42 手に入れたもの02(エメリー視点)
この戦闘はありえない、本来なら私の初撃で終わっていたはずだ。
フェリクスも、普段なら雑草を薙ぐくらいの気軽さで倒していた、剣で撫でるだけでハイイログマは鮮血たまりに沈んでいたのに。
納得できないが、もう日も落ちる、急いでハイイログマの解体へ取り掛かる。
しかし、こんな大きく硬い毛皮は上手く剥ぎ取れない、それに熊胆と言ったか、高額で売れる胃腸の薬になる臓器も何処にあるのか分からない。
動物の解体は、あのちびっこ冒険者が初めから上手で、彼に任せっきりだった。
何もかもが上手くいかない、イライラする。
仕方ない、今夜食べる分の肉だけ取って、野営ポイントへ向かった。
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正面には視界を覆うようにオルト連山が連なり、背後には岩壁がある、ここはオーガの森からは見えない野営ポイントだ。
夜通し火が保てる量の薪を確保して、前回の焚き火の跡の上に、また枯れ葉、枯れ枝と積み上げ、乾燥した樹皮の繊維に火打ち金で火をつける。
熾火が十分になった頃、さっきのハイイログマの肉を一口大に切り分け、鉄串に通し、塩とスパイスを振りかけ焚き火の周りに差し立てる。
食事の用意をしているのはアルネラだ、私とフェリクスは、先の戦闘が気になって食事どころではなかった。
「新人なので私がやりますね」などと、この十六歳の魔法使いに気を使わせてしまったが、それでも、ありがとうと小さな声しか出てこなかった。
焚き火の熱に煽られて、クマ肉から滴り落ちた肉汁が、熾に当たってシュッと消える、そのさまをじっと眺めていた。
一ヶ月前までのPTを思い出す、同じ場所、同じ獲物、食べ物だって今と変わらない、でも、あの時はもっと充実していた。
役に立たないちびっ子は居たけど、私自身は力がみなぎっていた、苦もなく獲物を倒し、大量の戦利品を傍らにした野営は気分の良いものだった。
それがどうだ、今日はハイイログマなどに苦戦して、それどころか、ジャイアントラットすら満足に狩れなくて。
まるで冒険者になる前の腕に戻ったかのようだ、しかし、そんな事はありえない、実際に何匹ものオーガを地に伏せてきた実績がある。
今は希少な魔法使いのアルネラだって居る、ちびっ子がPTに居た時と比べて、明らかに戦力は増強されているはずなのに。
急に不安になってくる、今だけ調子が出ないのなら問題はない、でも、明日も同じだったらどうか? オーガはハイイログマとは比べられない強敵だ。
ふと、ちびっ子冒険者の言葉を思い出す、「ボクの能力でPTの力が上がっている」……子どもの戯言だ。
フェリクスが言うように、この世に仲間を強くする能力なんて無いのは分かっている、そんな事を思い出すほど、今の自分の力を不安に思っているのだろうか。
「やっぱり冒険者ってスゴイですね、私、戦ったの初めてでしたけど、フェリクスさん、あんなに大きなクマを倒してしまうなんて流石です」
地味でおとなしいアルネラが、長いこと沈黙していた空気に耐えられず話題を振ってくるが、それに答える者は居ない。
「あの、エメリーさん、フェリクスさんも、焼けてますよ」
そう言って、私のクマ串を取って渡してくれた、ついぼんやりして焼きすぎてしまった、短くお礼を言って、固くなったクマ串にかぶりつく。
アルネラは私達の実力を知らない、今日の戦いがいつも通りで、この調子でオーガも倒してゆくのだろうと思っているのかもしれない。
しかし違う、私達の力はこんな物じゃない、フェリクスも力が出ない事を不思議に思っているのか、さっきからずっと黙り込んでいる。
昨日、カフェで盛り上がっていた時とあまりに違う雰囲気に、アルネラも何か重い空気を感じ取ったのか、口を閉ざしてしまった。
アルネラはこれが初めてのPTだ、冒険者として記念すべき第一日目だというのに、私は楽しい話題の一つも言ってあげられない。
何か聞かれても誤魔化しの会話になりそうで、喋る気になれなかった。
無為に時間だけが経過する、言葉少ない中、焚き火にくべた生木が小さく爆ぜる音だけが、森の闇に響いていた。
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「うーんっと、さてと」
清々しい朝だ、朝日が目の前の霊峰を金色に輝かせている。
昨日の事はそれはそれ、まだ何かをしくじったワケじゃない、昨日のもやもやを吹き飛ばすように、私は大きく伸びをして気合を入れ直す。
「……よし」
フェリクスも心機一転、今日はやる気だ。
朝食にクマ肉スープを食べ、体も温まった所で、キャンプをたたみ早速オーガの森へ出発した。
ここら一帯はオーガのテリトリーだが、森は静まり返っていた、これはもう、オーガ祭りは完全に終りを迎えたと言える。
しかし、それでも。
「……いる」
距離は百メートル、素手のオーガが一匹で佇んでいる、まだこちらに気が付いていない、チャンスだ。
PTメンバーに注意を促し、気づかれないように回り込みながら近づく。
改めて見ても大きい、三メートルはゆうに超える巨躯は、それだけで脅威だ。
「本当に、やるんですか?」
アルネラが不安げに語りかけてきた、もちろんやる、そのために来たのだから。
オーガは幾度となく倒してきた、たとえ正面から挑んでも問題のない相手だ、このオーガを難なく倒して、いつもの快進撃を取り戻すんだ。
私とアルネラは、オーガの後方三十メートルの位置に陣取り、戦技と魔法を準備する、そして、二人の集中力が極限まで高まり技は完成された。
戦闘開始だ。
「――シッ!」≪弓技:ヘビーショット≫
「……ふうッ」≪下級魔法:ストーンバレット≫
オーガは怪力だが、感知能力や俊敏性は低い、戦技と魔法が唸りを上げて接近している事にも気づけず、その大きな背中へと攻撃を直撃させた。
攻撃が当たった大きな破裂音がする、その衝撃とオーガが崩れ落ちたせいで、土煙に巻かれて姿が一瞬見えなくなった。
「やったか!?」
前方で盾を構えるフェリクスも、大木の陰から注視している。
徐々に土煙が晴れてくる、そこには、片膝を地面に付き、攻撃に耐えきったオーガが姿を表した。
やっぱりダメだ、いつもなら勝負が決するほどのダメージを与えているのに、今の私の戦技は、背中の筋肉を少しえぐっただけに留まった。
昨日、ハイイログマの腕に大穴を開けたアルネラの魔法も、似たようなものだ。
グゥゥウウウ?
オーガはゆっくりと立ち上がる、あたりを見回す眼が私達を捉えると、もう一吠えして、ドシンドシンと地響きを起こしながら向かってきた。
大木を弓なりに押しのかし、低木をまるで雑草のごとく折り蹴散らして、障害物など無いかのように直進してくる。
私とアルネラは後退した、そして、打ち合わせ通り、木の陰に潜んでいたフェリクスが飛び出して、オーガに不意打ちを食らわせた。
「このおおお!」≪盾技:シールドバッシュ≫
フェリクスが盾に全体重を乗せたタックルをかます、しかし、なんとかオーガの突進は阻止できたが、それだけだ。
いつもなら、簡単に敵を吹き飛ばしていたフェリクスの戦技だが、特にダメージを与えた様子は無い。
ギロリと、オーガの意識がフェリクスへ向く、そして、私の胴回りより太い腕を振り上げ、そのままフェリクスめがけ打ち下ろした。
圧倒的なパワーにより、拳は恐ろしい加速と破壊力を発揮する、その常識はずれの暴力は、辺りの枝々を吹き飛ばしながらフェリクスに迫る。
その攻撃を予測していたフェリクスは飛び退いて躱す、外れた狂拳が地面を強打する、破壊の衝撃が地を伝播し、周囲の草木が激しく震える。
振り下ろされた拳に向け、すかさずフェリクスは戦技を放った。
「ダブルッ!」≪剣技:ダブルスラッシュ≫
ダメだ、効いていない、当たればどんな敵でも両断していたフェイリクスの戦技は、オーガの太い腕に浅い傷を二線付けただけに終わった。
「フェリクス下がって!」
すぐさま、私とアルネラは援護するべく戦技を放つ。
「――我が一撃、防ぐこと能わず!」≪弓技:ヘビーショット≫
「……炎の一矢となりて顕現せよ、立ち塞がりし者に災いあれ……」≪下級魔法:ファイアアロー≫
気を練りに練った戦技だった、私もアルネラも、本来なら口にしなくて良い“気”を高める文言、そして、魔法詠唱を無意識に唱えるほどだ。
だが、その胸部に当たったヘビーショットは、打撲程度のダメージしか与えていない、戦闘状態のオーガに対して、もはや肉をえぐるだけの効果も出せない。
アルネラのファイアアローはガードされたが、その腕を火だるまにした、それでも、オーガが腕をひと振るいすると炎は掻き消えてしまう。
「なんてこと……」
このオーガ、異様なほどに強い、三人が何をしても、様々な戦技を駆使しても攻撃が通らない、……勝て……ない。
グガァァァアアアアア!!
私達の攻撃は、ただオーガの怒りを煽っただけだった。
ゴオォッと、空気を切り裂き再び狂拳が振るわれる、バキバキと枝や低木をへし折りながら、フェリクスへ襲いかかる。
どうにかその一撃を避けたが、続けて逆の腕からも狂拳が繰り出される、オーガの攻撃は単調だ、しかし出鱈目でもある、右左の攻撃を連続で繰り出してきた。
頭上から打ち下ろし、横からすべてを薙ぎ払う、まるで嵐だ。
全力で後退して避けていたフェリクスだったが、その荒れ狂う攻撃に、ついに追い詰められてしまう。
これ以上は避けきれないと思ったのか、フェリクスはラウンドシールドに身を隠し、踏ん張った、そこへ唸りを上げた一撃が叩き込まれる。
ドグッと軽い音がした、へし折られる木々に比べるとさして大げさでもなく、ちょっと当たったかな、というふうに見えた。
しかし、オーガの攻撃に巻き込まれた枝々や、えぐり飛ばされる地面の土に紛れて、同じようにフェリクスの体は大きく吹き飛ばされていた。
まるで数人にロープで後ろに引っ張られたかのように、不自然と思えるほどにフェリクスは吹き飛び、私達の近くの大木に叩きつけられた。
盾で防御したのに、まったく耐える事が出来ない、冗談のような光景だった。
「フェ、フェリクス!」
駆け寄ると、フェリクスは四肢を投げ出しぐったりとしていた、左腕に装備した木製のラウンドシールドも粉々に砕けている。
どうやら、今の衝撃で気を失ってしまったようだ。
フェリクスを仕留めたオーガは、なんのリアクションも無く、ただ作業のように、次の獲物を排除するべく私達へと向かって来る。
「ちょ、ちょっと! 起きなさいよフェリクス!」
必死にフェリクスの肩を掴んで揺する。
前衛であるフェリクスが居ないと、後衛である私とアルネラでは、オーガの攻撃を防ぐ手立てが無い、あの豪速の狂拳を振るわれたら、避けるすべは無い。
地響きの間隔が短くなり、オーガが走り出したのは分かった、しかし、私はフェリクスを起こすのに一生懸命だった。
近くまで来た地響きが止む、私の周囲を影が覆う、ハッとして見上げると、傍らまで接近したオーガが視界を塞いでいた。
そして、オーガは右腕を大きく振り上げる。
「嘘でしょ……やだ……」
≪中級魔法:ファイアウォール≫
――ゴオッ、ブォォオオ!
もうダメだと諦めたその時、突然、オーガの足元から勢い良く炎が吹き出した。
グオォォォォ……。
オーガの体を炎が包む、間一髪アルネラの魔法が間に合った、高い炎の壁が地面から吹き出している。
強力なファイアウォールをもってしても、決定的なダメージは与えていないようだ、それでも、たまらずオーガは後退した。
奥の手であるファイアウォールを放ったアルネラは、顔面蒼白で額に汗をにじませている、相当精神力を削ったみたいだ、もう新たに魔法は放てない。
「逃げましょう、エメリーさん、早く!」
撤退だ、それしかない、もうどうにも出来ない。
再度、気絶しているフェリクスを起こそうと、ガクガクとその体を揺らす。
「フェリクス起きろ! 逃げるよほらあ!!」
「ダメです、もう炎が消えます、急いで!」
アルネラは最終勧告の声を上げる、フェリクスをこの場に置いて逃げろというのだ、さもなくば全員殺される。
そんな、フェリクスを置いて行くなんて出来ない、でももうダメだ、意識の無い人間というのは重い、私達では担いで逃げ切ることは不可能だ。
最後に、フェリクスの頬を何度か強く張る、もう殴るようにして、何とか目を覚ましてと。
「うう……」
その時、小さくフェリクスが反応した、すぐに気が付き首を振り、少しずつ体を起こそうと動き出した。
どうにか最後の最後、意識を取り戻してくれたようだ。
「よし」
若干安堵し、すかさず革製のウエストポーチから煙玉を二つ掴み取る。
以前オーガの大群に囲まれた時、まったく退路を確保できなかった事を教訓に、新たに用意していたものだ。
徐々に勢いが弱まる炎の中へ、煙玉を投げ入れる、プシッと小さく破裂音がして、シュウと勢い良く白煙が吹き出した。
多量に吐き出された白煙は、木々の間を白く塗り上げ、やがて辺り全体を包み込んでゆく。
よたよたと立ち上がるフェリクスの肩を担ぎ、その場から必死に遠ざかる。
「アルネラ!」
「こっちです、エメリーさん」
アルネラに先導され、途中何度か煙玉を追加で焚きながら、何とかこの悪夢から逃げおおせることに成功した。