すれば、装備の方も多少は何とかできるでしょう。

 

 4個ずつあった分隊の一つは火力分隊化。

 以下、4つのうち一つを火力小隊、火力中隊として各種機関銃、迫撃砲、各種火砲を多めに装備できれば大隊以下のレベルでの重武装化にも対応できます。

 

 以上のように楽観的に考えれば、昭和16年頃には欧米から少し遅れた装備を持ったぐらいの20〜27個師団編成も可能と想定するのが、戦争もせず多少は発展している日本において、それなりに順当な線になる可能性もあるでしょう。

 

 また、ノモンハン事変の頃、関東軍は満州防衛には12個師団が必要とし(ソ連がそれぐらいの部隊を極東に置いていたから)、41年には16個師団必要と言ってました。

 ノモンハンで帝国陸軍にビビッたソスターリンが、都合30個師団も極東に置いていたのが理由です。

 

 そして17個師団態勢では、予算の都合もあり朝鮮に2個、満州に5〜6個程度配備するのが限界ですから、帳尻合わせするだけでも、戦略単位としての師団数は25個ぐらい揃えなくてはいけません。

 

 もちろん、全ての師団を重度に機械化してしまえば師団増勢の必要性は低いという意見もあるでしょう。

 

 役立たずの騎兵など、早期に戦車部隊、機械化部隊にできるよう予算組めよとおっしゃる方も多いでしょう。

 

 実際問題として、大戦中のドイツ軍やアメリカ軍のフル編成の機甲師団、機械化歩兵師団の規模と能力があれば、師団の増加は不要かもしれません。

 

 ですが、史実の日本の工業力と陸軍予算を思うと、先進工業国のような装備を揃えることはほとんど不可能です。

 それに、この頃はソ連以外に大量に戦車を製造、保持する国はありませんから、輸送車両以外は輸入すらかなり厳しいでしょう。

 

 ま、世の中それなりに平和なら、陸軍の状況なんてどこも似たようなもんでしょう。

 ドイツやソ連のこの頃の方がずっと異常って事ですね。

 

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