06 さらわれ(2回目)
「奴隷編」
そろそろ、けしからん事案も増えてきます。
この数日間で幾度気を失ったのか。それにしても今回はスッと気分よく気絶できた。
……もう投げやりだ、精神的にも肉体的にもまな板の上だった。
力なく辺りを見回す、どうやらボクは捕まったらしい、ここは檻の中だ。
檻は馬車に架装されたもので、四畳半を少し長くした広さはある。檻の中にはボク以外にも三人の女の子が捕らえられていた。
全員中学生くらいだろう、そして三人とも獣人だ。
ボクにも角があるのでそれほど驚きはしなかったけど、やっぱり異世界には獣人も居るんだ、そんなことをぼーっとした頭で思った。
三人のうち二人は犬の獣人みたいだ、それぞれ柴犬のような三角耳とテリア的な垂れ耳をしていて、フサフサした尻尾がある。
犬の獣人の二人は檻の隅で一緒に固まって、ボクをチラチラ見ている。
残る一人は羊の獣人だと思う、ボクと似たくるくる角がある。ゆるふわな乳白色ブロンドで、明るいブラウンの大きな瞳が愛くるしい子だ。
羊娘はボクのことをオロオロした様子で見ている。
次に檻の外を確かめるため、ボクは頑張って衰弱した体を起こす。
四肢のガッシリした馬車馬が二頭見え、その向こうで二人の男が話をしている。一人は小太りの中年男、あと一人はさっきボクに変な煙を吸わせた人だ。
その二人と距離を置いてもう二人居た、ひょろっと背の高いノッポの男と背の低い男。共に揃いのチェインメイルを着て、まるで中世の戦士だ。
他に人影は無い。この馬車に居るのは檻に入れられているボクたち子共が四人、そして馬車の外に男が四人。全部で八人だ。
周囲の状況を確認していると、小太りの中年男に見つかった。
「おいオズマ、起きたようだぞ」
ボクに煙を吸わせた男はオズマというらしい、呼ばれたオズマは「おう」と返事をして、こっちに近づいて来る。
「おいガキ、他の奴らはどうした?」
鉄格子越しだったが、まるで物を見るような目と、さっき出会った時とは全く違う声色に、ボクはびっくりして慄いていた。
「他にも居るはずだ、隠すとためにならんぞ」
何のことか分からない、全く身に覚えのないことで脅迫された。ボクはふるふると元気なく首を横に振る。
「オズマ、本当に居るのか? もう結構探したぞ」
「ドーガさん、こいつらは集団で行動するんだ、まだ近くに居るはずだ、現に一匹出てきたろ?」
「ふーむ、でも納品まで時間もない、明日の夕刻には商品を届けないとならん」
「……仕方ない、大人を呼ばれても面倒だ、欲張っても良いことにはならんか」
ドーガという小太りの中年男に促され、オズマは何かを諦めたようで、後ろにいるチェインメイルの男達に荷物を纏めるように指示を出した。
オズマはチェインメイル二人の上司のようだ、出発の準備をするのか、みんなせわしなく動き始めた。
会話に耳を傾けていると、この人達が何者で、ここで何をしていたのか分かった。薄々勘付いていたが、やっぱりこの人達は奴隷商人らしい。
ドーガという男が奴隷商人で、オズマとそれに付き従う二人は奴隷商ドーガの顧客から派遣された護衛のようだ。
ドーガが顧客の希望に沿う犬族の奴隷を二人手に入れたので、それを迎えに行くためオズマ達が護衛としてヴァーリーという街から来たらしい。
その道中、高額で売れるシープ族の女の子が一人でうろついていたので、これ幸いと拐ったと言う。
羊娘のことだ、男達は「ツイてた」「臨時給与が出る」などと口走っている。
シープ族は集団で行動するため、羊娘を発見してから他にも拐えるシープ族が居ないかと探索していたらしい。
そこへ、くるくる角というシープ族と同じ特徴を持つボクがのこのこやって来た。そういうことだった。
……勘違いだ、ボクはシープ族じゃないぞ。
種族が魔神であるはずのボクは、その誤解に異議を唱えたかったが、あいも変わらず体は衰弱しているので、冷たい床に投げ出されたままぐったりしていた。
そうこうしているうちに出発の準備が整ったようだ、最後にドーガが檻を隠すための厚布を引く。
すると、ふとボクに目を留めた。しばらくの後、突然オズマに呼びかける。
「オズマちょっと来てくれ、このガキ大丈夫なのか?」
「おん? どうしたよドーガさん」
「いやな、あまり活きが良くないんだ、途中でダメになるかもしれない」
ドーガに呼ばれて現れたオズマは、檻の扉を開けて中に入って来た、そして寝ているボクの横に膝を立てて座り込むと、ボクの顔を覗き込む。
「ふーむ」
額の熱を測ったり体を揺すったりした後、オズマは「大丈夫だ」と、おもむろに懐から金属製の小さな水筒を取り出し、フタを開ける。
次にはボクの後頭部を抱え上げ、水筒を口にあてがい無理やりに中の液体を飲ませ始めた。
喉が焼けるような液体が勢い良く流れ込んで来る、お酒だ。しかし、動かない体では抵抗することもできず、強制的に飲まされ続けた。
ダランと四肢を投げ出してゴボゴボと酒を飲み込むボクを、オズマは薄笑いを浮かべて見下ろしている。
半分ほど飲ませ終わるとスキットルを懐に仕舞い込み、再びボクを乱暴に床に投げた。
「おい、せっかく拾ったんだ、大事に扱ってくれよ」
「大丈夫だ、調子悪い時はコレに限るって、なぁ?」
そう言ってボクの髪の毛を鷲掴んで揺さぶる。
「心配しなくても後ろから様子を見ながら行く、黒毛は希少だからな」
オズマはドーガにそう言うと、檻から出ていった。
黒毛和牛的なブランドが付いても嬉しくない。そう思いながらも、さっき飲まされたお酒に少々驚いていた、この異世界にもちゃんとしたお酒があるんだ。
お酒なんてあまり飲んだことないし得意じゃない、でも六日間なにも口にしていないボクは、何でも良いから栄養を取りたい。
本当はもっと飲みたかったけど、子どもの体にはキツイかもしれない、そう思っていたら案の定、即効でお酒が回ってきた。
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・
あの後すぐに出発して、今は馬車に揺られながらヴァーリーという街に向かっている、御者はドーガだ。
馬車の左右をオズマの部下達が固めているみたいだけど、檻には布が被され、その様子を確認することは出来ない。
それでも後方だけ厚布が開けていて、殿を務めるオズマがボクの様子を見ながら付いてきているのは分かった。
ボクはさっき飲まされたお酒により完全にグロッキー状態だ、荷台に倒れたまま馬車に揺られている。
馬車の乗り心地は最悪を通り越して凶悪だ、特にこの馬車は荷運び専用と思われる簡易な作りで、木製の車輪にサスペンションも無い。
荷台がガタッと石に跳ねるとボクの体は少し浮いて、そのまま硬い床に叩きつけられる。まるで糸の切れたマリオネットの如く気持ち悪い挙動で手足が暴れる、このままでは体がバラバラになってしまう。
だけど疲労と酔いで目がまわり、上か下かも分からず体も言うことを聞かない、為す術がなかった。
オズマ……あの人、ボクが息だけしていれば良いと言うのか、助ける気配など全く無い。
「……ねぇ」
頭上からボクを呼ぶ声がする。
「ねぇ、あなた大丈夫? 立てる?」
「……」
「ほら、これに捕まって」
暴れる床に寝たままのボクを助けてくれたのは、羊娘だった。
肩を貸してもらいながら言われた通り鉄格子に捕まる。でも脚の感覚が鈍くて力が入らない、ボクは崩れ落ちてしまった。
「あぶない!」
「……」
「ううっ、ヒドイ、なぜこんなことを」
今度は完全に抱きかかえられながら立たせてもらう。鉄格子に腕を通しなんとか立てた。
「あなた何であんな所に居たの? 村から大分離れているでしょう?」
「……」
「他の子は? お父さんとお母さんと一緒に来たの?」
なにやら説教が始まった、そんな貴方は何で捕まっているのでしょうか? と聞き返したかったが、その考えを察したかのように羊娘は喋り出した。
「わたしレティシア、薬草を取りにあの森に近づいたの」
あの森? キモ杉の森のことだろうか?
「怪我をしたお母さんに取ってきてあげようと思って、でも一人で村から出るなんてしなければ良かった、なんてバカなことしちゃったんだろう」
レティシアと名乗った少女は反省している。奴隷商の話ではシープ族は集団で行動するものらしいから、単独行動したことを後悔しているんだ。
それにしても、このレティシアもボクのことをシープ族だと思っている。人間のオズマに誤解された時と違い、シープ族の当人に誤解されたのは軽くショックだ、どこから見てもボクはシープ族らしい。
「あなたのお名前は?」
「優乃」
「ユーノちゃん?」
コクンと頷く、そして聞いてみる。
「あの、レティシアはどこから来たの?」
「ほら、レティシアお姉ちゃんでしょ?」
レティシアは、おねえちゃんらしい。
「……レティシアおねえちゃん」
「ん、お姉ちゃんはね、リメノ村よ、ユーノちゃんは違うの?」
どこから来たか聞かれても困ってしまう、何も答えられなかった。
しかしなるほど、あの捕まった場所からそう離れていない距離に、リメノ村というシープ族の村があるのか。
それにしても、レティシアはボクのことを女の子だと誤解しているみたいだ、だけど今は衰弱していて誤解を解く元気も出ない。
そのレティシアは、じっとボクの黒髪を見ている。そういえば、さっきオズマも黒毛のシープ族は珍しいと言っていた。
「レティシアおねえちゃん、黒い髪の毛って変かな?」
「うっ、ううん、ぜんぜん変じゃないよ、うちの近所にも少しだけど居るから、大丈夫だよ」
やっぱり珍しいのか。まぁ魔神だし、純粋なシープ族とは違うと思うけど。
「脚、まだダメ?」
「うん……」
「もっとお姉ちゃんに寄りかかっていいよ」
「ありがとう、おねえちゃん」
「うん……うん……、大丈夫だからね、お姉ちゃんが一緒に居るからね」
そう言うとレティシアはボクをギュッと抱きしめ、涙を浮かべた。その涙を見て気が付いた、今ボク達は奴隷として連行されているのだと。
今まで一瞬を生きるので精一杯だったけど、こうして誰かに支えられると色々と考える余裕が出てくる。
このまま奴隷商に連れ去られるとして、この娘達はどうなってしまうのか。
良い雇い主に引き取られ、家事を手伝えば食事も勉学さえも与えてもらえる“当たり”を引けば良いけど、お約束なら大抵は悪いことにしかならない。
そもそも依頼主は犬族の少女を二人も所望だ、完全に変態だと思う。ボクなんて男だし、炭鉱とかで死ぬまで使い潰されるのか、もしくは黒毛シープブランドとしてラム肉になってしまうのか。
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馬車は何度目かの休憩場所へ停車する、辺りはもう薄暗い。
「今日はここで一泊する、表へ出ろ」
ドーガが檻を覗き込みそう告げる。衰弱して動けないボクもレティシアに肩を貸してもらいながら外へ出た。
休憩場所には清涼な湧き水もあり、ちょっとしたキャンプ施設みたいだ、ドーガはその水を使い、夕食の準備に取り掛かる。
レティシア達もオズマと共に焚き火の薪を集めている。ボクは体が動かないので焚き火の近くに横になり、みんなが働くのをただ見ていた。
元世界でニート同然だった生活がザッピングして、いささか居心地が悪い。
女の子達は拘束されてはいない、このスキに皆んな逃げれば良いのにとも思ったが、そう上手くはいかない。
ここへ来るまでの小休止で、「逃げても無駄だぞ、逃げたらロープで縛る、手間を掛けさせるな」と、オズマに釘を差されていた。
実際、少女の脚で逃げ切るのは無理だろう、たとえ逃げても周りは森だ、ボクと同じように遭難するのがオチだ。
熾火も増えた焚き火を囲みオズマ達は談笑している、「あの時のアイツが面白かった」とか「あの料理が美味かった」など、他愛もない内容だ。
ボクたち奴隷は、一歩引いた所に敷かれた茣蓙の上に座らされていた。
焚き火にはずいぶん長いことドーガの鍋が掛かっている。
しばらくして料理も出来たらしい、やや小ぶりだが深さのある木皿に、ドーガが鍋の物をよそいオズマ達に振舞っていた。
護衛たちも「まってました」などと、口々に嬉しそうにしている。
すぐそこに食べ物がある、美味しそうな匂いも漂ってくる。しかし、そこまでの距離は奴隷のボクにとって果てしなく遠い。
ドーガ達が楽しそうにしている光景を、どこか遠い世界のように、ボクはぼんやりと眺めていた……。
・
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オズマが料理を受け取る、するとスッとこちらを向いて、料理の入った皿を犬娘に渡し始めた。ドーガも次々と料理を木皿に盛り、オズマへ流す。
垂れ耳娘は当然のように料理を受け取り三角耳娘へ渡す。レティシアも回ってきた皿を受け取り、最期にボクの目の前にも料理が置かれた。
「えっ?」
一瞬意味が分からなかった。
奴隷とは酷遇される存在であり、管理者であるドーガ達と同等の食事など許されないと思っていたからだ。
奴隷達の顔を見渡す。犬娘達は「ズス……」と、何気ないふうで手に持った皿に口をつけている、レティシアも口に皿を近づけてフーフーしていた。
ごはんだ。
こんな簡単に……、ボクは打ち震えていた。
目の前の料理を食べて良いと言うのなら、この異世界に来て実に六日ぶり、初めての食事となる。ここまで水と毒と酒しか口にしていないのだ。
震える両手でしっかりとお皿を掴む、しかし焦ってはいけない、一気に食べると何も食べていなかった体がびっくりしちゃう、ゆっくり食べよう。
スープだ、まず骨付き肉がかなりのインパクトでど真ん中に鎮座なされている、一緒にジャガイモと白菜に似た葉物とで、よく煮こんである。
「いただきます」
静かにスープを一口飲んだ、……おいしい。
おそらく凝った味付けはしていないだろう、しかし、肉の油が良く溶け出したスープはとても濃厚で味わい深い。
お肉は長時間煮こまれてホロホロと崩れる、その肉の繊維にスープが吸い上げられ、ジューシー感が半端ない。
葉物も溶けるほどに煮こまれ、その甘さが全体によく馴染んでいた。空腹は最高の、なんて言うけど、まさに至高だ。
「ドーガさん、この肉は何ですか?」
お肉にトリップしていると、オズマの部下の小さい方が、ドーガに料理の内訳を尋ねた。
「ああ、今日はマトンだ」
なん……だと……?
羊肉のスープだった、まさかこれって共食いになるの? ふと隣のレティシアと目が合った、するとレティシアは「おいしいね」と、ニコッと笑う。
あれ? シープ族がシープ食べても良いんだ?
逆に気にしすぎたのかも知れない、シープ族がまんま羊なら肉を食べるのもおかしいし、そんな事ならボクは、ここまでの道のりで雑草でも食べていれば良かったことになる。
動物の特徴が少しあるけど、やっぱり人間。獣人とはそんな存在なのだろう。
……あ、いや違う、ボクシープ族じゃないし。
気を取り直して食事を再開する、スープをちょびっと飲み骨付き肉をちょっとかじる、それを交互に少しずつ少しずつ、大切にいただく。
ジャガイモも美味しい。骨付き肉を箸代わりにジャガイモを寄せて口の中に入れる、すると、あっさりと形が崩れてホクホクの――。
「オイ!!」
「うっ!?」
今度はジャガイモにトリップしていると、突然、木皿をオズマに掴まれた。
「要らねーんなら食わなくても良いんだぞ」
「っ!?」
ち、違う。オズマを上目遣いで見上げたが、今はジャガイモが口に入っていて喋れない。
失敗した、体に良かれとゆっくり味わって食べていたことが、オズマの目には食が進んでいないと映ったようだ。
スープはまだ半分も残っている、このままでは食事を取り上げられてしまう。こうなったら、その前に一口でも多く食べてやる!
そう決意して、オズマに取られまいと左手でしっかり木皿を掴み、口の中のジャガイモもなんのその、右手の骨付き肉を動かし、十歳の小さな口に目一杯スープをかき込んだ。
「何だコイツ……」
そんなボクをオズマは眉をひそめて訝しげに見る。
「オズマさん、オレ思ったんッスけど」
「何だトーマス?」
「コイツ腹減ってるだけじゃないスかね」
「なに?」
一瞬オズマの動きが止まる。
「じゃあ病気で弱っているわけじゃないのか?」
オズマはそろりとボクの木皿から手を放した。
ナイスだトーマスとやら! ノッポに心の中で感謝して、このスキに急いで残りのスープを食べた。
最期の一口を食べて難を逃れたと思っていたら、木皿にスープが追加された。“おかわりもいいぞ”とでも言いそうな勢いでオズマがおかわりをくれた。
「変なヤツだな、始めから言えばいいだろうが」
オズマの言う通りだった、食べられないことが普通になっていて全く気づけなかった、初めにお腹が空いていることを言えば良かったのに。
この人達は奴隷商の一派だ、このままドナドナされてボクは黒毛ラム肉にされるかもしれない。だとしても、今だけは心から感謝しよう。