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料理の女神⑥

「すまん!言い出す機会が無かったんだ!この通り、悪かったと思っている!」


 スーツ姿の美女は肩までの綺麗な黒髪を揺らし、僕たちに向けて頭を下げた。その隣で姫様も一緒に頭を下げている。どうやら自分が雑誌を持ってきたせいだと責任を感じているらしい。


 目の前で頭を下げている美女は、先ほどダークマター先輩の抜け殻から出てきた。まるでルパン三世のようにカツラとマスクを取り、突如僕たちの前に出現したのである。

 そしてダークマター先輩から出てきた美女は「自分は麹町美生だ」と名乗った。

 

 うん。もう何が何だかわけがわからん。


 とりあえず整理しよう。まず、今日姫様が持ってきた雑誌に載っていた美人料理人の「麹町美生」。この人物は僕が以前「氷柱」で会った美女と同じ人物だった。それだけでも驚いていたのに、その美女が先ほどダークマター先輩のカツラとマスクの下から突如現れた。

 つまり、僕が「氷柱」で会った美人OLは、実は雑誌にも載るような美人料理人で、その正体はなんとダークマター先輩だった、と。


 僕と宮島は無言で目を見合わせた。


「……」


「……」


「なんだそりゃああああああああ!!信じられるかあああああ!!」


 先輩が美人料理人!?確かにいつも仕事仕事と言って部活を抜けることがあったが、こんな有名な料理人って!ていうかこんなに美人なのになんでマスクで顔隠しているんだよ。つーか金髪のカツラの意味は!?だあああああツッコむところが多すぎてツッコみ切れない!!


 一つずつ、一つずついこう。


「ま、まずあなたは本当に先輩本人なんですよね……?」


「ああ。騙すような真似をしていて本当に申し訳なかった」


 瞳に涙をためながら申し訳なさそうな表情を浮かべる先輩。いや、先輩なのかはまだわからない。先輩の格好をしてきた偽物かもしれぬ。まあ残念ながら声は完全に先輩の声だけど。


「先輩が本当にダークマター先輩か確認したいので、一つお願いしていいですか?」


「何だ?」


「何か僕がツッコめるようなことを言ってください」


 ダークマター先輩は僕にツッコまれると興奮して気持ちよくなってしまうというこの世で唯一無二の変態だ。僕のツッコミに反応を示せばクロ、無反応だったらシロ。まあもう確認するまでもないんだが、これでクロとわかれば諦めがつく。


「い、いいのか?こんな時に純自らツッコミ(ご褒美)をくれるなんて……」


 先輩は僕の言葉に頬を紅潮させ、ぐふふふと興奮しだした。大和撫子然とした外見には似つかわしくない下卑たその笑いに、僕の中にあった美人のイメージが音を立てて崩れ去っていく。


 ダメだこれ。百パーセント本人だ。


「え、ええ。ご褒美ではないですけど……」


「ぐふふふふ。こんなの時に申し訳ないが、純のツッコミ(ご褒美)が貰えるなら何だってしようじゃないか」


 先輩は覚悟を決めたらしく、少しニヤついたまま僕の方を向き、すぅーっと息を吸った。


「さあ、ここでダークマター先輩の暗黒小話を一つ。『ねえ先輩、知ってる?仲良しのタクヤ君が住んでいる広い家に『囲い』が出来たんだってさ!』『おいおい、慌てん坊だな。あそこは家じゃないぞ?あそこは刑務…………』」


「やめろおおおおお!!!タクヤ君は何をしたんだよ!!つーか今まで囲いが無かったのかよその刑務所!!」


 さすが名前に「ダーク」を持つ自称悪魔。話の内容も真黒だ。


「ここここ今月いちばんのぐはあああああああっ!!」


 先輩は両腕を交差させ肩の辺りを押さえ、震えながらその場にへたり込んだ。少し涙目になりつつも、何故か微笑みを浮かべており、どこか空虚を見つめながら「神様ありがとうございます」と意味不明なことを言っている。


「……宮島。この人は完全にダークマター先輩だ」


「残念ながらそうみたいね……」


 僕らはまだ座り込んでいる残念な変態を前に、まずは一致していなかった二人の人物の存在を一つにすることに成功した。


 第一段階はまずクリアーだ。目の前で座り込んでふにゃふにゃしている美女はダークマター先輩で間違いない。では次は第二段階だ。先輩が雑誌に載るような料理人だったことについて。


「先輩。次に聞きたいんですけど、雑誌に載っていた料理人っていうのはやはり本当です……よね?」


 写真と名前付きで載っていたんだ。こちらも間違いはないだろう。ただ、やはり先輩の口から事情を聞きたかった。


 先輩は何とか立ち上がり、息も絶え絶えになりながらも僕たちに事情の説明を始めた。


「私の家は江戸時代から続く料亭でな。『桔梗庵(ききょうあん)』って聞いたことないか?」


「!?『桔梗庵』ってあの芸術家が『女房を質に入れてでもいいから食べたい』と言ったことで有名な高級料亭の……」


 宮島が驚愕の表情を浮かべて先輩に詰め寄った。

 その「女房を質に入れて」ってフレーズ、キン肉マンでしか聞いたことないんだけど。その芸術家ってゆでたまご先生じゃないよね?


「ああ。その『桔梗庵』だ」


 どの「桔梗庵」だ。いまいち凄さがわからんわ。


「すごいわ……!そんなところのお嬢様だったなんて」


 いまいちピンと来ていない僕に対して興奮冷めやらぬ様子の宮島。


「おい、宮島。僕はよく知らないんだが、そんなすごいところなのか?」


 僕は宮島に顔を近づけ、耳打ちをするように聞いた。


「ひぁっ……!ぐうっ…ちかいぃ……。あああああれよ!先輩のご実家は料亭だけではなくて関東圏内に百じゃきかないくらいのお店を経営していらっしゃるはずよ」


「そんなになのか!?」


「まあそんな家の一人娘だったものでな。昔からずっと料理の英才教育を受けて育ってきたんだ。周りの同級生が公園で遊ぶ中、私は毎日大根の桂剥き。中学校に上がり皆が部活動に汗を流す中、私だけ朝四時から市場に行って食材の目利きの訓練。…………気が付いたら私は金髪のカツラをかぶり、マスクをつけていた」


 いやいやいやいや待て。途中までいい話っぽかったけど最後のカツラとマスクは急に話が飛びすぎだろ。食材の目利きの訓練からマスクつけるまでの間に何があったんだよ。


 ツッコミどころ満載だったが、宮島と姫様が涙ぐんでいるのでグッと堪えて話を聞くことにした。


「耐えられなくなった私は高二の時に初めて親に反発をした。いや、反発というより当然の権利を主張しただけだな。普通の高校生活を送りたいと。同じ学校の友達と学生生活を楽しみたいと」


 先輩は僕たちに向けて優しく笑った。それで作ったのが「料理研究部」ということなのだろうか。


「すると親は高校生活を認める代わりに交換条件を出した。それが『桔梗庵』の広告塔としての仕事だ」


 先輩がやっている「仕事」というのは実家の料亭のための仕事だったのか。たしかに今日姫様が持ってきた雑誌もそうだが、先輩ほどの美人なら広告塔として十分に活躍できそうだ。


「私は仕方がなく同意したが、父親はさらに私に言った。仕事のときはそのふざけたカツラとお面を外せと」


 先輩は右手の拳を力強く握りしめ、「ぐうっ!今考えても許せん!」と悔しそうな表情を浮かべた。

 先輩、お父様のそれは正常な反応です。江戸時代から続く料亭の広告塔が金髪マスクマントの変態女というのはさすがに斬新すぎるから。


「まあ、そんなわけで私は料理研究部での素晴らしい高校生活を守るために、料理人として仕事をせざるを得ないんだ。でも私はそれを守るためだったら、何だってできる」


 そう言い終わった後、先輩は改めて「黙っていて申し訳なかった」と頭を下げた。そして一転、バッと顔を上げ、僕たち三人に向けてニヤッと笑った。


「まず、私たちは文化祭で他の部活の普通人間共を駆逐するために全力を尽くさなければならない!そこに向かって頑張っていこうではないか!!」


「わーい♪それでこそだいまおうしゃまです!!」


「わ、私も部のために頑張ります……!先輩!」


 姫様も宮島もダークマター先輩の言葉に応えるように先輩に抱き着いた。先輩は二人の頭を優しく撫でている。


 僕たちと一学年しか変わらない先輩がこんなに苦労をしていた。少しショックでもあった。いつものふざけていてぶっ飛んだキャラクターの裏にはこんな一面があったなんて。

 僕がダラダラと学生生活を送っている間に先輩は日々葛藤し、一人で戦っていたんだ。


 本当にふざけていて、どうしようもない変態だけど……かっこいいな。この人は本当に真っ直ぐで、誰よりもかっこいい。


「ど、どうした純、純は……来ないのか?」


「……本当に先輩はかっこいいです」


「へ?私がか……?」


 きょとんとした時の無防備なその様子は、マスクをしていてもしていなくてもあまり変わらないなと僕は思った。

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