57 城塞都市グジク・グレートウォール
ひときわ大きな砂丘のてっぺんで、優しく揺れる焚き火の炎を眺めている。
辺りは景色を遮るものは一つとしてなく、満天な星々が、地平線を堺に空いっぱいに広がっていた。
「ユーノちゃん、もっとこっちに来ないと、寒いから」
砂漠の夜は少し冷える。毛布に包まっていたレティシアは、言葉とは裏腹に、自分からボクの方へと移動してきて、毛布の端を開ける。
ボクは誘われるまま、レティシアの毛布に一緒に包まって、肩を寄せ合う。
とても静かだ、ここでは虫の声も鳥の声もしない、聖なる森のような木々のさざめく音すら無い。たまにそよぐ風が、砂を微かに撫でてゆく音がするだけだ。
「世界にわたし達二人しか居ないみたい」
「うん、でも静かすぎてなんだか怖いよ」
焚き火の灯りに浮かんだ二人の影、まるで世界から切り離されたような、時間からも取り残されたような、そんなふうにも思わせる幻想的な夜だった。
レティシアはボクの肩に頭を乗せて、より密着してくる。もう眠いのかなと思って、レティシアの顔を覗き込んだ。
すると、同時にレティシアもボクの方を向き、偶然にも、唇同士がかすかに触れ合ってしまった。
「あ、ごめんなさい、おねえちゃん」
反射的に謝った。今更チューなんてと頭の片隅に思ったが、幻想的な砂漠の夜に、なにか冗談では済まされないものを感じて。
レティシアはうつむいている。普段は積極的に迫ってくるのに、事故チューとはいえ、突然な事でビックリしているのだろうか?
やっぱり繊細な女の子なんだ、ボクはもう一度、「ゴメンね、大丈夫?」と、丁寧に謝った。
するとレティシアは、うつむいた顔をボクの首筋へうずめると、すすっと上を向いて、そのまま再度ボクと唇を重ねた。
二度目のキスに、ボクは驚いて硬直した。今までレティシアと挨拶のようにチューをしたことはあったが、それとは別種の意味を持つものに感じた。
くちびるが触れるだけの優しい口づけだ、しばらくそのままだったレティシアは、そっと、ぎこちなくボクを抱きしめる。
「ユーノちゃん、好きだよ」
静かな砂漠の夜に沈黙が続く、ボクの答えを待っているのだろうか?
正直、自分の気持ちも良く分からない、でも、ここで答えてしまうと、どんどん道を踏み外してしまうような気がする。
――夜空に煌めく満天の星々がボク達を包み込み、少し肌寒い砂漠の風が、なおも二人を近づける。
「ボクも……す」
「じーっ」
…………全然二人きりじゃなかった。
いつの間にか、ニーナが毛布に包まりながらイモムシのように移動して来て、干し芋をしゃぶりながら、ボク達の安いラブシーンを見物していた。
今日は星空がキレイだったから、砂丘の上で星を眺めようと焚き火をしていたのだが、当然砂丘の下には馬車があり、そこではトーマスとニーナが普通にキャンプをしている。
ふうアブナイ、なんだか雰囲気に流されていた。たとえ同意であっても、レティシアはまだ子供だ、こういう事は慎重にならないといけない。
ボクは転移者だけど、異世界なのを良い事に、幼い女の子に手を出すような不届き者とは違うのだ。
「なによ」
「え?」
「いいから早く続きをやりなさいよ」
何をヤるのですかニーナさま。
「早くしなさい? 見ててあげるから」
「……ユーノちゃん」
レティシアは見られていても平気なのか? 再度ボクの首筋に腕を回してくる。
「まってまっておねえちゃん」
さすがに、この状況でボクはすっかり正気に戻った。
もうこれ以上は何も出ないです。
「なによ意気地が無いわね」
ニーナのその言葉は否定しないが、そんな事している場合でも無いでしょう? まったく二人ともおませさんで困る。
そして、ニーナの興味の矛先は、レティシアにも向けられた。
「大体こんなののどこが良いの? ちょっと見てくれが良いだけじゃない」
「む、別に良いでしょ? 好きなんだから」
さすがニーナだ、誰にでも突っかかってゆく。空気を読むつもりさえない、全方位型ご迷惑かけまくりのトラブルメーカーだ。
「ユーノちゃんは困った時には必ず助けに来てくれる、わたしのナイト様なのよ」
なっ、ボクがナイト様? 臆面もなくそんな事を言い切っちゃうなんて、さすが夢見る乙女だ。
それを聞いたニーナは、うつむいて顔を隠している。
あーあ、やっぱりバカにされちゃうのかな、ふるふると小刻みに震える肩を見るに、笑うのをこらえているっぽい、また一悶着おきそうだ。
「ステキ」
「は?」
顔を上げたニーナは、両手を胸の前で組み、瞳をキラキラと輝かせている。目にハートでも浮かびそうな勢いだ。
どうやら夢見る乙女がもう一匹ここにも居たようだ、まだ詳しく事情も話していないのに、ただナイト様という単語だけでヤラれている。
「ね、あなた達、街に着いたら結婚しちゃいなさいよ」
唐突に極端なことを言い出す、結局は他人事だ、ニーナにとって面白ければそれで良いのだろう。
「けっこん……」
そして、こちらもうっとり目になっている。これはまずい、レティシアがまた暴走する前に話題を修正せねば。
「ちょっとニーナ、何言い出すの? それに結婚って十六歳からでしょ」
「あ、そうだ、じゃ無理ね! 諦めなさい!」
この国では成人は十八歳、婚姻は男女共に十六歳から認められている。
しかし、やはり十六歳での結婚は時期尚早のようで、普通、結婚適齢期は二十歳を過ぎてからだ。ボクから見ても十六歳は子どもだと思う。
「愛があればいいのよ、ね、ユーノちゃん」
ウェブ小説などで中身おっさんの主人公が、すぐにロリとえっちしたり結婚したりするが、ボクにはまったく理解できない。
「ちゅっ」
当然、十二歳のレティシアなど論外だ。好意があるならそれだけで良いじゃないか、そんな背伸びしなくても、一緒に楽しい日々を過ごせれば良いと思う。
「ちゅっ、ちゅっ」
その方が二人にとって、きっと幸せな未来が開けると、大人のボクの脳みそが言っている。……元世界で女の子と付き合ったこと無いけど。
「ちゅ~」
中東だかで、年端もいかない少女が、キモいおっさんと結婚させられているニュースを思い出す。ああはなりたくないものだ。
「むっちゅ~」
「ちょっと! おねえちゃん、もういいよ」
ボクが人として譲れない倫理観を再確認している最中に、まったく、ほっぺがふやけるじゃないか。
「なに遊んでんだお前ら、さっさと寝とけ、明日も早いぞ」
下からトーマスの声がする、見ればニーナもとっくにキャンプへ戻っていた。どうやらボク達の事はすでに飽きたようだ。
「はーあ、ガキどものお守りも楽じゃねーぜ」
トーマスはそう言い、魔道具の魔物センサーを砂漠に突き刺してゆく。
このセンサーは魔物が多い夜も安心のやつだ、高価なのでベテラン冒険者でも持っている人は少ない。もっとも、達人になると敵の気配で目覚めるらしいが。
野外ライトのようなセンサーを設置したら、後は寝るだけだ。レティシアはまだボクに枝垂れかかっていたが、丁度場も白けたことだし、一緒にテントへ向かう。
テントは二つある。トーマスは一人で寝たい性分なので、自分専用のテントを用意してあるのだ。いつもはボクとレティシアで一つ、トーマスで一つだ。
しかし、今はニーナが居るので男女別で寝ていた。一つのテントに、子共とは言え三人では窮屈だし、ボクが女性陣のテントに入るとニーナが文句を言う。
だから、今はトーマスと一緒に寝ている。こんなふうにトーマスと二人きりで居ることは珍しい、丁度良い機会だから、聞きたいことを話すことにした。
「ねえトーマス、寝ちゃった?」
すでに寝床に潜り込んでいるトーマスに声を掛ける。
「うう……ん」
「ねえ、トーマスぅ」
「うおおおっ」
良かった、まだ起きていたようだ。それにしても、そんなに大げさに反応する必要も無いだろうに。
「な、何だお前、耳元で囁くんじゃねーよ」
「ああ、ごめん」
「どうした? レティシアが居ないから眠れないのか?」
「え?」
別に今レティシアは関係ない、ちょっと聞きたい事があるだけだ。
「そんな目で見つめても無駄だぜ、オレは興味ねぇ」
「そんなあ、聞いてほしかったのに」
質問をする前に拒否されてしまった。拒否されるような話じゃないんだけど。
「チッ、確かにお前はノンケをも引きつける魅力はある、それは認めよう、だけどな、オレはドノーマルなんだよ、そっちに引き込むんじゃねーよ」
「うう……」
言葉の意味は分からないが、すごく嫌みたいだ、多分眠いのだろう。
「なんだ、そんなに落ち込むなよ、オレが悪いみてーじゃねーか」
「だってぇ」
「ったく、世話のやけるやつだ、仕方ねー、少しだけだぞ」
「いいの?」
「たまにならな、それならまあ、オレもアレだし……」
歯切れの悪い返事だが、もう少しボクの話に付き合ってくれるみたいだ。
「今日は手だけだ、いいな?」
すると、トーマスはボクの毛布の中に手を伸ばして来て、もぞもぞし始めた。
「何してるの?」
「何ってお前、これやらないと眠れねーんだろ?」
「やるって何を? ミルクのことなんだけど」
「は? ミルク?」
意思の疎通にほんの少し齟齬があったみたいだけど、まあ問題は無いだろう。
実は、ミルクのことが心配だった。強化されたミルクなら、よっぽどがあっても切り抜けるだろう、そこは問題ない。
しかし、ミルクは仕事が済んだらボクと合流すると言っていた、それが心配だ。ルートを外れた今、ボク達がどこに居るのか、ミルクには分からないはずだから。
「ミルク大丈夫かな?」
「知らねー」
今話を聞いてくれるふうだったのに、急にそっぽを向いてしまった。
「どうして? ミルクのこと心配じゃないの?」
「何かと思えばそんなことかよ」
「そんなことって……」
「ミルクなら問題ねーだろ? 心配しなくても合流できるようになってるからよ」
トーマスは大丈夫だという、知らない間にギルドに言付けでも頼んだのか?
「ねえ、どうやって……」
「ぐご、がー、ぐご、がー」
寝た。
会話してる最中に寝るとは器用なやつだ、仕方ないからボクも寝ることにした。
もうあと少しでグジクに着く、ニーナをギルドへ送り届けたら、その後はさらに過酷な旅が待っている。気を引き締めないと。
・
・
「これはまた、でっかい壁だねー」
「そうでしょう、私の力、思い知ったかしら?」
別にニーナの力ではないが。
まだ遠くに霞んで見える城塞都市、グジク・グレートウォールは、すさまじく高い城壁で囲まれていた。
ここはデルムトリア王国の中でも、サンドウエストと同じく地図の中央に近い場所だ。東に向かえば王都があり、逆に西にずーっと進めばいづれ海へ出る。
今の時代、ここに城塞都市を築いても戦略的に全く意味はない、大昔、まだデルムトリアが二つの国だった頃、ここが国境線近くだった名残だ。
グジクはその古城を改装したものだ、今では、軍事的にデルムトリアの武器庫のような役割を担っている。
街の大きさはそれほどでもないが、街をぐるっと高い壁が覆っている。さらに街の中心が小高くなっていて、そこにも大きな城壁がある。
下からはよく見えないが、恐らくそこが古城であり、領主の住む館となっているのだろう。その領主の娘がニーナだ。
なんだか緊張してきた、別にボクが領主と会うことも無いのだけれど。
そして、グジクの高壁に到着した。見上げる壁は夕日が反射して輝いて見える、四角く切り出した石を積み上げて作ってあるようだ、かなりの強度だろう。
門には甲冑を着込んだ兵士も常駐している、物々しい雰囲気だ。しかし、門を通過する人々は他の街と同様、ある程度自由に行き来しているようだ。
犯罪者ヅラのトーマス、もしくは子共のボクやレティシア、どちらが御者台に乗っていても不審に映ると思うのだが、問題なく門を通ることが出来た。
今回は、この街の領主の娘のニーナが荷台に乗っているので、バレたら騒ぎになるのではないかと内心ちょっとドキドキしたが。
門をくぐった先に現れた街は、やはり砂漠の街らしく、今までと変わりない建物が並んでいた。ただ、高い壁に囲まれているせいか、やや陰気な空気が漂う。
それに、街ゆく人々の中には、冒険者や傭兵などの戦士が目立つ、揃いのプレートメイルを着込んだ騎士も見かけた。軍事色の強い街だ。
ボク達は、さっそく冒険者ギルドへ向かった。
「ユーノ、オレは馬車を預けてくるからよ、ここ任せて良いか?」
「うん、いいよ」
このギルドにニーナを連れて入れば依頼は完了だ。ボクが完了の手続きをしている間に、トーマスは厩舎へ馬車を預けに行くことになった。
「わたしもトーマスさんと一緒に行く、一番良い宿屋を探すの」
珍しくレティシアもトーマスと一緒に行くという。ちなみに、一番良い宿といっても高級という意味ではなく、コスパに優れた宿という意味だ。
さて、さっさとニーナの依頼を済ませてしまおう。ギルド内の様子は、やはり食堂が併設されていたが、武器を売るお店のほうが大きくて目立つ。
周りの冒険者達も無骨だが、チャラチャラしたチンピラは見かけない。気品とまではいかないが、規律を守ることに自負を持っているようだ。
小豆色のローブを纏ったニーナと共に、ギルド窓口へ進む。窓口のおじさんは、偽名で発行された依頼書と、ニーナのフード奥をチラチラ交互に見比べていた。
ニーナは正体がバレていないような顔をしているけど、そんな事も無いのだろう。それでも、おじさんは気を利かせてくれたのか、滞りなく精算は済んだ。
それにしても、サンドウエストから片道の依頼だが、どうやって事務処理しているのだろうか、同じ冒険者ギルド組合だから問題ないのだろうか。
「何してるの、行くわよ」
そんな事をボケっと考えていたらニーナに手を引かれた、そして、トーマス達が戻るまで、ギルド食堂でお茶を飲んで待つ。
「遅いわね、何をしているのかしら」
確かに遅い、ただ馬を預けに行くだけなのに、もう一時間も経つ。大抵は冒険者ギルドの近くに厩舎があるものだが、この街では違うのだろうか?
「いい宿を探すって言ってたから、時間かかっているのかな」
「もう一人で帰ろうかしら、依頼も済んだことだし」
「こんな夜に一人じゃ危ないよ、もう少し待とう?」
ギルドの外はもう暗い、領主の娘であるニーナは、この街では無敵かもしれないが、それでも夜道を女の子一人で帰すわけにはいかない。
「あーもう限界、この私を待たせるなんて!」
テーブルにバンと勢い良く手をついて、ニーナは立ち上がる。もう、ちっとも堪え性が無い、困ったお嬢様だ。
「待って、どこに行くの? まさか帰るの?」
「違うわ、あの二人をこっちから迎えに行くのよ」
行動力が有るのは結構だが、今はそれが非常に面倒だ、頼むから大人しくしていて欲しい。
「無闇に出ていっても仕方ないよ、もう戻ってくるかもしれないし」
「ここは私の街よ、どこに何が在るかくらい分かるわ、安くて良い宿なんでしょ? ここから近くて下々に人気のある宿といえば、あそこしかないわ」
「ちょと、ニーナ」
まったく、教育係というジェームスの苦労も察するよ。すぐにお会計を済ませ、どんどん暗い夜道へ向かうニーナの後を慌てて追う。
「待ってよ」
「遅いわよ、早く来なさい」
ギルドへ到着した時点でボクの役目は終わっているんだ、別に放っておいても良いんだぞ? などとも言えず、トコトコとついて行く。
「その宿屋は何処にあるの? まだ? 結構歩いたけど」
「おかしいわね、確かこの辺に」
全然ダメじゃないか、昼と夜では勝手が違う、こんなに暗くては大人だって迷うこともあるだろう。箱入り娘のニーナでは、そこらへんの詰めが甘いんだよ。
「ねえ、ギルドに帰ろう? 一度戻ったほうが良いよ」
そう振り返ると、そこにニーナの姿は無かった。今肩を並べて歩いていた筈なのに、音もなく消えてしまった。
「あれ? ニーナどこ?」
別の道へ入ったのか? すぐに脇道を確認しながら来た道を引き返す。
「ニーナ!」
ニーナは居た、しかし、彼女は何者かに裏路地の向こうへと、連れ去られているところだった。
辺りは暗いが、民家から漏れる灯りで僅かに視認できる、ニーナは気を失っているみたいだ、グッタリしていた。
全身黒づくめの人影に両脇を抱えられ、投げ出された足が地面を引きずるようにして、裏路地の奥へと運ばれてゆく。
言わんこっちゃない、すぐにナイフを抜き後を追う。
ニーナをさらった手際は見事だが、ボクから逃げられると思うなよ? すぐさまギラナ直伝の縮地技、なめり走りで距離を詰める。
しかしその時、急に手首を掴まれガクリとボクの体は停止した。驚いて後ろを振り返る、そこには、同じく黒装束の人影が数人居た。
まさか、このスピードのボクの手を掴むなんて。
「だ、だれか……」
咄嗟に大声で助けを呼ぼうとしたが、手で口を塞がれ声が出ない。
そして、黒装束の手には見覚えのある物が握られていた、ピンポン玉に似た植物の花。まずい、この花は……。
そう思った時には遅かった、花から吹き出た煙が顔の前に広がる。息を荒げていたボクはモロにそれを吸い込んでしまった、すうっと視界が遠ざかってゆく。
「くっ、ニーナ……」
この「城塞都市グジク・グレートウォール」にはエロを加筆したノクタ版が存在します。少し変わったエロコメディとなっております、例によってノクタへのリンクは貼れませんが、よろしければ読んでやってください。ノクタでの題名は「ショタ魔王さま(R)」となります。