92 圧倒する力
どうしてこんな事に、これは誰のせいだ。
ミルクのせい? それともボクのせい? 違う、ボク達は被害者だ、圧倒的に悪い人がいけない、ラインカーンだ。
そして、そんな悪を作ってしまった世の中だ。学園長も言っていた、世の中がたるんでいるって、そのせいで変なヤカラも増えているって。
こんな酷い世の中になっている要因は、勇者にもある。本当に日本からの転生者だとしたら、考えも覚悟も足りない。
ありがちなニートやうだつの上がらない会社員の転生、だったら最悪だ。底辺がお手軽チートを手にして国を動かす、そんなのは愚の骨頂だと思う。
政治に明るい人生を歩んできたならまだ分かるが、何も知らない素人が国政なんかに手を出したって、うまくいく訳がない。
底辺なら底辺らしく、引きこもりのボクみたいに、異世界でも底辺を舐めていれば良いんだ!
……ち、違う。倒れた学園長を目にして、ボクは動揺してこんな事を。……勇者がどんな人物かも知らないのに、勝手に。
そうじゃない、勇者はよくやっていると思う。だって戦争を終わらせて多くの人々を救っている。偽善だろうが独善だろうが、その事実がある。
ただやっぱり、急性な変化には歪も生まれる、その歪にボクはハマっているんだ、底辺だから抜け出せる力もなく、普通に弱者として。
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「ふう、やっと揃ったか、遅いぞお前達」
新たに現れた兵士はボクの周りだけじゃなかった、闘技場のフィールドを囲むように二十人は居る。ラインカーンはこの人達の到着を待っていたみたいだ。
「それにしてもクラウス卿、これだけの攻撃を躱すとは信じられんな」
「ぐ、ううっ」
えっ、学園長!? 学園長はまだ生きている!
八方から投擲された手槍は、学園長の姿が隠れるほど撃ち込まれた。まるでハリネズミのようだが、あれで全て躱しているのか?
でも、学園長はもう戦えない。多少のダメージは負っているし、ラインカーンと援軍で現れた二十人の精鋭を相手に戦うなんて、いくらなんでも無理だ。
すると、また学園長の背後に居る一人が手槍を投擲した。学園長は身を捩り避けたが、完全には躱せず手槍は背中を掠める。
「叔父上! 背後からとは卑劣な。……これだから嫌なんだオレは!」
ルクスが叫ぶ。手槍を投げたのはルクスの叔父らしい、どうやら槍を持っている二十人の精鋭は、全員がレイベル家の血族のようだ。
ルクスを役立たずと吐き捨てたお兄さんも居る。きっと全員ルクス以上の実力者だ、ラインカーンほどではないと思うが、それに近い手練と思って間違いない。
「よし、その小僧を持って来い」
ラインカーンに命令されたお兄さんは、ボクを闘技場の真ん中へと引きずる。そして、ボクは学園長の隣へ乱暴に突き飛ばされた。
「学園長」
「……力及ばず、すまないユーノ君」
近くで見ると学園長の傷は思ったより深い。
ボクは瞬間強力回復軟膏を取り出す。
「あっ」
カン! と小さな音と共に、瞬間強力回復軟膏の丸缶は、ラインカーンの槍に弾かれ手の中からこぼれ落ちた。
「使わせると思ったか?」
「くっ」
ボクは落ちた薬の丸缶を素早く拾い、また弾かれないように、胸元で両手に握りしめる。回復するスキがない、体勢を立て直すことも、もう出来ない。
二十人の精鋭は新たな手槍を構え、フィールドの周りに待機している。こんな囲まれた状況では何の行動も起こせない、絶体絶命だ。
殺される。わざわざ闘技場の真ん中まで連れてこられて、公開処刑だ。
「やめろーっ、なぜその二人が殺されないといけないんだ! 従者ユーノが何したってんだ!」
そんな声が観客席の生徒から上がる。ラインカーンは眉間を寄せ上げ、やれやれと言ったふうで告げた。
「これより反逆者の処刑を取り行う!」
は、反逆者? 何をどう反逆したっていうんだ、誤解だ。
「ミルク様は王国に貢献しているだろ!」
「どういう事だ!」
「ユーノ君を殺さないでぇ」
ラインカーン部隊に囲まれ、身動きの取れない生徒達もいきり立つ。
「フフフ、王国に反逆したなどとは言っていない」
ラインカーンは静かに言うとボクへと向き直った。生徒の言葉なんてまったく耳に入っていない。
「なぜボクが死なないといけないんですか! せめて理由を聞かせてください」
「なぜ? 獣人が異な事を言う」
獣人は死んで当たり前らしい。ボクやミルクのことが気に食わないのは分かるけど、それ以前にボクは死んで当たり前の存在なんだ。
「さて……」
ラインカーンは右腕を振り上げる、その合図で周りの精鋭達も手槍を構えた。
この腕が降ろされた時、手槍が一斉に投擲される。ボクの実力ではそのうちの一つを避けるのも難しい。そして学園長も、傷ついた体では躱しきれないだろう。
「ま、待って!」
「フフ、投擲準備!」
ダメかっ、ミルクっ!
「放……」
――ドゴォォオオン!!
ぐあっ、なんだ!? まるで砲弾が着弾したかのような爆発音。フィールドのど真ん中に、空から何かが落ちてきた。
砂煙が晴れる、なっ!? やっぱり。
「ミルク!」
そこにはミルクが佇んでいた。
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・
『うおぉぉぉぉおおおおおお!!』
生徒達も歓声を上げる。
ミルクはいつものラフな格好と違う、完全武装で現れた。
右手には漆黒の片手剣が握られている。剣身に闇がまとわり付いているかのような、ゾワリとする黒い剣。一言で表すなら……魔剣。
同じく、全身には漆黒の鎧を纏っていた。ドラゴンの表皮に似た、鋭い鱗状の欠片が体に張り付いている。威圧感すら覚える洗練された造形、すごくかっこいい。
でも、なんかえっちだ。
手甲や足甲はしっかりしているのに、なぜか胸元や腰回りは心許ない。体のラインが強調された鎧からは、豊満なおっぱいがこぼれそうだ。
「ミルク、絶対来てくれると思ってた!」
「もちろんだ、ずっと見ていたぞ」
「え゛っ」
「八十点だな、優乃の力ならもっとどうにか出来たはずだ」
み、見てたんだ? 心の何処かでは、いざとなったらミルクが助けに来てくれると思っていたが、ずっと見ていたのか。
そして、ボクの採点は八十点らしい。まあまあの評価だが、残りの二十点はポイズンブロウを使わなかった事を言ってるのだろう。
もしポイズンブロウで無双していたなら、ラインカーンと精鋭達は無理でも、ルクスと観客席の兵士くらいは殲滅出来ていた。でもボクはしなかった、その甘さを見抜かれているんだ。
「いや、やはり満点だ、それも優乃の魅力だしな」
「うん」
オマケしてもらって満点だ。それにやっぱり、ボクの実力ではここまでで精一杯だと思う。
「やはり現れたな戦士ミルク。ずっと見ていただと? では、私が小僧に放った初撃が外れたのも」
「あたり前だ、優乃が対処出来ないほどのダメージは負わせられない」
「フン、どうやらクラウス卿への攻撃も逸らされたか」
本当ならラインカーンが放った初撃で、ボクは心臓を貫かれて死んでいた。ミルクがツブテか何かを槍に当てて軌道を逸してくれたんだ。
でもお腹に当たったのも死ぬほど痛かったんだけどな、学園長もこの有様だし。
「フフフ、まあ良い、よくぞ現れた、そう言っておこうか」
「随分と用意が出来ているようだな」
「もちろんだとも、どうせなら大物をおびき寄せたいのでね」
すると二十人の精鋭部隊は、ミルクを囲むように円陣を組んだ。
「我がレイベル一族の者達だ、先の戦争で我々がどれだけの戦果を上げてきたかは知っていよう、そこいらの騎士どもとはわけが違うぞ?」
ボクはミルクが来てくれると思っていた、それはラインカーンも同じだったらしい、すべて織り込み済みだ。
真の目的はミルクなんだ、ルクスをきっかけにボクをも餌にして、すべてはミルクをおびき出すため。そして過剰とも思える戦力を集結させ待ち構えていた。
「目標を戦士ミルクに変更、投擲放てぇ!」
まったく猶予は無かった、ラインカーンはミルクに対して、即座に手槍で攻撃するよう精鋭達に命令を下した。
手槍と言ってもかなり長い、それが二十本。さらに息付く間もなくもう二十本と連続で撃ち込まれる。ミルクに殺到した手槍は巨大なウニのようになっていた。
しかし、こんな攻撃ミルクにとっては余裕だ。ラインカーンはしてやったりと不敵な笑みを浮かべているが、バフで強化されたミルクに敵う者など、まず居ない。
「フフフ、為す術も無かったようだな」
ラインカーンが言い終わるその時、巨大ウニは砂のように分解し、さらさらと風に流され崩れ去った。
一瞬、ミルクも覚醒の力を得たのかと思ったが、違う。レティシアのように神力を使ったのなら、砂のように崩れるのはおかしい、手槍はこの世から存在自体が消えているはずだ。
多分、普通に切り刻んだのだ、超速の剣で。あれほどの数の手槍が砂粒と化すほどに、細かく。
「バカな! これはどういう事だ、戦士ミルクは魔法は使えないはず、いや、魔法や魔剣を持ってしてもこんな事は不可能だ!」
ただ切り刻んだだけでこの結果だ。だが、ラインカーンにはそこまでの発想は出てこないみたいだった。英雄の目から見てもミルクの実力は異常なんだ。
「……」≪レイベル流槍術:隠者の一撃≫
その時、またルクスの叔父が、ミルクの死角となる真後ろから手槍を放った。空気をも切り裂く攻撃だが音も無く、凄まじい疾さにボクが声を上げる間も無い。
学園長が避けきれなかった攻撃より明らかに強力だ、十分に“気”が乗った戦技だった。
しかし、ミルクは普通に振り向き、余裕を持ってワンステップし、まるでテニスでもしているかのように、魔剣で手槍をパコーンと打ち返した。
「うごあぁ」
跳ね返された手槍はルクスの叔父の腹に深く突き刺さった、と思った。
よく見ると腹にめり込んでいるのは鉄球だ、鉄製の手槍はミルクが打ち返した時に潰れて、鉄球のように姿がひしゃげてしまっていた。
突き刺さりはしなかったが、だからと言って無事だということはない。衝撃で体が飛散しなかったのは単にミルクがそうなるように手加減したからだ。
手槍使いのルクスの伯父は、痙攣しながら血の泡を吹いている。あれでは一息に死んだほうがマシじゃないのか、そう思える有様だった。
「なんだ……この常軌を逸した強さは、これではグジクを落としたという話も」
ラインカーンは後ずさる、せっかく闘技場に完璧な布陣を敷いて迎撃体勢を整えても、そんなものは今のミルクには通用しない。
『おおおおおおお!』
再び、観客席の生徒達から歓声が上がる。神のように崇めるミルクが敵のラインカーンを圧倒しているんだ、沸かずにはいられないのだろう。
「ええい、静まれぃ!」
そんな歓声をラインカーンは一喝する。
「まだだ、まだ終わらん。……フフフ、周りを見てみるが良い、まったくこの舞台は迎撃するにはおあつらえ向きだ」
そして、闘技場全部に響き渡る大声で叫んだ。
「総員、攻撃用意!」
すると観客席に居るラインカーン部隊が、一斉に生徒達に剣を向けた。生徒達は小さな悲鳴とともに声を潜める。
「これならどうだ? “非情なる殲滅者”と呼ばれる貴殿だが、これほどの若い命が散ることになるのだ、さすがに耐えられまい」
また物騒な二つ名で呼ばれている、ミルクの二つ名はそんなのばかりだ。
それよりも、ラインカーンは生徒全員を人質に取った、もちろんボクも人質の一人だ。この学園は中等部と高等部を合わせたマンモス校、生徒数も千人以上は居る。その全てを人質に取られては、さすがのミルクもどうしようもない。
目的のためなら手段を選ばないあのルクスが、卑怯だと言うだけはある、レイベル一族は恥も外聞も無いようだ。
「フフフ、どれ、十人ほど見せしめになってもらうか」
「待て!」
「おっと、戦士ミルクともあろう者がどうしたのかな? やはり動けぬか?」
「そうだな、この状況、私一人では全てを救うのは無理だ」
いくらミルクがバフで強化されていようと、闘技場を囲む観客の全員を救うことは不可能だ。カバーする範囲が広すぎるし鎮圧する兵の数も多すぎる。
しかし、今ミルクは“私一人では”と言った。そうだ、もう一人ミルクと同等の力を持つ者が居たら、ふた手に分かれて生徒全員を救うことも可能だ。もし傷ついた生徒が出ても、ボクの薬で対応できるくらいまで被害を抑えられる。
レティシアとトーマスの事を言っているんだ、あの二人がこの会場に居るのなら、全員を救い、ラインカーンを完全に無力化することも容易い。
そして。
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・
――ゴガァァアアン!!
空気が破裂した、まるで落雷したかのようだ。実際、空から何かが落ちてきたその場所は、バシバシと帯電していた。
巻き上がった砂塵が吹き飛び、晴れる。
『うぉぉおおお……うぉぉおおおおおお!!!』
やはり闘技場が歓声に包まれた、ミルクが現れた時の何倍もの大歓声だ。生徒達は剣を向けられているにも関わらず声を上げる、会場が割れんばかりだ。
この反応、無名のレティシアやトーマスではあり得ない。
『おおおおお! セシル様ー』
セシル!? この人が……。
現れたのはこの国の絶対なる英雄、勇者セシルだ。
藍色を白銀で縁取った綺羅びやかな鎧に身を包んでいる。スラリと引き締まった肢体、青い髪色、同じくブルーの瞳は吸い込まれそうなほどに美しい。
漆黒のミルクとは正反対だ。清く輝く、まさに聖なる者を体現したかのような、噂通りの絶世のイケメンだった。みんながアイドル扱いするのも無理はない。
「バカな、勇者セシル……王都に到着するのはまだ先のはずでは」
王都の兵やミルクでも勇者の到着時期は知らなかったのに、ラインカーンは知っていたのか?
「仲間の危機なのだから当然だろ? 何か間違っているかな?」
余裕のある透き通った勇者の声、初めて会ったと言うのに、すごく安心感を与えてくれる。
ミルクが現れても不敵な笑みを浮かべていたラインカーンは、勇者の出現に明らかに動揺している。生徒を人質に取り有利な状況は変わらないのに、勇者が現れたことがそれほどまでに決定打となるのか。
「キミが優乃君だね? 本当はキミに会うために急いで帰って来たんだ」
「えっ」
勇者はキラリと眩しい笑顔を向ける。
「それにしても大変だったね。まったくミルクも無茶をする、優乃君を鍛えるためとは言えやり過ぎだ、ボロボロじゃないか」
勇者もミルクと一緒にボクの決闘を見ていたようだ。
「でも優乃君のためならばって、アレで目一杯優しいつもりなんだぜ? ほんとキツイよな、この世界の住人って」
この世界の住人? やっぱり勇者は転生者で、ボクのことも知っている。
それにすごく優しそう、こんな目に合っているのは勇者のせいだなんて、ぜんぜん違うよ、ボクが間違っていた。
「うおおーっ、せめてガキだけでも!」
突然、後ろの精鋭部隊の一人から雄叫びが上がった、慌てて振り返ると、放たれた手槍の切っ先はもう目の前まで迫っていた。
しかし、そこで停止している。手槍はすでに勇者に掴み取られていた。
「まったく」
ボクを守ってくれた勇者は手槍を投げ捨て、パチリと指を鳴らす。
すると、今ボクに攻撃した精鋭の一人は、糸が切れたようにその場へ崩れ落ちてしまった。
「優乃君はとても大切な人なんだ、危害を加えようだなんて許せないな」
「ゆうしゃさま……」