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昭和25年へ向けて「海軍補充計画」と「漸減戦術」(1)

 ワシントン海軍軍縮会議以後の帝国海軍の目指した目的を極端化すると、この二つのキーワードで全て語ることができるのではと思います。

 

 「海軍補充計画」は、時節にあった海軍整備計画と極論してしまえば良いでしょう。

 「漸減戦術」についても、帝国海軍の基本戦略です。

 ただし相手が相手なので、結果として規模が桁外れになりました。

 

 漸減戦術は、一般的には史実で最後の青写真が作られた頃の方針では、昭和25年頃の完成を目標とした、極めて大規模な兵力整備計画だといってよいでしょう。

 

 この計画がいかに壮大かは、軍備の建設のために日本の軍艦建造能力を、2倍以上にするほどの努力がなされる予定だった事からも見て取れます。

 最も分かりやすい事例として、新たな大規模海軍工廠を丸々一つ建設する計画が持ち上がっていた点が挙げられるでしょう。

 

 また計画上の主な目的は、アメリカに平時の戦力で対抗し、戦争の抑止力とする事です。

 

 つまり根底にあるものは、「八八艦隊計画」を始めとする帝国海軍が策定した軍備増強計画と同質のはずです。

 軍備とは、戦う為ではなく、相手の侵略や戦争そのものを抑止するためのもの、と言うのが近代国家であるなら大前提ですからね。

 

 攻めることを前提にした軍備を平時に作った国の末路が、全てを物語っているでしょう。

 もしくは、ブラフとして使うべき巨大戦艦を、秘密にしたままにした末の末路がこれを補強してくれるでしょうか。

 


 では、まずは軍備整備計画全体でどの程度の兵力整備が計画されたのか、その点から見ていきましょう。

 

 本計画の叩き台となったのは、富岡定俊(当時大佐)の練り上げた、中部太平洋全域を戦場に想定した九段にも及ぶ重厚な漸減戦術です。

 これは、正面戦力での健全な対抗を目的とした「八八艦隊計画」が流産して以後の日本海軍が生み出した艦隊決戦の系譜を受け継ぐものです。

 そしてこの戦術が、タガが外れてしまった計画中盤以降の「海軍補充計画」の設計図にもなります。

 「戦術」が軍の基本計画というところに帝国海軍の性格が垣間見えるような気がしますね。

 


 さて、まずは漸減作戦での想定と第五次計画頃の予定ラインナップの概要から見てみましょう。

 


●初期案(昭和25年頃の最大想定)


 超大型戦艦:6隻(「超大和級?(紀伊級?)」)

 大型戦艦:5隻(「大和級」、「改大和級」)

 旧式戦艦:6隻(「長門級」、「伊勢級」、「扶桑級」)

 旧式高速戦艦:4隻(「金剛級」)

 超甲種巡洋艦:6隻


 超大型空母:6隻(「大鳳級」、「改大鳳級」)

 大型空母:4隻(「翔鶴級」、「赤城」、「加賀」)

 中型空母:2〜4隻(「蒼龍」、「飛龍」、「雲龍級」)

 軽空母:多数(最大:艦隊随伴可能艦8隻程度)


 重巡洋艦戦隊数:4個(CG:16隻)

 巡洋艦戦隊数:3個(CL:9〜12隻)

 水雷戦隊数:8個(CL:8隻、DD:128隻)

 潜水戦隊数:7個(CL:7隻、母艦多数、SS:112隻)

 他多数


 艦載機:約1000機

 基地機:約1500機


 おおよそはこんな処でしょう。

 

 もちろんこれらは、史実の正確な建艦予定ではありませんし、ものすごく大ざっぱなものです。

 航空機の数については、ロクに調べすらしていません。

 

 しかし、昭和25年時点の最大規模を想定すれば、おおよそ上記のレベルになると思います。

 

 それにしても巨大な規模ですね。

 

 戦艦、空母共に20隻以上の勢力になってしまいますから、まるで往年の大艦隊整備計画「八八艦隊計画」を見るようです。

 いや、基地部隊を含めた航空部隊の規模を考えれば、八八艦隊以上といっても間違いないでしょう。

 航空隊は、戦力維持という面でとても金食い虫ですから、数倍の規模とすら想定できます。

 

 航空予算については、39年度の海軍予算を一切合切見ると、約7割が航空関連予算(空母関連予算含む)で消費されていた事で分かります。

 

 史実においても、日支事変があったとはいえ戦艦信濃なんて飾りだったんですよね。

 

 話が少し逸れましたが、上記のような艦隊計画が実現された場合、昭和25の段階で史実の海軍(昭和16年頃)のおおよそ二倍の規模になります。

 この艦隊と真っ正面から殴り合うのなら、史実通りの海軍拡張(ヴィンソン、スターク・プラン)を行ったアメリカ海軍でしか正面からの対抗は不可能な戦力と言っても問題はないでしょう。

 

 英国を含む欧州列強の海軍では、ここまで巨大でクソ真面目な艦隊決戦型海軍に対抗する海軍を作り上げる事は不可能だし、その意志も持たないでしょう。

 

 費用対効果の点で完全な赤字です。

 フランスが作ったマジノ要塞線みたいなものです。

 

 これを人に置き換えれば、アメリカの一般家庭で、クローゼット一杯に自衛用の銃器を所持しているようなものでしょう。

 

 そして見て分かるとおり、日本の計画はアメリカとは比較にならないぐらいに、見事なまでの「決戦艦隊」です。

 

 海洋国家、貿易国家であるにも関わらず、まともな海上護衛など微塵も考慮されていません。

 ここまで行くと、もう笑うか呆れるしかないぐらいです。

 しかし日本海軍が導き出した回答こそが、一枚看板で戦わねばならない貧乏国の悲しさの一つの姿、というワケでしょうか。

 

 いや、帝国海軍は一回こっきりの大決戦で戦争の全てを決してしまう予定だったのですから、海上護衛など必要ありません。

 ひたすら強大な決戦艦隊さえ整備しておけば良いと考えていた帝国海軍が、最終的な回答として到達した究極点こそが、この計画の完成だったのでしょう。

 

 悪の組織にバッタ人間に改造されたり、M78星雲から来た巨人ヒーローたちのように、一度きりの戦いと必殺技さえあれば良いのです。

 


 ちなみに史実の国家予算は、日本が1930年代半ばぐらいに、有名な高橋是清蔵相の斬新な経済政策(低金利と国債発行、銀行の大量計画倒産、軍需中心の傾斜生産、満州國建国に伴う膨大な投資など)により列強に先駈け早期に不況からの脱出を達成したとされます。

 

 これが軍部の派閥抗争とエリート馬鹿や近視眼でしか物が見えない愚か者によって水泡に帰しました。

 ですが、高橋蔵相の基本路線は、彼のその後の動きを見る限り概ね問題ないと考えられます。

 何しろ彼は、景気が回復した時点で財政圧縮と軍縮を構想していましたからね。

 

 では、もう少しお金の面を見てみましょう。

 

 未来の見える財務官僚達は、まず国内資本に金を与えました。

 そして、為替レートを強引に操作する事で有利な輸出体制を整えます。

 (形ばかり残っていた金本位制の世界で1ドル=2円を1ドル=2・5円にしてしまう。

 日本の国家財政が完全に傾いていた1941年頃には、実質的に1ドル=4円ぐらいにまでなった)

 為替操作によって、軽工業(繊維)製品に関しては非常に高い品質を持つようになった大量の日本製品を安価に海外輸出していきました。

 

 そして貿易で得たお金で、日本と満州において重工業の次へのステップに向けての整備も進み、加工貿易と国内開発による内需拡大を基本とした成長路線に突入させてしまおうと言うものだと考えられます。

 そして、景気が上向いた時点で減税と縮小財政、そして軍縮に政策を傾ければ、日本の破産も大戦争も国家の滅亡もありません。

 

 しかし、軍部の暴走で軍縮路線は白紙撤回され、日本はまず財政面で奈落の底へ落ちていきます。

 

 かなり端折りましたが、概略はこんなもんだと思います。

 

 軍人を中心とする様々な分野の馬鹿が、史実のような事をしなければ、上記のようなレールに乗っていてもおかしくなかったのです。

 

 あ、そうそう「史実のような事」とは、なにも日支事変だけではありません。

 二・二六事件ですら、致命傷とは言い切れません。

 問題は他のところに存在しています。

 

 経済にとって一番悪いのは「統制経済」です。

 

 日本では、「国家総動員法」という名前で本格実働しましたが、「統制経済」は実質的に36年の時点で始まっています。

 制度の性格上、官僚達の責任も重大ですね。

 

 「統制経済」は、共産主義国お得意の経済政策ですが(あちらでは計画経済とも言いますね)、成功するにはスターリンや毛沢東並の血も涙もない独裁者と、彼の政策を忠実に実行できる組織、そして基礎的な工業基盤が必要不可欠です。

 

 上記3つがないと、天下りする頭でっかちなだけの腐敗官僚に、頭ごなしであれこれ言われてやる気をなくした産業界・経済界が出現するだけです。

 事実日本はダメダメになりました。

 住民の事や利権配当者の一部を考えなくてよい満州では部分的に成功しましたが、これを日本列島でしてはいけません。

 

 「みんなで幸せになろうよ」を中途半端な政治状態の日本ですると、横並びで何もしなくなるんですよね。

 農耕民族の悪弊といえるでしょうか。

 

 戦時生産を心理面で支えたのも、負けるかもしれないという個々人の思いがあったればこそで、心理面で「統制経済」が成功したわけじゃないはずです。

 

 国家・官僚主導の「統制経済」においては、一等賞はものすごく優遇し、ビリッケツは問答無用で銃殺するぐらいのことしないと人間がむしゃらになりません。

 

 スターリンはこれをやった上に、欧米の優秀な工作機械を工場ごと買い込むぐらいのことをして、捏造された犯罪者による数百万、数千万人の強制労働者を使い棄てにして、ソ連の重工業力を飛躍的に増大させたんです。

 この時期のソ連の成功には、ちゃんとした理由があるのです。

 スターリンの徹底度合いだけは、評価してもよいでしょう。

 日本が同じ事をできたのなら、もう少し戦えたはずです。

 もちろん、行いに対する功罪さておき、ですが。

 

 また、ヒトラーの国家社会主義という名の政策も一見成功したように見えますが、ドイツでの統制経済は一部優秀な官僚や財界人のおかげと、自由経済のなかで浮遊していた余剰資産(要するに貯蓄)を一時的に全て生産に回し、なお余剰する人々を徴兵したからこその表面的成功に過ぎません。

 

 事実、第二次大戦直前(1938年)のドイツ経済と財政は、略奪を目的とした侵略をしないと数年で瓦解を始めるところまで悪化しました。

 余剰(貯蓄)がなくなれば、システムとしてどうなるかは言うまでもないでしょう。

 余剰が投入された先が再生産を生まない軍需主導なんですから尚更です。

 いずれ硬直化して自壊するしかないのです。

 

 対して、自由主義のアメリカやイギリスの戦時経済がうまく働いたのは、国内や域内にある余剰資本の存在が日独ソなどの国よりけた外れに大きかったというファクターも無視できませんが、何より戦時経済を統制した人間や組織が産業界の人間だったからです。

 船をうまく動かすには、熟練した船頭に任せるのが一番ということですね。

 

 そして全て悪い方向に傾いた「統制」を行った日本の場合、早くも1937年の統計で経済が傾いています。

 

 つまり、「統制経済」の始まった36年の時点、そう日支事変開始前から経済は傾いていたのです。

 

 しかもこの時期日本は、経済をまったく理解しない頭でっかちが「オレ達の命令した事以外新しい事は何もするな」と言っているに等しい状態です。

 おまけに軍部が財政を好き勝手にもてあそび、経済にすら口を突っ込んでいます。

 大和、武蔵が建造できたのも、軍部が権力を握ったおかげに過ぎないのです。

 

 このため新規技術開発は、軍の一部技術以外は大きく停滞します。

 新規の一貫型製鉄所は、産業・経済の拡大があっても一つも作られていません。

 政府が数年遅れの画一的な統制を行って、経済界の要求に応えられなかったんです。

 軍人や官僚など極度の組織人は、個人としてどれだけ優秀で立派であっても、一度決まったこと以外できないですからね。

 しかも、経済のことを何も知らない文系の天下りの寄生虫や頭でっかちなだけの純粋培養の軍人が統制したとあっては、経済が上向く筈ありません。

 

 ましてや、民間主導での新規技術開発など夢物語です。

 戦前および戦中日本で、弱電技術が大きく停滞した理由の最大の要因が民間開発の停滞にあると思われます。

 戦後は反省から正反対の方向に流れましたが、新技術がどういう環境から生まれるか知らないヤツがトップにのさばればどうなるかという好例でしょう。

 

 恐るべし、官僚専政と統制経済。

 

 日本経済にとって「統制経済」は、百害有って一理無しですね。

 

 この点、私の石原完爾に対する評価は低いです。

 

 エリート軍人が経済語んじゃねえよ。

 てめえこそ伍長の下っ端じゃねえか、そう一等兵で十分だ。

 少しぐらい賄賂を取ろうが、岸信介に全権委ねる方が数倍日本の戦争遂行能力は高まったんだよ、てところですね。

 

 もちろん岸信介も統制経済を主導した官僚ですが、彼は産業界を利用する術を知ってました。

 まあ、石原完爾も岸のようにしようとしたのかもしれませんが、日本軍に属する軍人がやってよい事じゃありません。

 後から彼の後輩にあたるエリート馬鹿が、悪循環の拡大採算をするであろう事を予測していないんじゃ、天才の誉れも廃るってもんでしょう。

 


 少し話が脱線しかけましたので、歴史改竄と艦隊建設に関連する話しにもどしましょう。

 

 さて、高橋の経済政策と産業界の努力ですが、1930年代には間に合いませんでしたが、戦中、戦後の造船力の基礎的な能力上昇などが成果の一つになります。

 

 そして高橋の政策が行われていた頃が、日支事変の少し前の出来事です。

 

 1935年ぐらいから日本経済は、通常の経済の原則に従って大きな成長曲線を目指していたとされます。

 今に残る統計数字も、上向きの数字を示しています。

 

 「もしも」軍部独裁がなく、日支事変が発生せず、日本の経済政策、財政運営が健全であり、主貿易相手の英米との深刻な対立がなく、日本が様々な大きな戦乱に直接巻き込まれず、国内外の政治的、経済的混乱を最小限にできれば、史実より20年ほど早く高度経済成長が訪れていた「かもしれない」と、単純に予測できます(なんて沢山の仮定が必要なんだ(汗))。

 

 また、史実の日本が、敗戦から戦前の1930年代半ばの生産力にもどったのが、池田勇人首相による「もはや戦後は終わった」発言のあった1960年代初頭だったかと思います。

 ここから、大陸での泥沼の戦争とこの時期の分不相応な軍事負担が、国家経済にいかに悪影響をもたらすかがうかがい知れるでしょう。

 そして日本が統制経済から完全に脱却したのも、池田首相の発言があった頃です。

 

 つまり、上記したイフ要素から導きだせる回答は、もし軍部独裁も日支事変も大東亜戦争もなければ、もしくは日本の関わりが最小限で済めば、昭和25年頃には国力と国富の増大により、比例的に軍事費も大きく増大するという事です。

 

 そして国家の発展は、海軍の大拡張と「大和級」戦艦の大量建造が、主に予算と言う面からなら実現を約束してくれるのです。

 


 ……う〜ん、我ながら我田引水&強引な持っていきかただ。

 他者のこと笑えないぜ(爆)



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