84 資料漁り
一夜明け、さっそくボクは図書館へ向かった。
騎士学園の図書館は独立した別館にあり、ボクの知る“学校の図書室”とは違う、物々しさすら感じる石造りの建物だ。薄暗い館内には人影も無い。
ずらりと並んだ本棚には、アンティークアイテムのようなハードブックが収まっている。紙とインクの匂いが漂う、ファンタジー映画に出て来そうな図書館。
そんな雰囲気に感動しながら目の前の本を手に取り、開く……。
……あれ? この本、なんか小難しい言い回しで書いてあるけど、結局何が言いたいのか分からない、言うなれば出来損ないの預言書みたいな文章だ。
残念ながら感動したのは本を手に取るまでだった、ほとんどの本が、さして意味を成さないものばかりだった。
一番知りたいのは地理や歴史だが、例えばヴァーリーの街周辺の地図を見ても首をかしげる精度だ、ギルドで売っている地図のほうがまだ詳しい。
内容のクオリティが低いし古い、そもそも識字率の低い異世界では、まだ物語や資料を作る技術が発達していないんだ。
ネクロノミコンやグリモワールみたいな本を期待していたのに、肩透かしをくった気分だ。でも、これは考えようによっては使える、知識無双に繋がるネタだ。
まだ読み物の少ない異世界なら、ラノベでも思い出しながら物語を書けば一躍有名になれるかもしれない。聖書に似た物を作ればもっとすごい事になるかも。
「……めんどくさ」
しかし、ボクはめんどくさがり屋さんだった。
そもそも翻訳能力の弊害でボクはこの世界の文字が書けない。元々そんなに本を読む方じゃないし、ここへ来たのも情報を得るためだ、寄り道する気はない。
とりあえず本の数だけは沢山ある、片っ端から目を通していこう、意外な掘り出し物が見つかるかも知れないし。
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磨かれた石の床に座り込み、幾つかの本を傍らに積み上げ、読み始めた。
実は本を読むための机が無い、図書館を利用している生徒も居ないし、騎士学園の生徒は本を読まないのだろうか? しかし、司書すら居ないのはおかしい。
まぁ、ボクの常識を異世界に当てはめても仕方ない、後でフージ先生に言って椅子だけでも用意してもらおう。とりあえず本を読み進める。
役に立たない本が多いとはいえ、全てではない。今読んでいる物語には勇者や魔王が登場する、異世界の住人がそれらをどう認識しているか知れる有用な資料だ。
文法とかがおかしくて、ちょっと何言ってるのか分からない部分もあるが、要は異世界版のラノベだ、つまんないけど。
さらっと流し読んで、次に手に取ったのは剣術の教本だった。騎士学園のため指南書は比較的充実している、ここの先生が書いた本も在るだろう。
それもボクには必要ない、ボクの戦闘スタイルは目潰しや急所狙いなど、トーマスとギラナに教わった山賊戦法だ、お行儀の良い型は役に立たない。
しかし、こういった指南書からも戦法以外の情報が取得できる、例えば、この本を書いたのはどういう人か、それは達人だったり貴族だったりする。
剣一本でのし上がった貴族などには、門外不出の技もあるようだ、技を受け継ぐ流派が枝分かれし、派閥なんかが出来たりしている。
これを見るだけでもちょっとした貴族名鑑だ、やっぱり、異世界ではただ強いということも重要なんだ。
次は魔法の本か。
騎士学園の中にも魔法学科があると聞いた、人が行使する本格的な魔法はまだ見たことがないので、後で授業を見学にでも行ってみよう。
魔法の詠唱に関わる魔導書、魔道具や魔法陣を用いる方法が書かれた魔術書、初心者用の魔法の手引、どれも魔力の無いボクには縁遠い。
その中で一冊だけ目を引いた魔術書がある、“はじめての子育て”だ。
べつに子供を作ろうというわけじゃなくて、本の内容だ、これは親御さん向けの本で、子供の魔力量を調べる方法が書いてある。
自分の子供にどの程度魔力があるのか、今後の教育のためには正しく知る必要がある、この本を使えば正確な魔力量を測れるらしい。
ひょっとして、この本ならボクの魔力量も測れるのでは? だって計測対象が子供だ、有るのか無いのか分からないほどの魔力でも感知できるに違いない。
えーとなになに、人には必ず魔力が備わっています……か。どうだろう、本当にボクにも魔力があるのだろうか?
まあ良い、調べる方法は本の中に書かれた魔法陣に手を乗せ、“光よ”と唱える。そうするだけで魔法陣が発動し、本自体が光り出すという仕組みだ。
光が強ければ強いほど魔力が多い。薄ぼんやりなら村人レベル、周囲を照らせるほどなら大魔法使いの素質アリだ。さっそくやってみよう。
「光よ」
……まったく反応しない。
ダメだ、何回やってもウンともスンとも言わない。これはあれかな? 使用期限的なものが切れているのだろうか?
うーん、これでは以前“Lv1”と出た検出型のギルドカードより性能が悪いかもしれない、あれは三百万ルニーもする高価なものだったし。
もう一度。
「光よッ!」
すると、僅かに本が光り出した。
「えっ?」
突然なことに目を疑ったが、間違いない。
「本当に光った!」
僅かな光は徐々に明るくなる。
どうしたと言うんだ、まるでエンジンでも掛かったかのように急に調子がいい、しかも想像以上に明るい、まさかボクにこんなに魔力があるなんて。
すでに村人レベルを完全に超えている。魔法が存在する異世界で生活するうちに、ボクの体も魔力に順応してきたというのか? 普通に魔力を検出した。
光はまだ強くなる、どこまで明るくなるのか、どこまでボクは強いのか。
「ま、まぶしい」
本に手を置いているのが怖くなるほどだ、もう薄暗い図書館の中が真昼のように明るい、魔道具の照明器具よりも輝きを放っている。
すごい、ここへ来て魔法の才能が開花した。
「うおおおおっ」
いくらなんでも光りすぎだ、ボクはたまらず魔法陣から手を離し、本を閉じた。しかし光は消えない、広い館内を照らすほどの明かりを維持している。
「ウソ、どうして? ボクの魔力ってこんなにスゴイの?」
まさか、手を離してもまだ魔力を感知しているなんて、これはいよいよボクの魔力はとんでもないぞ!
そう思った時だった。
「うふふ」
本棚の向こうから声がした、見ると棚の隙間から女の人が覗いている。
黒髪ロングのJKだ、彼女は右手に短いワンドを握っていた。ぼんやりと発光するワンドを下げると、本の光も徐々に弱まり、消えた。
「あ……れ、今の光は?」
「ざんねん」
お姉さんはワンドを可愛く振ってみせる。このお姉さんが何らかの方法で本を光らせていたというの? じゃあ、今のはボクの魔力じゃなくて。
「ふえぇ」
うう、やっぱりそうだ、ボクに魔力なんて無いんだ。
「ああ、ごめんなさい、あまりに一生懸命で可愛かったから、つい」
「……いいんです、分かってましたから」
ダンジョン等で役に立つライトの魔法を直接本にかけたという、だから潜在魔力とかは関係なく、すごく明るくなったんだ。
魔力があると思ったのに、とんだぬか喜びだ。思えば初めて人が行使する本格的な魔法を目の当たりにしたけど、残念な気持ちでそれどころじゃない。
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「本当に魔力が無いの?」
「全くと言っていいほど無いです」
「そう、それは悪いことをしたわ」
期待を持たせてしまった事をアゼリアは謝罪した。彼女、アゼリアは魔法学科の生徒で十七歳だという。
背中へ掛かるほどの黒髪は、広がること無く常に静かに纏まっている。色白で清楚な美人さんだ、初めから図書館内に居たらしい、ぜんぜん気が付かなかった。
「ね、あなたがミルク様の従者という子でしょ?」
「え? はい、優乃といいます」
「やっぱり、学園はあなたの話題で持ちきりよ、ユーノちゃん?」
「あ、あの、ちゃんはちょっと……」
「あらごめんなさい、可愛いけど男の子なのね、ユーノ君は」
あまりちゃん付けで呼ばれるのは好きじゃない、ボクは男だし。例外は“おねえちゃん”のレティシアくらいだ。
ボクの事は担任から聞いたという、確かルクスも同じことを言っていた。ボクが体験入学で学園に来ていることは、生徒達に知れ渡っているようだ。
「私は魔法学科だから目指す所は違うけど、他の科はみんな色めき立ってるの」
「え~」
魔法使いには相応の目標の人、憧れの人が居る。しかし、この学園の大多数は騎士志望の剣士だ、みんなミルクを敬っているし、ボクのことを羨んでいる。
「従者はどのクラスに居るんだってね、魔法学科にまで探しに来たくらい」
静かな図書館に引きこもっていたから分からなかった、外ではそんなことになっているのか。
「私が一番に出会えたようね、まさか図書館に居るなんて誰も思わないもの」
一番最初に出会った生徒はルクスだけどね。
どうして図書館に人が居ないのか聞いてみると、図書館は保管庫の意味合いが強く、普段は誰も訪れないらしい。どうりで司書さんも居ないはずだ。
でも大騒ぎの外と違い、静かに読書が出来る。ボクにとっては都合がいい。
「アゼリアさんはどうしてここに?」
「する事が無くて。あ、この学園の魔法学科はあまり授業が多くないの」
騎士系の学科は王国でもトップクラスに優秀で、授業内容も厳しい。しかし、魔法学科は並だ。そのため授業も少なく、特に今日はお休みだという。
ただしアゼリアは良いところのお嬢様だ、この学園は格式が高い、そのため貴族の子も少なくない、実力重視で本気度の高い騎士系学科に比べ、魔法学科は特にその傾向が強い。
そんなアゼリアは、他の生徒とお茶をして休日を過ごしても良いのだが、最近はこの図書館へ通っていた。それでボクと出会ったということだ。
「本ならお屋敷へ戻った方が良いものがあるけど、そう頻繁に戻れるわけでは無いし、仕方ないからここで暇をつぶしていたのよ」
確かに、中途半端な本や子育ての本など、変な本も多い図書館だが、数だけはある。探せば読み物として見れる物もあるし。
「ボクは体験入学が終わるまで、ここへ通うつもりです」
「へえ、どんな本を読んでいたの?」
アゼリアはボクが床に積み上げていた一冊を手に取る。確かその本は、どーでもいい本の一つだ、ちょっと見て積んだやつだ。
「コレを……読んでいたの?」
「え、ええ、はは、つまんないですよね、それ」
しかしアゼリアは、そのどーでもいい本を開いたまま固まっている。
「流石だわ……こんな古代文字を読めるなんて」
「えっ」
それとなく探りを入れると、そのつまらない本は、遺跡で発掘された石版や洞窟の壁に書かれた文字など、古代の象形文字を書き写した物らしい。
あの古代の転移者とは違う、普通に文明が発達していない現地人の言葉だ。どうりで文章がおかしく読みにくいと思った、書いてある内容も変だし。
「英雄の従者か、なるほど、その歳でけっこう勉強しているんだ?」
「ええ、まあ……」
砂漠の地下ダンジョンの時と似たパターンだ、翻訳能力のせいでまたややこしい。今は、勉強して読めるようになった事にしておこう。
「ユーノ君、良かったら何が書いてあるのか教えてくれるかな?」
「この本ですか? あまり大したことは書いてないですよ」
「うん、迷惑でなければ」
アゼリアは自分で勉強しても読めそうにないから、この機に内容を知りたいという。別に拒否する理由もないので読んで聞かせてあげることにした。
アゼリアが今開いている場所からだ、文字の形が特に面白くて興味があるらしい、ここはボクも読んでいない。
「えーと、“あいつ、貸した金返さないつもりか、もう堪忍袋の緒が切れた”」
「うふふ、何それ」
「なんだかすごく個人的な事みたいです」
こんな感じで取り留めのない事が書いてある、アゼリアはそれが面白いらしい、楽しんでくれているのならと、ボクは読み進めた。
しかし、すぐに問題が発生した。
「それで、次は?」
「次は、……うっ」
二ページくらい読んだ所でちょっとアレな場面が出てきた、女の人と一緒に読むにはちょっとアレな感じだ。
「ここはちょっと……」
「どうしたの? 次はここ、早く読んでみて?」
「あの、ここは何ていうか、アレっていうか」
「あー分かった、えっちな事が書いてあるのね? でも大丈夫、これは資料だから、そういった事に気を使う必要は無いのよ」
そうか、そうだよな、これは古代文明の資料で勉強の一環なんだ。原文は隠す気もなくモロに描写してあるが、ちょっとマイルドに読み上げよう。
「じゃあ読みますね、ええと、“あいつ、テメーの女をオレに食われたってのに、全然気づいていない、笑っちまうぜ”」
「えっ」
「“それにしても結構良かったな、まあそうは言っても、一番具合が良いのはオレの娘だけどな、はっはっは”って書いてあります」
「…………」
軽蔑の眼差しがボクの横顔に向けられている、……ような気がする。怖くてアゼリアの方を見れない。
「ほ、ほらここ、書いてあります、ここに」
その部分を指で指し示すが意味は成さない、アゼリアには読めないからだ。でも、ボクが創作で言ったのでは無いということだけは信じて欲しい。
「し、仕方ないわね、資料だから」
「は、はい、資料ですから」
「そういう事もあるわね……」
なんとかセーフだった。アゼリアは恋人同士のイチャラブでも書いてあると思ったのだろう、実際は倫理的にアレな感じだったので、やっぱりこんな空気になってしまった。
――カァァアン……コン、カァァアン……。
あの鐘が響いた、ということはお昼だ、気まずかった所に丁度よい、ナイスだ。
「ユーノ君はお昼どうするの?」
「ボクは一時間ずらします」
「なるほど、お昼休みは生徒だらけだからね」
ではまた午後に会いましょうと、アゼリアは昼食を食べに図書館を出た。ボクは生徒達とかち合わないように、一時間昼休みをずらす予定だ。
それにしても、おしゃべりしていたためか時間が経つのが早かった、アゼリアと居て結構楽しかったみたいだ。
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昼食を終え、再び図書館へ向かおうと廊下を歩いていたら。
「あっ、あれじゃない?」
「そうよ、まだ子供だって言ってた!」
女子生徒に見つかってしまった、なるべく目立たないように警戒していたのに、丁度小休止の時間に当たってしまったようだ。
「きゃーっ、ユーノさまー」
「こっちよみんな、あそこに居るわ!」
あわわ、女子生徒は仲間を呼んだ。
「うそーっ、思ってたよりずっと可愛い!」
「触らせて、私にもご利益ちょーだい」
あっという間に大勢の女の子に囲まれた、こんなに従者の人気はすごいのか。そして、本当は従者じゃないのが後ろめたい。
「うぶぶっ」
もみくちゃにされている間にも、次々と女子生徒は集まってくる。もはや何が何だか分からない、しかし、うまい具合にこの混乱がボクの姿を見失わせた。
なんとか女の子集団から這い出して、廊下の柱の影へと逃れる。
女の子達は未だに「触れた! これで今度の試験は合格よ」などと、何に触ったのか知らないが、居るはずのないボクに夢中だ。
っていうか、ボクは合格祈願の何かにされているようだ。
休み時間が終わるまでここに隠れているしかない、そう柱の影で縮こまっていると、後ろから腕を掴まれた。
振り向くと、今度は数人の男子生徒がそこに居た。
また騒ぎになるのかと身構えたが、男子生徒達は無言でボクを囲み、女子グループにバレないようにボクを連れ出した。
ここは……? 教室にしては薄暗く狭い、様々な道具が並んでいるのを見るに、何かの準備室だろう。
すぐ沢山の男子生徒が準備室に集まってきて、ボクの前に一列に並ぶ。
そして、二人の男子生徒に小脇を抱えられて動けないボクの体を、一人ずつ触ってゆく。触っては、門兵がしていたのと同じ敬礼をして次の人に代わる。
無言。
男子生徒達は黙々とボクを触る、騒がしい女子生徒とは対照的だ。
速やかに目的を達成するために、女子に気づかれないようにしているのだろう、確かに確実で効率は良いが、不気味だ。
ご利益が欲しい場所を触ってゆくようだ、多くは剣の腕が上がるようにと腕を触る、次に人気なのは頭だ。たまにおしりやおにんにんを触ってく人も居るが、その意図は分からない。
集まっていた男子生徒の儀式は終わった、最後にボクの両隣に居た生徒が敬礼をして、静かに準備室から出ていった。
ボクは薄暗い準備室に一人残される。いったい何だったんだ、一つ身震いしてから廊下の様子を探る、誰もいない、どうやら休み時間は終わったようだ。
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「うふふ、そう、それは大変だったわね」
図書館に戻るとアゼリアがすでに居た。
「なんだか変な事になっていて、ますます外へ出られなくなりました」
生徒に見つかる度に捕獲され、体中を弄られるのは勘弁願いたい。
「いっそ皆んなの前に出ていったらどうかしら?」
「わざわざですか?」
「きっと隠れているから妙な噂も立つんだわ、彼等の妄想が膨らんでどんどん神格化しているのよ。もっと触れ合う機会があれば、少なくとも誤解はされなくて済むと思うの」
一理ある、このまま身を潜めて残りの日数をしのぎ切るのも良いけど、それだと授業の見学も出来ないし、せっかくの学園なのに勿体無い。
よし、明日はどこかのクラスを見学させてもらおう。