ダークマター先輩登場①
六月中旬のとある土曜日。私立ベロニカ高校では定期テストが終わり、僕にとっていつも通りの日常が戻ってきた。
そこそこ真面目に授業を受け、そこそこ熱心に部活動に励む。ありふれたいつもの日常。今日は土曜日で学校は無いが午前中は部活動のため、僕は学校のテニスコートで汗を流している。
定期テストの結果はいつも通り中の上だった。二百人いる学年の三十番だったのが二十番代後半に上がりはしたが、まあ可も無く不可も無くと言った感じだった。そして得意科目である日本史だけは相変わらずの満点。平均点三十五点のこのテストで満点を取れたことが高順位に入れた一因だろう。
まあ、いずれにせよテストが終わってホッと一息という今日この頃だ。
それにしても暑い。六月とは思えないほどの猛烈な暑さだ。生きているだけでHPがどんどん減っていく。だって太陽が真上に来てるもの。南中高度が九十度だもの。暑いに決まってるよそりゃ。あーテニスコートにも日陰にあればいいのに。
一通りの練習メニューが終わり、部長の掛け声と共に一年生と僕ら二年生はテニスコートの整備に入る。ネットをしまってトンボをかけて……。どうせまた明日使うんだからネットしまわなくていいじゃんと最初のうちは思っていたが、出しっぱなしにしていると劣化が早まるらしい。
トンボをかけるのは疲れるし面倒なので、先輩の特権として僕はいつもネットを片付ける役をする。
ワイヤーでつっぱっているネットを金属の回すやつ(名前は知らん)でクルクル回して緩めていく。
くるくるくるくるくるくる…………ん?
ふと、回す手が止まった。
……何やら背後からものすごい視線を感じる。ジッとこちらを見つめる視線だ。
誰だろう、先生か?
僕は不審に思い、後ろを振り返った。
……。
視線を感じる先に目をやると、マスクをつけた謎の人物が木の陰からジッと僕の方を見つめていた。
「ひいいイィィィィ!!!」
その人物は赤い彗星のシャアのような顔の上半分のマスクをつけ、長い金髪をたなびかせ、全身を黒いマントで覆っている。
間違いない。変人だ。
誰なんだあの人は。怖いとかそう言うレベルじゃないぞこれ。
しかも距離があるので確かではないが、見ている限りの様子だとどうやら女性のようだ。
驚きすぎて尻餅をついた僕に同級生が心配そうな表情で寄ってきた。
「どうした!?風早」
「い、いや……あれ、あそこ……人」
怪しい金髪マントマスクの方を指さす。すると、自分が指さされたことに気付いたのかマスクの不審者はこちらに向かってニヤッと笑った。
「ん?ゲッ……。あ、あれは……」
同級生の心配そうな表情が一瞬にして苦々しいものへと変わる。
「あれはって、知っているのか?」
僕が聞くと、同級生は金髪マントマスクの方を見たままポツリと口を開いた。
「ダークマター先輩……」
ダークマター先輩……?ナニソレ?ヒトノナマエ?
「うちの学校の三年生だ。お前知らないのか?」
「あの変な人高校生なの!?」
驚愕の事実だった。野生の不審者が校内に迷い込んで来たのかと思った。
「お前二年なのに、あんな目立つ人を知らないのかよ……。校内でぶっちぎりの変人として名高い三年生だぞ」
「だ、だろうな。変人なのは見ればなんとなくわかる」
それもかなりレベル高めの変人だ。
「それで、そのダークマター先輩がなんで僕の方をジッと見てるんだよ」
「知らねーよ。お前何か心当たり無いのか?あの先輩が後輩に絡んだりするなんて聞いたことないぞ」
「ねーよ、心当たりなんて」
自分の話をされていることに気付いたのか、ダークマター先輩は薄気味悪い笑みを浮かべたまま大股で一歩ずつこちらに歩み寄ってきた。
「ヒィッ、こっちに……来る」
「か、風早。お前やっぱり何かやったんじゃないのか!?」
「え!?僕が?やってない!誤解だ!怖い怖い怖い!!来ないで!ごめんなさい!何もしてないけどごめんなさい!」
僕の願いとは裏腹に、ダークマター先輩は一歩ずつズンズンと進みテニスコートの中に入ってきた。騒然とするテニスコート内を、全く気にすることなく堂々と突き進んでくる。
僕の脳内ではスターウォ〇ズのダースベ〇ダーのテーマがひっきりなしに流れており、余計に恐怖を掻き立てていた。
「うわああああ来た!どうしよう、逃げたいんだけど体が動かない!」
更にどんどん迫ってくるダークマター先輩。そしてついに僕の目の前までやってきて立ち止まった。そしてマントから出した腕を組み、座り込んでいる僕を見下ろした。
ぐっ……。やはり僕に用事なのか。
「あ、あの……僕に何か用でしょうか……?」
僕の問いかけにダークマター先輩はフフッと笑みを浮かべ、コホンとわざとらしい咳ばらいを一つ入れた。
「あのー、今日ここでダンスパーティーがあるって言われて来たんですけど」
「そうそう、確かにテニスもダンスも貴婦人の嗜み…っておいイィィィ!!!嘘つけえええ!!あるわけねえだろそんなもん!!午後は地元の老人会がコート予約してるわ!!」
予約してるわー、るわー、るわー……。
静かなテニスコートに僕のツッコミがこだました。
静まり返るテニスコート。
何故か「ぐはあっ!」と打ちひしがれ、地面に倒れ込むダークマター先輩。
その様子をただただ眺める僕。
一体なんだこの状況は。
ダークマター先輩はしゃがみ込んだまま反対側を向き、
「ぐうっ……!!……やった!やっぱりそうだ」
と何かを小さい声でつぶやき、ぐふふふと笑っているようだった。
こ、怖いこの人……。
「何か言いました……?」
恐る恐る声を掛けると、先輩は立ち上がり、再びクルっとこちらに向き直った。
「オホンッ……!いや何でもない。こちらの話だ。それにしてもやっと見つけたぞ風早純一」
「え?見つけたって」
「私は君のような才能の持ち主をずっと探していた……」
「……僕のことですか?」
僕の才能……?何の話だ一体。
ていうかそもそも、この人なんで僕の名前を知っているの。
「テニス部の部長は……松兼だったな。おい、松兼はいるか?」
ダークマター先輩がそう叫ぶと、騒ぎを聞きつけて戻って来ていた松兼先輩が遠慮がちに此方にやってきた。
「こ、ここです。お久しぶりですダークマター先輩……。テニス部に何の御用でしょうか……」
明らかに表情が引きつっている。普段誰にでも分け隔てなく優しい松兼先輩も、どうやらこの人は苦手らしい。
「ここにいる風早純一は、我々の部活が貰い受ける。異存はあるか?」
何を言い出したのこの人。
あるわ異存。大ありだわ。
「ちょっと、なんですか急に!そんな話僕は全く聞いてませんよ!」
ダークマター先輩は座り込んだまま叫ぶ僕に顔を近づけた。
「風早純一、君に選択をする権利は無いのだ」
「え!?なんで?一番の当事者でしょ」
「ふふふ。まあ君の不満は後で聞こう。それで松兼、異存はあるのか?」
松兼先輩、助けてください!僕をこの猛烈に怪しい人間から救い出してください!
僕は捨てられた仔犬のような懇願の眼差しを松兼先輩に送ったが、先輩は僕と目が合わないように目線を下に落とした。
あ、あんなに優しかった松兼部長が僕を見捨てただと!?
そして松兼先輩はダークマター先輩に向けてスッと顔を上げた。
「異存なんてこれっぽっちもございません!!風早!今までありがとうな、向こう行ってもがんばれよ!手紙書くからな」
裏切者おおおおお!!!何が手紙じゃボケええええ!!!
「よし、それじゃあ行くか風早純一」
ダークマター先輩は、まだ座り込んでいた僕に向かって微笑み、手を差し伸べた。
真っ白い美しい手だった。
この手を取ってしまったら、僕は一生ここには戻ってこれないんだろうな。
ふと周りを見渡す。コート内にいた部員全員がコート整備の手を止め、こちらに向かって拍手をしていた。部活の仲間の表情は、困っているような、悲しそうな、巻き込まれたくなさそうな、何とも言えない表情だった。
ねえ、いいの皆!?僕行っちゃうよ!?ねえ、松兼先輩!!
再び助けを求める視線を松兼先輩におくると、先輩は先程と同じように僕と目が合った瞬間に顔を下に向け、何も言わずに首を振った。
ぐっ……逃れられないのか。
僕は今までにしたことが無いほど気弱な声で「はい」と返事をし、ダークマター先輩の手を取った。