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日本の造船力

 さて、予算面や国力面、重工業、人材の基盤面は少しは見れたかと思いますので、ここでは軍艦そのものの建造について見てみましょう。

 


 日本において戦艦建造が可能な施設は、呉工廠、横須賀工廠、三菱長崎、川崎神戸の4箇所です。

 海軍休日時代に4箇所維持していたこと自体は大したことなんですが、新規に作る能力が英米に比べて低いという裏返しになります。

 つまり、基礎体力が不足しているからこその造船施設の維持だったわけです。

 

 また、上記4箇所以外では、1万トン以上の商船建造ですらできる場所はそれほど多くありません。

 少なくとも、船台の規模や構造から船として重構造の軍艦の建造は重荷でした。

 これは、民間造船においても排水量二万トンを越える巨船が、民間船舶に殆どなかった事からも見て取れるでしょう。

 排水量3万トンの戦艦とは、今で言えば排水量10万トンの巨大空母ぐらいの技術と手間を必要とする、技術の最先端を行く工業製品でもあったのです。

 

 だからこそ、列強政府が心血を注いで建造に邁進する必要があったと言えるでしょう。

 

 そしてそうであるからこそ、史実の日本でも「海軍補充計画」の急速な拡大に伴い、政府(海軍)主導で日本各地での軍艦の建造力拡大が始まります。

 

 箇条書きに挙げてみましょう。

 


・軍施設

 大神海軍工廠(工廠ごと新設)

船台2(空母用1、潜水艦2隻同時建造用1)

船渠3(戦艦用1、重巡洋艦用1、入渠専用1)


 佐世保工廠

戦艦用修理船渠新設(大和級入渠可能)

船台を改造して重巡建造可能とする


 横須賀工廠

戦艦用大船渠新設(大和級建造可能)

新船殻工場新設


 大湊工作部

重巡用船渠新設


 台湾高雄軍港

開戦前に大型船渠及び重巡用船台構築中

(最終的に、佐世保クラスの鎮守府にする予定)



・民間施設

 川崎重工泉州工場(大阪府)

戦艦用大船渠新設(未成・大和級建造可能)

 播磨造船所

重巡用船台新設


 以上、これだけで従来に倍する規模の造船(+保守)が可能となる予定でした。

 逆に、これらの施設が完成しないと「海軍補充計画」の達成は難しかったと容易に予測できます。

 また、日本が健全な状態で「八八艦隊」の建設が進んでいても、これと同程度の施設が必要だったでしょう。

 

 また、1万トン・20ノット超の優秀船が建造できる民間造船所は、その気になれば2万トン程度の軍艦(重巡・中型空母)の建造は十分可能と見られます(播磨造船がその代表)。

 そこで、これらを全て加味して、海軍拡張時代に入ってから建造力も順次拡大されたと仮定してみましょう。

 

 全ての建造施設が完成したとすると、1950年(昭和25年)頃には、最大数値で以下のような巨大な艦艇建造能力の出現が予測可能になります。

 


 日本の軍用大型艦建造施設最大予測(1950年)


軍施設(海軍工廠・鎮守府・軍港)


 呉   :8万トンクラス船渠(戦艦用)

 横須賀 :8万トンクラス船渠(戦艦用)

     :3万トンクラス船台(戦艦・空母用)

 大神  :8万トンクラス船渠(戦艦用)

     :2万トンクラス船渠(重巡用)

     :3万トンクラス船台(空母用)

 佐世保 :2万トンクラス船台(重巡用)

 大湊  :2万トンクラス船渠(重巡用)

 台湾高雄:2万トンクラス船台(重巡用)



民間造船


 三菱長崎:5万トンクラス船台

 川崎神戸:3万トンクラス船台

 川崎重工泉州工場:8万トンクラス船渠


他 大型船建造可能民間造船所

大阪鉄工所、玉造船所、浦賀船渠、播磨造船、鶴見製鉄造船


※ 上記5ヶ所は軍用ではないが、中型空母もしくは重巡程度までなら何とか建造可能。

 


・同時建造数・最大合計


大型戦艦:4 大型空母:4 中型空母or重巡:9

(史実は、大型戦艦:3 大型空母:2 中型空母or重巡:2〜3程度が限界)



 なお、大型船渠で8万トンクラスを建造可能としたのは、史実は大和級とその改良型を建造するのにできれば必要な規模だから。

 史実もほぼ同様。

 また、各軍港、重要民間港湾の規模が、大和クラスの運用が限界だったという理由もある。

 8万トンクラスが入港可能な、浸水の深い大型国際港ですら喫水12メートルという理由もある。

 

 しかも戦中に大型戦艦が停泊できる日本の民間港湾は、神戸と横浜だけ。

 港湾の浚渫も重要なインフラ整備と分かる好例だろう。

 (当時の日本の過半の一級港湾は喫水6メートル対応)

 また、大型戦艦:3(呉、佐世保、大神)、大型空母or戦艦:3(横須賀、舞鶴、高雄)の整備・修理用の船渠が軍港や工廠にあり、施設によっては艦艇の艤装や簡単な改装を行う事も可能。

 

 さらに、呉の造船船渠の施設を拡充して一貫生産型の船渠にできれば、艤装、補修用の第四船渠をもっと専門的に使える。

 極論、金さえかければ、呉は大和級二隻の同時建造も夢ではない(これはさすがに難しいだろうが)。

 


 表(表6)で見たように、史実であった計画がすべて実現された場合の日本の建造能力です。

 ここまで引き上げても、その実力はアメリカの戦時の半分から数分の一という程度ですが、イギリス相手ならいい勝負ができます。

 日本にとっては過ぎ足る施設群と言えるでしょう。

 

 もっとも、日本において列挙した全ての施設を整備するだけで、最低でも約30億円の造船所建築費用が必要です。

 この額だけで、当時の国家予算1年分を通り越えるので、規模の大きさが少しは理解いただけるでしょう。

 

 もちろん、施設については約10年かけて整備するものだし、その後ずっと使い続けるのだから軍艦の建造費用ほど無茶じゃありません。

 しかし、戦争なんてしていたらこれらが建設できなかったのも、押しては図るべしという事でしょう。

 

 また、史実の海軍補充計画上では、10万トンを越える超巨大戦艦の建造が構想されています。

 本来なら、建造施設や港湾も10万トン超戦艦に合わせなければいけないのですが、当時の日本にとっては重荷以上のものとなるでしょう。

 単に巨大戦艦を建造する以上に困難な作業となります。

 

 前提条件として、史実アメリカ並みの土木機械力か、1960年代ぐらいの日本の土木技術と規模がないと、巨大戦艦が入港できる港が作れないからです。

 もちろん、30年代、40年代でも入港できる港は皆無ではないでしょうし、ちょっとした浚渫・造成で入港可能となる港もあるでしょう。

 

 ですが、効率を考えるとやはり無理があります。

 恐らくは、さらに数億円もの予算を上積みしないといけない筈です。

 

 それに、日本中の港に巨大戦艦が入港できると言う事は、10万トンのマンモスタンカーが跋扈する世界という事にもなってしまいます。

 

 これでは、少しファンタジーが過ぎるでしょう。

 


 では次に、これが史実での「大和級」戦艦以降の戦艦建造計画になります。

 


 大和級以降の戦艦建造予定


艦名 工廠       起工    進水     竣工 


大和 呉(造船船渠)   12・11・04 15・08・08 16・12・16

武蔵 三菱長崎(第2船台)13・03・29 15・11・01 17・08・05

信濃 横須賀(第6船渠) 15・05・04 19・10・08 19・11・19

111  呉(造船船渠)   15・11・07 18・09   20・10(予定)

797  横須賀(第6船渠) 17         21〜22

798  呉or大神      18(進水後は呉工廠)22

799  大神        18(進水後は呉工廠)22


795  呉(造船船渠)   18・12   19・05   20

796  呉(造船船渠)   19・09   21・01   21


(※最後の二隻は超甲巡、残り二隻の超大和級は予定すら立てられず。)



 事実上の戦時計画が以上のようになります。

 

 もし大規模な戦争がなく、先の造船所が全て完成していれば、もう少しゆとりのあるスケジュールになったかと思います。

 もっとも、戦艦並の規模となる「改大鳳級」空母を多数建造するとなると、ドッグの取り合いになって、あんまり変わらないかもしれません。

 

 ただしこのスケジュールは、戦前・戦時中の効率の悪い態勢での事となります。

 生産合理化や新型機械の大幅導入、熟練工の確保などで状況が改善されれば、建造効率や建造速度は大幅に変化するでしょう。

 また、建造の前の資材収集の状況も、工業施設の拡大や効率化などで改善されていれば、それだけ早く建造に着手できる事にもなります。

 

 これを仮に、日米の中間程度の建造速度に状況が改善されたと仮定すると。

 15〜30%程度上昇します。

 この数字だと、「大和級」戦艦なら1600日→1400日、「大鳳級」空母で970日→810日、「雲龍級」空母なら740日→570日という程度の計算が成り立ちます。

 

 造船に力を入れれば、戦後の造船状況を加味して考えればこの数字ぐらいはある程度達成可能だったでしょう。

 要は、鉄がいっぱい供給できる態勢があり、大パワーのガントリークレーンなど建造施設の機械化を推し進め、ブロック工法、工業の規格化、工程管理法の確立など、現代では一般的である効率的な建造技術が確立されれば良いわけです。

 

 これらは、史実の戦時中にほぼ下積みが完成し、戦後の造船日本へとつながりましたから、現場の努力を統計数字上のものとして割り切ってしまえば、大きなファンタジーではないでしょう。

 事実、大和建造ではこれらの多くを推し進めて、かなり短期間で建造されましたからね。

 しかも世界的に見ても効率的な建造技術の基礎を作り上げた人物は、この当時呉にいますからね(もちろん西島氏のことです)。

 


 さて、全てがうまくいったと仮定すると、史実の計画が最大限に達成されたと仮定すると、大型戦艦:4、大型空母:4、中型空母or重巡:9という膨大な数の艦艇が同時建造可能が出てきました。

 

 ただし最大数値は、民間大型船舶の建造を最小限にするという前提になりますので、本当に戦時に必要な中型空母や重巡などの中規模の大型艦艇の建造は、最大数字の半分以下になるでしょう。

 それに、平時に中型空母や重巡クラスの艦艇を量産しなければならない理由はありません。

 

 民間造船には、大型のタンカーや貨物船を建造するのが、日本経済が拡大している場合のあるべき姿であり、国益にも合致しています。

 

 そして経済や未完の事を差し引いても、「大和級」戦艦を量産(!)しながら他の艦艇も十分に整備可能な大日本帝国という情景が見えます。

 少し無理をすれば、沿岸海軍(決戦海軍)から外洋海軍に達するほどの艦艇の建造も十分可能というファンタジーすら見えています。

 

 もちろん、政府が大艦隊の建設を認める予算を出したうえで、海軍が在るべき海軍育成を行ったと仮定すればの話し、ですけどね。

 

 そして、全ての前提となる日本の国富が拡大すると言うことは、膨大な数の民間船舶の建造も行わねばならず、やはり民間造船所の多くがこれに割り振られてしまい、海軍工廠以外の軍艦の建造が難しくなります。

 やはり、実際建造できる艦艇の数は上記した数字の三分の二程度が、ファンタジーを加味した上でも妥当な数字でしょう。

 

 つまり、結局完成する大艦隊は、海洋国家が目指すべき外洋海軍ではなく究極の沿岸海軍(決戦海軍)ということになるでしょう。

 1940年代以降もさらに日本が発展した場合のみ、時代の進歩に合わせた違った艦隊が出現します。

 

 そう、この時点では、海軍補充計画に従った、超大規模な漸減艦隊以上の物は出現しないのです。

 

 これが、国力、予算、工業力、建造施設面からの結論です。

 

 

 では、とりあえずここまで来たところで、弧状列島が平穏なまま昭和25年に達するにはどうすれば良いかを、少し考えてみましょう。


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