ダークマター先輩登場③
姫様との楽しい折り紙の時間はあっという間だった。時刻は現在、午後六時半。
ていうか料理は!?料理研究部のくせに全く料理をしていないけど大丈夫!?今日の活動だと完全に折り紙部だよ!?
宮島は習い事、姫様はキャンプの準備ということで、二人は十分ほど前に手を繋いで帰っていった。
僕はダークマター先輩に「ちょっとこの後時間をくれないか」と言われたので、二人で部室に残っている。
「今日はすまなかった。純の気持ちを一切考えず、無理矢理連れてきてしまって」
「……それって本当にそう思ってます?」
ダークマター先輩の無茶苦茶な行動の中にすまないなんて気持ちがあるとは一切思えなかった。
「いやー……ははは」
先輩は誤魔化すように笑った。
やっぱ申し訳ない気持ちなんて無いんじゃねえか。
「まずなんで僕をこの部活に無理やり連れて来たのかだけでも教えてください」
「そうだな、では単刀直入に言わせてもらおう」
「ええ」
「ちなみにどんなことを言われても引かないか?」
「勘違いをされているようですが、僕はもう十分引いていますので今更そんなことは気にしないでください」
先輩は目を閉じて「ふーっ」と大きく深呼吸をし、覚悟を決めたようにこちらを見た。
「純は私の王子様なんだ」
……え?
「すみません、先輩。意味が分からないです」
「言葉のままだ」
「言葉のままと言われても、その『私の王子様』ってのが何なのかが全く分からないです」
「聞いたことないか?白馬の王子様って」
「乙女の永遠の憧れの……?」
「そうだ!分かっているのなら話が早い。純こそ私にとっての白馬に乗った王子様なんだ」
恥ずかしがる様子など一切なく、むしろ胸を張って先輩は言い切った。
「いやいやいや、僕のどこが王子様なんですか!」
どちらかと言うとしもべとか召使いだと自分でも思う。
「すべてだ」
……はい?
「その容姿も声も、もちろん内面も。すべてが完璧な私の王子様だ❤」
「ははははー……そうですか」
「わかってくれたのか!?」
「退部します!」
僕は鞄を持って地面を蹴った。とにかく部室の外へ全力疾走じゃああああ!
しかしまわりこまれてしまった!
「待て!まて純。話せばわかるはずだ」
「わかるはずないでしょそんなもん!」
詐欺だ。こんなもん詐欺に決まっている。きっとこの後高い壺を買わされるんだ。
「とにかく一旦冷静になるんだ。そうだ、グミ食べるか?」
「食べねえわ!!このタイミングでグミ!!」
「はああぁぁーっん!!!」
急に奇声を上げながら体を捩らせる先輩。突然の先輩の意味不明な行動に僕は思わず後ずさりをした。
「なななな何ですか急に!怖っ!!」
「ふ、ふふ、不意打ちとはやるな。純。わ、私をこんなに興奮させてどうするつもりだ?」
両腕をクロスさせて肩の辺りを抑えながらワナワナと震える先輩。
何なんだ一体この人は。急に勝手に興奮し出して……。
いや待て、この前も同じようなことがあった。
喫茶店で会った美人変態OL。あの人も僕が何かを言う度にこうやって体を震わせていた。たしかあの時最後に言ってたな。「あなたのツッコミ、とても痺れたわ」って。
「もしかして僕のツッコミで……」
「純、頼む。もう一回、もう一回だけでいいから」
「うるさい気持ち悪い!!あんたが一番冷静になれ!!」
「あぁーっん!!!」
「その気味の悪い奇声を止めろおおおおおお!!!!」
「ふぁぁーっん!!!」
「だからその奇声を…!!」
「ひぃぁぁーっん!!!!」
「エンドレス!!!!!」
*
「はあっはあっ…」
奇声を上げ過ぎて疲れたのか、ダークマター先輩は汗だくになりながら肩で息をしている。
「じゅ、純のせいでこんなにビショビショに……」
先輩は全身をすっぽり覆っていたマントを脱いだ。中から汗でグッショリ濡れた学校指定のブラウスとスカートが姿を現した。脚には黒いタイツをはいている。
マントを着ていたので分からなかったが先輩はかなりのプロポーションで、ブラウスが苦しそうに悲鳴を上げていた。はち切れんばかりとはまさしくこのことだろう。
そのはち切れんばかりの状況に汗で濡れた状況がプラスされ、ブラウスの下に着ているものが透けて見えてしまっていた。
く、黒か……。
「純」
「は、はひい!見てません!何一つ黒いものなど」
「何を訳の分からんこと…。まあいい。ちょっとタイツを脱ぎたいから反対側を向いていてくれるか?」
「なななな何をおっしゃっているんですか!?僕は外に出ていますから!」
「ダメだ」
「ふぁっ!?」
「だって純はさっき逃げようとしたじゃないか。まだ話が済んでないのに」
「もう絶対に逃げませんから!!」
「いや、信用できんな。取りあえず着替えている間に誰かが入ってきても困るから鍵だけ閉めておこう」
先輩は部室の鍵を内側から閉めた。
部室の中には僕と先輩の二人だけだ。
「ちょっ!!いきなり脱ぎ始めないでください!」
「何だ、まだこっちを向いていたのか?反対側を向いていろって。まあ純に見られるのなら本当は構わないが、まだ出会ったばっかりだしな……」
「向きますから反対側!!ちゃっちゃと済ませてください!」
僕は反対側を向いた。そしてそのまま直立不動。
よく考えればやましいことなど一つもない。人間が衣服の着脱をするそれだけの話。
僕の心は明鏡止水。そう、明鏡止水だ。僕の背後では何も起こっていない。
明鏡止水。明鏡止水。めいきょうしす…。
「んっ…あっ」
だああああああああ何だその声は!マスクの変人のくせに何故それほどの色っぽい声が!背中に猛烈に汗をかきはじめた。ダメだダメだ。煩悩が出てきやがる。頭の中で今先輩が着替えているところのイメージがダメだあああああああ!!!!僕の豚!!豚人間!!あくまで明鏡止水だ。明鏡止水。明鏡止水。
「あっんっ…」
なああああんで着替えるだけでそんな声が出やがるうううう!!!!「あん」じゃねえええええ!とっても大好きどらえもんかああああああ!
ていうかもう着替え終ったんじゃない!?ねえ先輩、流石にもう終わったって言って?
とその時、僕の耳元に「ふぅーっ」と優しく息が吹きかけられた。
「ひいいいいいいいいいいいいい!!!」
「はははは!驚きすぎだろ純。すまんな。終わったぞ」
僕はその場にへたり込んだ。先輩による耳への攻撃で完全に腰が抜け、立っていられなくなった。
奈落に落ちていくかと思ったわ!!トイレに座ろうとしたときに便座が上がっていた時くらい奈落に落ちていくかと思ったわ!!
「も、もうホント勘弁してください……」
今度は僕が着替える必要があるくらい全身に汗をかいていた。
「さて、着替え終わったところで本題に入るか」
「やっとですか……」
「さて、まず順序を追って話を進めよう。先程私は純のことを白馬に乗った王子様と表現したな」
「はい、そこから話がややこしくなっていきました」
その後何故か先輩が興奮し、ツッコみ、興奮しを繰り返して今に至る。
「あれは本心だ。私はずっと探していたんだ……。純のことを」
先輩は恥ずかしそうに下を向き、頬を赤らめた。その様子は先ほどの変態とは打って変わり、まるで純真な女子高生のようだ。その仕草に思わずドキッとする。
「うっ……。僕のどこがいいのかは分からないですけど、まあいいとします。そうだとしても何で僕がテニス部を止めて料理研究部に入る必要があるんですか?」
「ラブコメだ」
白く美しい手を人差し指だけ伸ばし、僕の方をビシッと指をさしているダークマター先輩。
……何言ってるのこの人。
「……はい?」
「私はラブコメがしたいんだ。運命の相手と一緒に」
「……もう一度確認しますけど、僕が連れて来られた理由は?」
「だからラブコメ」
「他には?」
「無い、ラブコメ」
よし、帰ろう。
「先輩、お疲れさまでした。僕はテニス部に戻ることにします。今までありがとうございました」
僕は鞄を持ち、颯爽と部室から出ようとしたが、先輩にがっしりと手を掴まれてしまった。くそ、またしても脱出失敗か。
「まあ待て純」
「待ちません。ラブコメをしたいと堂々と宣言するなんて変態ですし、ラブコメしたいくせにそんな格好しているのも変態です。そんでそのために全然関係ない後輩に部活を辞めさせて連れてくるのも変態です。お疲れさまでした」
まるで変態のバーゲンセールだ。すごいぞこの人は。
「まあ最後まで聞け。私がラブコメをするとしたら、ヒロインはだれだ?」
無理矢理僕を引き戻し、勝手に話を進める。
「そりゃ、先輩でしょう」
「だろうな。だったら主人公の男子役は誰だ?」
「知りませんよそんなの」
ダークマター先輩は僕の方に歩み寄り、綺麗な両手を僕の肩に乗せた。身長が同じくらいなので、顔と顔が同じ高さで近づく。
ふわっと優しい香りが漂ってきた。香水のような強い香りではなく、自然と漂う香りに鼻をくすぐられる。さっきまであんなに汗をかいていたのに、なんでこの人はナチュラルにこんないい匂いがするんだよ!
ていうかそれより近い。思わず自分が赤くなってしまっているのがわかる。マスクの変態に顔を近づけられて赤くなるなんて僕も変態なのだろうか。
「純、いいか。私にとっての主人公は純なんだ」
ダークマター先輩は一切笑っていない。もしかしたらマスクの下で目だけすっごい馬鹿にしてたりするのかもしれないけど、そんな器用な人間は見たことが無いので一応真剣だということにする。
「ここ数日、純のことをストーキン……いや、監視させてもらった。その結果、純はすべての項目で圧倒的に強い主人公要素を持っていることが分かった」
「主人公要素…?」
てゆーかそれより監視の前にストーキングって言おうとしただろ!ただツッコんでいると話が進まなくなるので仕方がなく割愛。
「知らんのか?ラブコメの主人公には主人公たるべき六つの要素があるんだ。私が考えた」
「だったら絶対知らねー……でございます」
危ない。危うくツッコんでしまうところだった。意外とツッコミを我慢するのは難しい。
「まず、ツッコミだ。純は私がテニスコートに行ったときに、私の意味不明な発言に対して臆することなくツッコんでいた」
「そりゃ先輩があんな変なこと言うから」
「ヒロインの私がボケの場合、主人公は純のようにどんな状況でもツッコミをする『無条件反射のツッコミ』の異能を持っていなければならない」
僕の異能、名前だけ無駄にかっけえええ!!!
まあ普通に考えると、ただ我を忘れてツッコんじゃう痛いヤツだけどね。
「……異能って?」
「簡単に言えば特殊能力のようなものだな」
今一よく分からないが、例によってツッコんでいては話が進まないのでまたしても割愛。
「脊髄で反射したようにツッコミが出てくる純は、まさしく主人公に相応しいのだ!」
僕の反応など全く気にせず、ダークマター先輩はどんどん捲し立てる。
ダメだ。オタクが自分の理論を語るときのそれになってしまっている。こうなると手が付けられない。
「ちなみに、主人公問題とは別だが、私はツッコまれると興奮する性質だ。特にこの間のテニスコートで分かった。あの身体の痺れ具合、君のツッコミと私の身体は相性がいいらしい」
「だから今日ずっとクネクネしてたのかよ!!先に言え先に!!」
「パ、『無条件反射のツッコミ』…」
ダークマター先輩は両手の指を絡めるように体の前で組み、顔を少し赤くして薄気味悪く微笑んでいる。
「やめろおおおおお!それを言われるとすごく恥ずかしい!!」
そんで笑い方が怖い!今後部活に行くのが不安になるレベルで怖い!
「そして次にエンカウント率。今年になってから私が君と会ったのは実は今日が初めてではない。確か四か月ほど前だったか」
「そんな前にもう会っていたんですか!?」
「ああ。しかもその日から今日まで私と君は街中や学校で偶然数十回出くわしている。ストーキング……じゃない監視を除いてだ。これはもう偶然と言っていい数値ではない」
いやそれ、エンカ率高すぎだろ!野性のコラッタか僕は。ってヤバい!また「無条件反射のツッコミ」が発動してしてる!
「いやいや、そんなハズないですよ。先輩みたいな目立つ人と数十回も合っていたら絶対に気付きますから」
「まあ私は『一方的に本屋等で遭遇』という異能を持っているからな」
「何そのオシャレな名前の異能!!」
「私がやたらと純と遭遇するという異能だ。しかもその時は何故か純は自分から気付くことが出来ない」
「何そのすっごい迷惑な異能!もう近所を散歩することも出来ない!!」
「だから純は気付いていなくても私が一方的に会っているんだ。当然私は、君が本屋のエッチなコーナーの前で何かこそこそやっていたことも知っている」
「ううう嘘だ!嘘に決まっている。そ、そんなかまをかけてきても動じませんよ」
「そうか、じゃあ君がさんざん物色して選び抜き、レジまで持って行った作品名を言ってあげよう。たしか『爆乳家庭教師の…』」
「だああああああああ!!!ストップストーップ!!よく分かりました。認めます」
どうやら異能は本当らしい。
「その他にも全六項目、すべてにおいてフルマークだったため、純は紛れもない主人公だということが判明したんだ。これで分かっただろう、料理研究部に入ってくれるな?」
「なんで!?なんでそれで僕が入ることになるの?」
「だ、だって私たちは学年も違うし、これからラブコメ展開になる相手とは一緒にいたいじゃないか……」
ダークマター先輩は両手の人差し指と人差し指を絡ませ、俯きながらこちらをチラチラ見た。
「何その急な女子っぽい態度!マスクにマントの時点で絶対に騙されませんからね!」
「いや、純は来るさ。来週もね。純が女性を外見で判断するような人間でないことはストーキングの間によく分かっている」
今度は一転、堂々と胸を張り、腕を組んでいる。マスクのくせに感情表現豊かな人だ。
ていうか結局ストーキングって言っちゃったよこの人!訂正すらしてないよもう!
「勝手にしてください!絶対に行きませんから!」
僕はひったくるように鞄を持ちあげ、速足で部室を出た。来週の月曜が不安だ……。
だが、僕の不安材料であるダークマター先輩は月曜日を待つことなくやってくるのだった。