80 悪魔覚醒
「話だけでは信じないだろう、実際にレティシアの力を体験してもらおうか」
大人の話にすっかり退屈していたレティシアの出番だ。
「腕に覚えのあるヤツ、前に出ろ」
ミルクはそう言って冒険者を見渡すが、ミルクの手前、怖気づいているのか誰も立候補してこない。
なので冒険者達の推薦で一人選ばせた、選ばれた男は特に厳つくて確かに強そうだ、間違いなくここに居る冒険者の中では上位の強さだろう。
ミルクは男に剣を渡して、レティシアをおもいきり袈裟斬りにしろと命令する。
しかし、か弱そうな少女に対してそんなこと出来るはずもない、たとえならず者冒険者といえども、正常な精神では無理だ。
「仕方ないな、レティシア、床を軽く打て」
レティシアは素直に木の床にパンチした、するとキレイに拳の形に床がくり抜ける、木に割れも無く、まるで加工して拳の形に穴を開けたみたいだ。
「どうだ? ただの女の子ではないだろう? さて、本当に剣で傷つけることが出来ないか試してみるが良い。安心しろ、万が一彼女に傷がついても咎めたりしない、逆に褒めてやる」
ここまでされては男も引けない、覚悟を決めて大上段に剣を構えた。
レティシアは構えもせず、ぼーっと突っ立っているだけだ。
「はあ、はあ、はあ、ええい、ままよ! ドラァアアッ!」
気合一閃。渾身の力を込めた斬撃がレティシアの左肩から入り、右の腰辺りへと抜けた。
一瞬、本当に切られたように見えた、しかし、男は不自然なほど抵抗なく剣を振り抜いて、勢い余ってその場で転倒してしまった。
レティシアは突っ立ったままだ。
「なんだ驚かせんなよ、空振りじゃねーか」
後列の遠い所から見ていた冒険者が、男にイチャモンをつける。
「ち、違う! 確かに剣は女の子の位置を通った、まさか、女の子が目に見えないほど素早く動き、攻撃を回避したというのか?」
前列の近い所で見ていた冒険者は、後列のイチャモンにそう答えた。
「いや、それも違うな」
ミルクはそう言って、転んでいる男から取り上げた剣を眺める。
「これは……、いったいどうなっているんだ?」
ミルクにも予想外の結果のようだ、男の剣は鍔元から数センチの所で無くなっていた、そして、なぜか剣先も数センチだけ残って床に落ちていた。
ミルクも、レティシアは避けるか受けるかするものだと考えていたのだろう、もしくは剣の方が跳ね返されるか。
しかし、レティシアに当たったと思われる剣身の箇所が、きれいにどこかに消えていた、折れたとかそういう感じではない。
男も切ったと思っただろう、ただ立っているレティシアを確実に剣が捉えたんだ。でも何の手応えも無く、むしろ剣の重みさえも消えて、振り抜いた勢いが止まらずそのまま転んでしまった。
「おねえちゃん、これどうやったの?」
「えーとね、むん! ってやった」
よく分からないけど、切られる瞬間に気合を込めたということか? これはベヒモス化していた時にトロン砲を無力化した現象と同じだ。
どうやらベヒモスに変身してから、通常時でも気合を入れれば、ほんの少しだけ神力が使えるようになったみたいだ。
「信じられねえ、触れた剣身はカスすら残ってねえ、完全にこの世から消えてる」
「これは魔法なんかじゃない、そんなちゃちなものでは……」
「ほ、本当に神の御業だっ、ヘタに秘密をバラしたら文字通り消されちまうっ」
どうやら冒険者のみなさんも分かってくれたらしい。
「よ、よし」
その中の一人が、剣を握り締めてボクの前に躍り出た。
「じゃあ今度はオレが、こっちの黒髪の少年を……」
ひうっ!?
「その必要はない、私達もヒマではないのでな」
ふー、殺されるかと思った。
冒険者達に秘密を守る事を約束させたミルクは、再びボクとレティシアのランクアップについての手続きに入った。
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「では、お二人ともSS級ということで。とりあえず現地ギルドとして確認の印は押しますが、後は王都での手続きとなるはずです。……カイネル君それで合っているかな? すみませんミルク様、いかせんSS級の手続きなど初めてのことでして」
所長はハンカチで顔を拭いながら、アセアセと対応する。
こんな隔離された街でSS級の昇格を取り扱うなど想定外すぎるのだろう、アーデルアのギルド職員も、裏で色々な資料を漁り始めているようだ。
「待て、私はまだ二人をSS級だと宣言してないぞ」
そう言えばそうだ、SS級と認めると言ったのはカイネルで、実際に昇格させる資格を持つミルクは、まだ認定していない。
「おおそうでした、これはとんだ失礼を。では改めて、えー、ユーノとレティシア、この両名をSS級として推薦するということでよろしいですかな?」
「良くないな」
「へっ?」
「私はこの二人の冒険者ランクついて、干渉するつもりはない」
すると横で見ていたカイネルは「あっ」と声を上げて、オロオロし始めた。
「この二人は私の身内だ、身内を昇格させてはいけない規定はないが、私はあまり関心せんな。よって私が二人を昇格させることはない」
そうかもしれない、身内びいきでランクを与えてはカイネルと同じだ。
ミルクはボクと出会った時にはすでに選定員だった、その気ならいつでもボクのランクを上げる事が出来たはずだ。
でも、そんなズルはしない、ミルクはボクに優しいけど甘やかすことはしない。それがすごく嬉しいし、師弟としての信頼につながっている。
「それに、二人の事は秘密にするという話をしたばかりで、SS級に昇格させるなどおかしな話だ、そんなもの目立って仕方ない」
「え、それではあの、いかように?」
「うむ、カイネルが二人の実力を評価したいと言うのなら、あとは彼に任せる」
カイネルに任せる、つまり上限は国際A級だ。
さっきまでボクもミルクと同じSS級になっちゃうのかな、なんて密かにドキドキしていたけど、そんなトンデモない事にはならないみたいだ。
「しかしミルク様、私の裁量では彼等を計りかねます」
突然指名されてカイネルはうろたえる。
「お二人のすさまじい実力を目の当たりにして、とても私の名義でランクを与えるなど……」
「そうか、では仕方ないな、優乃達には今回のランクアップは諦めてもらおう、元々正規の試験を受けさせる予定だったしな」
あれ、この話はお流れになっちゃうの? SS級は無いにしても、今朝コテージを出てくる時は昇格できると思ってわくわくしていたのに、なんか残念。
ボクはカイネルを見上げながら、事の成り行きを見守る。
「うっ、そんな目を向けられては……。わ、分かりましたミルク様、この不肖カイネル、僅かですがお力添えさせて頂きます」
おや、急にどうしたんだろう? やっぱりランクは上げて貰えるみたいだ。
「それでランクの方は、国際A級でよろしいでしょうか?」
「うむ、A級ならばそう珍しいものではない、子供という点を除けばな。それでも問題はないだろう、改めて実力を精査される事も、このギルドに監査が入ることもない」
これまでに出会った国際A級は、知っている中ではトーマスとロブだけだ。しかし、冒険者ではないけどグジクの一線級の兵士の実力はA級相当だった。もちろん山賊頭領のドロテオや、闘拳チャンピオンのアストラも実力はA級を凌いでいる。
一般人最強と謳われるA級と言えども、そこまで珍しいランクではない、特に人口の多い王都では目立つこともないという。
大貴族などが幼い息子にハクを付けるために、手を回して取得させることもある、つまりお金でランクを買うんだ。A級の子供も居ないわけではない。
国際A級までなら、そういう不正を働いても見逃される部分がある。だからカイネルがこの街でランクを与えまくっていても、王都やギルド協会からお咎めも無く、好き勝手出来ていたんだ。
もちろんそんなケースは極わずかで、本当は正規の難しい試験が必要になる、ボクからしたら国際A級は身に余るランクだ、十分すぎる。
「それならば今日中にでも認定できます。ではカイネル君、いつものように」
「う、うむ」
ギルド所長に“いつものように”と言われたカイネルは、大分バツが悪そうだ。
その様子をずっと横で見ていたロブも、なんだか顔色が悪い。
「オレとこのバケモンのような二人が同じランク? はは、悪夢みたいな冗談だ」
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ギルド所長自ら昇格手続きを行う、ミルクの手前カッコつけたいのだろう、“私が責任を持って”などと、慣れない手つきで認定書の作成に取りかかっている。
まだ相談することはある、あの地下ダンジョンの今後の扱いや、情報を漏らさないための細かな規定などを決める必要がある。
しかし、所長がこんな調子では時間がかかりそうだ。ボク達もそんなに急ぐ必要もないので、一旦コテージに帰ることにした。
帰り道、冒険者ライセンスについて少し考えていた。ランクアップを果たすには試験以外にも様々な条件が必要だ。
あのエメリーだって、冒険者学校へ三年通い、やっと取得したのが国際C級だった。それなのに、こんな簡単にA級を取得しちゃって良いのだろうか。
ダンジョンで活躍したレティシアならまだしも、戦技も魔法も使えないボクなんて、A級に見合うほど強くもないし。
カイネルはボクを高く評価するけど、それはこの世界の人から見てボクがちょっと変わっているから、だからスゴイように誤解して見えるだけで。
「どうした優乃? 本当はSS級が良かったか?」
少し物思いに耽っていたら、ミルクはそんな事を言ってきた。
「SS級など良いことは無いぞ? 無駄に重責を負わされ、国に良いように使われるだけだ、私やセシルのようにな」
「ううん、逆だよミルク、大して強くもないボクがA級でいいのかなって」
「そうだったか、それは大丈夫、戦闘能力だけが全てじゃない、私から見ても優乃はちゃんとA級だよ。まあ優乃の秘密を含めると、やはり“勇者”以上だがな」
ボクは転移者だけど、知略に優れるわけでも技術革新をもたらすわけでもない。ミルクの言葉に実感は沸かないが、でもまあ貰えるものなら貰っておこうか。
優れた知恵や技術はないけど、同時に正義の味方でもないし、崇高な志も持ち合わせていない。この世界での神代優乃は、ただの山賊村の住人だ。
よし儲けた、そうだ儲けたんだボクは、なんだか成り行きで国際A級になってしまった。そう思うことにした。
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さて、コテージへ戻ったならば、もう一度旅の支度のやり直しだ。今日中に準備を整えて、明日の朝再び街を出る予定だ。
ダンジョンで消費した食料や衣類を調達しなくてはならない、ボクは買い出しへ向かうみんなを見送った。
「さてと……」
そうコテージに入ったが、その“さてと”が無かった、ボクだけコテージに残った所でやることが無い。なのでボクは馬の様子を見に厩舎へ向かうことにした。
ボク達が街へ滞在する際は、馬車馬二頭とミルクの騎乗馬一頭は厩舎屋さんへ預けることになっている。
「こんにちはー」
「うん? ああ、トーマスさんトコの子だな?」
「はい、ウチの馬達はどこですか?」
「あそこに見える、二番厩舎に居るよ」
牧場主のおじさんに案内されて二番厩舎へと向かう。
中で休んでいる三頭は調子も良さそうだ、もっとも、ボクのバフを受けているので常にベストコンディションなのだが。
すると、さっきのおじさんが野菜の切れ端が入ったバケツを持ってきた。
「ごはんですか?」
「おやつだ、ここに置いておくから好きにやっていいぞ、手を食われるなよ?」
エサ代も料金に含まれる、だがこのおやつはサービスのようだ、せっかくだから頂くことにした。
「たんとお食べ」
「ぶるる……」
「おいしい?」
翻訳能力があるので、相手が馬でも表層意識は読み取れる。
馬達は“美味しいかもしれない、ひょっとして美味しいのかもしれない”と繰り返し、もくもくと食べていた。
ついでにブラシもかけてゆく、明日からはまた旅に出るのだ、街にいる間に出来ることは今日やっておこう。
「よーしよーし、明日からまた頼むね」
三頭の毛並みをツヤツヤにした所で、時間も良い時間になってきた。みんなも買い物から帰って来る時間だ、ボクはおじさんに挨拶してコテージへ戻った。
「なんだ、どっか行ってたのかユーノ?」
「うん、厩舎へ様子を見にね、馬の準備も万全だよ」
「よし、なら明日の朝から行けるな」
それからボクとレティシア、そしてミルクは、再びギルドへと向かった。そこで冒険者ライセンス国際A級の認定書をもらった。
冒険者証は元のラジオ体操カードのままだ、格子状に書かれた枠に国際A級のハンコが新たに押されただけで、目新しい感じはない。
王都で手続きしていれば、意匠の違う冒険者証を発行して貰えたらしい、かっこいい紋章をあしらった金属製のドッグタグだ。
残念ながらこの街にそんな気の利いたものは無い。王都で申請すれば貰えるみたいだけど、ボクはこのラジオ体操カードでかまわない、悪目立ちしないし。
ボクとレティシアは、用事が済んだので先に帰る。ミルクは例のダンジョンについての話し合いがあるので、ギルドに残った。
ミルクがコテージへ帰ってきたのは数時間後だったが、特に問題はなく、ボクが望んだ通りに事は運んだようだ。これで今回の一件は落着した。
今日はボクとレティシアの昇格祝として、外で少し豪華な食事をしてから、明日の旅に備えて早めに就寝する。
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「ユーノ、ユーノは起きてるか!」
なんだか外が騒がしい、すると、ボクの部屋の扉が勢い良く開けられた。
「ユーノ!」
「うう……ん」
起床するにはちょっと早い、もう少し寝かせてほしい。
「なにトーマス?」
「やってくれたなユーノ」
何をそんなに慌てているのか。
「いったいどうしたの? まさか何か問題でも?」
「問題? ああ、そうだ大問題だ」
実は今朝早く、厩舎のおじさんが血相変えてコテージまで来たらしい、あの三頭の馬に異変が起きたと、それでとにかく来てくれと。
何事だろう? みんなで厩舎へと急ぐ。
厩舎へ飛び込んですぐに分かった、ボク達の馬が……。
二頭の馬車馬、そしてミルクのサラマンディーヌ、三頭とも栗毛だったはずが、濡鴉のような漆黒に変化している。
それだけならまだしも、タテガミがほんのりと青く、炎のようにゆっくりと揺らめいていた。よく見るとシッポの先も同様だ、明らかに普通の馬ではない。
「……ナイトメア」
そこには悪魔の牝馬、ナイトメアが佇んでいた。
ボクはこの馬を知っている、ゲーム内の乗り物として使われていた馬だ、主にカオス陣営の神々に愛されたレア騎乗種、ナイトメアだ。
夢の中をも駆けると言われる悪魔の馬、ゲームでの能力は路面の状態に関係なく、ストレス無く走り続けられるというものだ。
ゲーム内の移動はプレイヤー自身の転移や飛行が早いが、こういった騎乗モンスターも用意されている、主に美麗な神々の大地を堪能するための、いわば遊覧に使う嗜好品だ。
ナイトメアの騎乗性能は大したことないが、個体で色味に多少の差があり、野良ナイトメアを捕まえてはプレイヤー同士で漆黒具合を競ったりと、蒐集家に人気があった。ボクも何頭か所有している。
「こりゃお前の仕業か?」
「別に意図したわけじゃないけど、多分ボクのせいだ」
「やっぱりそうか、馬が入れ替わったと聞いてピンときたぜ、ひょっとしたらレティシアと同じで、姿が変わっちまったんじゃねーのかとな」
なぜ馬が変身してしまったのか、しかも配下じゃなくてただの騎乗モンスターなのに。ボクの周りがどんどんおかしくなってゆく。
しかし、元に戻す方法も分からないので、このまま旅を続けるしかない。
「それで、コイツはどんだけ強いんだ? まさかオレ達より強いのか?」
「うーん、別に戦うわけじゃないからなー」
ナイトメアは敵の攻撃を一定量受けたらどこかへ帰っちゃう。まあ死なないから強度はあると思うけど、攻撃能力は無い。
「ちょっと見てて」
ボクはサラマンディーヌに跨った。
「どうどう、ゆっくりね」
駆け出されたらまだ乗りこなせない、ゆっくりと湖の方へ歩き出す。そしてサラマンディーヌは、そのまま湖面へと足を踏み入れた。
「た、立ってる、水の上に立ってるぞ!?」
「うん、出来る事と言えばこのくらいだよ、溶岩や氷河の上も歩けるよ」
飛べはしないが、どんな場所でも走れるのがナイトメアだ。
「おいミルク、すましてる場合かよ」
「ふむ、優乃のやることに今更驚きはない、見たところ魔法の類でもなさそうだな、まあ我々の常識に当てはめた所で、何も分からん」
見た目はちょっと変わっちゃったけど、旅にはそれほど影響は無いはずだ。
そんな事をミルクとトーマスに説明している横で、レティシアが野菜の切れ端をナイトメアに食べさせていた。
三頭のナイトメアは“美味しいと思う、たぶん美味しい気がする”と繰り返し、もくもくと食べている。
性格も変身前と変わっていないようだ、まあ変身している事に自身が気づいていない可能性も高いけど。
ちょっと見た目が派手になったが、ほんのりと青いタテガミも目立つほど揺らめいてはいない、騒ぎになるような心配はないだろう。
それならば旅の支度を再開しよう、出立の時刻も迫っている。
こうして、小物選定員カイネルの名において、国際A級に昇格したボクは、悪魔の牝馬ナイトメアと共に、次の街“王都”へと出発した。