40 借金返済
立派な建物だ、どっしりとした石積みの壁、高い所には不思議な動物や植物の彫刻が施され、入り口には太い柱が幾つも立っている。
銀行前にあるジュエリーショップと似たような意匠だ、一等地にある神殿風の三階建の建物は、現在フェリクスが利用しているグランドホテルだ。
お金が貯まったボクは、賠償金を支払うためフェリクスに会いに来た、しかし、セキュリティの関係なのか、フロントはフェリクスの部屋番を教えてくれない。
仕方ないのでロビーで出待ちする、なぜお金を持ってきたボクが、わざわざここまでしなくてはならないのか、バカみたいだ。
でも、ボクはなるべく早く、出来れば今日中にカタをつけたかった。
ぼんやりと廊下の先を眺めながら待つ、ひょっとしたらエメリーも一緒かもしれない、もし二人と同時に出会ってしまったら何か嫌だな。
セレブな宿泊客がボクをチラ見しながら通り過ぎてゆく、冒険者は場違いだし居心地が悪い、パーカーのフードを深くかぶる。
ずっと待っていると、廊下の向こうからやかましい連中が近づいて来た、三人のうるさい女の子に囲まれているのは、イケメン高身長のフェリクスだ。
フェリクスは一晩中、取り巻きの彼女達と一緒だったみたいだ、そんな事を大声で自慢げに話している。
三人の女の子の中にエメリーは居ない、別の安めのホテルに泊まっているのは知っているけど、エメリーはどうしたんだろう。
エメリーという恋人が居るのに、他の、しかもこんなに沢山の女の人と遊んでいるなんて。
リメノ村の村長シャインが言うには、昔は一夫多妻も珍しくなかったと言っていた、でも、やはりそれは昔のことで、今は違う。
王族や貴族が側室を取る場合もあるため、一夫多妻制はまだ残っているが、一般市民の間ではそんな制度は風化している。
もしかして、エメリーとフェリクスは別れてしまったのだろうか? しかし、今となってはボクには関係の無いことだ、口出しは出来ない。
今はとにかく、壊してしまったショートソードの賠償金を支払おう、それで綺麗サッパリ、フェリクスとはお別れだ。
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フェリクス達はホテルから出るところだ、その彼らの前に躍り出た。
「え? 何この子」
取り巻きの三人の女の子達は、訝しげにボクを見るが、フェリクスは少々驚いた様子だった。
「ユーノじゃないか、どうしてこんな所に?」
「お金貯めたから」
フェリクスは、初め何のことか分からなかったようだ、でも、ああそう言えばと、わざとらしく手を打ちならして頷く。
苦労してお金を貯めて来たのに、フェリクスはすっかり賠償金のことを忘れていた、お金持ちから見れば、八百万ルニーなんてはした金なのだろう。
「確か一千万だったかな?」
「八百万ルニーだよ」
間違えてもらっては困る、そんなに増えてはまた厄介だ。
「そうそう八百万ルニーだった、それにしても良くこんなに早く貯めたね、キミにしては大変だったのではないのかい?」
「……」
出会った頃のフェリクスだ、よく普通に対応が出来るなと思った、ボクをイジメていたことなど忘れているのだろうか?
ボクのことなんて、よっぽど興味が無いんだろう、すべてリセットされたような無関心さだ。
フェリクスの問に答えることなく、八百万ルニーが入った、ずっしりと重い麻袋を目の前に突き出す。
「ああ、ちょっと待ってくれよ、アレを持ってこなくちゃね」
そう言って、フェリクスは女の子達にここで待っているようにと、キザったらしくそれぞれにキスをして、一人で部屋へ戻っていった。
損害賠償の書類を取りに行ったのだろう。
「ねー、かわいいねボクー」
フェリクスが部屋に戻って、暇になった取り巻きの女の子に囲まれた、そのうちの一人がボクの頭に手を伸ばす。
ボクは馴れ馴れしいその手を、スッと避けた。
「なに? 女じゃないの?」
「オーラが違うわよー、男の子だもんねーボク?」
「ふーん、まるで女の子みたい」
鬱陶しい。
この女の子達はどういう人達なんだろう? ソッチ系のプロの人なのだろうか、三人とも派手な化粧と格好をしている。
「アレ? ちょっと待って」
一人がボクのパーカーのフードをめくった、ちょっと待ってと言われたから、条件反射的に動けなかった。
「ほらやっぱり、この子シープ族よ」
「あ~ホントだ~、私、羊って大好きなの~美味しいし~」
「私にも触らせてーかわいいー」
露わになったくるくる角を見た女の子達は、一層うるさい、それぞれがボクの頭に手を乗せて、髪の毛をくしゃくしゃと撫で回した、もう、うざったい。
「やめてください!」
その手をハシと、振り払った。
「きゃーかわいいー」
さらに別の一人が、くるくる角をいじくり始める。
「……」
今度は無言でその手をハシと、振り払った。
「きゃーきゃー」
くそう……、誰かどうにかしてくれ、このバカ女達を。
「コラコラ、キミ達、その子にあまり近づかないほうが良いよ」
そうこうしているとフェリクスが戻ってきた、その手には損害賠償などの証書と、あの壊れたショートソードが握られている。
「どーしてー、かわいいじゃんー」
「危ないよ、ぐちゃぐちゃにされちゃうぞ」
ぐちゃぐちゃ……、恐らく禁忌技のポイズンブロウの事を言っているんだ。
「え~、何ぐちゃぐちゃって~」
「キミ達なんてユーノにかかれば一瞬さ、ぐちゅぐちゅのビチャビチャだよ、な? そうだろユーノ」
「すっごい、こんな子どもがマジ?」
「さすがフェリクスの知り合いー」
これ以上バカに付き合う気はない、こっちまでおかしくなりそうだ。
ボクは怒りを隠さない、こんな人達に礼を尽くす必要もない、無遠慮に憤怒の感情を向けてやった。
「ヤダー、ぷっくりほっぺかわいいー、ほらぁ、ふにふによーふにふにー」
どこまでボクをバカにするつもりだ、おまえ達は関係ないんだ、一言ガツンと言ってやる!
しかし、女の子の一人にほっぺたを左右からムニュっとつままれ、ボクは、タコになった口をむにゅむにゅ動かすことしか出来なかった。
「ほらほら、僕はユーノと大事なお話があるんだよ、キミ達は少し外してくれないかな?」
「はーい」
結局フェリクスに助けてもらう形になる、いつもそうだ、最低だと思っているフェリクスは常にボクより上をゆく、それがなおもくやしい。
「ふー、お互いモテる男はツライね、ユーノ」
相変わらずスカしてそんなセリフを吐く、今はフェリクスにイジメられていた時の事しか思い出せない、上手に返せる言葉など一つも浮かんでこなかった。
ニヤリと笑った気がしたフェリクスは、ボクが差し出す袋を受け取り、中に詰まっている金貨をひと目確認すると、袋の重さを少し確かめた。
「うん、良いだろう」
……雑だ、きっちり耳を揃えて用意した大切なお金だ、せめて数えてほしかった、でもフェリクスは大体で良いみたいだ、金額が足りなくても関係ないらしい。
「ほら、これが損害賠償の証書だよ」
丸めて麻紐で閉じられた羊皮紙を受け取る。
「あと、このショートソードはもう要らないからユーノにあげるよ、お金を払ったんだ、もうユーノの物だよ」
売って生活費の足しにしなよと、今のボクにまったくお金が無いことを見透かして、施しを与えるつもりだ。
折れてはいるが、元は一千万の価値があるショートソードだ、くやしいけど、ボクはフェリクスに言われるまま、そのショートソードと鑑定書を受け取った。
あの三バカの女の子達のせいで、無駄に嫌な思いをしたが、これですべての用事は済んだ。
本当言うと聞きたい事もある、エメリーはどうしているのか、でもそれは聞かない、“関係ないだろ?”と言われるのがオチだ。
余計な口出しをして、フェリクスと再びコトを構えても仕方ないし。
そもそも、今日連れているのは三人の女の子だけだが、いつもはエメリーを含めた四人かもしれない。
そんなこと、知るのが怖いよ、ボクはもう関係ないと決めたんだ。
「そうだ、なあユーノ、またPTを組まないか? エメリーも居るぞ?」
「……いい」
どのクチで言うんだフェリクス、ボクは口惜しくて仕方なかった。
「そうかい? まあ気が向いたらいつでも来ればいいよ」
「……いい!」
ブンブンと頭を横に振って、踵を返して逃げるように走った、何故次から次へと嫌なことばかり言うのか。
フェリクスの表情は完璧な爽やかイケメンだ、元世界でイジメられてきたボクは、瞳の奥にある悪意にも敏感だった、だが、フェリクスからはそれを感じない。
でも、明らかに異常な振る舞いだ、絶対バカにしているのは分かる、そのハズなのに、悪意の気配を見せないフェリクスに異様な不気味さすら感じる。
まるで、こんなことには慣れている、そんな感じだった。
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気が付けば、フェリクスのショートソードを大事そうに両手で抱えて、大通りをアジトへと向かっていた。
ショートソードの柄は金の装飾が施され、様々な宝石もあしらわれている、剣身は折れているが、実際に売ったら幾らになるだろうか。
フェリクスにコテンパンにヤラれたボクだが、だからと言って、憎いままにこのショートソードを投げ捨てるほどボクは子供じゃない、見た目は子供だけど。
こんなものを後生大事にしていても仕方ないんだ、売ってしまおう、そう思い立ったボクは、以前、懐中時計を買ったお店へ足を運んだ。
異世界のお店は交渉次第で色々買い取ってくれる、例えば毛皮なら、道具屋、衣料品店、武器防具店などが買い取ってくれる、少量ならギルドにも売れる。
懐中時計を買ったお店は貴金属を扱っている、武器屋ではないが、このショートソードの綺羅びやかな装飾に、きっと価値を見出してくれるはずだ。
このお店へは懐中時計を買った時から一度も来ていない、そう言えば、その頃はエメリーと一緒に居て一番楽しかった時期だ。
しかし、そんな事を思い出すと、決まって嫌な思い出も後から浮かんでくるので、すぐに振り払う。
あの時と同じく、小さなテーブルで作業をするおじさんに声を掛けた。
「ああキミか、冒険者の」
「ボクのこと覚えているんですか?」
「黒毛のシープ族は珍しいからね、おっと失礼、して今日は何が欲しいのかな?」
「あ、はい」
やっぱり黒毛シープの印象は強いみたいだ、それはともかくとして、ボクはショートソードを取り出す。
「このショートソードなんですけど、こちらで買い取ってもらえないかと思って」
「ふむ」
ショートソードを受け取ったおじさんは、表裏と眺めた後、スッと鞘から抜いて、折れた剣身もまじまじと眺めていた。
「あ、あの、壊れちゃってるんですけど、やっぱりダメですか?」
「ふーむ、宝剣フォルタナか」
確かに鑑定書にはそう書いてある、でも、おじさんはまだ鑑定書を見ていないのに名前を言い当てた、このショートソードはそんなに有名な剣なのか?
一千万ルニーもするんだ、きっと名のある名剣なのだろう、そう思うと、改めてとんでもないものを壊してしまったと身震いする。
「有名な……剣なんですか?」
「まあ、有名だね」
おじさんが言うには、このショートソードは大昔の大商人がこしらえたもので、その大商人にあやかって幸運と富を呼び込むと言われ、貴族やお金持ちの間で取引されてきた物だという。
「そんなに価値のあるものだったなんて」
「ほどほどだよ、この程度の品はそこらじゅうに溢れている、それにしても状態が悪いね、これじゃ値段はつけられないよ」
鑑定書が添付してあっても、肝心のショートソードが壊れているんだ、その価値はまったく無いといえるだろう。
「ごめんなさい、戦闘中にボクが壊してしまったんです」
「戦闘中に? それは無茶だよ、この剣は装飾剣だ、戦えないよ」
「え、どういうことですか?」
宝剣フォルタナ、このショートソードは観賞用で戦いに耐えるものではないという、お金持ちの部屋の壁とかに飾るものらしい、剣の由来からして、商売繁盛のお守りなんだ。
「それに私が価値が無いと言ったのは、この折れている剣身じゃないよ、本来この剣は鞘に収めて飾るものだ、重要なのはこの装飾だよ」
剣の部分が折れている、これは確かに大きなマイナスだ、ショートソードとしての体を保てなくなる。
しかし、この宝剣フォルタナの価値はそれだけではない、柄や鞘にこれでもかとある装飾も大事だ、そこのダメージが大きいという。
「ふーむ、宝石も随分抜け落ちてしまっているからね、価値は付かないねぇ」
つまり、フェリクスが持っていたこのショートソードは、戦うものでもないし、そもそも、初めから一千万ルニーの価値も無かったということだ。
だま……された? でも何故?
ボクの八百万ルニーを受け取る時も、フェリクスはお金に興味がなさそうだった、それにフェリクスは本当にお金持ちだ、お金が目的とは思えない。
ただ嫌がらせするためだけに、この宝剣をボクに折らせた? そんな事ありえない、そんな事を考えるボクの発想の方がおかしいと思えるほどだ。
「どうしますか? この宝剣にはもう価値が無いけども、まだ残っている宝石を集めれば、その分は買い取れますよ」
「いくらに、なりますか」
おじさんは、ルーペで残っている小さな宝石を鑑定する。
「三万ルニーだね」
「三万ルニー……」
たとえ剣身が折れていなくても、この状態では価値はたいして違わないと言う、ボクは三万ルニーの剣に、八百万ルニーを支払ったのか。
八百万を貯めるのに協力してくれた人達にも申し訳ない、ミルク、リメノ村の人々、そしてオズマ……、それぞれの顔が思い浮かんでは消える。
しかし、証書の請求額の欄には、はっきりと八百万と記載されていて、そこにはボクのサインもしてある。
ボクが迂闊だったからこんな事になった、ボクが正しい判断ができなかったばかりに、簡単に騙されて。
なぜフェリクスはこんな事をしたのか分からない、ボクは怒りに震える拳を抑えるのに必死だった。
今すぐにこの宝剣を持ち帰り、どこかそこらの石に叩きつけて壊してしまいたい、原型を留めないほどに粉々にしたい、そうでもしないと腹の虫が治まらない。
「すみません……、それで良いです、お金にしてください」
しかし、壊したからどうだというのだ、そんなところをフェリクスに見られたら、またフェリクスを楽しませるだけだ。
財布には二十万ルニーが入っている、八百万を支払ったためこれが全財産だ、この宝剣を売って得る三万ルニーだって大切だ。
ボクはたった三枚の銀金貨を握りしめ、お店を出た。
辺りは完全に夜になっている、その中をアジトへ向け歩く。
こんなに暗い街を歩くのは初めてだった。