91 学園の危機
ミルクを神の如く崇めるルクスとは真逆で、ラインカーンはミルクと完全に敵対しているみたいだ。難儀な親子だな。
それにしても、いきなり出てきて決闘をめちゃくちゃにしちゃうなんて、随分と大胆な事をする。この騒動の全てを封殺する自信があるというのか。
「戦士ミルクと行動を共にしている二人の子供は、かなりの難敵だと聞いたが、今の決闘を見るに違ったようだな」
この人、決闘とは別の目的があってボクに近づいて来たのか、ルクスはダシに使われたというわけだ。
「どちらの子供も重要な役割を担っているらしいが、私にはただのシープ族の小僧にしか見えん。まあ真偽はどうあれ、少しでも損害を与えられるならば構わん」
ラインカーンは不意に、纏っている鎧と同じ真紅の槍を、無造作に突き出してきた。お腹を破られて動けないボクに対して、とどめを刺すのに技は必要無い。
眼前に槍が迫る。ボクはその切っ先をナイフで弾き、横へと転げ、躱した。
「なにっ、避けただとっ!?」
動けない者を殺すなら今の一突きで十分だ、しかしボクは避けた。お腹を突かれ瀕死のはずのボクが、素早く動いた事にラインカーンは驚いている。
実はさっき、ボクは手に持っていた瞬間強力回復軟膏をすばやく使っていた。
この薬は傷が新しければそれだけ効果が高い、すでに出血は止まり、お腹の風穴は半分以上塞がっている。あと数分で痛みも無くなるだろう。
「バカな、なぜ動ける、心臓を外したとは言え重症なはずだ」
今も塗り続けている瞬間強力回復軟膏に、ランカーンの目が留まった。
「まさか勇者の薬か? しかし、あの薬はもう数が無いはず、こんな小僧が持っているわけがない。もしや、伝説の薬を作り出すというのは本当の話なのか?」
まあ、デカみかんさえあれば誰でも作れるんだけど。
それでも、ボクが薬の大元だとは関係者以外知らないはずだ、先のラインカーンの言いようからして、アーデルア辺りから情報が漏れたか。
「なるほど、ただの小僧では無いと言うわけだ、面白い!」
――バギッ!
突然耳元に衝撃が走った。瞬間、視界が暗転し星が散る。
どうやら槍で側頭部を薙ぎ払われたようだ、視界が戻ると数メートルほど横に吹き飛ばされていた。
「フフフ、この程度が避けれぬか。それにしても硬い角だ、シープ族とはこうゆうものか? フフフ」
くるくる角でガードは出来たが、槍の攻撃は早すぎて全然見えなかった。
ラインカーンは先の戦争で活躍した英雄の一人だ、昨日フージ先生がそう言っていた。とてもじゃないが太刀打ち出来る相手じゃない。
「これならどうだ、今度は避けられるだろう?」
長い槍を左手に持ち替え、片手だけで連続突きを繰り出してきた。力を入れている様子はまったく無いのに、凄まじい量の連続突きだ。
でも、今度はかろうじて攻撃が見える、ボクはナイフで応戦した。
「ほうらどうした、もっと頑張らねば、すぐに終わってしまうぞ?」
「ぐうううっ」
ボクがギリギリ受け切れない速度で攻撃を繰り出してくる、致命傷を避けるため正中線を守るので限界だ、腕や脚は少しずつ傷が増えてゆく。
「フフフ、他は柔らかいな、そこいらに居る童と変わらぬ、気を付けねばすぐに四肢を切り落としてしまいそうだ」
遊んでいる、いつでも殺せるくせに。しかし、反撃するスキは無い、ラインカーンは技量も戦闘経験も桁違いだ。
それでも何とかしないと、今のラインカーンが油断しているのは確かなんだ、遊んでいても恐ろしい強さだが、この瞬間が最も反撃のチャンスが大きい。
無理にでも影歩きで潜り込み、少しでも傷を付ける事が出来れば、勝機はある。
人を人とも思っていないラインカーンに対して、ボクは何も躊躇しない。ポイズンブロウだって打ち込んでやる。
だが、僅かなスキすら一切無い。ただでさえお腹をやられて沢山失血しているんだ、このままではすぐに動けなくなってしまう。
もう時間が無い、適当なタイミングで飛び込むしかない。
心の中で秒を刻む、三、ニ、一、今だ!
――ギィィン!
「うわあっ」
ダメだ、影歩きもまったく通用しない。影に潜もうとしたが普通に槍撃を撃ち込まれた。何とかナイフで受けたが、そのまま押し飛ばされた。
「さて、このくらいで良いだろう、さらばだ」
戯れにも飽きたのか、ラインカーンはボクの命などまるで興味が無いように言う。まさか、こんなにあっけなく、ボクは、死ぬ……!
「待てーい!」
その時、迫力の無い大声が闘技場に響いた。見ると、ボクの陣営で待機していた学園長が、戦闘モードで立っていた。
「それ以上の狼藉はゆるさーん!」
戦闘モード……の準備中だ、学園長はプレートメイルを装備している途中だった、各所の留め金をガチャガチャと手探りしている。
ボクの助けに入ろうと準備していたが、殺されるまでに間に合わず、慌てて大声を上げたのだろう。でもおかげで助かった。
「これは一体どういうことだ、ラインカーン卿!」
やっと戦闘準備が整ったらしい学園長は、闘技場へと一歩を踏み入れる。
ほぼ全身を覆う鉄のプレートメイル、王都でも見かける標準的な鎧だ。しかし、小柄でちょっとお腹の出ている学園長は、その鎧にすら完全に着られている。
それに、背にした大剣は身の丈に合わないほど大きい。お爺ちゃんの学園長が、とてもそんな武器を扱えるとも思えなかった、とにかくバランスが悪い。
「い、いけません学園長、危険です!」
そんな学園長をライチ先生が引き止める。
「ええい離せ、離してくれ! わしが! わしがっ!」
「学園長、私が行きます、必ず止めてみせます!」
無理だ、ライチ先生は戦闘訓練の教官ではあるけど、とてもじゃないがラインカーンに敵うとは思えない。むしろ、学園側の誰も対抗できはしないだろう。
「いいやわしがやる! 止めてくれるなライチ君、こういう時のためにわしが居るのじゃ、この学園の者をこれ以上傷付けはさせん!」
「だから私が!」
「ライチ君! 教員のキミを守るのもわしの役目じゃ。なに心配はいらん、まだまだ若い者に遅れは取らんよ」
セリフはすごいカッコイイけど、正直危なっかしくて見ていられない。それでも学園長はライチ先生の制止を振り切って、闘技場へと出てきてしまった。
「どういうつもりだラインカーン卿! 厳正な決闘は全て終了した、王国の決闘状を持ち出した貴殿が、その法を破るのか!」
確かにその通りだ。しかし、ラインカーンの目的はボクを殺すこと、ミルクに損害を与えることだ。初めから決闘なんてどうでも良いんだ。
「あの老いぼれ、まだあんな事を言っているぞ? 小僧」
ラインカーンは槍を引き、学園長へと向き合う。
ボクから注意が逸れたこのスキに、なるべく闘技場の隅へと退避した。そして、引き続き瞬間強力回復軟膏を傷に塗り込む。
しかし、お腹の傷が完全に塞ったとしても、かなり失血したため思うように体は動かないだろう、これ以上の戦闘は難しい。
「こんな事が学園外部に知れたら、そなたはお終いじゃぞ!」
「フフフ、確かに今回の事は想定外だった、降って湧いた想定外の幸運だった。こうなったからには、内部の情報を学園ごと封鎖するしかあるまい」
「何を!? 血迷ったか」
「なに、数日も持てば良い。だが、それにはまずクラウス卿、学園長であるあなたは少々邪魔だ、大人しくしていれば危害は加えぬが、どうする?」
「ば、ば、バカにしおって! そんな事わしが許すわけなかろう!」
頭から湯気でも出そうなほど真っ赤な顔をして憤る学園長に、ラインカーンは冷たい目を向ける。
「では仕方ない、この紅槍のサビになってもらおう。まあ心配めされるな、あなたの後任は我がレイベル家が務めよう、ここの生徒を教育し直すのも悪くない」
「ふぬぬーっ、言わせておけばーっ」
地団駄を踏んだ学園長は、ついにラインカーンへ突撃した。
「わしが成敗してくれるっ、そこへなおるのじゃーっ、ふおおおーっ」
気の抜けるような雄叫びを上げ、サイズの合わないプレートメイルをガチャガチャ鳴らしながら突っ込む。なんだか走るだけで背負っている大剣に押しつぶされてしまいそうだ。
対するラインカーンは静かに槍を構え、腰を落とし、獲物が近づくのを待ち構えている。ドタバタな学園長と違い、研ぎ澄まされた殺気を放っていた。
「ふぬおおーっ」
ついに学園長は背中の大剣を抜き、そのままラインカーン目がけ振り下ろした。まさか、あの大きな剣を振り下ろせるなんて、すごい、そう思ったが。
――ガゴォォオン!
「ふぎゃっ」
重い金属音が鳴り響いた瞬間、学園長はラインカーンの攻撃により、十メートルほど吹き飛ばされてしまった。
やっぱり全然敵わない。吹き飛ばされた学園長は、無様に地面に仰向けに転がって、ひっくり返った亀のように短い手足をジタバタさせている。
「ぐうっ、なんという剛力か」
なにっ!?
そう発したのは、なんとラインカーンだ。ラインカーンの方を振り返ると、学園長と同じく十メートルほど弾き飛ばされ、片膝を付いていた。
これはいったい……? ラインカーンは英雄の一人だ、その実力はデルムトリアでもトップクラスだと聞いている、以前のミルクや砂漠の重戦士と同等だ。
そのラインカーンを相打ちとはいえ、吹き飛ばした。
学園長にはボクのバフは効いていないはず、共に戦う仲間というイメージではなかったし、そもそも今の今まで戦えるとも思っていなかった。
これは学園長の元々の実力だ。
「くっ、老いぼれと言った事は訂正しよう、古の伝説の騎士は健在というわけだ、さすがは“竜殺しのクラウス”」
竜ごっ……!? 学園長が伝説の騎士?
「ふーっふーっ、ゆるさんぞ、ぜったい生徒達は守ってみせる」
プレートメイルをガチャガチャさせながら、やっと学園長は立ち上がる。
「相手にとって不足は無い、しかし私も負ける訳にはいかんのでね、ご老体には悪いが遠慮はせん」
両者武器を構え直し、再び対峙する。
まさか学園長がラインカーンに対抗出来ようとは、誰も予想していなかったのか、観客席に居る生徒達も驚いた様子で二人を見守っている。
しばらく睨み合っていた両者だが、一陣の風が過ぎるのを合図とするように、同時に攻撃に移った。
「行くぞおぉぉぁああ!」≪レイベル流槍術:真槍さみだれ突き≫
「ふおおーっ」≪竜殺剣:ドラゴン兜割り≫
凄まじい威力の戦技がぶつかり合う、衝撃で地面は割れ、闘技場全体が震える。
どうなったのか分からない、大量に巻き上げられた土埃の向こうで、激しく打ち合う剣閃の音が響く。
英雄同士の戦いが始まった。
ボクを弄んでいた時のラインカーンとはまるで別人だ。そして学園長も、相変わらずドタバタなのにバカみたいに強い。二人とも一騎当千を地で行く強さだ。
「ユーノ君、こっちへ」
「ライチ先生!」
英雄の二人に巻き込まれないように、身を屈めながら近づいてきたライチ先生とフージ先生に連れられ、さらに安全な場所まで退避する。
「ユーノ君、あの、その、大丈夫なの?」
「え?」
「そうだ、さっきは死んだと思ったぞ、腹は大丈夫なのか?」
二人から見たら、ボクはお腹に大穴を空けられても生きている変な子だ。人並みの聴力では、ラインカーンとの薬のやり取りまでは聞こえていなかったはずだ。
「うん、ほら、もう治ってる」
ボクは上着をぺろんと捲り、お腹の傷の有無を確認してもらう。そして伝説の薬である瞬間強力回復軟膏のことも、少しだけ説明した。
「勇者の薬を預かっていたのか、そんな物を持っているなんてさすがミルクさんの弟子だな。でも無事で良かった、本当に」
フージ先生の解釈はそんな感じだ。ボクが伝説の薬を作成したとも思わないだろうから、これが正常な反応だと思う。
「きゃ」
「うわっ」
フィールド上に強風が吹きすさぶ、まだ学園長は戦っている、英雄同士の凄まじい戦いに煽られた砂埃が、ボク達を包み込む。
「すごいな学園長は、まさかあのラインカーン伯爵と渡り合えるとは」
「フージ先生も知らなかったんですか?」
ラインカーンも学園長のことを古の騎士と言っていた、学園長は昔に活躍した戦士だ。若い生徒が知らないのは無理もないが、先生達も知らないみたいだ。
「私も知らなかったです、学園長があんなに強いだなんて」
「ああ、オレも過去の話はちゃんと聞いたことが無かったな」
強いらしいとの噂はあったが、当の学園長が“わし最強”みたいに茶化して言うから、誰も信じなかったという。
“ミルクちゃん”とか言ってミーハーなことばかりしてるから、真実を言っても信用されなかったんだ、普段の振る舞いが残念すぎだよ学園長……。
そんな学園長は今、本来の力を発揮し戦っている。
ラインカーンの攻撃はまさに電光石火、恐ろしい数の槍撃を途切れることなく打ち出してくる。重い大剣を使う学園長は防御にまわることも多いが、その槍撃を一つも漏らすことは無い。
二人の力は拮抗していた、激しい攻防を展開しているがどちらもダメージらしい傷は負っていない、永遠に戦い続けるのではないかとさえ思わせるほどだ。
だが、そうなると高齢の学園長は不利だ、どうしてもスタミナは持たない。現時点で互角なら、少しでも体力が落ちれば拮抗は崩れ、一気に倒されてしまう。
そう思った、それが常識だった、しかし戦いが進むにつれ、徐々に押してきたのは学園長の方だ。
「ぐっ、過去の遺物が、なにゆえここまでの力を……!」
「ほあーっ、なぜだか足腰の調子がとっても良いぞ、まだまだこれからじゃーっ、ゆくぞーっ」
「ぐうう、調子に乗りおって」
これはまさか、ボクのバフの力が発動している?
ここへ来てこの猛攻、そうとしか思えない。学園長が戦えるとボクが認識したのがついさっきだ、まだ掛かりが浅いが、バフ能力は確実に学園長を効果範囲内に納め始めた。
今はバフの効果は少ししか現れていない、でもボクがもっと応援すれば、バフの掛かり方も強まるんじゃないか?
きっとそうだ、学園長はボクを庇って戦っている、応援しよう、学園のみんなを守り、戦ってくれている学園長にエールを届けるんだ。
「がくえんちょーっ、がんばってーっ、まけないでーっ」
声の限り叫んだ、ボクの声が届くように、バフの力が届くように。
すると徐々に学園長が有利に立ち回る時間が増えてきた、応援するボクの声に答えて、学園長は奇妙なガッツポーズを返すまでに余裕が出てきた。
「ふんぬーっ」≪竜殺剣:ドラゴン嵐≫
あの大きな剣が一瞬見えなくなるほどの剣速で振られる。すると幾つもの剣閃が放たれ、離れているラインカーンを四方から襲った。
似ている、まるでミルクの旋風斬だ。
それをラインカーンは一つずつ撃ち落とすが、徐々に押されてゆき、仕舞いには吹き飛ばされ闘技場を囲む石壁へと叩きつけられた。
「ぐはっ……バカな、まさかこれほどに強いとは」
よし、もっと応援するんだ。
「フレーフレーがくえんちょ! がんばれがんばれがくえんちょ!」
もう少しだ、あとひと押しでラインカーンを退ける事が出来る。
「がんばーれっ、がんばーれっ」
「やかましい!」
――ドグッ!
「がふっ!?」
なん……だ? 突然お腹に激痛が走った。ラインカーンにやられて多くの血液を失ったせいか、その痛みに耐えられず目の前がグラグラと揺れる。
地面に倒れ込みながら見上げると、兵士に槍の柄を向けられていた。どうやらこれで殴られたようだ。
「ユーノ君!」
倒れたボクに気が付いたライチ先生が、剣を抜く。しかし、構えることさえ出来ないうちに、その剣は叩き落された。
「余計なことをするな、無駄な死体が増えるだけだぞ」
剣を叩き落としたのは別の兵士だ、いつの間にか数人の兵士に囲まれていた。
この兵士達、他の者と違う。纏っている鎧も、赤色ではなく地金色というだけで、ラインカーンの立派な鎧に意匠が近い。それに、強い。
さっきまでこんな兵士は居なかった。
「兄上! 何故ここに」
離れた場所に退避しているルクスが叫ぶ。この兵士達はレイベル家の血族か?
「ルクス、やっぱり役立たずだなお前は。だがまあ、初めからお前は頭数に入ってないよ、だから俺達がこうして加勢に来たんだ」
加勢に来た? まさか大勢でボク達を? ……まずい!
「が、学園長!」
気づいたときには遅かった、先に見える学園長は声も無くうずくまっている。
その体には、無数の手槍が突き立てられていた。