ダークマター先輩登場②
テニスコートから校舎の方へ向かって歩くダークマター先輩は、僕の手を引きズンズンと進んでいく。進んでいる方向からしてどうやら文科系部活の部室棟に向かっているらしい。
少しばかり冷静さを取り戻し、改めて先輩を観察してみるとやはり先輩は女性のようだった。
僕とつながれているその手は、指の一本一本が細く長く新雪のように白く透き通っており、体温の違いからか少しヒンヤリとしていた。男でこんな繊細な手をしている人間は恐らくいないだろう。
くるくるウェーブがかかっている金髪は派手な印象よりもどこか気品が感じられるし、小ぶりで艶やかな唇も品がある。
そして顔の上半分は……。
マスク!!はい、意味不明!不審者確定☆
「ちょちょっ…先輩、どこに行くんですか」
「ふふふ、部室だ。今日は本当は部活は無いんだが、まあ冴子は来ているだろう」
「いや、部室って言われても!まずはこの状況を説明してください!」
何故僕を探していたのか、何故僕のことを知っていたのか、僕の才能とは何なのか、これから連れていかれるところは何部なのか、あんたは一体何者なのか、何故そんな格好をしているのか等々とにかく謎だらけだ。
「まあ待て、部室についたら説明しよう」
ダークマター先輩はその後は何もしゃべらず、僕の手を引っ張りそのまま部室へと進んだ。
「待たせたな、ここだ」
連れて来られた部室のドアには「料理研究部」と書かれていた。
なにあんた、料理研究部なの!?予想と全然違う!てっきり「暗黒魔術研究部」とかオカルト系の方向と思っていた。
「料理研究部……ですか」
「ああ、意外か?」
「はい。かなり……」
このマスク姿の変人に料理が出来るとは思えなかった。出来たとしてもトカゲどかヤモリとか黒魔術的なものが入っていそうだ。
先輩はふふっと笑うと部室のドアを開いた。
中の様子はテニス部の部室とはだいぶ違った。そう言えば文化部の部室に入るのは初めてだな。へー、こんな風になってるんだ。
ロッカールームの意味合いが強い運動部の部室とは大きく異なり、室内は長い机が二つくっつけられ、その周りにパイプ椅子が並べられていた。おそらくここが一つの活動スペースになるのだろう。
机には文庫本を読んでいる眼鏡をかけた女子が一人と、もう一人が……。
「え!?この子も部員……?」
僕は思わずその「もう一人」の女の子に見入ってしまった。するとその女の子はこちらに向かって、ととととーっと駆け寄ってきた。
「だだだだだ、だいまおうしゃまー!!!」
女の子はそのままダークマター先輩の腹部のあたりにぎゅっと抱き着いた。
「おお、優衣も来ていたのか。偉いぞ」
ダークマター先輩は自分より五十センチ以上背が低い女の子の頭を優しく撫でた。女の子は「えへへへー」と満面の笑みを浮かべている。
優衣と呼ばれたその女の子はどこからどう見ても、まだ五、六歳の少女であった。吸い込まれてしまいそうな大きな瞳に、引っ張ると柔らかく伸びそうな、少し赤みを帯びた頬。
そして何より服装だ。服装がおかしい。女の子の服装は完全な和服だった。桃色の艶やかな小袖を身に纏い、淡い赤と白の花があしらわれた簪を刺している。
姫だ。まるで江戸時代からタイムスリップしてきたお姫様だ。
「だいまおうしゃま、こちらは?」
お姫様は少し首を傾げ、不思議そうな顔で僕のことを覗き込んできた。
僕は屈んでお姫様と同じ高さに目線を合わせた。
「こんにちは、風早純一です。優衣ちゃんて言うんだね、歳はいくつ?」
僕が話しかけるとお姫様は下を向き、プルプルと小刻みに震え出した。
あれ、僕何かマズいこと言っちゃったか?
「ぶぶぶぶ、ぶれいものーっ!!!!」
……え?
「ゆいのことを名前でよんでいいのは、だいまおうしゃまだけなのじゃ!!ふんっ!」
お姫様がすっごい怒っている。僕の方をむーっと睨んでいるが、その睨んでいる表情が可愛すぎて、思わず笑みがこぼれてしまう。
何この子。ホント反則。僕の脳内で勝手に「ぷんすかぷんすか」という効果音が聞こえてくる。
「ご、ごめんね。だったら何て呼んだらいいのかな?」
「ふんっ!」
お姫様はご機嫌斜めモードに入ってしまったようだ。このまま嫌われっぱなしはキツイなあ。何とか仲直りの糸口を掴まないと……。
「こら優衣。これから一緒に部活動をする仲間だ。ちゃんと自己紹介しなさい」
ナイス助け舟!ダークマター先輩!!
「……う、こころえました…」
お姫様は少しシュンとして、こちらに向き直り、両手を居心地悪そうに絡ませながら自己紹介をした。
「あねがさきゆいじゃ。六さいじゃ。好きな食べものはしゅーくりーむじゃ」
はいいイィィ!!!百点ンン!!!!好きな食べ物も一緒に言っちゃうところとかホント百点!!
「僕は風早純一です。よろしくお願いします」
「ほー、じゅんいちと言うのか。よろしくの。それでは今日からじゅんいちはゆいのけらいじゃ」
んー?なんで?急になんで?まあ、こんな可愛いお姫様だったら喜んで家来になるけどね!何でも言うことを聞くけどね!
「かしこまりました。それで僕は何とお呼びすればよろしいでしょうか」
「けらいがしゅくんをなんと呼ぶかくらいわかっておれ!ゆいのことはひめしゃまと呼ぶのじゃ」
姫様は舌っ足らずな口調でそう言い、僕に向かってビシっと指をさした。
「わ、わかりました姫様。先ほどは失礼いたしました。以後気を付けますのでお許しください」
「うむっ。しかたがないの。今回はとくべつに許そう。ではさっそくけらいのしごとじゃ。いっしょにおりがみをするのじゃ」
姫様は僕の手を引いて「こっちこっち」と自分の席につれて行こうとした。
やる!姫様と折り紙、絶対にやる!
「優衣、ちょっと待ってくれ。まずは二人に彼の紹介をしたい。いいか?」
ダークマター先輩がそう言うと、姫様は先輩に向かって元気よく「もちろんでございます!」と返事をした。
そうだった。姫様が可愛すぎて忘れていた。僕は意味不明な人間に意味不明な部活に連れて来られたんだった。
ダークマター先輩は空いている席に鞄を置き、僕には隣の席を使うようにと促した。
部室の机や椅子などの備品は比較的新しく、丁寧に使われているようで運動部の部室の備品とは比べ物にならないほど綺麗だった。さすが女子のいる文化部。
「二人とも聞いてくれ、この部活に新入部員が加入することになった。さあ、自己紹介を頼む」
「先輩、僕まだ入るなんて言ってないんですけど」
「なら今入ると言えばいい」
「僕の意思は!?」
「それもそうだな。君の意思は当然尊重されるべきだ。それでは『はい』か『いいえ』か聞こう」
「いいえです」
「すまん、聞こえなかった。それでは『はい』か『いいえ』かを聞こう」
「いいえ!!!」
「すまん、聞こえなかった。それでは『はい』か『いいえ』かを聞こう」
「『はい』を選ばないと先に進めないのに無駄に選択肢があるロープレみたいになってる!!」
「ぐっ、はあぁ……!」
ダークマター先輩は何故かくねくねしながら悶え始めた。ホント大丈夫?この人。
「で、どっちなんだ?」
「……じゃあとりあえず今日だけ様子を見させてください」
「なるほど、仮入部というわけだな。それもいいだろう。では改めて自己紹介を頼む」
部室内を見渡すと、二人とも何もせずにこちらを見ていた。どうやら僕の自己紹介待ちだったらしい。
「二年B組の風早純一です。料理は全くできませんがよろしくお願いします」
本を読んでいた眼鏡の女子は無表情で静かな拍手をし、対照的に姫様はニッコリ微笑みながら大きな拍手を送ってくれた。
「それではこちらも自己紹介をしよう。私は暗黒物質を操り世界を統べる悪魔。三年A組のダークマターと呼ばれる者だ。ダークマター先輩と呼んでもいいし、親しみをこめてダーちゃんと呼んでくれても構わん。好きな食べ物は苺だ」
おまわりさーん!ここにいるダーちゃんていう人、不審者です。なにやら悪魔みたいですから地域に害をなす前に逮捕しちゃってください。
まさかうちの学校に悪魔がいるとは。日常の中にも恐怖って潜んでいるんだね☆
ていうか好きな食べ物だけカワイイな。いらんわそんな追加要素。
次に、部室に入ってきたときに文庫本を読んでいた眼鏡の女子が席から立ち上がった。
「二年B組の宮島冴子。好きな食べ物はお寿司」
「っておい!よく見たら宮島じゃないか!」
宮島冴子。同じクラスの女子だ。ていうか隣の席だ。
前髪をピンで止めた長めでストレートの黒髪に、外に出たことあんのかってくらい白い肌。そして黒縁の眼鏡。いつも薄ピンクのブックカバーを付けた文庫本を無表情で呼んでいる。クラスで友達といるところを一度も見たことが無く、口を開くことも少ない。だけど隣の席の僕に対しては、毎朝必ず自分から無表情な顔で「おはよう」と挨拶をしてくる律儀なヤツだ。
「こんにちは、風早くん。まさかこんなところで会うなんて。奇遇ね」
宮島は今日も相変わらず、無表情が決まっている。
「ああ、奇遇だな。宮島」
「なんと、二人は知り合いなのか」
「知り合いも何も、一年の時から同じクラスで今は隣の席ですよ」
「ほほう、そうなのか!いきなりそんな偶然とは…。いいぞ、実にいいぞ風早純一!流石は天賦の才と言ったところか」
僕と宮島を交互に見たダークマター先輩はニヤニヤへらへらしている。やめろ薄気味悪い。
「ゆいも!ゆいもじこしょうかいをするぞ!」
姫様は先ほど僕に元気よく自己紹介をしてくれたのだが、どうやらみんながしているのを見ていてもう一度したくなったらしい。
「あねがさきゆいじゃ。六さいじゃ。好きな食べものはしゅーくりーむじゃ」
同じ!さっきと全く同じ!そしてここでそのドヤ顔!すごいぞこの子は。完全なナチュラル・ボーン・カワイイだ。
「で、君のことは何て呼べばいい?」
「風早でも純でも純一でもなんでもいいです」
「あだ名とかは無いのか?」
「そう言われても無いですね……」
そもそも僕は高校に来てから友達という存在自体がほとんどいない。クラスの女子にいったって僕の名前すら覚えてなくて、用がある時も「ねえ」とか「あの」とか呼んでくる始末だ。
「クラスの男子がこの間『キャラ薄太郎』って言っていたのを聞いたわ」
と無表情でサラッという宮島。
「それあだ名じゃねえから!ただの悪口だから!!ていうか僕は陰でそんなこと言われてるのかよ!」
宮島さん、知らぬが仏って言葉を知っているかしら。
「そうか。ふむ……」
そう言ってダークマター先輩は腕を組んだ。何て呼ぶかを考えているらしい。「キャラ薄太郎」はやめてね。もうすでに心に軽いトラウマを負っているから。
「よし、純にしよう!純!今日からよろしくな!」
ダークマター先輩は、綺麗な白い歯が見えるほどの笑みを浮かべながらそう言った。純か。それなら小学校の時に呼ばれていたこともある。意外と普通だ。
「風早くん、まさか隣の席で部活まで同じになるなんてね。これからよろしくね」
宮島は相も変わらずの無表情に言葉の抑揚の無さだ。これが可愛い女の子にとびっきりの笑顔で言われたらグッと来ずにはいられないのだけどな。
そして姫様は……。あれ?姫様がいない。
ふと気が付くと、何かに僕のズボンが引っ張られる感覚があった。
ん?と思って見てみると、いつの間にか姫様が僕のもとに来ており僕のズボンをくいくいと引っ張っていた。
「じゅんいち、いっしょにあっちでおりがみじゃ」
……。
かわいいいい!やる!絶対に折り紙やる!!この部活、すっごいイイ部活!!
僕はそのまま手を引っ張られ一緒に姫様の席まで行き、隣の席に座った。
「よし、じゅんいち。ここにあるおりがみを自由につかってよいぞ」
机の上を見ると姫様が既に作ったと思われる作品が幾つか並んでいた。姫様はあまり折り紙がお得意ではないらしく、「これがうさぎじゃ」と言った作品はピンク色の丸まった紙の塊にしか見えなかった。
……で、でもそんなところも可愛いです!最高です姫様!
「姫様はウサギが好きなんですか?」
「うむ、大すきじゃ」
そう言った姫様は「あ!」と何か思いついたように声を上げ、
「ふふーん♪ちょっとまっておれ、いいものをみせてやろう」
と巾着袋の中を探り始めた。そして巾着袋から何かを大切そうに取り出し机の上に出した。
「じゃじゃーん♪さえこがつくってくれたウサギのぬいぐるみじゃ。ゆいのたからものじゃ」
姫様は愛らしそうに可愛いウサギのぬいぐるみを撫でている。
このぬいぐるみを宮島が……?無口無表情のキャラクターからは想像も出来ないな。ていうか何この完成度の高さ。すげえなアイツ。
「名前は何て言うんですか?」
「ウサたんじゃ♪」
「ぬいぐるみの名前も爆裂かわいいいいいいい!!!」
「どうした?じゅんいち」
「いえ、何でもないんです。こちらの話。それにしても素敵な名前ですね、ウサたん」
「そうであろう?ゆいもとっても気に入っているのじゃ♥」
「では姫様、私も折り紙で姫様の大好きなウサギを作らさせていただきますね」
「じゅんいちはおりがみでウサギを作れるのか!?」
「はい!任せてください姫様!」
実は僕は折り紙が猛烈に得意なんだ。小学校低学年の時に友達がいなかったので、折り紙ばっかりやっていたからなあ!ハッハー!……悲しい。
二枚の濃いピンク色の折り紙を使い、早速ウサギを折り始めた。ちなみにウサギを折るのはそこまで難しくない。二枚の折り紙を組み合わせるので、初心者は本を見ながらじゃないと厳しいが、一度覚えてしまえば大したことはない。まあ難易度で言うと中級くらいかな。
折ること二分。
姫様は最初のうちは「これがウサギになるのか?」と不安な顔をしていたが、完成が近づくにつれ、「お?」「ふおおお!」とみるみる表情を明るくしていった。表情豊かな姫様可愛すぎ。
「出来ました、姫様。どうぞ」
姫様に出来上がったばかりの折り紙のウサギを渡す。
「ふおおおおお!みごとじゃ!!!みごとじゃぞ、じゅんいち!!!」
姫様は手に取った折り紙のウサギをキラキラ目を輝かせて眺めた。
よっぽど気に行ったのか、座っていた席からぴょんと飛び降り、まずダークマター先輩に「だいまおうしゃま!じゅんいちがこれを」と見せに行った。そこからまた、ととととーっと走って宮島の席に行き「さえこ、さえこ!じゅんいちがつくったんじゃ!」とはしゃいだ。
ううっ。小学校低学年の時の僕よ。良かったな、お前の折り紙に対するストイックな情熱は無駄じゃなかったぞ……。あれ、おかしいな。目から、目から汗が。
姫様はニッコニコの笑顔で席まで戻り、へへーっと微笑みを浮かべながら再び僕の隣に座った。
「じゅんいちじゅんいち」
姫様が僕のシャツをくいくいと引っ張る。
「どうされました?姫様」
僕が聞くと、姫様はちょっと不安そうな表情になり、モジモジしながら僕の方を見た。
「その……。いや、やっぱりよい」
姫様は恥ずかしそうに俯いてしまった。
「お気になさらずに何でもおっしゃってください、私は姫様の家来ですので」
先ほど姫様に命令された家来という設定はこうやって一緒に遊んでみると悪くない。いや、むしろイイ。姫様の家来最高。
「あのな、ゆいも、じゅんいちのようにおりがみがうまくなりたいのじゃ。ゆいにも……できるかの」
「はい、姫様も練習をすれば必ず上手くなりますよ!僕で良ければ、いつでも折り紙の手ほどきをさせていただきます」
「ほんとうか!?」
僕の言葉を聞くと、姫様はパアっとヒマワリが咲いたように眩しい笑顔を見せた。
「うっ……眩しっ……!!は、はい、本当です。早速今日から練習しましょう」
「うむっ!」
そう言うと姫様は自分の席から降り、ニコニコしながら僕の膝の上に座ってきた。そして首だけクルット僕の方を向き、こっちを見てニコッと微笑んだ。
なんじゃあああああああ!!!!この可愛い生物はあああああ!!!!!萌え殺す気かあああああ!!!可愛い生物人間代表かああああああ!!!!
その後僕と姫様は、部活終了の時刻まで一緒に折り紙を折り続けた。