料理の女神④
結局僕たちはせっかく服を買いに来たにもかかわらず、何一つ買うことなく休憩をすることにした。入ったのはデパートの中にある喫茶店。姫様のご希望で緑茶が飲めるところを選んだ。
各々緑茶、紅茶、コーヒーと飲み物を頼んで席に着く。四人掛けの奥に僕が座り、その向かいに姫様と宮島が並んで座った。
それにしても午前十一時に集合してからもう五時間も経ったのか。あっという間だ。まだ何も買えてないのに……。まあ楽しいは楽しいから別にいいんだけど。
「そういえば二人に見せたいものがあったのじゃ!」
姫様は突然そう言いだし、持って来ていた巾着袋をゴソゴソと漁りだした。
「あ!あったぞ。これじゃ」
巾着袋から取り出された物は一冊の雑誌だった。「料理大国」と書かれたその雑誌は、料理オンチの僕も名前だけは知っているほど有名なものだ。
「へー、料理雑誌ですか。料理の勉強のために買われたんですか?」
「ふふーん♪実はの、このざっしにはすごい記事がのっているのじゃ!」
姫様は「どこじゃったかの……」と言いながら雑誌のページを捲っていく。三分の二くらいを捲ったところで「これじゃ!」と言い、そのページを指で止め、ニコニコしながら再び僕たちの方を向いた。
「へへへーっ。二人ともみたらおどろくぞ?……じゃっじゃーん♪」
得意のセルフ効果音と共に、姫様は雑誌のページを僕と宮島に向けて開いた。僕と宮島は姫様が開く雑誌の一ページに顔を近づける。
そこには着物姿の若い女性が写っていた。年齢は二十歳くらいだろうか。凛とした表情の若い女性だ。
その女性は紫紺の和服の袖をたすき掛けで捲くり上げ、いかにも料理人といった風貌をしている。そして真剣な眼差しで何か料理を盛り付けているところのようだった。
その写真の下には大きなフォントのゴシック体でこう書かれていた。
新進気鋭。和食界に現れたニューヒロイン。「料理の女神」、麹町美生。
高級そうな料理を前に真剣な表情の美人料理人。明らかに僕が住む世界とは違う世界の住人だ。だが、僕は写真に写るこの女性に見覚えがあった。料理とは全く関係のない場所で。
「こ、この人は『氷柱』の……」
そうだ。テスト休みの時に喫茶店「氷柱」で相席をした美女。その容姿の洗練された美しさと、色々と変態だったことからしっかりと覚えている。マスターが「ミオちゃん」と呼んでいたからおそらく本人だろう。
変態のOLだと思っていたけど、まさかこんなに有名な料理人だったとは……。
「すごいであろう?ゆいの家のばあさまがぐうぜん見つけての。このようなお美しいすがたで載っていらっしゃったのじゃ♪」
と、一人テンションを上げる姫様。しかし姫様がなぜ僕と宮島にこの人の記事を見せたのかはわからなかった。僕が喫茶店でこの人と会ったときは一人だったし、その話は誰にもしていない。
僕が考えを巡らせていると、隣からも声が聞こえた。
「この人……」
呟くように発せられた声の方をパッと向くと、僕が考えている横で宮島も雑誌に写るその女性を見て驚いている様子だった。
「もしかして宮島もこの人を知っているのか?」
「直接知っているわけじゃないんだけれど、この間の夏合宿の旅館で偶然お会いしたの。とても綺麗な人で、赤の他人の私に優しい言葉をかけてくれた人だからはっきり覚えているわ」
へえ、僕の知らない間にそんなことがあったとは。
「風早くんは知っているの?もしかして有名な人?」
「いや、僕も詳しくは知らない。偶然喫茶店で会っただけなんだ」
僕と宮島はお互い不思議そうに顔を見合わせた。
たまたま僕がテスト休みに会った人が、たまたま夏合宿にも来ていて宮島と会っていた。そして今日、たまたま姫様がその人が写る雑誌を持ってきて僕たちに見せている。
……そんなに偶然って重なるか?
「二人とも、なにを言っておるのじゃ?」
僕たちの様子に姫様は不思議そうに首を傾げた。
「だってこのお方は、…………はっ!」
姫様は喋っている途中で何かに気が付いたかのように声を上げた。それと同時に、いつもはしっとりと流れている姫様の黒髪が、突如つむじのあたりで数本だけピョコンと跳ねた。
……ゲ〇ゲの鬼太郎みたいになっとる。妖怪の気配でも感じたのだろうか。
「このけはいは、だいまおうしゃまっ!!」
違った。妖怪の気配じゃないなくて変態の気配だった。
姫様はそのまま立ち上がり、くるんと背後を振り返った。つられるように僕と宮島も姫様と同じ方を向くと、店の入り口にダークマター先輩が入ってくるのが見えた。
なんて正確な姫様のダークマター先輩レーダー……。
「だいまおうしゃまーっ❤」
ととととーっと先輩に向かって駆け寄る姫様。そのまま先輩にガシッと抱きついた。
「おー、優衣。いい子にしていたか?」
先輩は抱きついてきた姫様をきれいな手で優しく頭を撫でた。ピョコンと飛び跳ねていた髪の毛が先輩の手により徐々に元に戻っていく。
「はいっ❤いま二人ときゅうけいをしていたところでございます」
二人はいかにも仲良しといった様子で手をつなぎ、僕と宮島の方に近づいてきた。僕と宮島に向けて軽く手を上げるダークマター先輩。僕はそれに対して軽く首だけでお辞儀をした。
「冴子、ラインありがとうな」
先輩はそう言いながら僕の隣の席に腰を掛け、姫様も先ほど座っていた席に戻った。
なるほど。なんで先輩がここに来ているんだと疑問に思ったが、宮島が連絡していたのか。
「いえ、お仕事の方はもう終わられたんですか?」
「ああ。そんなに時間がかかるものでもなかったからな。これからは私も合流させてもらおう」
「わーい♪だいまおうしゃまとおっかいものーっ♪♪」
「それにしても来た時から荷物が増えていないようだが、まだ純の服は買えていないのか?」
「ええ、恥ずかしながらそうなんです。様々な障害がありまして……」
「五時間はあったはずだが……全く、仕方がな…………なっ!?」
突然言葉を止め、驚愕の表情を浮かべるダークマター先輩。首の向きからしてテーブルの上を見ているようだ。
「な、なぜこれがここにある……?」
先輩は姫様が持ってきた「料理大国」を震える手で持ち上げた。
「あ!それはゆいがもってきたのでございます❤ばあさまがおしえてくれたのございます♪」
得意そうに言う姫様に対して、先輩は暑くもないのに汗をかいており、どこか余裕がない様子だ。
「そ、そうか。冴子と純も見たのか……?」
「え、ええ。まあ見ましたけど」
宮島もこくりと首を縦に振る。
「は、はははははー」
先輩は何かを誤魔化すように不自然に笑った。滅茶苦茶怪しいな。さっきの写真に写った女性と関係しているんだろうか。
「?さっきの写真の女性が何か先輩と関係があるんですか?」
「だからさっきからなにを言っておるのじゃ?かんけいもなにもあれは……」
「だあああああああ待て優衣!」
「……はい?」
「も、申し訳ないが私の分の飲み物を買ってきてくれるか?」
「??はい、もちろんでございますが……」
「でで、ではホットコーヒーを頼む」
姫様は訝しげな表情を浮かべつつも先輩から五百円玉を受け取り、椅子から降りてととととーっとカウンターの方へかけていった。
「ふうっ……。危ないところだった」
先輩は姫様が買いに行ったことを確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
「……何が危ないところだったんです?」
「さすがに怪しいわね……」
「ぐっ……!なななな、何でもないんだ!」
「何でもないはずないでしょ。その狼狽え具合。その雑誌に載っている麹町美生さんと先輩は何か関係が……」
ん……待て。そもそも麹町って名字……。どこかで聞いた気が。




