料理の女神③
姫様セレクトの買い物が失敗に終わり、僕たち三人は肩を落としながら次の店へと向かった。
次の店は横浜駅から少し歩いたところにあるメンズもレディースも置いているセレクトショップ。宮島のおススメの店ということだ。
そして早速入店。
店内はジャズが流れており、店の雰囲気も高校生と六歳が入っていいのかと思ってしまうほど大人びていた。宮島は普段こういう店に来ているのか……。
雰囲気にのまれ、店の中を恐縮しながら歩いていた僕たちだが、宮島が歩きを止めてクルッと僕と姫様の方を向いた。
「えーっとまずは何だったっけ……そ、そうだ!ボトムズよ!ボトムズから選びましょう」
「ボトムズ?何だ急に。アニメの話?」
なぜ服屋で「装甲騎兵ボトムズ」の話が出てくる。三十年前のアニメだぞ。誰もわからんわそんなの。僕はわかったけど。
「あ、あれ?違ったかな……」
そう言いながら宮島は手帳を取り出して何やら確認を始めた。そして「あー!」と一人で納得し、続けざまに僕の方を向いた。
「ボ、ボトムズじゃないわよ風早くん!何を言っているのよ一体!あははははー、もう。ボトムズだったら装甲騎兵じゃない!ボトムスよボトムス!ズボンとかのこと」
いや、お前完全にボトムズって言ってたろ。僕のせいにするなよ。
「だったらズボンって言えばいいじゃん……」
「うっ……ボ、ボトムスの方がカッコいいでしょ?ロボットみたいで」
とてもオシャレ女子の発言とは思えないが、まあいい。ようはズボンを選ぶのね。ファッション用語ってややこしいな。
「まあいいけど……そんで、そのボトムスはどういうのがいいんだ?」
「え、えーっと。ちょっと待ってね?」
そう言いながら再び手帳を取り出す宮島。その様子を見た姫様が「なにが書いてあるのじゃー?」と覗き込んでいる。
「風早くんはいつもどんなズボンをはいてるの?」
おい、ボトムスじゃねえのかよ。早速自分でズボンって言っちゃったよこの子。しかも気付いてないし。
「……ユニシロで買ったジーパンとジャージしか持ってないな」
「だったらジーパン……あ!……ふ、ふふふ」
宮島は何かを言いかけた途中で別のことに気付いたかのように声を上げ、そして今度は笑い始めた。……大丈夫か?どこかに頭をぶつけたのか?
「ちょっと風早くん、今ジーパンって言った?」
「え?何かおかしかったか?」
「知らないのね。今時の高校生はジーパンなんて言わないわ。オジサンしか使わないわよ、そんな言葉。イタダキマンモスくらい使わないわ」
「僕はむしろそのイタダキマンモスを知らないんだが……」
どちらかと言うと、ジーパンの別名よりイタダキマンモスって言葉の方が気になるんだけど。いつ使うのそれ。ご飯食べる時?
「高校生はジーパンのことを……えーっと、あれ?おかしいな……」
そう言いながら再び手帳から何かを探す宮島。
……なんか宮島に服を任せるのが不安になってきたんだけど。
「あ、あった!デーニムよ!」
「……デーニム?」
「今時はジーパンのことをデーニムって言うの。知らないの?」
「……知らないの?じゃねーよ。お前も今完全に手帳で探してたじゃん」
「なっ…!こ、これは違うもんっ!ちょっと気になったから今月の祝日を調べてただけだもんっ!」
……無理があるだろその言い訳。口調まで変わっちゃってるし。
「まあいいけど。僕もこれからジーパンのことはデーニムって言えばいいんだな」
「そうよ!こんなオシャレな店でジーパンなんて言っていたら笑われるわ。デーニムよ、デーニム!」
宮島は得意そうな顔でそう言った。
ファッション用語って変な言葉多いなホント。何だよデーニムって。ドラゴンボールの魔人ブウ編に出てきた敵キャラかよ。あ、あれはダーブラか。うん、全然似てねーわ。イントネーションだけだわ。
「それで、どっちがいいかしら。新しいデーニムを買うか、別のズボンを買うか」
宮島の口からはもうボトムスのボの字も出てこなくなった。どうやら宮島の脳がボトムスという言葉を放棄したらしい。
「そうだな……僕はどのズボンがいいかとか良くわからないし、出来ればそれを宮島に選んでほしいんだけど」
「そ、そうよね。じゃあまずお店にどんなズボンがあるのか、店員の人に持ってきてもらいましょ?」
そう言って宮島は店員を呼んだ。優しそうな顔立ちの男性がサッとこちらに駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか?」
店員のお兄さんは爽やかな笑顔を僕たち三人に向けた。高校生と六歳を相手にしても丁寧な物腰でこの応対。さすがプロ。
「え、えっと。彼のズボンなんですけど」
「彼氏さんのですね?細身で背も高いのでどんなものでも……」
と店員さんがしゃべっている途中で、何を思ったか宮島が言葉を遮るように大声で割り込んだ。
「かかかかか彼氏じゃないですーーっ!!!」
宮島の良く通る大きな声が店内に響いた。そして店内はシーンと静まり返った。流れていたはずの店内のBGMも止まったのではないかと錯覚するほど、お店の中が一瞬にして固まった。
とりあえずこれで店内のすべての人に僕が宮島の彼氏じゃないことをお伝えできただろう。全く、こんなことを大声で発表するなんて。冴子ちゃんはドジっ子なんだから☆
「そ、その!違くて、まだ、友達でっ!!」
周りが静かになっていることに気が付いていないらしく、宮島は恥ずかしそうに両手を頬に当て、伏し目がちになりながらクネクネしている。
「……お、おい。宮島、宮島!」
「あ、わ、わたし……」
宮島は僕の呼びかけに顔を上げ、自分がしでかしたことに気づいたらしく、瞬間湯沸かし機のごとくみるみる顔を赤くした。
そしてこの後の宮島の行動。それはもう僕には読めている。
ビンタだ。ビンタが来る。一週間前に僕の脳を揺らしたメガトンビンタが。
こういう恥ずかしい状況に陥ると、何故か宮島は僕にビンタをする。理由は不明だ。
僕はこれから来る衝撃に備えるべく足を踏ん張り、顔を両腕で守った。
来るなら来い!一ヶ月に二度も女子のビンタで失神してたまるか!
バッチイイイイイイイン!!
ビンタの音はしたが衝撃はない。
な、なぜ……?
僕は顔の前に出していた両腕を下ろし、宮島の方を見た。すると宮島は、あろうことか自分の両手で自分の両頬をひっぱたいていた。
ゆっくり手を下す宮島。
驚愕の表情を浮かべる僕と店員。
心配そうな目で見つめる姫様。
そして宮島はスッといつもの無表情に戻り、口を開いた。
「それで、どんなズボンがあるか見せてもらえますか?」
すげええええこの人!さっきのことを全部無かったことにした!!
ていうか無理があるわ!無理がありすぎて逆にこっちが「え、さっきの夢?」って錯覚するわ!
「あ……え?」
さすがに店員のお兄さんも何が起きたか分かっていないようだ。そりゃそうだ。誰もついていけないわこれ。
心配した姫様が「さえこ、いたくないのか?だいじょうぶか?」と聞いたが、宮島は「何のこと?」とあくまで白を切るつもりらしい。ただ無表情を貫く彼女の真っ白な顔の両頬には、くっきりと赤く手の形が残っている。
ううっ。痛そう……。
「普段はデーニムしかはかないそうなんです。なのでデーニム以外のものも何本か見せていただけますか?」
宮島は無表情を崩さずにそう言った。
店員のお兄さんも我に返ったようで、「あ、はい!」とシャキッとした返事をした。
「えーっと、すいません。もう一度お願いします。なんでしたっけ?」
うん。我に返ってなかった。生返事だった。でも仕方がないよお兄さん。多分、この状況だったら誰でもそうなるから。
「普段彼がデーニムしかはかないので、何種類か持ってきてもらえればと」
あくまで冷静に無表情で返す宮島。この子はこの無表情の裏で一体どんな心境なんだろうか。
「……デーニム?」
店員のお兄さんは宮島の言葉に不思議そうな顔をした。
「はい、だからデーニムです!」
宮島は無表情のまま語気を強めるが、店員さんは全くピンと来ていない。
「……?ダーブラじゃなくて?」
いや、さっき僕も思ったけど、それはさすがに違うだろ。イントネーションは同じだけど。
「あ、あれ?おかしいな……。あのジーパンの……」
宮島は無表情で頑張りつつも、うろたえているのが見て取れる。
「あー!デニムのことですね!」
「デニム?デーニムじゃなくて……?」
「かしこまりました!他のも含めて何本か持ってきますね!」
お兄さんは爽やかにそう言い残し、小走りでどこかに消えていった。
僕は宮島の少し後ろに下がった。あんなに自信満々に言っていた「デーニム」が通用せず、さぞショックなことだろう。そう思うと僕は宮島の顔を見ることが出来なかった。
「……」
僕らに背を向け、無言で立ち尽くす宮島。
あーあ。ジーパンって言えば良かったのに。きっとまた顔を真っ赤にして恥ずかしがっているんだろうな。
すると宮島はクルッと僕らの方を向いた。
「……デニムだったわ」
宮島は無表情のまま髪をかきあげ、何事もなかったかのようにそう言い放った。何故ちょっとカッコつけているのかは誰にもわからない。おそらく本人にも。
僕と姫様はそんな宮島に温かい眼差しを送り、ただただ無言で頷くのだった。




