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プロローグ

 かつて人間と魔族の戦いがあった。

決戦の舞台はウィスタリア半島遥か西の孤島ネメリタ。

宵闇で大雨が降りしきる中、人間と魔族が文字通りの死線を決していた。


ウォォォォォォォォォォ!


 鬨の声の数瞬後に剣戟の音が響く。

 ガーゴイルが鉤爪で人間を掴み、空中で離す。兵士の断末魔の叫びは地表に落ちた瞬間、音のつまみを一気に零にしたようにブツッと消え、物言わぬ亡骸と化した。

 そんなガーゴイルの羽を矢が貫き、墜落した所を一斉に槍で刺殺する。こちらは叫びを上げる暇もない。

 念入りに刺殺する人間をサイクロプスが棍棒の一振りで撲殺する。一人は脳漿を撒き散らし、一人は鎧ごとアバラを折られ死亡した。

 サイクロプスが二撃目を振りかぶった時、投げ槍で一つ目を射抜かれる。地響きを立てて倒れるその体は敵も味方も巻き込んで圧殺した。

 殺し殺され、また殺し殺される。ここは地獄。命と命がぶつかり合い、死んでいく地獄である。

 しかしだ。そんな戦いが生温い程の死闘が島中央で繰り広げられていた。


 二人の男が対峙している。

 剣を構えもせずに無造作に提げている男を永王という。

そして錫杖を真っ直ぐと横に構えて手を添えている男を魔王といった。

両者の距離は十メートルは無いぐらいだろうか。

永王は地面を剣で(つつ)きながら何かを咀嚼している。魔王はおおよそ聞こえない声量で何かを呟いている。全く戦いには見えない光景だった。

大雨が永王を濡らし、剣先からはポタポタと水滴が落ちる。対して魔王には水滴が落ちる前に何かに弾かれていた。

 ピシャンッと稲光が輝き、少しも遅れずに轟音が響いた。あまりに近くに落ちた雷は大雨の中でも木々を焼いた。


 瞬間、永王の姿がかき消えた。爆音の如き音が轟き、立っていた場所に一つの陥没穴が出来ている。

永王が地面を蹴った跡だった。


ブゥゥンッ!


 たった一度の踏み込みで距離を詰めた永王の逆袈裟斬り(注1)が風を斬り空を斬る。踏み込みは大地を割り、斬撃は雲をも斬って見えなくなった。


「腐り姫よ」


 どういう手段だろうか体捌きでもなく一瞬で永王の背後に回った魔王が腐滅魔法を唱える。

左手に蛇のような形の紫色の光が纏わりついた。

同時に、右手の錫杖が不可視の速度で以て振り下ろされる。

永王はそれを咄嗟に剣で受けた。


ドゴォォォ!


 どれほどの力が加えられたものだったのか、真上からの打撃に永王は地に膝まで埋まった。 

一瞬の時間があれば地面から抜け出すことは造作も無いだろう。

しかしその刹那の瞬間こそ命取りだった。触れるだけで万物を腐らせる魔法を纏った手が永王を、捉える――


「フッ!」


 魔王の手が触れるその瞬間、永王が口を窄めて唾を射出した。

水弾が魔王の目を正確無比に射抜く。弾丸の如き速度で射出された唾は立派な兵器である。しかしそれでも魔王は僅かに動きを止めただけだった。

だがその僅かで十分なのだ。僅かな隙を突いて永王の膝が、魔王の鳩尾へと吸い込まれる。

太鼓を目一杯叩いたような重厚な音が大気を揺らす。およそ生物を叩いた音ではないかのようだった。


「なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ」


 ふわり、と体重を感じさせない足運びで距離を取ってから永王が言う。

今際の際を間一髪で乗り切ったにしてはあまりにも緊張感がない。


 ゆらり、と魔王が上体を戻した。先の一撃はまるで応えていない様子だ。

永王の蹴りは大岩をも粉々に砕く破壊力があるのだ。世界中のどんな生物も絶命は免れない一撃のはずだった。


「錫杖ってのはそうやって使うものなのか?」


「……」


 大雨の音だけが響く中、永王が剣を担ぎながら肩を剣の腹でとんとんと叩く。

十は叩いた頃だろうか、うんざりとした口調で言った。


「はー。喜び勇んで助太刀に来たあんたの部下にも、どうかその錫杖を振るってやってくれよ」


 永王が面倒くさそうに首を向けて魔王の後ろを指す。

その時、魔王の後ろでザシュッという泥を踏み抜く音がした。

魔王が僅かに目線を切り、背後を見る。そこには人間を掃討し終えた魔族の姿が――ない。

鞘だった。永王の剣の鞘が一本刺さっていた。


ガキィンッ!


 魔王の頭部を正確に狙った唐竹割り(注2)が、錫杖によって受けられていた。

あまりの衝撃に大気は振動し、火花が散る。押し合いが数秒続いた後、永王がその状態のまま剣を右に滑らせた。

魔王からみると左。錫杖にもちろん鍔はなく、握っている指だけがある。

キキキキキキッという不愉快な音と火花を立てながら、錫杖に沿って剣が滑り魔王の指を断つ――寸前に指が離れた。

匠の技であった。離すのが早すぎれば錫杖は正面で支えを失い、剣は魔王の体ないし肩を切り裂いただろう。

しかし魔王は刃が触れる寸前で指を離した。抵抗力を失った剣は外側に流れ、腕の皮一枚のみを斬り裂いて地面へと空振り大きな隙を晒す。


 魔王の足が永王の腹を押し蹴る。地面に何度もバウンドしながら吹き飛ばされ木に叩きつけられて止まった。


ザーッ


 振動で大量の葉についていた雨雫が永王を濡らす。


「くははははは、はははははは」


 哄笑であった。世にこれほどおかしいものがあったのかと未知の体験を喜ぶような、そんな笑い。


「誠、卑怯な男だ。唾を目に入れる、目線を切らせて不意打ちする。鞘を投げたのは膝蹴りのさいか? 王と呼ばれてこれほど卑怯な男を見たことがない。その剣には一体どんな毒が塗られている?」


「痛ってぇ」


 永王がパンパンと甲冑の泥を払う。白銀色に輝いていた特注品の面影はもはやない。


「下手な嘘をつくな。お前ほどの男が今の蹴り程度で、痛みなど感じるものか」


「いや、本当に痛いんだって。あんたみたいな化け物に、俺ら人間の苦労はわからないだろうけどさ」


 ふーっと息を吐くと永王は剣を正眼に構え、上段に構え、下段に構えてやめた。


 魔王は考える。一体どの口が言うのだろうか。十分こちら側の領域に立ってる癖に、謙遜でもないだろうに異な事を言う。

それともまた嘘を混じえているのだろうか。この身に刃を入れるための、嘘を。


「あーごほんっ」


 永王がわざとらしく咳払いをする。相手の注意を引く動作だ。

魔王はその行為にむしろ周囲を警戒した。また何か小賢しい罠を張っているかもしれない。


「さっきの話だけどさ、塗っていないよ。()()()


 瞬間、永王が木の幹を並行に蹴り突進した。

突進力を得るためにぬかるんだ地面よりもむしろ安定感のある幹を選んだのだ。

剣先を魔王へ向けて一直線に跳ぶ。突剣技だ。


 剣をいなして空に蹴り上げてやろうか、と魔王が策を講じた時、片目の視界がぼやけた。

雨ではない。雨粒は魔法によって常に弾かれている。

 ここで恐るべきは魔王でもある。死角側から飛来する剣が顔に刺さる瞬間、恐るべき反射で顔を反らした。

それでも剣は頬を裂き、耳を裂いて後ろへと斬り抜けた。


「あー()()()()()()()。やっと回ったか。あんた本当どんな体してるわけ?」


 魔王の目に発射された水弾は唾ではなかった。この地方で群生する猛毒の草、蠱毒草を反芻したものだったのだ。

普通の人間ならば粘膜で少し吸収しただけで死亡してしまうような毒草である。

もちろん永王にとっても無害なものではない。しかし、口と目であれば当然目が潰れるほうが痛手である。

永王は自らの口と引き換えに、魔王の片目を潰したのだ。


 ぺっぺっと唾を吐きながら再び剣を構える。左手を前に突き出し柄を握った右手を顔の横へと引き地面と水平にする。

平突き。突き出した左手はバランスを取るとともに片目しか使えない魔王の遠近感を狂わせる。

左右に避けられれば突き出した剣を横に薙ぐ。遠近感がない魔王が後ろに避ける事はできないだろう。


(毒の効果が長く続くとは思えない。勝負を急ぐ必要があるな)


 永王はなおも溢れる唾を吐き捨てながら、小さくひとりごちた。


 戦いの間、聞こえていた剣戟の音、兵士の声がいつの間にか消えている。

聞こえるのはただ雨と稲妻の音。

どちらが生き、どちらが死んだのか。

おそらく今はまだ、この戦場にいる者誰もがそれを知らない。


ビュンッ!


 雷光の如き速度の突きが魔王の胸を貫く。

しかしそれは残像。魔王は横っ飛びをして避けていた。

魔王を追って剣を横に薙ぐ。手応えは――ない。

魔王は上体を地面につくほど反らし必殺の横薙ぎを避けていた。

さりとてそれは死に体。まるで隙だらけのその場しのぎの避け方だ。

明らかな隙だった。考えればわざとらしいと思うほどの。しかし剣士が突かずにはいられない隙だ。


 永王がむき出しの胸に思いきり剣を突き立てようとしたその瞬間、魔王が上空を仰ぎ見た。

この男には似つかわしくない、思いがけないものを見たかのような、そんな表情。

構う必要はない。剣を突き立てれば戦いは終わるのだ。刹那の逡巡は勝負の大局に影響しない。

そう決断した瞬間、うなじがチリチリと燃えた。やはり無視できぬ緊急事態だ。永王は弾かれたように後ろを振り返る――


 大火球だった。都一つを焼き尽くすような巨大な大火球が一つ、天より降り注いでいた。

太陽がそのまま落ちてきたような圧倒的な大きさと熱量。

魔王の魔法ではない。胸を突き刺させて剣先から伝えようと唱えていた雷撃魔法はとっくに霧消している。

 魔王が何かを唱えている。永王は咄嗟に魔王へと掴まった。


 大火球が地表へと激突し、まばゆい閃光と衝撃が両雄を包む。

この世の爆薬を全て一箇所に集めたような、そんな衝撃と轟音。

爆風は島全土を駆け巡り、草木を焼き、岩を溶かし、両陣営の死体を灰にした。

灼熱は海まで到達し一部を沸騰させ、余波が星を二周半程した頃、ようやく収まった。


 生存者は早い段階で海に逃げ込んだ人間と魔族の十数人のみである。残りは全員死体すら残らず消滅した。

 両軍、全滅であった。

(注1)逆袈裟斬り:左下から右上への斬り上げ

(注2)唐竹割り:上段から下段へ縦に斬り割る

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