料理の女神⑧
「嫌いなんだ。うちの料亭が」
コーヒーを飲んでいる最中、さも当たり前のように先輩はそう言った。僕が「なんで有名な料亭の娘だってことを隠してるんですか?」と聞いたことに対する返答だ。
ダッシュで宮島が消えた後、僕たちは先輩おすすめのイタリアンレストラン「ラ・モンタ」にやってきた。シェフ自慢の衝撃的な美味しさのパスタに舌鼓を打ち、食後のコーヒーをいただいている。
「え……?ご実家なのにですか?」
僕の言葉に頷きながら、先輩はコーヒーカップに口を付けた。
「ああ。考えても見ろ。夕食のコース料理が五万円からだぞ?安いパソコンが買える値段だ。全く正気の沙汰じゃない」
先輩は吐き捨てるようにそう言った。よほど実家の料亭のやり方が気に入らないらしい。
「考えたことがあるか?五万円の食事なんて。ヤッターメン五千個分だぞ?」
「いや、そこは普通うまい棒ですから。まあ知ってますけどねヤッターメンも」
僕は先輩が興奮しない程度に冷静にツッコんだ。
それにしてもヤッターメンとは。またマイナーなところを……。
あのラーメン風のパリパリしたお菓子が小さいカップの中に入ってるやつね。そんでカップのふたを捲ると二十円とか百円の金券が当たるやつ。よく食べたなー昔。金券が当たって大喜びしてたのに、短パンに入れたまま洗濯しちゃったときは泣いたわー。
ていうかあんた、和食業界の期待の星だろ。ヤッターメン食べてるのかよ。もっとなんかこう……和菓子とか食え。和菓子とか。
「正直、あんなクソ料亭は潰れろと思っている」
「そこまで!?」
「潰れてアニメイトにでもなれと思っている」
それはあんたが近所にアニメイトが欲しいだけだろ。
「まあ確かに高いですけど……。でもそれだけ高級な食材を使っていたり、料理に技術が必要だったりするんじゃないですか?」
「その高級というのが私は気に食わないんだ!!」
先輩は「高級」という言葉に敏感に反応し、語気を強めた。
「高級にしなければ本当に美味しいものは味わえないのか?そんなことは絶対にない。高級料亭に来る連中なんて言うのはな、料理に金を出しているんじゃない。自尊心を金で買っているんだ」
うーん、なるほど。確かに一理あるかもしれない。
「料理そのものを食べたいわけではなくて、高級料亭で食事をしたというステータスが欲しい、と」
「それもあるだろうし、もっとネガティブな考えもあるだろうな。高級料亭で食事をしなければステータスが下がってしまうとか。基本的に来るのはそんな豚人間ばかりだ」
「口悪っ!!ちょっと。さすがに豚人間はやめましょうよ」
「じゃあ鳥人間」
「なんかコンテスト始まりそうだわ!」
「うーん、じゃあ牛人間」
「ルビ!ルビのせいでかっこよくなっちゃってる!」
嫌だわ。そんな斧持って襲ってきそうなやつが料亭に来てたら。
「うちの料亭では確かに最高の料理を出している。それは私だって自信を持って言える。でも私が目指している料理はあそこにはない」
ダークマター先輩の表情は真剣だった。小さいころからずっと「食」というものと向き合ってきた方だ。きっと色々と思うところがあるんだろう。
「食というのは人間であれば誰にでも必要な生活の軸。だったら『おいしさ』というのは家庭の中や、たまに行くちょっとした外食の中でこそ味わえるべきだと私は思っているんだ」
遠くを見ながら力強くそう言い切る先輩はかっこよかった。この人はこの年齢で自分の中に信念を持っている。それを素直に心から話す姿はキラキラと輝いて見える。
「すまないな。話が逸れてしまった。そんなわけで自分自身が実家の料亭のことは良く思っていなかったから、あまり人にも知られたくなかったんだ」
「宮島が先輩のことを尊敬している理由がわかった気がします」
「冴子がそんなことを言っていたのか?そうか、嬉しいな……。でもそんな褒められたもんじゃないさ」
「いえ、そんなことないです。僕も宮島と同じ気持ちですよ」
「ほ、本当か?私が父親が作った陶芸作品をすべてぶち壊していてもか?」
……何やってんのあんた。それ和解まで100巻かかるやつだぞ。
「ま、まあそれくらいは……」
「私が父親の進めていたドラクエⅤの二回目のゲマを勝手に倒してもか?」
「……ええ」
「私が父親のブログのコメント欄に毎回匿名で『調子乗んなks』って書いていてもか?」
「ぐっ……」
「私が父親が縄跳びをやっているときに膝を……」
「だあああああああ何個出てくるんだお前は一体!!」
さすがの僕も耐え切れなくなりツッコんでしまった。
「鬼畜か!二回目のゲマは一番いいところだから絶対やちゃダメ!あと何、お父様ブログやってんの?温かく見守れよ!!実の娘が荒らすなよ!!そんで最後の何?遮っちゃったけどちょっと気になるわ!」
「あぁっ……ん!!一日で二回目のはああぁぁんっ!!」
いつもの金髪マスクのクネクネとは違い、今僕の目の前でクネクネしているのは和食界のニューヒロインと言われている美女である。
その美女の胸元はクネクネと動くたびに揺れ、ブラウスがパツンパツンになり、今にもボタンが弾けてしまいそうだ。また少し汗ばんだ肌にブラウスがピトッとはりつき、その艶っぽさに拍車をかけている。
だあああダメだ!!目の前にいるのは美女じゃない!!ダークマター先輩だ!本人曰く悪魔だ。人間じゃない!つまり美女じゃない!目の前にいるのは悪魔だ!そんな悪魔のわがままボディの胸元がブラウスでパツンパツンで……だあああああどうしても視界に入ってくる!僕の両目が煩悩に忠実になってやがる!!誰か、ブレーカーを!!ブレーカーを落としてくれええええ!!
ガンッ!とブレーカーが落ちることは無かったが、先輩に目を奪われている間に椅子から落ち、どうにか我に返ることができた。
「はあっ……はあっ。きょ、今日はどうした、純。えらいサービスがいいじゃないか……」
「……自分のツッコミと先輩の性癖の相性をここまで恨んだのは初めてです。このままでは僕の自我がぶっ壊れます」
美女モードの先輩の色っぽい姿を見れるのは嬉しくないといえば噓になる。だが、それと引き換えに失うものが多すぎることにも気づき、自分を戒めるのであった。




