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その日から、結愛から唯都に話しかける回数が少し増えた。
従兄妹だが、唯都は結愛の事を妹のように思っている。
妹に懐かれるのは嬉しいと思ったが、親しく話しすぎると、気が緩んで、女性口調が出そうになる。
唯都は慎重に結愛と接した。
下校時間の鐘が鳴る。
友人に声をかけられる前にと、唯都はそそくさと席を立った。
唯都は部活に入っておらず、掃除当番も無かったため、少し早めに学校を出る事が出来た。
まだ下校する生徒が少ない中、校門から続く道を歩く。
角を曲がり、学校が見えなくなって、やっと歩調を緩めた。
ぼんやりと、周囲に目を向けた時、唯都が歩いている歩道の横に、バスが停まった。
中から女子生徒が降りてくる。
近くの高校の制服を着ていた。
女子生徒が手に持っている携帯電話に、四葉のクローバーを模したストラップが付いているのが見える。
プラスチックの四葉は、光を反射して揺れた。
唯都は顔の向きを変えずに、目線だけストラップに向ける。
(あ……かわいい)
顔にも声にも出さないで、あれなら手作り出来そうだと必要な材料や手順を頭の中で考える。
そしてすぐ、溜息をついた。
作るのはいいが、それを使う機会が無い。
唯都は携帯電話にも鞄にも、装飾品は付けていない。
普段から、何処までもシンプルな物を選び、身につけている。
我慢出来ずに手作りしてしまったアクセサリーや小物類をどうしようかと、頭を悩ませた。
そろそろ置き場所、もとい、隠す場所が無い。
作るのも、見るのも好きだが、自分でつけたいわけでは無い。
唯都は小学生の時の出来事を気にして、自分の趣味は未だに隠していた。
学校から出て最初の信号に差し掛かり、その赤い色を見て立ち止まる。
目の前を車が横切っていく。待っている間、きりきりとした痛みを感じて、腹部に手を当てた。
目を細め、遠くを見据える。
(まただわ……)
最近唯都は、このような痛みに悩まされる。
それは母親が死んでから、年々、少しずつ悪くなっていた。
(今日はひどいわね……)
――唯都、今日帰り遊ばないか? 唯都の家行きたいんだけど。
――悪いけど、用事があるんだ。
――ええ? お前いつも用事あるじゃん。何だよ、何か見られたらまずいものでもあるのか?
――本当に用事があるだけだって。俺の部屋、面白いもの何も無いよ。遊ぶなら、今度俺以外の家にしようよ。
(友達と遊んでも、楽しくないのよね……)
今日あったやり取りを思い出していると、信号がやけに長く感じた。
車が停止線の前で停止して、そろそろ信号が変わろうかという時、後ろから駆けてくるような音が聞こえた。
かちゃかちゃと、金具がぶつかるような音もする。
信号が青に変わった。
音を気に留めず、唯都が足を踏み出す。
ゆっくりと歩き出した唯都の横を、何かが追い越していった。
かちゃかちゃ、と真横を音が通り過ぎる。
唯都の前方に、赤いランドセルが現れ、先に横断歩道を渡りきった。
そのランドセルは、向かい側の歩道に辿り着くと、くるりと向きを変えて、立ち止まる。
唯都の顔を見て、一つ頷いた。
あれは、やっぱりそうだ、という表情だろう。
(あの音は、ランドセルの金具の音だったのね)
赤いランドセルの小学生は、唯都の到着を待って、彼に話しかけた。
「おにいちゃん、一緒に帰ろう」
結愛が、少しも嬉しくなさそうな顔――正確には無表情で、唯都を見上げている。
彼女は、少し息を荒くして、頬を上気させていた。一目見て、走ってきたと分かる顔だ。結愛の通う小学校と、唯都の通う中学校は、道路を挟んで向かいにあるため、通学路も全く同じである。
唯都は、自分を見つけて走ってきたのだと気付いて、結愛の頭に軽く手をのせた。
「いいよ」
結愛が唯都の横に並んで、二人でゆっくりと歩き出す。
時間は穏やかに流れた。
帰り道、二人の間に会話は無い。
今に限らず、唯都は結愛が側に寄ってくると、少し気まずい思いをする。
決して嫌では無いのだが、何を話していいか分からないのだ。
結愛は、あまり表情が変わらないので、何を考えているのか、分かりづらい。
ビーズの犬を直した件から、自分から寄ってくるようになったので、嫌われてはいないだろうと判断していた。
兄妹なんて、そんなものかもしれない。
唯都はそう思った。
二人はそれなりに、仲良くやっていた。
叔母の家、宮藤家では食事の席は特に決まっていない。
夕食時、唯都が椅子に座ると、後からやって来た結愛が、隣に座る。
それも少し唯都に近づけて。
食後、ソファに座って、唯都がテレビを見ていると、大抵結愛も寄ってくる。
気を利かせて、唯都が端に詰めると、広いソファは四人くらい座れるスペースが出来る。
だが結愛は端に座らず、唯都にくっついて座る。
唯都は何も言わないし、結愛も何も言わない。
黙ってテレビを見ていて、ふと横を見ると、結愛がじっと唯都を見ている事がある。
よくあることなので、唯都は何も聞かない。
結愛も、特に言いたい事があるわけではないのか、話題を振ってくる事も無かった。
唯都の姿が見えると、結愛が近づいてくる。
結愛は煩くないし、唯都に迷惑をかけているわけでもない。
雛鳥のように付いて回る妹を見て、唯都は余計無口になっていた。
口を開けば、余計な事(オネエ口調)を言ってしまいそうだからだ。
(……なんなのかしら、このかわいい生き物)
サラサラな黒髪を、撫で回したい衝動に駆られる。
(本当、お人形さんみたいにかわいいわね……無口なのがまたいいわ、なんかこう……媚びてない感じが! 妹ってこんなにかわいいものなの? ああ、でも……)
「痛……」
腹部に痛みを感じて、唯都の口から小さな声が漏れた。
結愛の事を考えると、面映い気持ちになったが、同時に、あの、きりきりとした痛みも襲う。
腹部を押さえて顔を歪めた唯都に、結愛が声をかけた。
「おにいちゃん、どうしたの?」
心なしか、心配そうな表情に見える。
「……なんでもない」
額に滲む汗をさりげなく拭い、唯都が立ち上がる。
一言断って、唯都は階段を上がり、自分の部屋に篭った。