08 奴隷生活
昨晩は結局呼び出されることはなかった、隣の牢屋に居る犬娘達も同様だ。でも、とにかく情報が少ない、これからどうなるのか不安で仕方ない。
コツ、コツ、コツ。
階段を降りる靴音が地下牢に響き渡る、誰か来た。すぐ上にある看守室から、定期的に衛兵の誰かが見回りに来るのだ。
この時トイレなどを申告すると上の階へ連れて行ってくれる、来る人にもよるが、ある程度会話も交わせる。今回は奴隷商の護衛、ノッポのトーマスが来た。
このトーマスという人は護衛の中で一番不真面目というか、ボクの問いにも答えてくれる。聞くと、ボク達が地下牢に入れられたのは部屋が足りないからだそうだ。
なるほど、罪人でもないのに牢に入れられるのはおかしい。犬娘二人の部屋もまだなくて、そのうえシープ族が二人追加されたため、仮部屋として一時的に牢屋に入れているという。
それならと思って色々提案したけど、「上の部屋とか生意気なんだよ」とムカつく事を言われた、ついでに言えば奴隷の部屋もここと大差ないとも。
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それにしても暇だ、牢屋の中ではやることが無い。
レティシアにこの街、ヴァーリーの事を聞いても分からなかった、自身の村であるリメノ村のこと以外は基本的にあまり知らないようだ。
それに、レティシアはこの館に来てから酷く落ちていて、あれこれ聞き出すのも憚られた。聞けた情報といえば、リメノ村の主な産業は牧羊という事だけだ。
シープ族がシープを飼って暮らしているのかと驚いたが、レティシアに言わせれば、私達以上に羊の事を知る者は居ないということらしい、なるほど。
そう思っていると、また別の看守が地下牢に降りてきた、知らない男だ。
「今から外へ行く、出ろ」
ボク達奴隷は全員外へ連れ出された。外はよく晴れていて、少し肌寒いこの空気に、昼前の強い日差しが心地良い。
昨日とは別の馬車が用意されていた、幌付きの大型馬車だ、中には長椅子が対面に設置してあり、すでに先客が片方の長椅子に座っている。
ボク達もそれぞれ腰掛ける。逃げ出さないようにするためか、後ろの出口を塞ぐように衛兵が二人乗り込む。
奴隷と衛兵が搭乗したことを御者が確認すると、馬車は動き出し、裏門から館を出立した。
幌馬車だけど後方は開けており、外の景色がよく見える。街の様子は異世界よろしく、中世ヨーロッパを基準としたゲーム世界のような街並みだ。
風景は高級住宅街から一般家屋へと変化している、どこまで行くのだろうか? そして、どこへ行くのだろうか?
レティシアも俯いたまま黙っている、対面に座っている人達も同じだ、まるでお葬式の送迎バスの中みたいに沈んでいる。
それに、対面に座っているこの三人、ボクと同じくあの館の奴隷だろう。全員獣人の女の子だ、年齢は高校生か、もう少し上くらい。
一人は犬族で、後の二人はウサギ族だと思う、上に長いウサギ耳が生えてる。全員、焦点の合わない死んだような目をしている。
ひと目で心を閉ざしていることが分かる、ここでの先輩だ、さぞかし酷い目に遭っているのだろう、レティシアの将来も同じだと考えるとやるせない。
でも助けてあげることは出来ない、ボクには転移者にありがちなチート能力が備わっていなかった。
成人男性ほどの力を持ってはいるけど、戦うなんて出来ない、隣りに座る衛兵の一人にすら勝てないと思う。
助けるどころかボクだって奴隷だ、近く黒毛ラム肉になる運命なんだ。
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馬車は街を出て森へ進んだ、川沿いの道をある程度進んだ所で馬車は停車し、全員そこへ降ろされた。
明るく鮮やかな森だ、目の前には大きな川が流れている。水流は緩やかで透明度も高く、これがレジャーなら最高のロケーションなのに。
しかし、当然遊びに来たわけではない。
「これを持って体を洗ってこい」
衛兵に乾燥ヘチマを渡された。基本的に衛兵は口数が少ない、短い言葉で命令するのみだ。きっとボク達のことなんて家畜にしか見えていないんだ。
でも、体を洗えって言われても、こんな野外で裸になるなんて、近くに女の子だって居るのに。
乾燥ヘチマを握りしめ立ち尽くすボクの隣では、レティシアも衛兵に見られているのを気にしてか、服を脱ぐのをためらっていた。
そんな中、先輩奴隷達はさっさと脱いで川へ入ってゆく、なぜか犬娘達も同じく躊躇がない。
馬車の方では、待機している衛兵が不機嫌そうにボクを見ている、早くしろと目で訴えていた。
「ユーノちゃん、急いで洗っちゃおうか」
「う、うん」
あの衛兵達が絡んでくる前に事を済ませたほうがいい、こんな所で痛い目にあったら損だ。
ボク達が服を脱ぎ始めると衛兵もニヤつき始める。レティシアは衛兵の視線を気にしつつも、なるべく全部見られないように、衛兵に背を向けて脱いでいた。
レティシアに続いてボクも川に入る。水面は膝上ほどだ、川底は急に深くなることもなく、水浴びをするには最適の川だった。
目の前で水浴びを始めたレティシアを見て、こんな時だと言うのに、色々と色素の薄い白い肌が綺麗だと思った。
幼いが、その華奢でなめらかな肢体は、キラキラと輝く水面に照らされて、まるで絵画か映画のワンシーンのように美しい。
羊の獣人なら体毛がモコモコと毛深いのかな、とも考えていたけど、全くそんなことはなく、むしろまったく生えていない。
想像と違った箇所は他にもある、まず尻尾が無かった。そういえば耳だって動物の羊のようではないし、瞳も人間のものだ。
くるくる角はあるのに、他は普通の人間と同じ、つまりボクとの差が見つけられない。
ボクの種族は魔神のはずだ、でも、これでは確証が持てない。本当にシープ族と身体的特徴に差異が無いのか、もっと間近で調べてみないと。
そう思って、レティシアの形よく突き出た小さなおしりを、至近距離でよく観察してみる。
「どうしたの?」
「あ」
そんなボクを不審に思ったのか、レティシアが話しかけてきた。
そして、レティシアはそのまま固まった。
「ユーノ……ちゃん?」
レティシアの視線が、ボクの体の一部に留まっている。
「ユーノちゃん、男!?」
そう言えば、ボクが女の子という誤解を解いていなかった。レティシアはバッと、その慎ましやかな胸を両手で隠す。つられてボクも前を隠す。
「黙っててごめんなさい」
バツが悪そうに謝るボクに、レティシアは一瞬驚いた様子だったが、しばらく後に胸を隠している手をゆっくりとほどいた。
「ううん、良いのよ、気にしないで」
怒ってないみたいだ、それどころか「早く洗っちゃいましょう」と、ボクの背中を流してくれた。モザイクが必要なかったので大事に至らなくて助かった。
レティシアに見惚れているのは取り敢えずとして、自分の体もチェックする。この前までガリガリの瀕死状態だったのに、すでに健康な時と変わらないほど回復している。
栄養を取れずに急激に痩せただけだから、乾燥わかめのように戻っただけなのか? 身体強化の賜物なのか? どちらにしてももう心配はないだろう。
体を洗い終わったボクは、レティシアの裸を衛兵に見られないようにと、まだ川の中にいるレティシアの所まで上着を持っていき、着せてあげた。
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体を清めたボク達は再び館に帰ってきた、しかし、新人奴隷の部屋はまだ用意されていない、また薄暗い地下牢に押し込まれた。
外へ出て、新鮮な空気と太陽の下で少し元気を取り戻したレティシアだったが、ジメジメと暗い牢屋に戻って、またふさぎ込んでしまった。
帰った時はもう日が傾いていたので、すぐに夕食が運ばれてくる、パンとホワイトシチューだ。具の少ないシチューは例に漏れず冷めてイマイチだったが、いつものオートミールと比べれば上等だ。
「おねえちゃん、大丈夫? 少しは食べないと」
「うん、ありがとうユーノちゃん」
レティシアは昨日からろくに食べていない。冷たい食事だが、励ましながら食べさせた。
栄養を取らないと人間は弱気になる、ボクはキモ杉の森を絶対死ぬものかという思いで脱出していたはずなのに、何度心折れそうになったか分からない。
ひょっとしたら奴隷にとって元気なのは酷な事なのかもしれない、でも、レティシアが傍らで弱っていくのだけは黙って見過ごせない。
食事を終えたボクとレティシアは、いつものようにベッドへ寝転がる。
「ユーノちゃん、ううん、ユーノくん、男の子なんだよね」
ボクに背を向けたまま、レティシアが静かに語りかけてきた。
「黙っててごめんなさい、おねえちゃん」
ボクは再び謝罪した。レティシアと初めて会った時、ボクを女の子だと勘違いしている事は分かっていた、でも誤解を解いている場合でなかったのも確かだ。
それからはボクも、誤解を解くのをすっかり忘れていて。結局、こんな状況下で不安の一つを無駄に与えてしまったんだ。
「ううん、お姉ちゃんの方こそ、ずっと間違えててごめんね」
「おねえちゃん……」
「ユーノくん、セイクリッドウルフを追い払ってくれた時すごくカッコ良かったもんね、女の子だと思っていたなんて、謝るのはお姉ちゃんの方だよ」
そう言って、壁を向いていたレティシアはゆっくりとボクに向き直る。めっちゃ顔が近い、この牢屋の小さなベッドでは、ほぼ密着状態だ。
ボクの見た目は十歳だけど、元は二十歳の成人男性なんだ、女性が苦手なのは間違いないけど、いたって正常な男子だと思っている。
いくら何でもこの状況はアレだが、えっちな気分にはなっていなかった。それはボクが十歳の精神状態に戻っているからか、それとも、レティシアもまた子どもだから反応しないのか。
いや、小学生にだってえっちな気持ちはある、でも今は、レティシアみたいな子にも母性のようなものを感じている、性欲の優先順位が恐ろしく低い。
おそらく十歳の精神状態に二十歳の理性が加わり、さらに女性恐怖症というトリプルコンボが決まっているのではないかと推測する。
それにしても、もうちょっと顔が近づけば、ちゅーしちゃいそうな距離だ。
この状況にレティシアも気がついたのか、何やらモジモジすると、また壁側を向いてしまった。
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しばらくして、またレティシアがボクに向き直る。今度は何だろうと思っていると、レティシアは思いつめたように話し始めた。
「ユーノくん、お姉ちゃんね、ユーノくんが一緒に居てくれて良かった」
「……うん」
居てくれて良かったとは、ボクが奴隷商人に捕まるのが前提の話だ、普通はそんなこと言ってはいけない、でも、もちろん悪気があって言ったわけじゃない。
こんな特殊な環境下で、少しパニック気味になっているんだと思う、純粋にボクと一緒で助かったという意味だ。
「ユーノくんは、お姉ちゃんのこと好き?」
「えっ?」
不安なのだろう、こんな小さなボクに心の平穏を頼ってしまうほどに。
「お姉ちゃんはユーノくんのこと、好きだよ」
「……うん、ボクもレティシアおねえちゃんが、好き」
女の人は苦手だけど、これはボクの本心だ、レティシアは瀕死のボクを介抱してくれた命の恩人だ、感謝してもしきれない、嫌いなわけがない。
それにしても、まさかボクの口から「お姉ちゃんが好き」なんてセリフが飛び出すなんて、前世界で姉達に虐められていた頃なら想像すら出来なかった。
「お願いがあるの」
ズイとレティシアは体を寄せる、近い、本当にちゅーしちゃいそう。
「お願い?」
「うん、お願いがあるの、聞いてくれる?」
何度も念を押すように確認してくる。何かは分からないけど、命の恩人の頼みなら無下にする理由もない。
「うん、なあに? おねえちゃん」
「あの……ね、あのねユーノくん」
下を向いていたレティシアは、決心したようにボクの目を見つめて。
「わたしのハジメテ、もらって欲しいんだけど、ダメ?」
「ヘィェッ?」
思わず声が上ずってしまった。唐突に何を言い出したんだこの娘は? 十歳の男子に向かってとんでもない事を言い出した。
「わたし、誰かも分からないような変な人は嫌、わたし……」
消え入りそうな声でそれだけ言うと、俯いてまた泣き出した。
そうか、……分からなくもない、あの先輩奴隷の様子を見れば、これからどんなひどい仕打ちが待っているか、火を見るより明らかだ。
レティシアにもその時はじきに来るだろう、せめてその前にと、ささやかな運命への抵抗なんだ。
ボクだって、奴隷商人に変態発注するような奴にレティシアを好き勝手させたくない。でも今のボクは子どもで、しかも元の世界でもそんな経験は無い。
主に女性恐怖症に片足突っ込んでいたのが原因だけど、女性恐怖症は今だって引きずっている。なかなかにハードルの高い注文だ。
「ごめんね、変なこと言ったね、なんでもないよ」
分かんなくてもいいよと、レティシアはまた壁の方を向いてしまった。泣いたためか、少し冷静になって落ち着いたようだ。
ボクは、レティシアが不憫でもあり、自分が不甲斐なくもあり、また、まだ見ぬ館の主人への怒りもあり、多分、複雑な表情をしていたと思う。
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気温が下がってきた、地下牢から外の様子は分からないけど、完全に夜になったのだろう。
夜が更けるほどにレティシアの不安は大きくなっている、その震える小さな肩を、ボクは抱きしめていた。
コツ……コツ……。
誰かが階段を下ってくる足音がする、こんな夜更けに。
ボクとレティシアは、何も起きなかった昨日と同じように今日も何もないはずだと、祈るように小さくつぶややく。
牢の前に現れたのは、昼間水浴びに付いてきた衛兵のうちの一人だった。
「出ろ」
そう言って、牢屋の中に入ってきてレティシアの腕をつかんだ。一気に緊張が高まる。
「来い」
男は、モノに対して使う言葉など持ち合わせていないとでも言いたげに、短い命令を端的に吐くと、レティシアを無理矢理牢屋から連れ出そうとした。
「い、嫌……イヤーーーッ」
レティシアは大きな金切り声を上げ、抵抗の意思を示した。だが、男は何も動じる事もなく、力強く引っ張り出そうとする。
レティシアは連れ出されないように鉄格子にしがみつく、大して力なんて入らないように見える細い指先が、血がにじむほどに鉄格子を握り込む。
そんな必死の抵抗もむなしく、レティシアの指は一本一本離れて、ついには体ごと引っ剥がされ、牢屋の外へと引きずられてゆく。
隣の牢屋からは犬娘達の泣く声も聞こえてくる。ボク達の様子に、恐ろしさのあまり犬娘の二人もパニックになっているんだ。
「や、やめてあげてよ、嫌がってるじゃないか」
ボクは蚊の鳴くような声で衛兵に抗議した、でも男はまったく意に介さない。
「イヤだーー! やめて、やめてください! 行きたくないよーっ!」
レテイシアは新たな鉄格子を掴んで、必死に行くまいと泣き叫んでいる。
ボクは、こんな理不尽な現場を目の当たりにして、とてもじゃないが冷静ではいられなかった。
「待て!」
レティシアを引っ張っている衛兵の腕を強く掴む。
「なにっ!?」
予想外の力で握られたことに驚いたのか、男は顔をしかめる。
「ボクが行く」
「なんだと?」
「今日はボクが行くので、彼女を放してやって下さい」
こんな事、無駄だろうか、レティシアが今日を無事に終えても、明日は逃れられない。でも、それでもボクは……。
「良いだろう、言われているのはシープ族ということだけだ、お前でも構わん」
男はレティシアの腕を放し、付いて来いとボクにアゴで合図する。……後悔なんてしていない、一歩一歩、しっかりとした足取りで後を付いて行く。
「イヤだよユーノちゃん! ダメだよユーノちゃん!」
後ろを振り返ると、足をガクガク震わせて、鉄格子に掴まり立っているのがやっとなレティシアが、ボクを引き止める。
ユーノ“ちゃん”になっていますよ……。
そして、レティシアは再び泣き叫ぶ。
このままでは、ボクを身代わりにした罪悪感でレティシアの心が潰れてしまうかも知れない、先輩奴隷と同じように、死んだ目になってしまうかも知れない。
「大丈夫だよレティシアおねえちゃん、ボク男の子だよ」
「でも、でも」
「変なことにはならないよ、もし殴られたって、そんなの平気さ」
口先だけでも、少しでも安心できるならと、そんな強がりを言って見せて、ボクは地下牢を後にした。