85 実習見学01
夜、授業見学の件をフージ先生に相談してみた。
「ほー、明日ねぇ」
座敷でくつろいでいるフージ先生は、アタリメをしゃぶりながら考える。
「すみません、急でしたか?」
「いや別に構わんよ。じゃあ明日オレが案内してやるよ」
突然だったから無理かもと思っていたけど、あっさり良いって言われた。
「ありがとうございます」
「良いってことよ、あんな図書館に一週間も籠もるよりずっと良いぞ」
ボクは魔導コンロで炙ったアタリメを追加でフージ先生へ届ける。
「おお悪いねユーノ君」
フージ先生はズズとおちょこを傾けた。宿直の時はこの部屋で一杯やるのが楽しみらしい、とんだなまぐさ先生である。
「ユーノ君も一杯どう?」
「でもボク未成年ですし」
「まーまー固いこと言わずに」
やっぱりなまぐさだ。しかし驚いたのはこのお酒だ。
「変わってるだろ? って、まだ酒の味は分からんか」
元のボクは二十歳なんだ、お酒も飲んだことがある。まあ結局若造に変わりないし、お酒に詳しいわけでもない。
でも、おちょこに貰ったこのお酒は日本酒のような気がする。……多分。
この世界のお酒は安価な蜂蜜酒や変わった果実酒とかが多いけど、ビールやワインのようなのもあって、結構お酒文化は発達している。
それでもお米のお酒は見たことがない、しかもこれはかなり日本酒に寄せてあると思う。
「このお酒はどこから? やっぱり勇者さまが作ったんですか?」
「いや、これはー、そう勇者なんだが、確か何処からか輸入しているんだったな、結構貴重なものなんだぞ」
ということは別の国にも転生者か転移者が居る可能性もある。似たお酒が初めから異世界にあった可能性も高いが、転移や転生者だって居る世界だ。
以前ミルクは勇者PTで世界を旅していた時に、醤油や味噌を発見したと言っていた。話を聞いた当時、やけに醤油に執着する勇者ばかり気になっていたが、その醤油は誰が作ったのか。
もし本当に転移や転生者の仕業なら、それは砂漠の地下ダンジョンのような宇宙人転移者では無い、元日本人だろう。しかも博識の知識無双か生産チート持ち。
会える事が確定している勇者と違い、他の転生者と会うのは難しいと思うけど、とりあえず醤油や味噌を作ってくれてありがとうと感謝しておこう。
・
・
おちょこニ杯でふわふわしてきた、顔も少し火照っている気がする。
――ガラガラガラ。
宿直室の引き戸が開いて、誰かが入ってきた。
「フージ先生、居ますか?」
この声は生徒会長のルクスだ。
ボクとフージ先生は奥の和室でくつろいでいる、その襖も開けられる。
「む、酒臭い。フージ先生また呑んでいるんですか?」
あーあ、見られちゃった。
職務中に飲酒とは、日本だったら一発アウトだ。一緒に居て止めなかったボクも悪いけど、なにせ子どもなので仕方ない、子ども無罪。
「き、君こそこんな時間に寮を出てはダメだろう? 生徒会長なんだから、もっとこう、生徒の見本になるようにだな」
初めこそ“しまった”と額に手を当てていたフージ先生だったが、お酒の勢いもあってか、無茶な逆ギレで対応した。
「それはこっちのセリフですよ、子供にまでお酒を飲ませて」
ルクスはボクのことも心配してくれるのか、ボクはふわふわした頭で「えへへ」と小さく会釈する。
「まあ良いんです、そんな事を言いに来たわけではないので、皆周知ですし」
「ウソだろ!? みんな知ってんの?」
「ええ、フージ先生の宿直明けは酒臭いと有名です」
フージ先生は「マジかよ、学園長にはバレてないよな?」などと焦っている。
ルクスはそんな事には興味が無いという感じで、ボクに向き直った。
「それより、ユーノ君に折り入って相談したい事がある」
「…………はー」
まあそうだろう、日中はルクスと会う機会も少ない、こんな遅い時間にわざわざ宿直室まで来るなんて、ボクに用事があるからに決まっている。
「ユーノ君、聞いているかな?」
「えうっ? あ、はい」
むっ、ちゃんと聞いてますよ、ちゃんと、酔ってなんかいません。ふー。
「いいかな? 一つ相談があるんだ、オレをミルク様に引き合わせる、なんてことは頼めるだろうか?」
やっぱりそんな事か。この学園の生徒はみんな、ミルク様ミルク様って、なんだかボクまで特別な気がしてくる。実際のミルクにそんなイメージは無いのに。
ミルクは普通に安宿にも泊まるし、そこらの店にもふらりと入る。グジクのケイダンやニーナのように、常に護衛やお供が付き従っている貴族様とは違う。
普段だったらルクスとミルクを引き会わせるのは難しくはない、でも今は無理だ、なぜなら現在ミルクは宮殿領内に居るのだから。
ボクがこの学園に来たことで、ミルクが城下町に留まる理由は無くなった。きっと今頃レティシアと宮殿領内の自宅に戻っているだろう。
だからと言って、わざわざルクスに会わせるためにミルクを宮殿領から連れ出すのもどうかと思う、本来ならルクスの方から尋ねるのが筋だ。
しかし、いかんせん宮殿領内の事なのでそれも難しい、そんな状況が無駄にミルクを高嶺の花に仕立て上げているのかもしれない。
「ちょっと難しいと思います」
「そこを従者の力でどうにかならないか?」
「ここが王都でなかったら気楽に会えると思うんですけど、どうにも。あと、この際ですので言ってしまうと、ボクは従者じゃないんです」
誤解は解いておこう、今更学園から追い出される事も無いだろうし。
「従者ではない? ミルク様の紹介だと聞いたが……」
「まあ、確かにそうなんですけど」
騎士は頭が固い、まだ学生のルクスもその例に漏れず、ミルクは最高位の剣士でりっぱな人格者だと思い込んでいる。
ミルクだっていつもカッチリした生活を送っているわけじゃない、むしろプライベートは型破りな山賊戦士だ。
ルクスはボクの事も、従者として学園を視察に来ていると思っている。本当は宮殿領の許可が下りるまで、暇つぶしで学園に来ているだけなのに。
「ミルクさんの弟子なんだよなー、ユーノ君は」
「……ええ、まあ」
そろそろ赤くなってきたフージ先生が、助け舟のつもりなのか余計なことを言った。
「弟子……従者と何が違うのですか」
どうやらルクスの誤解を解くのは面倒くさそうだ、ほっとこう。
「なんとかミルク様に自分の力を見てもらえないかと思うのだが、いい案がなくて」
そうか、ルクスは自分の存在をミルクにアピールしたいんだ。
「まあまあ、今日はもう遅い、本当に寮に戻ったほうが良いぞ」
マジメなルクスに面相くさくなったのか、フージ先生が背中を押す。
「ほれこれやるから、帰りなさい」
そして、割いてあるアタリメを何本か握らせた。ルクスはそれを訝しげに見つめながらも、「また来ます」と、アタリメを手にして出ていった。
「まったく、マジメなんだか不真面目なんだか分からんな、あいつは」
フージ先生は絶対不真面目ですけどね。
しばらくしてフージ先生は大分出来上がってしまった、今は畳の上で横になって、ボクの問いかけにもテキトーな相槌しかしなくなった。
ボクは二人分の布団を敷き、フージ先生を転がして布団の上に移動させる。
「ほら先生、フージ先生、ちゃんとお布団で寝て下さい」
「んん、んー」
いつもこんなに呑むのかな、それとも介抱してくれるボクが居るから、今日は特別に飲み過ぎたのだろうか? 困った大人だ。
ボクももう寝よう、眠いし。
あーそれにしても、なんだかちょっと胸がモヤモヤする、おちょこ二杯のお酒のせいだ、やっぱりお酒は大人になってからにしよう。
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「ううーん」
翌朝、フージ先生は二日酔いに悩まされていた。ボクはと言えば、すごくよく眠れたみたいで頭スッキリだ。
「先生、言ってくれました?」
「うーん、はー、えーと、今日見学できるのはー、ライチ先生のトコだな、ちゃんと許可貰ってあるから、大丈夫」
朝の職員会議から戻ったフージ先生は、まだ本調子ではないようだ、こんな体たらくで他の先生に何か言われないのだろうか?
フージ先生に連れられてグランドの方へ移動する。
改めてこの学園は広い。ボクの居る校舎は高校に当たる高等学舎で、中等学舎の方にも様々な建物があるし、大きなグランドも別々にある。
今は丁度授業中だ、実技訓練の多いこの学園では沢山の生徒がグランドで授業を受けている。その一角へ案内された。
ずらりと巻藁や木人が並べてある、戦技の練習場だ。山賊村の狩猟訓練場を思い出す、さすがにこっちのほうが規模は大きいけど。
高等学舎の生徒達が巻藁へ向かい練習している。
全員アメフトのプロテクターに似た練習用の鎧を装備している。フルプレートメイルと同じウェイトを課して、技の練習をするためだ。
近づくとボクに注目する生徒もちらほら見受けられた。さすがに授業中なので、昨日みたいに騒ぎ出す生徒は居ない。
その集団の中から、練習用の鎧を纏っていない赤ジャージの女の人が、ボク達に気が付いて小走りに駆けてくる。
「フージ先生!」
「どうもすいませんね、ライチ先生」
若い女の先生だ、オレンジ色のショートヘアに可愛らしい笑顔が眩しい。この人がライチ先生、主に戦闘訓練を教えている。
「全然良いですよ、それよりまだ気分が悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「えっ、ええ、少しすれば良くなるんで、大丈夫です」
フージ先生は二日酔いのことを心配されて、ちょっぴりバツが悪そうだ。
「じゃあはい、コレが例のユーノ君。急に授業を見学したいなんて言うもんでね」
「コレだなんて、ミルク様の従者様ですよ?」
「ああすみませんね、そういうのに疎いもんで」
こうしてボクの身柄はライチ先生に託された。
「じゃあ、後の事はよろしくお願いします」
それだけ言って、フージ先生はさっさと戻る。
「あの! フージ先生!」
去ってゆくフージ先生を、ライチ先生は急いで呼び止めた。
「はい? なんですか?」
「あの、お昼とか、またユーノ君を迎えに来ますか?」
「いえ、オレはこれで失礼しますけど、それが何か?」
「いえあの、昨日お昼居なかったから、どこでご飯食べてるのかなと思って」
「宿直室でユーノ君と食ってますけど」
「ああそうか、宿直室で、ああなるほど」
急に挙動不審だなライチ先生。
「……」
「それだけ? 何もなければオレ行きますけど」
「あ、はい、良いです、すみません」
ではよろしくお願いしますと再度頼んで、今度こそフージ先生は校舎へと戻っていった。ライチ先生はその様子をずっと眺めている。
ははーん、どうやらライチ先生はフージ先生に好意を寄せているようだ、そしてフージ先生はそれにまったく気が付いていない。先生方にも色々あるんだな。
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・
一旦、生徒達は練習の手を休めて集まる。およそ三十人ほどで、男子と女子の比率は半数づつくらいだ。
「昨日担任から聞いたと思いますが、この子がミルク様の従者、ユーノ君です」
「優乃ですっ、よろしくお願いしますっ」
ライチ先生に紹介され頭を下げると、生徒達は一斉に敬礼する。
「ユーノ君は普段ミルク様と共に行動しています、当然、想像もつかない戦火の中をくぐり抜けて来ているでしょう。今日はそんな彼に恥ずかしくないように、気合いを入れて修練に励んで下さい」
すると「ハッ!!」と、まったくブレの無い返事が生徒達から返ってきた。
凄まじい戦いを近くで見てきたのはその通りなんだけど、ボクと生徒達の温度差が酷い、自由気ままなボクとは完全に住む世界が違う感じだ。
「ではA班とB班で別れて、練習を続けて」
ライチ先生の号令で迅速に練習は再開された、すごい統率力だ。
「ふう、いつもこうなら楽なんだけどな」
なるほど、今日はボクが居るから生徒達はキビキビしているんだ。可愛い若い女の先生だと、多少フレンドリーになっちゃう事もある。
ボクは木陰で体育座りをして練習を見学していた。あまり近くで偉そうに視察しても邪魔になるし、悪いかなと思って。日差しも強いし。
生徒達は沢山ある巻藁と木人とで、ふた手に分かれて練習を始めた。
巻藁組は戦技の練習のようだ、木剣を使い、袈裟斬りから逆袈裟をほぼ同時に打ち込むような技を、全員が同じように反復練習している。
もう一つは木人だ、太い丸太から幾つも棒が突き出ていて、その棒を敵の手足や攻撃に見立て攻撃や防御の練習をする。イチニ、サンと号令をかけながら、これまた全員が同じ動作を繰り返している。
どんな敵を想定して練習しているのかは分からない、でもとにかく素早く力強い、そして一様に同じ動きで息がピッタリ合っている。
すごい迫力だ、だけどずっと同じ動きを繰り返しているので飽きてきた。ボクは、近くの蟻の巣を枝でほじくって時間を潰すことにした。
「ユーノ君、どうかな?」
いつの間にか無心になって巣をほじくっていた所へ、突然ライチ先生に話しかけられ、ボクはビックリして背を正す。
「疲れていないかな?」
「はいっ、良いと思いますっ」
ちょっと変な返事をしてしまったが、ライチ先生には気づかれていない。どうやら遊んでいた事を怒られるわけじゃないみたいだ。
「せっかくだから練習してみる?」
「ボクですか?」
「体験入学なのに、見ているだけでは勿体無いですよね」
見ると、生徒達も全員ボクに注目している。なんだか雲行きが怪しくなってきた、従者のボクが本当は弱いとバレてしまうのは良くないと思う。
しかし断れる雰囲気でもない。生徒達は左右に捌けて、巻藁までの道を開けている、どうぞこちらですと言わんばかりに。
みんな従者の実力が見たいんだ。どうしよう、少し見学したら他所へ行けばよかった、蟻の巣に夢中になって留まっていたのが仇となった。
空気に逆らえず、そろそろと巻き藁の前へ進む。ここは覚悟を決めよう、ボクだって冒険者として生活しているんだ、プロの技ってやつを見せてやる!
そう思ったが、ふとあることに気がついた。
「先生、ボク剣使いじゃないので、この木剣じゃ出来ません」
ボクはナイフ使いだ、この場には大人用の木剣しかない。せめて短剣なら出来たのに、これじゃ出来ないね。……なんとか助かった。
生徒の中からは、ミルク様の従者なのに剣を使わないのか、などという声も聞こえてくるけど、出来ないものは出来ないのです。
「その腰のナイフを使っても良いわよ、巻藁は消耗品だから気にせず思いっきりやってみましょう」
「ええ……」
先生察してください、八方塞がりじゃないですか。……こうなっては逃げられない、仕方なくミルクに譲ってもらったナイフを抜く。
「ほほう、あのナイフは」
「どうした?」
「ええ、あれは鋼クロトカゲの牙と言って、非売品の上級武器ですよ」
「へー、さすが武器オタク、よく知ってるな。それにしてもやっぱ従者ってスゴイんだな、さて、どんな技が飛び出すか」
生徒達はそんな事を言い合っている、さらにハードルが上がってしまった。
よ、よし見てろよ、こうなったらヤケだ。巻藁まで十メートル弱、ここから“なめり走り”で一瞬で距離を詰め、その中心にナイフを叩き込むっ。
ボクは高速戦闘フォームを取る、そして、巻藁に向かって駆け出した。
次の瞬間、気合を込めてなめり走りを実行。疾く、疾く、そして低く。そのままの勢いで、人の心臓の高さへとナイフを突き立てた。
ガツッと音を立てて食い込んだ切っ先は、巻藁の芯となる丸太に三センチほど刺さる。
「…………」
どうだ? ボクは合格なのか? みんな静まり返っている。
「え、えーっと」
ライチ先生は困惑した様子だ。
「弱っ」
生徒の誰かがそう言った。すると、とたんに生徒達はざわつき始める。
「従者の実力ってあんなもん?」
「マジかよ、どういう条件なんだよ従者って、まさかコネとか?」
そんな声がちらほら聞こえる。みんなの中にある従者のイメージは、生身では到底実現できない技を繰り出す超人だ、そしてそれは正しいのだろう。
やっぱりダメか、ボクだって技の披露なんてやりたくなかった、今のが全力だし。
ざわつく生徒達の中から、色々な声が聞こえてくる。
「まだ子どもだし、こんなものじゃない?」
「そうだなぁ、俺達には分からない可能性を、ミルク様は見出しているのかもしれないしなぁ」
「いいじゃん可愛いんだから、あの可愛さは十分その資格があるよ」
「どんな資格だよ」
「でもなんだか、頑張ればオレでも何とかなりそうな気がしてきた」
「うん、そうだな、すごくやる気が出てきたぞ、逆に!」
「そうよ、元気貰っちゃったわ、逆に!」
大したことのないボクが従者になれたのだから、自分達も頑張れば、きっと希望の進路が開けるはずだと、生徒達は急にやる気を出した、逆に。
さすがは未来を担う若人達だ、陰キャのボクには眩しすぎる。一時はどうなることかと心配したけど、彼らの前向きな姿勢に救われた。