97 司教館02
前方には敵の魔法使い、後方には黒狼の群れ、絶体絶命だ。
特にこの魔法使いは厄介だと思う、肩にオウムを乗せている姿は、強力な魔法使いを統べる総括様と同じだ。とてもじゃないけどボクでは勝てない。
挟み撃ちされたこの状況下で、悠長に考えている暇さえ無い。すると、ボクが動くよりも先に、魔法使いは杖先で二回、トントンと地面を軽く叩いた。
魔法で攻撃される! そう思ってボクは咄嗟に頭を抱えてしゃがみこんだ。
しかし、これでは狙い撃ちされる。魔法にどう対処していいか分からないボクは、最悪の防御態勢を取ってしまった、もうダメだ……。
すると、背後でドガドガと衝突する音がした。
驚いて振り返って見ると、すぐそこまで迫っていた黒狼は、一匹残らず正六面体の透明な壁の中に閉じ込められていた。これは、魔法の結界か?
「ふむ」≪賢者:フレイムスクエア≫
――ゴアッ!
「うわあっ!?」
眩しい、透明な四角い壁の中で炎が吹き上がる。地下水路を塞ぐ正六面体の結界の中で、膨大な炎が渦を巻いて踊り狂っている。
やがて、炎は結界と共に跡形もなく消え去った。立ち込める湯気の中に黒狼の残骸は一欠片すら残っていない。
攻撃魔法だ、しかもとんでもなく強力な。
「ほっほっほ、大丈夫じゃったかの?」
ボクを助けた? 敵ではないのか? 何者なんだこのお爺さん。
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ニコニコと優しそうだが、どこか隙の伺えない不思議な雰囲気のお爺さんだ。
肩には微動だにしない鮮やかなオウムが居る。それ以外は、枯れ葉色のローブ、長杖もこれといって特徴のない地味な格好をしている。
しかし、ローブの袖口からはおびただしい数のブレスレットが見え隠れしていた。無詠唱魔法の起動装置となる“魔法円環”だ。
魔法円環の形状は様々だと聞いているが、高位の魔法使いになるほど使用できる魔法も増えるため、沢山の魔法円環を持つ。
つまりこのお爺さんは、とんでもない実力者ということだ。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
「ああ、気にしなくていい、人を助けるのが仕事じゃからな」
人を助けるのが仕事? まるで勇者さまのような事を言う。
「うん? 何か珍しいかの? おお、このオウムの事かな? わしの家族のアレキサンドル君じゃ、可愛いじゃろう」
かなり大型のオウムだ、近くで見ると特にそう思う。それにしても、魔法使いの間では肩にオウムを乗せるのが流行っているのか?
「ところで、こんな所で何をしていたのじゃ? 随分と厄介なモノに追われていたようじゃが」
「はい、実は」
ボクは、助けてくれたお爺さんに、これまでの経緯を洗いざらい話した。
「なんと、司教館の地下にそんな場所があるのか」
「ボク、そこから逃げてきたんです、でもまだ捕まっている人も居て」
「なるほどのう」
メリーナさんは無事だろうか、牢に入っている間は大丈夫だとは言っていたが。
「それでボク、急いで地上に出てミルクを連れてこようと」
「何? ミルクを? ふーむ、よし分かった、それならこのわしが、ミルクの代わりに一緒にその地下牢へ行こうかの」
「ええっ?」
確かにお爺さんは強い、あの紫ローブが束になって掛かってきても勝てそうな気さえする。それに、メリーナさんを救出するにも一刻を争う。
「でも、会ったばかりなのに、そんなご迷惑を掛けるわけには」
「ほっほっ、大丈夫じゃ、どうやらわしの目的地もそこらしいからのう」
「え?」
そうだ、このお爺さんはどうして一人で地下水路を彷徨っていたんだ?
「あの、どうして地下水路を歩いていたんですか?」
「うむ、この王都では神隠しが多くてな、それで王都に張り巡らせてある地下水路が怪しいと睨んで、調査していたのじゃ」
王都では頻繁に獣人の子供が姿を消すという、それは不規則にあらゆる場所で起きる、そのせいで王都の獣人はあまり外を出歩かなくなってしまったほどだ。
地下水路が怪しいと思い立ったお爺さんは、一人で調査に乗り出した。しかし、調査の成果も得られず、考えを改めようとしていた。
そんな時、ちょうど獣人の子供であるボクが地下水路を逃げてきたのだ、さぞびっくりしたことだろう。
「どうやら犯人の尻尾を掴めそうじゃな、ほっほっ」
間違いなく神隠しの犯人は教会だ。こんなに強いお爺さんが調査しても分からないなんて、きっとあらゆる手を使って捜査が及ばないように工作していたんだ。
なぜ司教館が獣人の子供を必要とするのかは知らないが、そういう事ならお爺さんを地下牢まで案内しよう、逃げてきた道は覚えている。
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お爺さんの魔法の杖に灯る明かりを頼りに、逃げてきた道を辿る。
「ふう、かなりの距離を走ってきたのじゃな」
「はい、でももうすぐです」
幾つもの曲がり角を複雑に逃げて来たが、道順はまだ覚えているし、ボクと黒狼が派手に水しぶきを上げながら走った地下水路には、痕跡も残っている。
牢屋の場所が近づいてきた、次の角を曲がればあとは一本道だ。
「えっ、なんで」
角を曲がった先は行き止まりだった、レンガの壁が目の前を塞いでいる。
「おかしい、そんなハズは……」
「どうしたのじゃ?」
「おかしいんです、行き止まりになってる、この壁の向こうから来たのに」
「ふーむ」
行き止まりの壁を探っても違和感はない、何の変哲もないレンガの壁だ。
「ただの壁のようにも見えるが……。少し離れていなさい」
お爺さんは壁に向かって杖をかざした。
「どれ……」≪上級魔法:イリュージョンブレイク≫
すると、スゥと、確かな質量のあった壁が幻のように消えてしまった。
「壁がなくなった!」
「一方通行の幻影魔法じゃな」
そして、先へと続く地下水路が姿を現す。
「それにしても完成度の高い魔法じゃ、わしの目にも分からぬとは、これでは幾ら彷徨い歩いたとて気づけるはずがないわい」
隠し通路が見つかったのはボクのおかげだと言い、お爺さんは先へ進んだ。
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メリーナさんが捕らわれている、蔓の牢屋まで戻ってきた。
「こんな場所が存在するとは。地下水路の構造については、教会が秘匿している部分はかなりありそうじゃな」
紫ローブの監視も居ないようだ、なるべく物音を立てずに牢に近づく。
「メリーナさん、メリーナさん」
「なっ!? あなた、無事だったの?」
メリーナさんも無事なようだ。
「あれだけの召喚魔獣に追われて、もうダメだと思ったのに」
「危ないところでしたけど、途中で魔法使いのお爺さんに助けてもらって」
ちらりと後ろを振り返ると、お爺さんはゆっくりと頷いた。
「あなたはっ!」
「しーっ、メリーナさん静かに、奴らに気づかれます」
メリーナさんをなだめるボクの肩を、お爺さんはポンポンと軽く叩き、蔓の牢屋の前へ躍り出る。
「挨拶は後じゃ、とりあえずこの面妖な牢獄をどうにかせんとの。どれ、二人とも離れているのじゃ」
蔓植物の牢へ杖をかざしたお爺さんは、短く念を込めた。
「……」≪上級魔法:アンロック≫
袖口から見える魔法円環の一つが光ったが、牢には何の変化もない。
「ぬ、開かぬか、かなり特殊な鍵のようじゃ」
紫ローブの持つ、小さな水晶玉でなくては開かないみたいだ。
「仕方ない、実力行使じゃな」
続いてお爺さんは、杖で二回、トントンと床を突いた。さっきの結界術だ、蔓が茂る真ん中に、一メートル四方ほどの透明な結界が現れる。
結界に妨げられ、蔓は切断され、なんとか人が通れるくらいの穴が空いた。
「ぬう!?」
しかし次の瞬間、上下から新たな蔓が勢い良く伸びて来て、結界を突き破り、元の牢獄に戻ってしまった。
「なんという……この牢は尋常ではない、すさまじい力を感じる。植物にこれほどの生命力を与えるとは、王家の秘宝の力を流用しているのか?」
王家の秘宝は植物に活力を与える、そのパワーは砂漠の宮殿領をまるごと森で包むほど強力だ。この牢は王家の秘宝の力を違法に流用して出来ていると、お爺さんは言う。
「これは、わしも気合を入れねばならぬのう」
そして、牢の中にいるメリーナさんに、もっと下がれと指示を出す。
「優乃君も、もう少し離れていなさい」
「えっ、どうしてボクの名前を?」
まだお互い自己紹介も済ませてないのに。
「ほっほっ、黒毛のシープ族と言えば、それ以外は無かろうて」
ええっ? ボクっていつの間にか有名人?
お爺さんは再び牢へ向き直り、「加減が難しいのう」と言いつつ杖を構える。
「むぅ……ふぬっ」≪賢者:グラビティボール≫
さっき結界があった場所に、今度はサッカーボールほどの黒い玉が出現した。
すると、黒い玉は辺りのものを見境なく吸い込み始めた。牢屋の蔓はおろか、床や天井まで崩れて、黒い玉の中へと消えてゆく。
「わぁっ、吸い込まれるっ」
ボクも周囲の空気と共に、少しずつ引き寄せられる。
これはもう、紫ローブに見つからないようにするなんて事は全然考えていない、地下水路には微震が起き、ガラガラと牢屋が崩れる音が響き渡る。
やがて黒い玉が消失すると、蔓は消え去り、それどころか床と天井も円球型にえぐれて、メリーナさんの牢の入り口は何も無く消し飛んでいた。
「やった、これで……」
――バシン!
「うわあっ!?」
牢を破ったと思ったのも束の間、すぐに新しい蔓が生えてきて、バシリと勢い良く入り口を塞いでしまった。えぐれた床も関係なく、全部蔓が覆っている。
蔓が消えていた時間は短すぎて、衰弱しているメリーナさんはもちろん、ボクでさえ通り抜ける事は不可能だ。これじゃ何度やっても同じだ。
「ううむ、これだけの再生力、王家の秘宝“生命の翠玉”の力をただ引き込んでいる訳ではなさそうじゃ。恐らく力を増幅する術が途中に施されているはずじゃ、その増幅術から破壊しなくては、この牢は破れぬ……」
凄腕魔法使いのお爺さんでも、蔓を排除するどころか一時的に隙間を空けておく事も難しいみたいだ。この蔓植物ってこんなにしぶといのか。
「……今の音は何だ……」
「……異常が無いか調べろ……」
遠くの方から紫ローブ達の声が聞こえる。やはり、今の騒動で気づかれてしまった、じきにここにも来るだろう。
「仕方ないのう、奴らを倒してから牢の鍵を手に入れるしか方法がないのう。ここで魔法戦が始まるとメリーナさんを巻き込んでしまう危険性が高い、できれば先に救出したかったのじゃが、今すぐには無理なようじゃ」
お爺さんは方針を転換した。実力行使で牢を破ることは出来ない、ならば紫ローブ達を倒し、鍵となる水晶玉を手に入れるしか方法はないと考えたのだろう。
「スマンのうメリーナさんや」
「あっ、それならご心配には及びません、そのシープ族の子が牢を破れますので」
フラフラと立ち上がったメリーナさんが、ボクを指差す。
「どういうことじゃ?」
「はい、その子も牢屋に囚われておりました、しかし自力で脱出したのです」
「牢を破ったじゃと? この植物は秘宝の力を帯びておるのじゃぞ?」
お爺さんは、ボクが牢屋に入れられる前に脱走したと思っていたようだ。でも違う、ポイズンブロウを使えば簡単に蔓の牢屋は壊れちゃうのだ。
「あ、雑草を除去するならボクに任せてください」
ボクにはお爺さんのような強力な魔法は使えないし、そもそも黒狼にさえ勝てないけど、蔓を枯らせる事くらいなら出来る。
それにしても、こんな事なら先にポイズンブロウを使えばよかった、まさか、あんな黒い玉みたいな大技を出すとは思っていなかったから。
そう思いつつ、ナイフを取り出し蔓に突き刺した。
「ぷすっとな」≪スキル:ポイズンブロウ≫
たちまちのうちに、蔓はカッサカサのカッピカピに枯れ果ててしまった。当然、二度と再生することもない。
これで、地下水路の蔓植物は一本残らず全滅した。
「なんじゃとっ!? これはいったいどうしたことか」
お爺さんは朽ち果てた蔓の残骸を手にすくう。
「バカな……完全に力を失っておる。“生命の翠玉”は神器じゃぞ、神の力を退けたとでもいうのか?」
そんな大げさな、ただ蔓植物が枯れただけなのに。まあ、ボクのスキルが蔓の魔術と相性が良くて、助かったことは確かだけど。
「なんという威力じゃ、逆に増幅術が施されていて助かった、もしこの牢の植物が秘宝と直結していたならば、生命の翠玉も共に破壊されていたやもしれぬ」
どうしたんだろう? お爺さんは何かつぶやきながらボクを眺める。
「危うく王都が崩壊する所じゃったわい……」
「えへへ、いやぁ」
よく分からないので愛想笑いしといた。メリーナさんに「褒めてない」とつっこまれたが。
「なるほどのう、さすが“向こう側の人間”というわけじゃ、世の理を簡単に無視するのじゃな」
「え?」
その時、ついに数人の紫ローブが押し寄せて来た。
「これはっ、えっ!? おまっ」
紫ローブは目をむいている。ここに居るはずのないボクと、黒い玉で壊れた牢屋、そしていっさいが枯れてしまった蔓植物を見て混乱している。
その惨状を目の当たりにしたためか、まだ襲っては来ない。想定外の事態に警戒し、さらなる増援を待っているんだ。
「どれ優乃君、メリーナさんを連れて早く逃げるのじゃ」
「で、でも」
「わしの事なら心配無用じゃ。それより、この限られた空間での魔法戦は、どんな予期せぬ事態が起きるとも分からぬ、優乃君の使命は戦闘に巻き込まれる前に、メリーナさんを無事地上へ送り届けることじゃ、責任重大じゃぞ?」
「は、はいっ」
「わしと優乃君が出会った通路から、右壁伝いに戻れば地上へ出られるからの」
そして、ついに総括様が姿を表した。
「ええい、いったい何奴!」
相変わらず黒いオウムを肩に乗せている。
「こっ、これはっ! 大賢者ブライト様、何ゆえこのような場所に」
総括様は、お爺さんを見て慌てふためいている。
やっぱり。薄々そうじゃないかと思っていた、ボクが連れてきたこのお爺さんは大賢者ブライト、つまりミルクの仲間、勇者PTの魔法使いだ。
「おぬし、その肩の黒いオウム。……わしのマネをするのも良いが、姿以外の所もマネてほしかったのう」
総括様は、最強魔法使いのブライトさんをマネていただけか。紛らわしい。
「くっ、王国に知れたとあってはもはやこれまで、皆の者出会え! 出会えい!」
ワラワラと、紫ローブもほぼ全員が集まったようだ。
「な、なにがブライト様じゃ、ここで斃るるばただの徘徊老人、この場で亡き者にしてくれるわ」
総括様が開き直ると、紫ローブ達も杖を構えた。
「ブライトさん! ボク急いで戻って、必ずミルクを連れて来ますっ」
「ほっほ、それは心強いのう」
ボクに出来ることは、一刻も早くメリーナさんを王国騎士に保護してもらい、ミルクを加勢として連れて来ることだ。
ブライトさんは一人でも大丈夫だと思う、それほど勇者PTのメンバーはずば抜けて強い。でもボクだって出来ることは全部やりたい、少しでも力になりたい。
衰弱してふらつくメリーナさんの腰を抱え寄せ、新たに壁の松明を手に取る。そして、ボクは再び暗闇の地下水路へ踏み出した。