竜騎士
男は息苦しさに目を覚ました。
目に写ったのは木の天井。
ぼんやりとそれを眺めながら、自分はまだ死んでいないようだと他人事のように思った。そして最後の記憶を思い出し眉間に皺を寄せる。
明け方の突然の奇襲。
燃える砦。
主が乗った馬車が森の中に消えていくのを相棒の竜と共に空から見届け、そして――。
持ち上げた右腕を額に乗せ顔を覆い、男はふっ、と自虐的な笑みを浮かべた。
胸にあるのは後悔と怒り、そして諦めにも似た――痛み。
その時、男の左脇腹辺りで何かがもぞりと蠢いた。
男は驚き息を止め、目だけを動かしてをそちらに視線を向ける。
そこにあったのは黒く丸い――毛玉。
よく見るとそれが規則正しく上下に動き、呼吸をしているのが見て取れた。
暫く眺め、おずおずと左手を持ち上げて黒い塊にそっと触れる。柔らかな毛の感触と生物独特の暖かな温もりを手のひらに感じた。
(山犬の子供か?)
山犬は猟師の狩りの手伝いをする動物で、賢いうえに人懐こく忠誠心も強い。小型に改良された山犬が貴族の間で最近人気があるのだと友人から聞いた気がする。
全体が見えないのでもしかしたら山犬ではないかもしれないが、とりあえず攻撃の意思は無さそうだ。
(それにしても、よく眠っているな)
起こしては悪いと思い、首から上だけを動かして周囲の様子を伺う。
ベッドの側にある窓のレースのカーテンの隙間から茜色に染まった空が見え、今が夕暮れ時なのだと気付く。
太陽が東の頂から顔を出した辺りで記憶は途絶えているので、少なくとも半日以上は経過しているようだ。
(それにしても静かだな、ここはどこかの山村ではないのか?)
家の造りから見て山あいの小さな村にでも落ちたのかと思っていたのだが、それにしては人の気配がない。
聴こえるのは風と、風に揺れる枝葉の音だけ。人どころか鳥の声も虫の音も聴こえない。
まるで世界から切り取られたような、異空間にでも迷いこんでしまったかのような違和感に、男は室内を改めて見回す。
なんの変哲もないよくある木造の建物だ。
ただ、壁や天井は汚れておらず木の香りを強く感じる。造られてまだ日が浅い建物のようだ。
最後に枕元にある小さなキャビネットに目を向け、その上に置いてある物に気付き驚きで目を見張る。
(ガラスの水差しとグラス!?)
ガラスはとても高価だ。庶民が気軽に手に出来る品ではない。
「っ!!」
慌てて起き上がったため変に力が入り、左の脇腹に鋭い痛みが走る。歯を食い縛り、激痛に滲んだ汗が引く頃、苦痛に歪む顔をふわりを撫でる存在に気付いた。
ゆっくりと顔をあげ、それと視線が合い苦笑する。
「……悪い、起こしたな」
それは除き混むようにこちらを伺う黒い翼を持った猫、空猫だった。
(……まいったな、山犬ではなく空猫か)
だがお陰でここの違和感に納得がいった。
飛猫は野山に住み、空を駆け、自由に生きる魔物だ。魔物は魔力を持たない只人には決してなつかない。
そんな空猫が人の住まう住居に居るということは……。
(この空猫は使い魔。ならばここは……ここの主は魔法使いか)
魔法使いは不可能を可能にする力――魔力を持っている。
だが、強い力を持つがゆえに彼等の感性は独特だ。はっきり言ってしまうと常人には理解出来ない突拍子もない行動や言動を取る事が多々ある。
騎士という職業柄、魔法使いと会う機会もあったが――残念ながらあまり良い思い出はない。
思わずこぼれ落ちそうになったため息を小さく頭を振って止める。
今まで出会った魔法使いとの思い出が良いとは言えないからといって、自分を救ってくれた人物の性格を勝手に決めるなど失礼というものだ。
脇腹の傷を庇いながら身体を起こし、キャビネットの上の水差しからグラスに水を注いで一口飲む。爽やかな甘味と僅な塩味、そして花の香りを感じた。
魔法使い達が好んで作る魔力が込められた薬水だ。わずかだが痛みが引き、激痛が鈍痛に変わる。続けてグラスに二杯ほど飲み干した。
痛みは多少収まったとはいえ未だ身体は怠く重い。熱も出ているのだろう、思ったように力が入らず、グラスを持った手が小刻みに震える。
「お前のご主人様はどこにいるんだ? 助けて貰った礼が言いたいんだが?」
行儀よくお座りをしてこちらをじぃと見つめる空猫に訪ねたが、空猫は金の瞳をすっと細めると興味が失せたとばかりにひょいっとベッドから飛び降り、少しだけ開いていた扉から出て行ってしまった。
使い魔は主人に似る。
おしゃべりな友人から聞いた話と、今まで出会ってきた魔法使い達とのやり取りを思い出し、男は顔をひきつらせた。
☆☆☆
さて、ここから出て恩人を探すべきか、それともここで大人しく待っているべきかと悩んでいると、外から竜の鳴き声が聞こえた。どうやら相棒も無事だったようだ。
窓に寄り外を覗いてみたが、白い木の柵があり姿を確認する事が出来なかった。
迷った末に男は意を決してゆっくりと立ち上がる。薬水で治まっていた痛みがぶり返し小さな呻き声が口からこぼれたが、壁づたいになんとか寝室の扉までたどり着いた。
寝室の扉の先には小さなキッチンがあり、そこから更に外へと続く扉がある。扉は閉まっているが飛猫の姿は見当たらない。キッチンの窓が開いているのでそこから出入りしたのだろう。
なんの変哲もない普通の家だ、だが男は訝しげに眉をひそめる。
(あの水場はなんだ? 石ではなく金属で出来ているのか?)
『キュオ』
相棒の鳴き声に我に返り、考えるのは後だと痛みを耐えながら外へと続く扉へと向かう。
そしてやっとの事でたどり着いた扉の先の光景に、男は目を見開いた。
驚くほど巨大な樹。
見渡す限りの草原。
草原を這うように流れる雲。
濃紺の夜空。
そして、大樹の根本に立つ一人の少女。
黒いワンピースとボブショートの黒い髪が風にふわりと揺れる。少女の傍らには白い空猫と先ほどまで側にいた黒い空猫の姿。少し離れた場所に朱金の竜が横たわっている。
少女が手に持っていた黒い箱をそっと開いた。
箱の中から小さな光がヒラヒラと飛び立ち、少女の横顔を淡く照らす。
(光蝶虫?)
小指の爪ほどの小さな光る蝶、光蝶虫。だがすぐに違うと思い直す。
七色に輝く光は、キラキラと瞬きながら空の果てを目指すかのように宙へと昇って行く。
それはとてつもなく美しい光景だった。
まるで――。
「星の誕生」
男の小さな呟きは、けれどこの静かな世界に大きく響いた。
驚き振り向いた少女の紫紺の瞳と男の朱金の瞳が交差する。
男の心臓がドクリと大きくひとつ脈打った。
少女が恐れたように後退る。
強い焦燥感に無意識に男は足を一歩踏み出す、だが目の前が真っ白になるほどの激痛に襲われその場へ蹲る。
少女はその間に男が使用していたのとは別の建物へと走る。
少女が去ってしまう。
消えてしまう。
「っ!」
(待ってくれ! 行かないでくれ!)
そう叫ぼうと男が口を開こうとした次の瞬間、少女が扉の前で立ち止まり振り返る。
そしてキッと男を睨み付け、叫んだ。
「エンガチョ!!!」
【後書き】
※『エンガチョ』は叫ぶものではありません。
魔女の前世は日本人なのですが前世の記憶はかなり曖昧です、なので『なんか違う』感じとなっております。
例えば『ヨシノヤさんが作った牛丼は美味しい……ヨシノヤさんって誰?』みたいな感じです。
※魔法使いと魔女は全く違う存在です。
竜騎士は自分が地上にいると思っているため勘違いをしております。詳しくは次話以降の予定。