03 異世界の森
音の出処は小さな泉だった。滾々と湧き出た水は泉から溢れ、流れ落ちて小川になっている。
とっても綺麗な湧水だ。ボクはもう、生水の危険性とかそんなのどうでも良くて、すぐさま泉に顔を埋めてひとしきり飲んだ。
「はあ、はあ、たすかっ……た」
冷水が全身に浸透してゆく。あと少しで何もかも諦めるところだった、何とか命をつなぐことができた。
ふぅと一息つき、顔を上げる。
頭上からは縦に木漏れ日が降り注いでいる。基本うす暗い森の中も、この時間帯は沢山の光が差し込んできて明るい。
静かに張った水面は、そんな周囲をよく反射して、鏡のようになっていた。
そうだ、小さくなった自分の姿を確認しておこう。そう思い立って、全身を水面に映してみる。
……やっぱり、完全に子どもの姿になってる、不思議現象に心が落ち着かない。
十歳くらいだろうか、小さい頃の姿なんてあまり覚えていないけど、これは間違いなく、昔のボクだと思う。
「あれ?」
水面に映った姿を眺めていると、見た目が子どもという以外でおかしな所を発見した。その場に座り込んでさらに覗き込んで見る。
なんだ? 頭に何か付いているように見えて、はたと手をやってサワサワしてみる。
硬い、しかも頭にくっついている、これは……。
「ボクの頭に、角が生えてる」
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角の大きさは、小さなボクの手で覆い隠せるくらい。こんなのが頭にくっついていたなんて、今まで全然気が付かなかった。
ヒツジの角みたいな、くるくる巻いてるやつだ。ちょうど一回転してる。
もうパニックになる気力すらない。ボクはやれやれと、日中の暖かいうちにやっておきたいことがあったので、それを実行することにした。
泉から溢れ出た水は、重なる岩の間を流れ落ち、小さな滝のようになっている。その滝で、土や汗でドロドロになった体を洗うことにした。
服を全部脱いで、近くの大きな石の上に重ねる。
そういえば、周囲には大きな石がたくさんあった。水の重要性に比べれば些細なことだけど、初めて景色に変化が現れたとも言える。
真っ裸になってミニ滝壺へ入る、新鮮な湧き水は疲れきった筋肉に射し入るように冷たい。その中に座り込んで、放り出した足から洗ってゆく。
痩せている。この前までぷにぷにだったのに、明らかに栄養不足だ。不安を通り越して寂しい気持ちになってくる。でも、泣いていても始まらない。
角も洗っておこう、この“角”は取り外すとかそういうことはできない。これも体の一部だとしたら、キノコとか生えたらイヤなので、ちゃんと洗っておく。
「……服も、洗っておこうかな」
これから先は、この小川の水を飲みながら進むことになる、でも、小川は細いけど水量は豊富だ、ばっちぃのもみんな流れちゃう、洗濯しても大丈夫だと思う。
まあ、そんなの気にしている場合じゃないし、多少飲んだ所で死ぬわけでもない。ボクはぱんつまで全部洗濯しておいた。
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近くにあった平たい大きな石の上に、洗濯したものを広げ、同じくボクも石の上で大の字になって、まとめて天日干しする。
ゴリゴリゴリ……。
暇なので角を石に押し付けてみた。ゴリゴリしても痛みは感じない、角に傷もつかない。それどころか石のほうが砕けて粉になる。
硬い。石を削っても何ともないなんて、角は動物のホネ的な物だと思うんだけど、異様な硬度だ。
「角か……、これはもうアレだと思う、異世界転移だと思う」
姉達の手によって、見も知らない森の中に放置されたわけじゃない、謎の薬を飲まされて、体は子どもになったわけでもない。
ボクは異世界に転移している。
こんな結論に至るなんて、前に読んだウェブ小説じゃあるまいに。でも、そうでもなくては、この状況の説明がつかない。
いつ転移したのだろう、そうだ、O.G.O(オールド・ゴッド・オンライ)のプレイ中に、見たことのないエリアに飛ばされて、そのまま意識を失ったんだ。
目が覚めたらこの森にいた。その時のことはよく思い出せない、なにせ寝落ち寸前だったんだから、夢とも区別がつかない程なのに。
それでも、これだけ摩訶不思議なことが身に降り掛かっていると、異世界転移も半分は信じる気にもなる。
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ボクはゲームも沢山するし、ネット小説だって読んだことがある。異世界転移についても、そんなに詳しくないけど知ってはいる。
他に転生とかもあるけど、ボクのケースだと転移だ。ゲームの中から異世界に転移したんだと思う。
なぜそう思ったのか、それはやっぱり、このくるくる角がくっついているから。
自キャラだった魔王にも角が生えていた。もっと迫力ある角だったけど、子共に戻ったというのなら、この小さなくるくる角になっていてもおかしくない。
少し希望が見えてきた、ゲームキャラの力が使えれば、この気味の悪い森だって簡単に突破できる。
よし、ならば色々と試してみよう。ボクは、日向ぼっこをしていたままの全裸姿で立ち上り、右手を胸に当て集中した。
「ステータス、オープン!」
右腕を突き払うと同時に、発した言葉を強く意識する。
……何も起きない。
おかしい、異世界ではステータスの確認ができると思ったのに。
そういえば、視界にHPバーがあるわけでもなく、裸眼で見えているのはただの現実の景色だ、ゲーム的な視覚情報は展開できないパターンかもしれない。
それならばと、一気に本命を試すことにする。スキルの行使だ。
O.G.Oからの転移だから、ボクの種族は魔神でジョブは魔王になる。ということは、ボクには魔王の力が備わっているはず。
そうは思ったけど、実は、ボクのキャラクターはクセが強くて、どう確かめようか考えあぐねいていた。
ボクの“魔王”は、仲間を強化するバフと、敵を弱体化させるデバフに極振りしている。しかも、それらは自動発動のパッシブスキルで効果が目に見えない。
ツリー形式でスキルを取得するため、足掛かり的に覚えたスキルも幾つかあるけど、主に即死や呪いといったスキルばかりで、見てすぐに分かるスキルじゃない。
目標に使用しないと効果が現れないし、動物も居ないこんな森では確かめようもなかった。
仕方ない、発動したら大変な事になるけど背に腹は代えられない。魔王スキルの中では数少ないブッパ系のスキルを試してみよう。
使用するスキルはプロミネンスダムド。巨大ワームのような、呪いの炎が大地をのたくるという、見た目にも迫力のあるキモいスキルだ。
攻撃と共に恐怖ステータスを与える、強力なデバフ効果がメインとなるスキルだが、この森に使えば、見える範囲は焼きつくされるかもしれない。
でもやるしかない。ステータスが見えない、つまりバフアイコンも見えないのだから、直接効果が分かるスキルを試すしかないんだ。
「よし」
決心して平たい石から降りる。洗った衣服はまだ完全に乾いていないので裸のままだけど、どうせ誰も居ないので気にせず実験の準備を進める。
お世話になっている杖を持ち、スキルの影響で泉が壊れないように、少し離れて森の一方向へと目を向けた。
スキルの発動もネット小説を参考にする。体内に血液のように魔力、O.G.Oでいう神力が循環していると仮定し、それらをスキルに変換するイメージだ。
そして、杖を高々と掲げ、スキルの名を叫んだ。
「プロミネンスダムド!」
大きく唱えた声が森に木霊する。次の瞬間、グラッと地が揺れたかと思えば、ゴバァと幾つもの紫炎が地面を割って立ち上がり……。
立ち上がり……あれ? 何も起きない。
イメージが先行して妄想が止まらなかったが、気がつけば何もなく、森には静寂が戻っていた。
少し間違えちゃったかな、また別の方法で試してみよう。
何度か試してみる、しかし、スキルが発動する気配は全くない。結果、プロミネンスダムドを使うことはできなかった。
「そんな」
愕然とした。
やっぱり無理なのか、期待に焦って常識を逸脱しすぎたのかもしれない。冷静になってみれば、こんなことできるわけないのだから。
そっと頭の角を触ってみる、ここに確かに角が生えている、他にも色々ファンタジーなことが起きているのに。
それらを加味すると、非常識をすべて切って捨てるにはまだ早い。考え方を少し変えてみることにした。
そもそも、ここはO.G.Oの世界ではない、こんな気味の悪い森はなかった。
それに、くるくる角さえ有りはするけど、今は銀髪と赤目の魔王の姿でもない、見た目は日本人の神代優乃だ。子供だけど。
だとすると、O.G.Oに拘る必要はないのかも。ファンタジー現象が起きていることは確かなんだ、この世界がスキルに対応していない可能性もある。
ボクの強大な神の力は魔法ではなく、すべてスキルと表記されていた、本質的に魔法ではない。
神の力は発動しなかった、ならば、ゲームのことは一旦忘れて、オーソドックスな魔法を試した方が良い。
魔法に向き合う心はかなり懐疑的になってしまったが、それでも試さない訳にはいかない。バカらしいと思っても、これができなければ、森を彷徨う今の状況を打開するのは難しい。
「ファイア!」
……やはり発動しない。しかしまだだ、諦めずにウォータも唱える。「炎よ」と言い方を変えてみたり、精霊魔法を試したり。
でも駄目だった、何の手応えもないまま、仕舞いには魔王とは真逆の神聖魔法も一通り試したけど、一つとして掠りもしなかった。
その頃にはもう、ボクは力なくうなだれて、平たい石へと引き返していた。
さっきまで期待に胸を膨らませていたのに、心にカラ風が吹いてすべて拭い去ってしまった。残ったのは絶望という二文字だけだ。
普通に考えれば魔法なんてあるわけない。仮にあったとしても、正しい発動の仕方も解らないのではどうしようもない。
そもそも異世界転移じゃないかもしれない、もっと別の、パラレルワールドや遠い未来、過去に飛ばされたとか。転移にしても形は一つじゃない。
そうなってくると、結局何も分からないんだ。
「チートが使えると思ったんだけど、違ったみたいだ」
何も分からない現状では、逆に考えれば可能性が無いとも言えない。でも、今の状況だと、ぶっちゃけ生きてゆく事すらできない。
こんな子供が、何も無い森でサバイバルするのか? 碌な知識すらないのに。
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一途の望みも途絶えて、失意のもと平たい大きな石へと戻ったボクは、さっきと同じように寝そべっていた。
徐々に森に差す木漏れ日も弱くなってきている。今日は殆ど歩く距離は稼げなかった。
でも、泉に辿り着けたおかけで何とか命を繋げることができた。明日から、また少しずつでも歩けるだろう。
常緑樹っぽいキモ杉しかないので季節は分からないけど、気温は一日を通して少し寒い。日中はまだ快適にすごせるけど、夜はけっこう肌寒くなる。
そんな森の中で干したにしては、良く乾いた服を着て、暗くなる前にシェルターを作ることにした。
周辺には大きな石が沢山ある、今ベッド代わりにしている石もそのうちの一つだ。その中でシェルターによさそうな石を見繕う。
壁のような石を発見したので、キモ杉の枝を立てかけてゆく。隙間を小枝や葉っぱで埋めて、地面にも厚く葉っぱを敷き詰め、一応の寝床は完成した。
こんなのやったことなかったけど、完成してみると結構良い感じに組み上がった。三角筒の空間は十分に寝そべれるし、膝を抱えて座る広さもある。
今日は時間に余裕があったから、この世界にきて一番良い環境を作ることができた。真っ暗になる前にその寝床に潜り込む。
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「はあ、おなかすいたな……」
これからボクはどうなるんだろう、なんとか水にはありつけたけど、食べ物がなければ当然死ぬ。
水だけでどのくらい持つだろう、全力で歩きながらだともって数日か。何としてでも食べるものを探さなくては。
しかし、この森には動物はいない、魚も、木の実も、虫さえもいない。
まあ、いたとしても捕まえることもできないし、運良く肉を手に入れても、生のままかぶりつくのはボクには無理そうだけど。
火もないし、何もない。ついでに言えばサバイバルの知識もない。一人で生き延びるにはあまりに厳しい状況、すぐに人が見つかることを祈るばかりだ。
とりあえず出来ることは、体が壊れないように気をつけながら、少しでも遠くへ歩くこと。そうとなれば早く寝て、体力の温存と体調の回復をしよう。
今日はいつもより空気が冷たい気がする、たくさん集めた葉っぱに潜り込んで、ボクは眠りについた。