87 従者の資格01
ルクスに見つからないようにコソコソして、午後の今は図書館にいる。
変な所で真面目なルクスは、授業中に襲撃してくることは無さそうだ、だけど休み時間は気を付けなくてはならない。
今回は、ミルクがボクを従者と偽って学園にねじ込んだことが誤解を招いた。でも図書館に入れるように都合してくれたミルクを責める気にはなれない。
ミルクは良かれと思ってボクのために無理をしてくれたんだ、それに、その説明すらルクスは信じない可能性もある。今ボクに出来るのは、このままルクスから逃げ切ること。
生徒会長に睨まれたまま学園生活が始まるのなら憂鬱になるけど、体験入学のボクが学園に居るのは一週間だけ。あと四日間逃げ切ればいい。
仮にルクスと戦って、やはり負けたとしよう、そうなるとボクに勝った事を理由に、この先もボクやミルクに付きまとうかもしれない、それだと面倒だ。
本当はバシッと勝負に勝って諦めさせるのが良いんだけど、当然ボクの実力じゃそんな芸当は出来ないし、やっぱり逃げ切るのが最善だ。
それにしてもこの学園の生徒はおかしい、世界が小さすぎる。全寮制で外へ出ることもままならない環境では、この閉じた世界が全てなのだ。
英雄やその従者に対しての認識も頑として変えることもない、ミルクが山賊まがいのドロテオやトーマスとつるんでいるなんて、夢にも思わないだろう。
ボクだってミルクの英雄の部分は知らない、でも人には色々な側面がある。ここの生徒はそういう見方が出来ないんだ。
生徒達も別に学園に洗脳されているわけじゃない、自身で勝手にミルクを崇拝して、まるで集団で自己暗示にかかっているみたいだ。
「さっきからどうしたの? ずっと溜め息ばかりついて」
「えっ?」
アゼリアの声に気づいて顔を上げる。図書館なのでアゼリアが隣に居る、ボクはずっとボーッとしていたらしい。
「何か悩み事? 私で力になれる事があるかしら?」
悩みと言ってもアゼリアに相談するほどでもない、と思ったけど、この図書館で一緒にいるアゼリアは、もしものときに頼れる一番身近な人だ。
今みたいに物思いにふけっている時や本に集中している時に、ルクスの接近を知らせてくれるだけでもありがたい。
逆に事情を知らなければ、ルクスがボクを訪ねて来ても招き入れてしまう。それを防止するためにも、少し相談に乗ってもらうのも良いかもしれない。
ボクは無駄に心配させないように、掻い摘んで説明してみた。
「……そう、ルクスが」
アゼリアは少し考えて、分かったと、今のボクの状況を理解してくれた。
ルクスは目的を定めたら一直線の熱血野郎らしい、その姿勢は生徒からの支持も厚く、ルクスのファンは少なからず居る。生徒会長としても人気があるようだ。
やはり名家の息子で、騎士学園に相応しく武功を立て貴族にまで成った一族だという。それも相まって、生徒会長にはなるべくして成った感じだ。
アゼリアの話を聞くに、戦闘能力だけでなく人間性でも敵わない気がする。ただ厄介な事に、今回はその熱血目標にボクがロックオンされてしまった。
「実は体験入学も終わりにしようと思うんです」
「それじゃユーノ君、最終日まで居ないの?」
「本当は最後まで居たいけど、その方が良いのかなって」
勇者が帰ってきたわけでも、宮殿領への許可が下りたわけでもないのに、途中で体験入学を終える。それは最終手段だ。
ボクの勝手で体験入学を途中で辞退するのは、やはりミルクに申し訳なく思う。出来れば避けたかったけど、面倒事に巻き込まれるようなら迷うこともない。
「随分と急になってしまうわね」
「これからの様子を見てですけどね、ここの本もまだ読んでないし」
それを聞いたアゼリアは何か考え込んでいる、そして、すくと顔を上げた。
「分かったわ、今日はもう失礼するわユーノ君、少し考える事が出来たの」
何を思いついたのか、急いで図書館を出ようとする。
「あの、アゼリアさん!」
呼び止めるとアゼリアはニコリと微笑み返して、やはりどこかへ行ってしまった。
まさか、ボクのためにルクスに直談判しに行くのか? アゼリアには迷惑をかけたくなかったのに、少し打ち明けすぎたかもしれない。
後を追おうとしたが、すでにアゼリアの姿は無かった。行き先であるルクスの教室も分からないし、もう止めるにも間に合わない。
何か問題が起きなければいいけど、こんな事にアゼリアを巻き込んでしまったら、ボクは。
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結局アゼリアは戻ってこなかった、ルクスも図書館に現れない。どうなったのか気になるが、今日の授業も終了する時間なので、仕方なく宿直室へ向かう。
すでにフージ先生も宿直室に戻っていた。
「ライチ先生に聞いたぞ、なんだかゴタゴタに巻き込まれているみたいだな?」
やっぱり、せっかくフージ先生とライチ先生のお昼をセッティングしたのに、ボクとルクスの話題になっていたみたいだ。
「フージ先生、ボクどうすればいいですか?」
「いやー、生徒同士の事はよく分からん、特にルクスはすぐ熱くなるからな、そうなると手がつけられん」
担任でもなければ、生徒間の問題に深く関わろうとする先生も居ない。それも仕方のない事だ、先生だって仕事でやっているんだから、担当が違う。
「ボク、もうミルクの所に帰ろうと思うんです」
「ふーむ、目的はもう良いのか? 何か調べるんだろ?」
「はい、ぼちぼちですが、この際仕方ないです」
「そうか、子供なのに随分と引き際が良いんだな」
気になる本も何冊か見つけたが、思っていたより収穫も少なく、目をみはるような情報に出会える事も無かった。
まだ読んでいない本も沢山あるけど、今起きているトラブルと天秤にかければ、それほど執着する必要も無い。
フージ先生に相談してみたがどうにもならなかった。そもそも異世界では子供であっても自分の問題は己で解決するのが基本だ、ボクもそれに則ってなんとかするしかない。
憂鬱な気分で夕食を終えて、今日は楽しく過ごせるような話題も無いし、さっさと寝てしまおうと奥座敷へ布団を敷く。
「失礼します!」
突然、勢いよく扉が開かれ、昨日と同じくルクスが来た。
「なんだ、またお前か」
フージ先生が対応に出たが、ボクは奥の和室で縮こまる。ここで出ていけば、今すぐ勝負しろと言われるに決まっている。
「フージ先生、従者ユーノは居ますか?」
「居ないよ」
ルクスは先生の肩口にこっちを見る。襖の隙間から覗いていたボクは、さらに身を引っ込めた。
「そんな事ありませんよね、ここで寝泊まりしているのですから」
「居ないんだよ、今クソしてっから。ユーノ君は便秘だからな、一時間は戻ってこないよ」
もっとマシな言い訳にして欲しいが、それより強引に引きずり出されないか心配だ。ルクスだって、フージ先生がその場で付いたウソなのは分かっている。
「邪魔しないで下さい、これはオレと従者ユーノの問題です」
「どうせ、戦ってどちらが上か白黒つけたいと言うんだろ?」
「そうです」
「ダメだダメだ、こんな夜更けに勝負などするものか、さっさと寮へ戻るんだ」
「いいえ引き下がれません、従者ユーノが学園に居るのは後四日あまりと聞きました、時間が無い、この機を逃すことなど出来ない」
フージ先生も、戦うなんて法律違反だ、などと言い出す様子は無い。やっぱりこの王国や学校にそんな規則は無いんだ。
全てがフリーになると混沌とした国になる、きっと全部が許されているわけじゃない。でも、英雄の弟子の座を実力で奪う事くらいは認められているのだろう。
「ところでルクス、お前一人で来たのか?」
「はい」
「では素直に帰るんだな、勝負をしたとて、誰に見届けてもらうんだ? 悪いがオレは立会人にはならないぞ」
「くっ、そうですか……」
こんな夜に戦って、誰も見ていないのなら意味がない。
「従者ユーノ! よもやミルク様の従者が逃げたりはしないだろうな? 今日は引き下がるが、必ず勝負を受けてもらうぞ」
居るかも定かでないボクの方へ向かってそう言うと、ルクスは戻っていった。
本当はルクスに聞きたいこともある、アゼリアの事だ。しかしルクスは取り付く島もない剣幕で、ボクはひたすら隠れている事しか出来なかった。
「やれやれ、騒がしい奴だ」
「ありがとうございました、フージ先生」
「良いってことよ、仕事だから、気にするな」
今はフージ先生が追い払ってくれたけど、明日は立会人を用意して来るかもしれない、いつまでも誤魔化してやり過ごせるとは思えない。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「うん?」
「あんなふうに、勝負に勝てばその地位を奪うことも可能なんですか?」
そこの所がどうにも納得できない、ケンカが強ければ大将になれるだなんて、昔の不良漫画じゃあるまいし、そんなバカげた事が通用するのだろうか。
「不可能だな」
「えっ」
「昔ならともかく、今時そんな奴居ないよ」
「ならどうして生徒会長はこんな事を? 無駄じゃないですか」
「オレもそう思うんだがな、剣の腕で優劣を付ける奴らの事など理解できん」
こう見えてフージ先生は常識人だ、この学園に所属する者としては珍しく、英雄に対する偏見も無い。ボクの話もよく聞いてくれる。
「そういうの法律で禁止されてたりしないんですか?」
「うーん、勇者が現れてからこっち、かなり法改正は進んでいるが、そういうことは聞かないな」
やっぱり基本的には実力至上主義なんだ、闇討ちとかは罰せられるが、正々堂々の勝負はある程度認められている。
それでも、勝った負けたで地位が逆転するのは非常識となりつつあり、最近ではめっきり減ったらしい。
「それに今のルクスのやり方じゃ、本当に地位を奪うことは出来ない。昔だって正式な決闘の上で認められていたんだ、こんな辻合試じゃ不可能だ」
決闘は王国の厳正に定められた決闘状が必要であり、ただの生徒ではその決闘状を手に入れる事も難しいという。だから力を示そうにも、辻試合がルクスに出来る限界なんだ。
それを聞いても、やっぱりルクスのやり方は強引だと思う。ボクが学園に一週間しか居ないため、なんとか従者に取って代わるチャンスをモノにしようと、きっと躍起になっているのだろう。
「従者を倒せば噂は広まり、ミルクさんの目にも留まる、ルクスはそれが目的のようでもあるしな」
「でもそんなの、通用するのはこの学園の中だけですよね? 外に出ればボクが従者でないことはすぐに分かるし」
「オレもまったくその通りだと思う、ただ相手があのルクスだからな、ああなると話も通じない。特にルクスの家は武功で成り上がった貴族だ、幼少の頃からそういう教育を受けてきたのかもしれん、突っぱねるのは難しいぞ」
やっぱり体験入学を早めに切り上げるしかない、ルクスも多少後ろ指をさされる事になろうとも、ぜったい諦めてくれなさそうだし。
「なあユーノ君、実際のところどうなんだ? ルクスには勝てるのか?」
「無理です」
ボクが肩を落とすと、「そうか」と、フージ先生もため息を付いた。
「ライチ先生も言ってたが、さすがに十歳と十八歳では差がありすぎる。ユーノ君はミルクさんの弟子だが、ルクスもあれで学園一の剣の使い手だ、やはり無理か」
デルムトリアの中でもトップレベルの騎士の卵が集まる学園、その中でさらに一番の成績を収めるルクス。冒険者として平凡なボクとは月とスッポンだ。
それに、ボクがミルクの弟子だと言っても、ミルクは冒険者としての師匠であり、実際の戦闘術の師匠はトーマスだ。そのトーマスだって、ボクのバフ能力が無ければルクスに勝てそうにない。
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今日で四日目。昨夜ルクスが乗り込んで来た時のことを思い出す。
もうダメだと思った、問題が大きくなる前に学園を去った方が良い、このままでは色々な人に迷惑をかけてしまう。
ボクは午前中から図書館へ退避していた、昨日のように外で実習訓練に参加すると目立って仕方ない、またルクスが休み時間に乗り込んで来るだろう。
それはこの図書館でも同じだけど、まだ逃走ルートはある。外の広いグランドでは逃げ場が無い、追いかけっこの末、あの移動戦技で簡単に追いつかれる。
午前中はアゼリアも授業があるので、図書館内はボク一人だ。
アゼリアはちゃんと授業に出ているだろうか? それとも昨日何かトラブルがあって、図書館へ顔を出せない状況ではないのだろうか?
手に取った本も頭に入ってこない、ルクスが来ないか気になるし、何よりアゼリアの事が心配だった。
今日は学園長室へ体験入学を終える旨を報告しに行くつもりだが、昨日アゼリアが飛び出して行ったその後が気になる。もし何らかの問題に巻き込まれていたなら、このまま放っておく訳にもいかない。
とりあえず午後まで様子を見よう、魔法学科の授業が終わって午後からひょっこり現れるかもしれない。問題が無ければ体験入学を終える手続きをしに行こう。
そんな事ばかり考えながら、やけに長い午前中が終わった。結局ルクスが来る事もなく、昼休みまでは持ちこたえた。一旦ご飯を食べに宿直室へ戻る。
宿直室を覗くとフージ先生は居なかった、ボクとの約束を守ってライチ先生と一緒にお昼ご飯を食べているに違いない。
購買でパンと牛乳を買ってきて食べる。この間も気が休まる事は無い、ルクスの襲撃に備えて、休み時間こそ最も気を張らなくてはいけないからだ。
一人で馬鹿みたいにビクビクしながら昼食を終えて、再び図書館へと戻った。
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「アゼリアさん!」
すでにアゼリアが図書館に居た、いつもと変わりなく落ち着いた佇まいだ、とりあえず無事なようで安心した。
「アゼリアさん、昨日はどうしたんですか? 大丈夫だったんですか?」
「え、昨日? 何かあったかしら」
「何って、ボクの話を聞いて飛び出して行ったから、すごく心配したんですよ? もしかしたら生徒会長の所へ行ったんじゃないかって」
「ああ、そんな事はしないわ、変な心配させちゃったわね」
良かった。ルクスは生徒にも人気があるから、アゼリアの学園生活に不利な影響が出たらどうしようと思っていた。その心配もないみたいだ。
でも、それなら昨日は何処へ行っていたのだろう? あんなに慌てて。
「そんな事よりユーノ君、体験入学を終えるという話、あれは本気なの?」
「はい、実は昨夜のうちに決めたんです、やっぱり終わりにしようって」
「そうなの。それで、いつ辞めちゃうの?」
「なるべく早く、出来れば今日でお終いにしようと思って、これから学園長に言いに行くところです」
アゼリアも無事だった、後は予定通り学園長に挨拶に行って、この学園を去るだけだ。
「やっぱり、……残念だわ、せっかく知り合えたのに」
ルクスと綺麗さっぱり縁が切れるのは良いが、アゼリアやフージ先生とももう会えない。実習見学を通して仲良くなった生徒も居る。
在学期間が長ければ友達も増えたと思う。元世界で、いじめられ引きこもりがちだったボクからすれば、この学園にはそんな希望もあっただけに残念だ。
「そんなに急ぐのなら、お別れ会とかも出来ない?」
「はい、すみません」
せっかくの好意だけど送別会にも出席できない。あまり長く居ると、一緒に居るアゼリアに火の粉が降りかかる可能性だって高くなってくる。
「そう、残念だけど仕方ないわね。そうね、記念に何か残るものが欲しいけど……そうだ、ならサインをして欲しいわ」
「ボクのサインを?」
「ええ、本当なら知り合いの画家に頼んで肖像画でも描いてもらうところだけど、そんな時間も無いし、記念になるものと言えばサインね、将来英雄になるかもしれない人のサインだもの、きっと忘れることもないわ」
ボクは日本語しか書けない、しかしアゼリアはそれでも良いという、読めなくてもそれが本当のボクの名前だし、唯一無二だからって。
それならと、例の文字が消えないペンを取り出す。そしてアゼリアの差し出した紙にサインを書いてゆく、幾重にも折り曲げられた紙だが上質なものだ。
「これで良い?」
「ええ、確かに、そのギルドカードと同じ文字ね」
ボクの冒険者証の名前の欄には、異世界で広く使われている文字でユーノと書かれており、その隣に漢字でも神代優乃と書いてある。
日本語しか書けないボクでも身分証として機能するように、ヴァーリーの冒険者ギルドの副所長であるグレイゼスさんが配慮してくれたのだ。
するとアゼリアは、幾重にも折られた紙をバサリと広げ、何度も目を通して確認している。あの紙、何かが書いてあったのか?
「……これでいいわ、もう出てきて良いわよ」
「えっ?」
アゼリアは図書館の奥へ声をかけた。そして、本棚の陰から姿を現したのは。
「なんでここに……」
「まったく、アゼリア、こんな場所で何をしているかと思えば」
「でも役に立ったでしょ? ルクス」
現れたのはルクスだった。二人ともお互いを良く知っているふうだ。
「何にサインしたか分かるかしら? これはね、王国の正式な決闘状なのよ。あなたは今、ルクスとの決闘状に承認のサインをしたの」
決闘……状?
「これで体験入学の期間なんて関係なくなるわ、あなたは絶対にルクスと勝負しなくてはならないのよ」
「えっ、なに? どうしてアゼリアさんが……」
「察しが悪いわね、ルクスは私の彼氏よ」
はえ?