59 お買上げ
奴隷商での生活は十日目に突入した。外界では、ボク達はその間行方知れずとなっているが、未だ助けは来なかった。
まだボクとニーナは売れていない、でも、毎日お客さんは来る。いづれ売れてしまうだろう、時間の問題だ。
「ねえニーナ、背中拭いてあげようか?」
「……ん」
ニーナの返答には全く覇気が無い。
桶に汲まれたお湯にタオルを浸して、ニーナの背中を拭いてあげる。最初は絶対肌には触れさせなかったのに、もうどうでも良いようだ。
ここでの待遇は変わらず悪くない、女支配人に素直に従ってさえいれば、商品であるボク達に対して危害を加えることもなく、健康管理までしてくれる。
毎日違う食事が出て来るし、今使っている体を清めるお湯もおかわり可能だ、頭を洗うことも出来る。
しかし、薄暗く狭い檻の中、四六時中真っ裸で、顔も見えないお客さんにアソコも全部調べられ、両手の自由を奪われて排泄させられ。そんな人の尊厳を踏みにじられるような毎日を繰り返している。
もし、奴隷として売れてしまえば、その後は想像も出来ない地獄が待っているだろう。その恐怖と絶望に常にさらされて、精神的にかなり追い詰められていた。
そんな状況にあり、ニーナは日々、みるみるうちに生気を失ってゆく。
いたわる言葉をかけても反応は薄く、それなら逆にと、感情を揺さぶって奮い立たせようと、わざと嫌味を言って怒らせたりもした。
ニーナはレティシアより一つ年下だが、おっぱいも膨らんできているし下もほんの少しだが生えている。それをからかうようにしても、もう今では生返事しか返ってこない。
このままではニーナが潰れてしまう、すでに半分死んだような目をしている。
冒険者として訓練してきたためか、もしくは魔王の体のためか、ボクはまだ大丈夫だけど、それでも大分厳しい、普通の女の子に耐えられる生活ではない。
トーマスとレティシアも血眼になってボクを探しているだろう、だけどもう十日目だ、それでも見つけられない場所にボク達は監禁されているんだ。
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失意の中、暗闇をただ眺めていると、建物の外が何やら騒がしくなった。
男の人が怒鳴り喚いているのが聞こえる。今まで女支配人の他は一切物音もしなかったのに、何かが起きているみたいだ。
ついに助けが来たのかと思ったが、その騒ぎの中にトーマスやレティシアの声は聞こえない、聞き覚えのない男の怒鳴り声がするだけだ。
「ここか!? 本当にここなのだな?」
やがて、何を言っているのか聞き取れるほど近づいてきた。
「報告では、街外れの地下倉庫とタレコミがあったと」
「おのれ、戻ってみればお目付け役が何たる体たらくか、奴らはクビだ」
すると、いち早く女支配人がボク達の前に現れ、お客が来たと言う。外で騒いでいる男が次のお客さんなのか? 何やら揉めているみたいだけど。
「なにっコレを着ろだと? そんな酔狂な事に付き合っては! ……くっ、分かった、着れば良いのだろう!」
奴隷商側の声は聞こえないが、ずっと怒鳴っている男の声は聞こえる。一応ここのルールには従うみたいだ、黒ローブを着ないと入れないらしい。
「お前もここで待て、どうやら一人でなくては入れんらしい」
「しかし、ケイダン様」
「よい、何かあればすぐに呼ぶ」
バサッと暗幕がめくれる音がして、倉庫内に一瞬光りが差し込む。もう何人目だろうか、ボク達はお客さんを迎える用意をする。
「くっ、どこだ? どの檻もカラではないか」
どうやら、黒装束の先導も無く、ズカズカと入り込んできたようだ。
せっかちなお客さんは、ボク達の檻の前に立つ女支配人が目に入ったのか「そこか!」などと、足早に近づいてきた。
そして、珍しくよく喋る、黒ローブ姿のお客さんが目の前に現れる。
「よし、お前達、立て」
「……」
女支配人の号令で、ボクとニーナは鉄格子のそばに立つ。
「なっ!?」
突然、黒ローブのお客さんはガシャンと両手で鉄格子を握った。すごいガッツいている、少し怖い。
「よし、見せて差し上げろ」
「……」
女支配人の言うままに、ボクとニーナは毛布を床に置いて、お客さんにハダカを見てもらう。
「どうですか? 入荷して日数は経ちましたが、まだ肌の色艶は保って……」
「ニーナ!」
お客さんは女支配人の説明を遮って、ニーナの名前を叫ぶと、かぶっていた黒ローブのフードを勢い良くめくった。初老の男性の顔が薄闇の中で露わになる。
「ニーナ! ニーナなのか?」
「……お父、……様?」
この初老の男性、外でケイダン様と呼ばれていた人物は、ニーナのお父さんらしい、つまりこの街の領主だ。ニーナの虚ろな眼差しに少しずつ光が戻る。
レティシア達より先に、ニーナの関係者がここを突き止めたようだ。
そう言えば、サンドウエストからボク達を追って出た従者が、そろそろこの街に到着する頃だった。それでニーナの行方不明が判明し、捜索していたのだろう。
「おお、何故こんな所に」
「お父様!」
二人は手を伸ばす。
「下がれ!」
しかし、すぐさま女支配人がニーナを一喝する。再会した父娘が触れ合うことは女支配人によって阻止された。
「お客様もお下がり下さい、申し訳ございませんが、商品に手を触れないようにお願い致します」
「何を!? む、娘だバカ者!」
親子だと申告しても聞き届けられなかった、ニーナのお父さんは肩を掴まれ引き離される。
「キサマ、娘に何をさせているんだ! ニーナ、毛布を羽織りなさい」
ニーナはのろのろと毛布を手繰り寄せる、ボクも習って毛布をかぶった。
「なんと酷いことを、今すぐ助けてやるからな」
領主のケイダンからは、一人娘を助けたいという必死さが伺える。
「おい店主、早く檻の鍵を開けないか」
「それは出来かねます」
「なんだと?」
「これは私どもの大切な商品、勝手に持ち出すことは窃盗となりますよ?」
親子が対面したのに、女支配人は一歩も引かない構えだ。
「窃盗だと? 盗っ人猛々しいとはこの事だ、キサマこんな事をしてただで済むと思っているのか?」
「はて、何のことでしょうか」
「私の顔を見ても思い出せんのか? 私はこのグジク・グレートウォールの領主ケイダンだ、そして、サイデル砂漠一帯を預かるマーリ奴隷商協会の会長も努めている、さっさと言うことを聞いたほうが身のためだぞ」
ニーナのお父さんはグジクの領主に加え、奴隷商協会とやらのトップだという。
領主なのだから色々な組織の会長を努めたり、支援も受けているのだろう、しかし、よりにもよって奴隷商協会とは。
「どうした早く鍵を開けろ、今ならまだ一定期間の営業停止で済ませてやる、さもなくば永久に追放するぞ」
「何を言っておられるのか理解できませんね、そのような事は我々には一切関係ございません」
「なにっ? キサマ、無認可の流れ者か」
やはり、この女支配人の奴隷商は普通ではない組織のようだ、奴隷商協会会長のお膝元で、しかもその娘を拐うなんて。
正規の奴隷市場がどんなものか知らないが、無認可業者はそういった場所で商売も出来ないし、不法な営業がバレれば衛兵に捕まりもするのだろう。
だからこんな暗い倉庫で、人目をしのいで奴隷を売っているんだ。
「しかし、あなた様の言うようにモグリなのも確か、公になる前に撤退することにしましょう」
「待て、娘を置いてゆけ」
「ではお買上げで?」
「ふざけるな!」
この女支配人もよくやる、ここから無事に撤退できると思っているのだろうか。
「何が奴隷商だ、ただの誘拐ではないか、こんな事がまかり通る訳がない!」
「言いがかりをお客様、これは私どもの戦利品でございます」
「違う、我らの認可を受けていない!」
「手続きなど私どもには意味をなしません、それともあなた様の奴隷商では、こういった商品の入荷手段は取らないので? 随分と黒いウワサも耳に致しますが」
「そ、それは……」
貧しいなどの理由で奴隷商に売られる者も居るだろう、犯罪を犯した者が奴隷にされることもある、戦争に負けたなら戦利品として奴隷落ちするとも聞いた。
しかし、何の罪も理由も無しに人を拐うことは当然犯罪だ、街を歩いている子どもを捕まえて売るなんてありえない。
戦争も無いこの国には本来奴隷は少ない、大抵は不正な奴隷取引だ、奴隷商協会といえども正規な顔のウラでは、何をしているか知れたものではない。
「分かった……買おう、そのほうが早い、私は今すぐ娘を助けたいんだ」
「ありがとうございます」
どうやらニーナのお父さんは折れたようだ、つまらないやり取りよりニーナの身の安全が大切、そういうことだろう。
そして檻の横に掛かっている木の札を手に取る、この木札はトイレから戻るときにちらりと目にしたことがある、おそらくボク達の値段が書かれているものだ。
「バカな、ウチの娘が二百万ルニーだと? 安すぎる、これではすぐに売れてしまうではないか」
確かに安い、ボクでも簡単に買える。今まで買い手が付かなかったのは奇跡だ。
「それに、……おい店主、なぜこの子が二百万で、そっちのシープ族の小僧が五千万なんだ?」
ボクとニーナの値段の差に納得いかないようだ。溺愛する娘の価値が低く見積もられたことに、気が障ったのかもしれない。
「ご覧のように、このシープ族はとても良い状態の商品です。なので、そのように値段も提示させて頂いております」
「そんな事を言っているのではない、それはシープ族ではないか、なぜ人族より獣人のほうが値が張るのだ」
シープ族じゃないんだけど? などと言える雰囲気でもない。
「私どもは純粋な商品の性能で値段を決めます。このシープ族は眉目秀麗、さらに珍しい黒毛でございます」
「黒毛? そんなもの掃いて捨てるほど居るだろう」
「いいえ、白色が基本のシープ族において、黒毛の個体など聞いたことがありません、相当に希少だと思われます」
「知るか! 獣人など興味も無い、ウチのニーナのほうが優れているに決まっている! 人族なのだぞ」
変な方向に親バカが発動している、値を吊り上げてどうするつもりだ? そんなに獣人に負けることが許せないのだろうか。
「神の祝福も受けれぬ獣人ごときに」
女支配人も犬の獣人だ、それを前にして言いたい放題だ。人族と獣人の間には隔たりがるらしい、それはボクも普段の生活から感じる。
「くっ、まあ良い、二百万というなら是非もない、少々納得しかねるが、本当にこの値段で良いのだな?」
「はい、私どもは公平をモットーとしております、この値段で提供いたします」
「不法業者が利いた風なことを」
ケイダンはニーナの親で領主だ。女支配人としては、法外な身代金をせしめることも可能だろう、しかし、女支配人は通常通り、たったの二百万で良いという。
「よし、ではこれで良いか?」
ケイダンが懐から出したのは一枚の紙だ、レポート用紙ほどの大きさだが、ボクも薬屋さんをしていたから分かる、これがこの世界の小切手だ。
「申し訳ありません、私どもは現金取引しかいたしません、その手形はお受け出来ません」
「やはりダメか、これだから無認可は。しかしそうなると手持ちが無い、一度屋敷に戻らねばならん」
二百万ルニーを硬貨で持ち歩く人などいない。全部レニス金貨ならまだしも、普通は持ち運ぶのにはありえない金額だ、ケイダンも今は持っていないようだ。
「お父様」
「おおニーナ、大丈夫だ、すぐに助けてやるからな、私が屋敷に行ってくるまでの間だ、それまでもう少し辛抱しておくれ」
今から屋敷にお金を取りに戻るという。確か、ここは街外れの地下倉庫だと言っていた、街の中心まで往復すると単騎でもかなり時間がかかる。
「良いか無認可の奴隷商よ、私が戻るまで逃げるなよ?」
「心得ております」
そう言ってケイダンは足早に倉庫を出ていった。外で待たせていた部下とのやり取りが聞こえてくる。
「屋敷へ戻る、お前はここに残れ」
「しかし、ケイダン様をお一人には出来ません、私にも任務があります」
「くそっぬかったわ、一小隊ほど連れてくるべきだった。仕方ない急いで戻るぞ」
「ハッ」
ケイダンは取る物も取り敢えず、急いでお屋敷を飛び出して来たようだ。お供も従えず、お金すら十分には持っていない。周りが見えなくなるほどニーナのことが心配だったのだろう。
やがて、駆け出した蹄の音も遠くなる。
あのケイダンの様子だと、次には兵士を沢山引き連れて戻って来ると思う。それなのに女支配人は余裕の表情だ、このまま何事もなく済むとも思えないのだが。
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「良かったねニーナ、助かるよ?」
「……」
ニーナは小さく頷く。
お父さんのケイダンが戻ればニーナは助かる、しかし、ボクは助からない。
ニーナは二百万ルニーを払えば良いが、ボクの値段は五千万ルニーだ。ケイダンはボクの身代金を立て替えてくれるだろうか?
忌み嫌う獣人のボクに、それほどの大金を積むとも思えない。ニーナを通せば話だけでも聞いてくれるだろうか? それとも、そんな交渉の余地も無いだろうか?
万が一、ケイダン側と奴隷商で戦闘になれば、そのゴタゴタに紛れて逃げられるかもしれない。逃げられなくても、トーマス達が騒ぎを嗅ぎつけるだろう。
一番厄介なのは、つつが無くニーナの取引を終えることだ。それだと脱出する機も無い。何とかこのチャンスをモノにしなくては後が無い気がする。
緊張した時間が流れる、もっとも、緊張しているのはボクだけかも知れないが。
そんな時。
「お前達、お客さんだ、いつものように失礼の無いようにしろ」
まさか、このタイミングでお客さんを招き入れるのか? しかし、女支配人の命令は絶対だ、ボクとニーナは言われたまま檻の中で前に出て全裸待機する。
現れたお客さんは初めて見るタイプの人だった。黒ローブで全身を隠しているため、やはり詳しくは分からないが、かなり大柄だ。男の人だろう。
目深にフードをかぶり、だぶだぶの黒ローブは甲冑の形に膨れ上がっている。レザーグローブを嵌めた右手には鉄製の錫杖が握られていた。
僧兵だろうか? 並々ならぬ気配を感じる。こんな聖職者もお客さんとして奴隷を買いに来るのか。
ここの奴隷商は人目をしのいで商売をしている、だから隠れて子供の奴隷を買うには都合が良いのだろう。
そして一連のプレゼンを終える。お客さんは檻から突き出したボクのおにんにんに特に興味を示したようだが、それ以外はいつもと変わりない。
女支配人と大男のお客が去った後、ボクはまた膝を抱えて考える。
逃げるチャンスはもう少しで訪れる、何が起きても対応できるように、心構えをしっかり持っておこう。
少しして、再び女支配人が現れた。今度はお客さんも連れてきていない。
「お前、こっちに来い」
呼ばれたのはニーナだ、すると、ニーナに手枷が嵌められた。
「出るんだ」
トイレを申告したわけでもないのに、ニーナは檻から出された。ニーナ自身も何が起きているのか分からないようで、不安そうな眼差しでボクを見る。
女支配人は檻の扉を施錠すると、おもむろに値段表の木札を手に取り、ニーナの名前のところに横線を引いた。
「えっ、あの、売れたんですか?」
「誰が喋って良いと言った、殺すぞ」
まさか、さっきの大男に売れたというのか? もう少しでお父さんが迎えに来るのに、どうして売っちゃうんだよ。
「ニ、ニーナ!」
ニーナは何度もボクを振り返りながらも、女支配人に連れられて、出口の方へ歩いていった。