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夏合宿⑥

「五〇二号室…ここか」


 僕は外山先生に呼ばれて、先生の一人部屋にやって来ていた。十五分後に来いって言われていたがもう三十分経ってしまった。テヘペロ☆


 それにしても、先生が一人部屋に僕を呼ぶなんて一体何の用事だろうか。お説教に心当たりはないし、何か雑用でも手伝わされるのかな。


 呼び鈴がついていなかったので、ドアをコンコンコンと三回ノックした。


「外山先生、風早です」


「おー、入れー」


「失礼しま…ってなんじゃこの惨状は!!!」


 ドアを開き、中に入ると、開きっぱなしの襖の奥にはまさしく惨状が広がっていた。机の上に散乱したビールの空き缶。食べ散らかしたアタリメと、大量に開けられた缶詰。そして畳には先ほどまで先生が着ていたと思われる洋服が脱ぎ散らかされていた。


「おしょいぞ風早ぁー」


「酒臭っ!さっきからまだ三十分しか経ってないですよ先生!」


 駄目な大人だ。駄目な大人がここにいる。

 いつもハキハキした口調で理路整然と、素晴らしい日本史の授業をしている先生が、教師という服を脱ぐと一瞬でここまで自堕落な人になってしまうとは…。人間って怖い。


「こっちに来て、私のとなりにすわりなさぁーい」


 不安を覚えつつも、仕方なく先生の隣に座り、僕は先生にお酌をすることになった。


 先生はすでに浴衣に着替えていた。いつもはシャキっとしている先生だが、すでに酔っぱらっており、浴衣の着方もひどいものだった。綺麗な脚を投げだし、胸のあたりも少し肌蹴ており、目のやり場が無い。

 け、けしからん。だが、それがいい。


「ううう…私はなあー、うれしかったんだぞぉー風早ぁー。お前のこの間の定期テストの日本史ひゃく点。学年でお前ひとりだけだったぞぉー」


 先生はビールを飲みながら涙を流していた。…そこまで?


「あ、ありがとうございます」


「風早ぁー、お前はほんっとに授業中も良く話を聞いているし、自学自習も出来ているし、本当に偉いぞぉー。課題のレポートにもあそこまで真面目に取り組んで。私は、私は…」


 いや、これ以上泣かれても対処のしようがないですって先生!


「いや、だって、好きですから!」


 そう、僕はそもそも日本史が好きなのだ。ここまで日本史が好きになれたのはほぼ外山先生のおかげと言っていいだろう。もともと興味があったのもあるが、先生の授業は本当に分かり易く、その上内容が興味深い。授業中に気になったことを質問しに行くと、さらに興味を広げてくれる。テストの問題も暗記していればとれるような問題は少なく、論述問題が中心で、解いていてとても楽しい。まあただ苦手な人にとっては「天使の作った悪魔のテスト」らしいが。


 いずれにせよ、僕はここまで日本史を好きにしてくれた先生にはとても感謝している。まあ本人に直接言ったりは恥ずかしくてできないけどね。


「ふえ?…そう、なのか?」


 急に表情豊かに酔っぱらっていた先生が、驚いた顔をして固まった。すると今度は両手で両頬を押さえ、「どうしよう、どうしよう」と慌てふためきだした。何、どうしたの急に。

 そして今度は意を決したようにキリッとした顔になり、僕の方を真っ直ぐ見つめた。


「わ、私も好きだ!」


 そりゃそうだ。何その宣言。あんた、日本史嫌いな人が日本史の先生なんて出来ないだろ。


「でもその…今すぐっていうのはお互い我慢だよ、な?いやでも、どこか遠くの駅とかで、一緒に食事くらいなら…。い、いずれにせよ!私、待ってるからな。卒業するまで」


 卒業するまで待ってる?ん?「遥かなる高みで待っているから、卒業しても日本史を勉強して先生に追い付いて来い」ってことか?などほど、卒業後はもっと高いレベルで一緒に日本史の研究をしようってことだな!それは考えただけでワクワクする。


「望むところですよ、楽しみにしていてください」


 先生の表情に安堵の色が広がり、少し紅潮した頬を再び両手で抑えた。


「嬉しいな…。風早がそこまで好きだなんて」


「全部先生のおかげですよ」


「でもその、いいのか?こんなおばさんとで…。私とお前では十歳も歳が違うんだぞ?」


「いやいや、歳の差なんて関係ないでしょ」


 むしろ自分より研究年数の長い先生と一緒に研究できることは、僕にとってメリットしかない気がする。逆に先生の足を引っ張らないかが心配だ。


「ううっ…お前は本当にうれしいことを言ってくれるなぁー…。よし!ご褒美にちゅーしてやる」


 …え?なんで?


「え、うわ!ちょっまっ…!!先生、止めてください!!」


 か、顔が近い!急にどうしたんだこの人は!!…そ、それにしても、近くで見ても、やっぱり先生は美人だな。そして今まで気付かなかったけど、このスタイルの良さ。細身と思っていたけど意外と出るところは出てい…ってダメだ!!


「ちょ、先生!離れて!」


 僕が必死に引きはがそうとすると、先生は何故かさらに僕に抱き着き、そのままキスをしようとしてきた。


 くそう、やっぱりまだ酔っぱらっていたか。さっき酔いが醒めていたのは一瞬のことだったらしい。舌足らずな口調も元に戻ってるし。


 先生待って!そんな抱き着くと…ってだああああ当たっている!!何か柔らかいものが!!があああああ!!負けるなああ!負けるな自分んん!!!煩悩死ねえええええ!!!駄目だあ!!自分じゃ殺せねえ!煩悩がうじゃうじゃ出てきやがる!!クリフトさああーーーん!!!煩悩にザラキを、煩悩にザラキをおおおぉぉぉー!!!


「何してるんじゃ?二人とも」


 クリフトさ…じゃない、姫様!!


「だいまおうしゃまがおしごとじゃから、このへやでおりがみしなさいって」


 姫様は宮島が作ったウサギのぬいぐるみと折り紙を持ってやって来ていた。


「み、見てました?」


「何がじゃ?」


 姫様は不思議そうな顔で首を横に傾げた。


 ああ、神よ。この八歳の天使から出される眩い光で、私の煩悩はすべて死滅しました。どうやらザラキではなく、二フラムだったようです。感謝いたします。


「い、いえ何でもないんです。一緒に折り紙やりましょう、姫様!ささ、こっちです。僕と先生の間に座って」


 先生も流石に姫様が来たことで酔いが醒めたらしく、机の上を片付け、お茶を飲みながら夕食まで三人で折り紙をした。


 それにしても危ないところだった。姫様、本当にありがとうございます。

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