60 父と娘01
ニーナのお父さんが来るまでの僅かな時間に、ニーナは売られていった。買ったのは多分さっきの大男だと思う。
どうしてもう少し待ってあげないのか、血も涙も無い。十日間まったく売れなかったのに、よりによってこんなタイミングで。
ニーナは指名されて買われた。今回はレティシアの時みたいに、身代わりになってあげることも出来ない。
あまりにあっけなく、抵抗することさえ無く連れて行かれてしまって、ボクは、何か出来ることは無かったのかと、檻の中で一人ふさぎ込んでいた。
しばらくして、外から轟くような蹄の音が聞こえてきた。ニーナのお父さん、ケイダンが到着したようだ。今度はかなりの人数を引き連れている。
「お客さんが来たぞ、立て」
女支配人はまったく動じることなく、いつも通り指示を出す。
お客さんと言ってもケイダンじゃないか、この期に及んで何を言っているのか、異常なほど徹底したその態度に恐怖すら覚える。
「またコレを着ろというのか? もう必要無いだろう、なにっ? ええい仕方ない、面倒だが今は少しでも時間が惜しい」
外からケイダンの声がする、また黒装束の誰かと揉めている。
「お前達はここで待機していろ、すぐに動けるようにしておけ」
その言葉が終わらないうちに暗幕はまくられ、ズカズカとケイダンが倉庫の中に入って来たかと思うと、迷い無くボクの檻の前まで来た。
「よし帰るぞニーナ! うん? ニーナ?」
しかし、もうニーナは居ない。
「おい店主、ニーナはどこだ? 別の部屋に居るのか?」
当然そう思うだろう、ケイダンが迎えに来ることは分かっているんだ、檻から出されて、別室で帰る支度をしていると考えるのが普通だ。
「何の事でしょう?」
「何を言っている、娘のニーナだ、この檻にシープ族と一緒に入っていたろう」
どういうつもりなのか、この女支配人はとにかくケイダンを煽る。一悶着あった方がボクにとって都合が良いが、こっちが不安になるほど異様な光景だ。
「ああ、十四番の商品ですか、それなら今しがた売れました」
「は? 何を言っているのだお前は、は?」
ケイダンはまったく状況を理解できていない、その表情は、引きつりながらも笑いすら浮かべている。
「売れた、だと?」
「はい、売れました」
「もう居ない?」
「ええ、先程売れましたので」
ケイダンは崩れ落ちそうになるも、檻にしがみついて額を抑えている。あまりの非常識さに言葉を失っているようだ。
「……バカな、店主、どういうことだ?」
「何か問題でもありましたか?」
「正気かキサマ? 私が買い戻すという話だったではないか!」
「そのような契約は交わされて無かったと記憶しております」
確かに口約束ではあるが、誰だってお父さんが戻るのを待つだろう、普通。
「何を言っている、バカを言うな! くっ、まだそれほど時間は経っていないハズだ、追えばまだ間に合うかもしれん。誰が買った? 今すぐ購入者を連れてきてくれ、そいつの三倍の金を出す!」
「それは出来かねます」
「何故だ!? 十倍でも二十倍でも良い、金なら幾らでもやるから急いでくれ!」
「ですから無理なのです、当方にも規則がございますので」
「規則……だと? ふざけるなよ不法業者が! 規則なんてどうでもいいだろ! 今すぐ買ったヤツを連れて来いと言っているんだ!」
ついにケイダンは女支配人に掴みかかった。しかし、簡単に弾き返され、ボクの檻にぶち当たる。
ケイダンもなかなか立派な体格をしているが、燕尾服を着たスマートな女支配人にまったく歯が立たない。
「ぐおぉ、何者だコイツ」
檻の鉄格子に叩きつけられ、呻いているケイダンと目が合った。
「何だ小僧、面白いか? 見世物ではないぞ!」
ガチャンガチャンと檻を揺する、八つ当たりだ、目が血走っていてとても怖い。
「お止め下さい、あんなに隅っこで怯えているではありませんか、商品のコンディションに影響します」
そう言う女支配人にも、さんざん殺すと脅されましたけど?
「ええい、獣人などどうでも良い! 無認可奴隷商の店主よ、覚悟は出来ているのだろうな? こんなマネをしてただでは済まさんぞ!」
そして、怒りに打ち震えながら立ち上がったケイダンは、入口に向け叫んだ。
「来い! 直ちに突入を開始せよ!」
ついに戦闘が始まる!? そう身構えたが、一向に兵士は突入してこない。それに妙に外が静かだ。
「急げ、聞こえぬのか!」
ケイダンが再度呼びかけても反応は無い。すると、部隊の代わりに、一人の騎士が黒装束に連れられて入って来た。
「ケイダン様……」
「これは、どうした?」
「近衛隊兵以下三十名、全員この者共に捕らえられました」
「なんだと!?」
近衛隊と言うからには選り抜きの騎士だろう、それが三十人も、音もなく捕らわれたというのか? こんな短時間で。
ここの奴隷商はどの程度の規模なのか分からない、でも、常軌を逸した戦力を有しているようだ。だから女支配人は余裕な態度でいられたのか。
これではボクがトイレへ行った時に、スキを見て逃げ出す事も不可能だったろう。レティシア達でも、ボクを助け出すのは一筋縄ではいかないかもしれない。
「お店の中ではお静かにお願いしますよ? フフフ」
「バカ……な」
圧倒的な戦力差、今のケイダンには、もうどうすることも出来ない。
「何故だ、何故こんな事をする、父親が娘を迎えに来ているのだぞ、ただそれだけではないか、何故邪魔をする」
「さあ? 奴隷に娘も何も無いのでは?」
「どういう事だ?」
「奴隷はただの商品、そこに娘とか父親だとか、そういった細事は必要ないと思いますが」
あくまでケイダンを冷たく突き放す。もうここまで来ると、女支配人は領主であるケイダンと何か因縁があるのだろう。
これまでのお客さんには、紳士的な態度を貫いて来た女支配人だが、ケイダンに対してだけ、あまりに対応がおかしい。
「確かに商品かも知れんが血の通った人間だ、泣きもすれば笑いもする。こんな仕打ちをして、娘が悲しまないとでも思っているのか」
「あら? これは異な事を。そう教えてくださったのは、あなた様が会長を務めるマーリ奴隷商協会ですよ」
「何?」
やはり、女支配人の目的はケイダンのようだ。
「丁度今と同じ状況でした、私の娘もマーリ奴隷商協会にそうして売られたのです。その時に言われました、奴隷はただの商品、それ以上でも以下でも無いと」
そう言えばこの女支配人は犬族だ、獣人は奴隷商人に捕らえられ不当に売買される事も珍しくない、ボクも身をもって経験している。
この女支配人も、自分の娘を奴隷商人に攫われたのか。そして、攫ったのはケイダンの一派だった。
それにしても、仕返しのためとはいえ、自らもその奴隷商に身を落とすなんて、それはどれだけの恨みか、ボクには想像もできない。
「復讐という訳か、確かにそのような商人が私の奴隷商協会に居たのかもしれない、だが私とは直接関係ない、頼むから娘を返してくれ」
「関係ない? その時の支配人はあなたでした、商人の後ろでほくそ笑んでいたあの目は、一生忘れる事はありません」
「ち、違う、そんな事、私はしていない!」
「やはり覚えていないのですね? あなたにとっては、数ある日常の一つにすぎないのでしょう」
「バカな、そんな事は断じて……」
奴隷商人なんて碌なものではない、ケイダンもどれだけの恨みを買っているのか、想像に容易い。
「ふーッ」
大きく息をついた女支配人の雰囲気が変わる。
「目の前の我が子に手が届かない悔しさ、無念さ、思い知ったか? 私は命までは取らないぞ、お前がやったようにただ商売をしただけだ、分かったなら帰れ」
普通の母親が奴隷商の女支配人にまでなり、ここまでたどり着くのにどれだけ苦労しただろう。そして、ついにケイダンの喉元に復讐のナイフを突きつけたのだ。
ケイダンは青白い顔で目を泳がせている、この元母親の恨みがあまりに大きく、どう交渉しても無駄だと絶望しているのかもしれない。
「待ってくれ! す、すまなかっ」
「くだらない、そんな事に意味があると思っているのか?」
今更謝った所でどうしようもない、いや、謝らせてもくれない。女支配人の娘はもう居ないのだ。
ケイダンの足元はおぼつかず、檻の鉄格子に掴まらないと、立っている事もままならない。
「待て、頼む謝らせてくれ、お前も親なら分かるだろう、こんな事」
「何度も言わせるな、帰れ」
「待ってくれ! ……ニーナはたった一人の娘なんだ、たった一人の私の家族なんだ、頼む、どうか」
「くどいな、だからだろうが」
必死に訴えても女支配人には届かない、涼しい顔をしている。
「ニーナは私の、たった一人の、何故こんなことに……。グッ!? ぐあぁっ」
突然ケイダンは胸を抑えて苦しみ始めた。あまりにショックな出来事に、心臓に負担がかかったのだろうか? その場に崩れ落ちる。
「ケイダン様!」
荒い息を吐き、脂汗を額に浮かべるケイダンを、お付の騎士が抱える。
「ケイダン様、ここは一旦引きましょう」
「グッ、……はあはあ」
「フフフ、お体は大切に。こんな所で死んでもらっては楽しみが無くなる」
騎士に肩を貸してもらい起き上がったケイダンは、顔色が悪く、虚ろな目で女支配人を見据える。
「覚えて、いろ、必ず戻って、……くぅぅっ」
「ケイダン様!」
「ええお好きにどうぞ、軍隊でも何でも、お待ちしておりますよ。最も、その際には娘の居場所は分からなくなりますが」
動けなくなったケイダンは、騎士に連れられて口惜しそうに帰って行った。
しばらくそれを見送っていた女支配人は、無表情の顔をボクへ向けたが、一瞥しただけでまた通路の奥へ引っ込んだ。
・
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なんてことだ、すごい場面に遭遇してしまった。今思えば、ニーナを拐うところから全て女支配人の計画通りだったのだろう。
ニーナが売れたのもタイミングが良すぎる。多分、あの大男はここの奴隷商と繋がっていたのだ。懇意にしている客か、もしくは奴隷商の仲間か。
十日間ニーナが売れなかった、いや、売らずにケイダンがここを突き止めるのを待っていたのも、全て計画の内だろう。
この倉庫はレティシア達にも見つからないほどの場所だ、ケイダン側に位置情報をリークしたのも奴隷商自身かもしれない。
これから、ケイダンをもっと追い込むのか、それとも、娘のニーナに酷いことをして見せしめるのか。
それは分からない、しかし、これで女支配人の復讐は成った。
でもひどい話だ、ニーナはどうなるんだ、大人達の勝手な都合で復讐の道具にされて、今頃ニーナは、怖い思いをして一人で泣いているかもしれない。
そして、ボク自身もどうなるのか分からない。ボクなんて初めからニーナのオマケで拐われたにすぎない、むしろ邪魔者だ、でも安々と解放される気配も無い。
売れていったニーナが酷いことをされていないか、それを思うと胸が苦しい。なんとかここを脱して、助けに行けないだろうか。
そんなことをぐるぐると考えながら、一人になった檻の中で、膝を抱えて夜は更けていった。
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ニーナが売れてから三日が経過した。
ニーナの事が心配で仕方ない、あの大男が相手では命も危ないかもしれない、しかしやはり、無力なボクにはどうすることも出来なかった。
ボクはいつも通りごはんを食べて、手枷付きで排泄させられるだけの生活を送っている。女支配人や黒装束にニーナの事を聞いても、無言が返ってくるだけだ。
しかし、変化はあった、お客さんが来なくなったのだ。女支配人もケイダン側と交渉するのに忙しく、商売をしている場合ではないのだろう。
大体、このままこの場所で、のうのうと商売を続けるワケにもいくまい。
これから先、ケイダンの軍隊が押し寄せてくるのか、女支配人側が街を離れるのか、どちらにしてもボクはじっとしている事しか出来ない。
それにしてもお腹がへった。時計も無いし時間も教えてくれないので、気温や食事の出て来る間隔と内容で時間を測っている、今は朝食の時間のはずだ。
でも、一向に食事が出てくる気配が無い。そういえば今朝から女支配人の姿も見なくなった、試しに大きな声で呼んでも現れない。
ひょっとして奴隷商人達は、この街から出て行く事を選択したのだろうか? そして、ボクは置いて行かれた?
こんな檻の中、暗闇に一人取り残されてどうしろと言うんだ。
「おーい、誰か居ませんかー? 誰かーたすけてー!」
叫んでも誰も来ない、やっぱり奴隷商は全員居なくなっている。ボクは助けを呼び続けた。やがて叫び疲れて喉もカラカラになり、声も枯れてしまった。
水を飲みたいが檻から出られない。十三日間誰も助けに来なかった倉庫だ、救助を待っていても望みは薄い、でも、助けを叫ぶのにも限界がある。
もがいていると、倉庫の天幕が大きく開かれ、外の光が中を照らした。
奇跡だ、誰かが来た。枯れた声は最早「かはーかはー」としか出なかったが、鉄格子を揺らし、めいっぱい音を出しながら、一生懸命叫び続けた。
それに気づいたのか、その人物はボクの檻まで来ると、壁にかかっている鍵を手に取り、檻の鉄格子扉を開けてくれた。
「あう……あう……」
そして、声の出ないボクに水筒を渡してくれた。清涼な水を喉に流し込む。
「ゴクッゴクッ……、はあ、はあ、あり、がとう、ミルク」
助けてくれたのはミルクだった。
「どう、して、ここに?」
「うむ、この街に用事があってな。むしろ優乃がこの街に居ることに驚いている」
そうか、本来ならボク達はサンドウエストから東ルートへ進行していた。このグジクにボクが居ることは、ミルクから見ても不思議なんだ。
「ミルク、気を付けて、ここは、奴隷商人の倉庫なの」
「分かっている。どうやら誰も居ないようだ、私が来る前に逃げたようだな」
奴隷商人達は、それで一人も居なくなったのか……。ミルクが来るという情報を事前に掴んで、全員急いで逃げたのだろう。
「大丈夫か優乃?」
「うん、もう大丈夫、ちょっと喉がイガイガするけど」
大きな声を出しすぎて声は変だし、まだ頭がフラフラするけど、問題はない。
「ミルク、助けに来てくれてありがとう」
「ああ、さあ、ここから出よう」
実に十三日ぶりの太陽だ、まるで光合成でも始めたかのように、ボクの体も活性化されてゆく。
「トーマスやレティシアおねえちゃんは?」
「会ったぞ、特にレティシアは心配していたな」
もう二人にも会っていたのか、それでボクの行方不明を知って、一緒に手分けして探してくれていたのか。
それにしても、久しぶりに会えたのに、ミルクの表情はあまり冴えない。
「ねえミルク、実はこの街で問題が起きちゃったんだ」
ここまで一緒に来たニーナの事だ、不正に奴隷にされて売られてしまった。
売られてから三日も経っては、無事で居ることはもう絶望的だが、せめて助け出してあげたい。そして、お父さんのケイダンの元へ帰してあげたい。
お父さんのケイダンは奴隷商協会の会長だったけど、ニーナを愛しているのは確かだ。ニーナもお父さんのことが大好きだし、あの親子は一緒に居るべきなんだ。
「ここの領主絡みの事だな?」
「そう! 知っているの?」
「ああ、私もその領主に用事があってこの街に来た」
ミルクがこの街に来たのは、領主のケイダンに会うためらしい。王都での仕事は済ませて来たのだろうか?
「ねえ、ミルクがこの街に来た理由って……」
「うむ、実はこれから領主の館まで行くつもりだ」
「今から?」
「そうだ、それで優乃にも一緒に来て欲しい」
ボクが? なぜ一緒にケイダンの所まで? 突然なことで困惑する。
ミルクは知らないと思うが、ボクとケイダンは面識がある。獣人のボクは嫌われているし、一緒に居て邪魔にならないだろうか。
「すまないな、私もあまり気は進まないのだが」
「う、うん」
「では、私から離れるなよ優乃、今からケイダンの首を取りに行く」