昭和25年へ向けて「海軍補充計画」と「漸減戦術」(2)
さて、日本の経済発展を数字として、極めて単純に見てみましょう。
1930年代20億円台半ばだった国家予算が、その後プラス7%のGDPの伸びを10年続ければ2倍以上、20年続ければ4倍以上になります。
つまり単純な計算上は、1940年代で40〜50億円、1950年代終盤には100億円という国家予算額すら見えてきます。
しかも史実の高度経済成長並の平均プラス12%の成長なら、なんと6年での所得倍増であり、この数字すら全てが順調で余所の大戦争などの特需が重なれば夢ではありません。
何しろ日本は発展途上の国で、同レベルの工業力を持つ競争相手もいません。
そして経済成長による国家予算のうち3割が軍事費で、さらにその6割から7割、つまり国家予算の二割が海軍予算に当てることが出来ます。
史実では、日支事変などのおかげで気が付いたら陸海半々ぐらいの予算配分になっていましたが、海洋国家が海軍偏重なのは自明の理。
日本には、戦車や歩兵よりも多数の軍艦こそが必要なのです。
かくして、日本が順調に発展していれば、海軍補充計画(1940年代半ば)での海軍予算は、健全な予算枠で6〜8億円(3〜4億ドル)程度、計画完成頃の昭和25年には10億円程度の海軍予算が編成できるでしょう。
これなら大和だって量産可能です。
なんだか、少しお金持ちになったという気がしてくる数字ですね。
無理なく戦艦もたくさん造れそうです。
しかも、この当時の日本と欧米の個人給与格差平均は、おおむね10倍もありますから、これが4倍に縮まったとろこで、国際競争力上は大きな問題はありません。
単に日本が、工業国として躍進しただけです。
まさに、所得倍増万々歳でしょう。
努力を重ねれば、もう10年ぐらいは成長曲線を突っ走れるはずです。
さて、次は海軍そのものの予算面です。
帝国海軍と皆さん(そして私)の大好きな戦艦ですが、有名な軍艦「大和」、「武蔵」の予算は、当初計上された額で1億1千万円チョットです。
ダミー予算を加えて1億3千万円、その後の追加予算などを加えると、結局1億4千万円ぐらいかかったと言われています。
これは物価変動などによる最大数値になると、完成時点で1隻あたりだいたい1億7千万円とされます。
たった2隻で、国家予算の一割以上にもなりますね。
すごい金額です。
まさに秘密兵器に相応しい金額です。
なお、この当時1万円あれば都市郊外に土地付の一戸建てが買えたので、この額がいかに巨大かが分かるかと思います。
そして物価格差が今と約2000倍ほどの差があるので、大和一隻で現在なら2500〜3500億円程度という事になります。
これは、イージス艦2〜3隻分程度の値段になります。
この点から、現代日本がいかに裕福かがうかがえますね。
また、米空母のお値段が1兆円と言われますから、これを10隻近く保有するアメリカの軍事力が如何に巨大かが分かるでしょう。
当時の金額で換算すれば、現代のアメリカは年間200億円も軍事予算を持っているんですよね。
軍事予算だけで、当時の日本の国家予算の10倍近いんですから、もう驚くしかありません。
また話が逸れましたが、軍艦「大和」を含む第三次海軍補充計画の総建造量約27万トンの予算8億650万円でした。
これは39年に次の第四次計画が始まるので、2年分の建艦予算となります。
そしてこれは、「大和級」戦艦2隻、「翔鶴級」空母2隻、「陽炎級」駆逐艦15隻を中心にした艦隊整備計画でした。
これを強引に「大和級」戦艦8隻、「翔鶴級」航空母艦8隻の「昭和版八八艦隊」と仮定した計画にすると、8年間で32億円の予算が必要と言うことになります(ここでは物価上昇は計算が面倒くさくなるので、あえて見なかったことにします。)。
しかしこれは、第三次計画を単純に4倍にしただけで、駆逐艦は60隻程度、潜水艦はそれなり、巡洋艦は皆無という極めてバランスの悪い艦隊計画になってしまいます。
支援艦艇に至っては、アメリカの計画と比較できるものではありません。
つまり八八艦隊並のバランスのよい艦艇群を建造しようとすれば、1937年の物価指数で40億円以上、米軍にマトモに対抗しようと考えれば最低でも50億円は必要となります。
しかもこれは、「決戦海軍」つまり「沿岸海軍」として必要な金額です。
大量の護衛艦艇や膨大な数のサーヴィス部隊(支援艦艇)などを含めた「外洋海軍」を建設しようとしたら、一切合切含めて最低でもプラス20億円程度かかりそうです。
しかもこれは平時おいてであって、戦時になればこの倍ぐらいの予算が最低でも欲しくなります。
欲を言えばキリがありませんが、アメリカに本気で対抗するなら本当はこれぐらい必要になってきます。
逆をいえば、戦時のことはさておき、最低限の外洋海軍を建設すると仮定すると、健全な財政の上で年間8億円の建艦予算(海軍予算ではない)を編成できれば良いわけです。
そして年間8億円の艦艇建造費ですから、海軍予算はこれとは別に4億円(組織運営と艦艇維持費)、バランスのとれた航空隊の維持・拡大を考えればさらに最低5億円程度の別予算が必要になってきます。
艦艇や航空機は維持するだけでも大変です。
上記全てを加味すると、最大17億円もの海軍予算が必要になります。
欲を言えば、この二割増しの20億円ぐらいほしいですね。
もちろん20億円という数字は、一年当たりの金額です。
1930〜40年代に外洋海軍を維持する20億円から国家予算を逆算すると、年間70億円ぐらいの予算編成が必要という結論です。
この数字は流石に厳しいですね。
国力が仮に二倍になったとしても、戦時でなければ成立しないでしょう。
先述した想定でも、1950年代後半でようやく達成可能な数字です。
平時であるという想定上、諦めるしかありません。
つまり、日本列島がよほど経済発展しない限り、限定的な能力を持った「決戦海軍」以外は建設できない。
多少国力が増大したところで、史実の延長線上の日本帝国では、戦中のアメリカのような贅沢な艦隊を建設することは分不相応という事になります。
逆に「決戦海軍」なら、年間10億円程度の海軍予算を編成できればすむはずです。
日本が順調に発展していたとしても、昭和20年代半ば以降でなければ難しい数字です。
つまり、史実で「大和」が建造される頃では、かなりの無茶をしなければ夢の大艦隊は建設できない皮算用が出てきます。
う〜ん、希望が遠のいたので、少し話を変えて違った仮定を考えてみましょう。
1937年8月から敗戦までに日支事変に対して投入された国家予算が、丼勘定で約100億円(1941年までなら約60億円)になります。
この事象から考えると、日支事変で浪費した半分程度の額を投資すれば、海軍が目標とした大海軍がそっくり作れてしまいます。
ちまたに溢れるシュミレーション小説でも、日支事変早期収拾もしくは不発による大海軍建設は、こういったソースから娯楽として組み上げられていると解釈して良いと思います。
そう、表面上の数字からなら可能なんです。
ただし、これには幾つか見落とされている点、意図的に無視されている点があります。
(まあ、たまに気付いていない人もいるみたいですが。)
まずは、先ほどから言っている通り、軍艦は作ったらそれだけで終わらず、人件費・演習予算、修理費など諸々込みで、維持するだけで建造金額の一割程度を毎年消費するという事です。
さらに、単に艦艇を建造するだけでなく、それまでに必要なインフラ面の整備、つまり艦艇を建造・修理・整備するための工廠・造船所、鎮守府も同時に作る事も必要になります。
もちろん人件費も。
それらを一切合切計算すると、実際国家が消費する額は、最大で艦隊建造額の五割り増しにまで達してしまいます。
これは、史実の日本帝国が大規模建造計画を達成するために、色々必要になってくるからです。
何より、新たに海軍工廠を一つ建造せねばならず、その他大型の造船所や造船ドック、保守整備施設を各地に建設しなければ、とうてい計画の達成が難しかったからに他なりません。
贅沢を言い出したら、これらの施設に安定して鉄鋼を供給する大規模製鉄所や機械工業に携わる工場群もさらに数カ所必要でしょう。
当時の日本には、艦隊を建造するにもそれを作り出すための社会資本や工業施設がまず欠如していたからです。
何しろ、経済的、産業的には途上国ですからね。
次に、簡単に日支事変で使われた国費が約100億円だったと言います。
しかし100億円という数字は、当時の日本財政上健全な財政の上に計上された数字ではありません。
馬鹿馬鹿しいとしか表現できない泥沼状態の戦争(日支事変)のため、日本経済・財政・工業生産は、統制経済と相まって一気に悪化。
1940年には、GDP(国内総生産)が前年割れ。
日支事変をダラダラと継続すれば、大東亞戦争などしなくても日本の経済と財政は五年後に崩壊しているということです。
健全な財政上での年間予算が列強最低レベルの20億円代しかないのに、国家予算の半分以上を軍備に突っ込んでいたらどういう事になるかは自明の理という象徴ですね。
1937年までの陸軍が17個師団(プラスα)しかないのに、大東亜戦争開戦直前の師団数が50個を越え、その総数も200万人に達していたというのですから、国が傾くのも道理というものです。
事実、昭和18年(1943年)には自主撤退しかないと、軍自体が結論を出していたそうです。
つまり、この泥沼の戦争と平行して、「海軍補充計画」を1940年半ば頃の段階でアメリカに対抗できるだけの規模にしようとすると、間違いなく国が傾いています。
しかも、第三次計画以後の海軍予算も、平時であると思えば法外な金額です。
とうてい健全な国家予算でまかなえる金額ではありません。
日支事変をせずに、戦争で使われたソースを大艦隊建設に突っ込む事も、多少傷は浅くなるでしょうが同種の経済・財政の悪化を日本にもたらします。
ケインズの傾斜生産理論が、経済や産業が途上段階の日本経済でどれだけ適応できるかも疑問です。
大艦隊建設が公共投資と似ているという点から、ケインズ理論を適用できると言われても、何よりもまず財政の裏付けがありませんから絵に描いた餅です。
作った兵器を輸出するならともかく、自国で抱え込むだけですからね。
政府主導という最悪のインフレで、プラス要素の全部が吹き飛んでしまいます。
だいいち、再生産を生まない軍備にお金をかけるのですから尚更です。
人間、無茶な借金で買い物を続けちゃいけません。
また、史実の第二次計画が軍部独裁が成立する以前に計画立案された事を思えば、日本経済と国家予算の増大を期待しつつ、このレベルを維持しなければいけない、という事になります。
戦争がなく、経済が順調に発展したとしても、少し夢を見ることができるのは、国家予算が膨れあがるであろう1942年以降になります(税制上、各種税金の上昇は遅れてついてきます。)。
まあぶっちゃけ、爪の先に集めた輝きが貧乏日本にとっての連合艦隊なのです。
それ以外は、列強としては実にお粗末なものしかなかったのです。
これを端的に現すものとして、次の表を見てもらいましょう。
■軍事費 1939年(昭和14年)
1位 ドイツ 74億ドル
2位 ソ連 54億ドル
3位 英国 18・6億ドル
4位 日本 17億ドル(約45億円)
5位 米国 11・3億ドル
6位 フランス 9・2億ドル
7位 イタリア 7・5億ドル
一見すると、日本が突出しているように見えますね。
しかし、アメリカ、フランス、イタリアは総力戦の準備をしている段階での予算に過ぎません。
対して日本は、日支事変の泥沼にはまり込んでいて、国家予算よりも多い金額を特別会計で予算計上して軍事予算に突っ込んでいる事になります。
つまり、この辺りがすでに限界なのです。
しかも、日本の上位に位置するイギリスの軍事予算比率は4割に過ぎません。
つまり日英の総力戦時における国家予算格差は実質10倍にも達しているのです。
この点からも、国力の違いというものが分かるでしょう。
以上の事を踏まえて次の表へ移りましょう。
■史実の戦争遂行能力比較(全世界=100)
(1937〜8年統計)
国名 指数 総人口
アメリカ 41・7 1・4億
ドイツ 14・4 7000万
ソ連邦 14・0 1・5億
イギリス 10・2 4000万(本国のみ)
フランス 4・2 5000万(本国のみ)
日 本 3・5 7000万(本国のみ)
イタリア 2・5 4000万
その他 10・2
合 計 100 総人口約18億人
見ていただければ分かると思いますが、これが当時の日本の力です。
二〇世紀末には、名目GDPの10%以上を生み出す世界有数の一大産業国家となりましたが、悲しいかな当時は全世界の33分の1しか影響力がなかったのです。
しかも、人口差をみれば分かると思いますが、実際の工業力や資本力となるとこの数字より低くなります。
実質的には全世界の2%、がんばっても3%程度の工業力しかありません。
しかも、工業製品を生み出す工作機械など、国産では精度が低く効率も悪い物です。
アメリカ、ドイツ、チェコ、スウェーデンなど、工業先進国から輸入した工作機械を使用しなければ、高品質な製品は作れませんでした。
金属製品を作る基礎である冶金技術も様々な数字に連動しており、日支事変以後の日本製品の工作精度の低さは、重工業国としては目を覆わんばかりとなってしまいます。
とうぜんですが、工業製品の製造精度もひどいものです。
先進国ドイツが、一万分の一の精度を実現した量産兵器を作っていたのに、日本では百分の一の精度を職人芸で実現していたに過ぎません。
戦艦大和だって、ドイツ製の一万五千トンのプレス機がないと作れず、装甲板に炭素を染み込ませる時など日本刀を作る職人芸を応用していたと言います。
ハッキリ言って、インフラ面や一般生活レベルは、火葬戦記界で馬鹿にされるばかりのイタリアよりも下と言えるでしょう。
一人当たりGDPになると、イタリアが欧州列強だったとよく分かる数字も見えてきます。
日本が製作と運用に四苦八苦したドイツのライセンス生産発動機だって、日本よりは簡単に量産・運用してますからね。
この点だけを見る限りは、何故イタリアがあそこまで弱っちかったのか、どうしても首を傾げてしまいますね。
数字の上からなら連合国の戦力の一割程度は吸収できた筈ですが、まあ一部の軍艦と戦争末期に出現した兵器以外ロクなものはないので、よく頑張ったとも言えるかも・・・。