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夏合宿⑤

 料理研究部合宿初日。睦美と一緒に買いに行った私服を身に纏い、私は究極完全体で合宿にのぞんでいる。


 それに、今日は勇気を出すと決めた日だ。


 頑張れ冴子。負けるな冴子。ゴーゴーレッツゴーレッツゴー冴子。


 私は彼に向かって勇気を出して今日の私服の感想を聞いてみた。


「その、どうかしら…」


「…似合ってると思うぞ。ヘアピンもいつものと違って可愛いし」


「…そっか。ありがと」


 「似合ってる」と言う一言を彼の口から聞いた瞬間に気が付いた。

 この一言だ。この一言を彼の口から聞きたくて、ここ最近はちっとも気持ちが落ち着かなかった。

 でも、いざその一言を本人の口から聞くと、期待と不安でぐちゃぐちゃになっていた私の心はスッと晴れ渡り、嬉しさともちょっと違う温かい気持ちが胸の奥から込み上げてきた。


「エヘヘ、頑張って良かった」


 彼に聞こえないくらいの小さい声で呟き、私は溢れ出しそうな温かい気持ちが口から出て行かないように、大事に大事に胸の中にしまった。


 そして頑張ったご褒美を神様がくれた。

 彼は私の肩についている紙を見つけ、取ってくれた。自然と距離が近づいた。大きくなってから顔と顔がここまで近くなるなんて初めてで、私の中の温かい気持ちはどんどん大きくなり、顔が熱くなった。

 睦美の予想、当たったね。初日から本当に急接近しちゃった。


 そして、どんどん込み上げてきた私の温かい気持ちは…。

 超絶セールの値札と一緒にどこか空へと消えていった。


「うわああああーん!!値札、値札のばかあーっ!!ううっ…どうせ私は手巻き寿司がお似合いの女よ!手巻き寿司女よ!」


 アイアム、手巻き寿司ガール。

 リピートアフターミー。

 アイアム、手巻き寿司ガール。

 手巻き寿司ガール ハズ セールス ブラウス。

 イットイズ 7880 イェン。


 余りにもショックだった。あの後、彼から声を掛けられた時も、自分が悪い癖に何故か逃げてきてしまった。


「この後一体どうすればいいの…」


 私は、旅館の中庭の池にある、ちょうど人が座れるくらいの石に腰かけながら、お先真っ暗な合宿の今後のことを考えた。


 ダメ。どう考えても上手くいかない…。


 ふと隣を見ると、少し離れたところに若い女性が、私と同じように石に腰を掛けていた。


 綺麗な人…。二十代前半くらいの方かしら。

 艶やかな美しい黒髪に、指の先まで雪のように綺麗な肌。クールビューティーってこういう人のことを言うんだろうな。私なんて全然クールビューティーじゃない。ただの手巻き寿司女だ。


「ごめんなさい…盗み聞きするつもりは無かったんですけど」


 女性は少し申し訳そうな顔を私に向けた。


「へ?」


「いや、その…あなた全然手巻き寿司女じゃないですよ。表情豊かなところとか、とても可愛らしいし」


 きゃああああああああ!手巻き寿司女という謎の言葉を見ず知らずの人に聞かれてしまった!

 …自分で言っておいてあれだけど、手巻き寿司女って何?


「ご、ごめんなさい…手巻き寿司女のことはその…忘れてください」


 恥ずかしい。恥ずかしすぎて何処かに行ってしまいたい気分だ。でも、隣にいる女性の雰囲気はどことなく温かく、私はまだ少しここにいたい気分になった。


「えっと…ちょっと、いいですか?」


 私は自分から女性に声を掛けていた。初対面の人に自分から声を掛けるなんて一度もないのに、何故か自然と言葉が出ていた。


「何です?」


「その…どうすれば、貴女みたいに綺麗な人になれますか?」


 いくら既に恥をかいたからと言って自分の言葉に耳を疑った。初対面の人にこんなことを聞くなんて…。

 でも、この人みたいに美しく自信に満ち溢れていたら、たかが超絶セールの値札くらいで動じたりしないとは思う。


「自然に、いつも通りでいいと思いますよ。あなたは、それが一番可愛いと思う」


「自然に、いつも通り…」


「ええ。あなたのことを見てくれている周りの人たちも、きっとそう思っているはずですよ」


 自然体が一番、か。

 彼もそう思ってくれているのかな。よし、さっきのことは無かったことにしよう。私は切り替えの早さだけが取り柄だ。

 また、いつも通り、いつもの表情で彼に声を掛けてみよう。


「ありがとうご…あれ?」


 顔を上げると先ほどの綺麗な女性はいなくなっていた。

 おかしいな…。さっきまで隣にいたはずなのに。


「誰だったのかしら…」


 独り言をつぶやいていると、少し離れたことから私を呼ぶ声がした。


「宮島―!!!はあ、良かった、見つかった。こんなとこにいるとは…」


「か、風早君!?ど、どうしたのかしら?こんなところまで来て…」


「宮島、お前時計見ろ。もう六時十分だ!十分過ぎてる!先生が生ビールを頼めなくて機嫌が悪くなっているぞ!!」


「え!嘘でしょ!?」


 時計を見ると、本当に十分過ぎていた。やってしまった。去年の二の舞だ。

 私が慌てふためいていると、風早君は、今日いちばんやさしい顔で笑いながら私に声を掛けた。


「ま、一緒に謝ってやるよ。いいから行こう」


 自然体が一番、か。あのお姉さんの言っていることは確かに当たっているのかもしれない。

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