花より団子
少年の表情からは喜怒哀楽の感情が一切感じられなかった。もちろん、快・不快もである。
あれほどの騒ぎに巻き込まれると人は誰しも不快な表情をするものではないのか。
会話をしない代わり、常に人間の表情を観察し分析している悠里は他の子よりも人間の感情を読み取ることに長けていた。コミュニケーションに関する書を読んでいるというのも理由のひとつだろう。
どういうことか、彼から感じられるものは感情ではなく、人に危害を加えるつもりはないというなんとも抽象的な立場の表明しか読み取れないのだ。それは当然感情ではない。
騒がしい状況に慣れているとか、粗方そういう理由だろうが、悠里にとって不快を隠すということはどんなに努力しても上手くいかない類のスキルだった。
「急な話だが、転校生を召喚、おっと間違えた。紹介するぞー」
明らかに元から用意してたような言い間違いだがクラスメイトには大ウケだ。
笑っていないのは花緒と悠里、そして繕ったような笑みを浮かべている転校生の美少年。
「間狩風斗です。東京から来ました。ここに来た理由は話したくないので聞かないでくれると嬉しいです。よろしく」
シンプルだった。
シンプルだが、重要なことを押さえている。どこからきた人間なのかという問いは今後の人間関係で避けては通れないため、その情報は出し惜しみなく提供する。その代わりではないが、触れられたくないことは意志を持った声と表情ではっきりと表明した。
この時誰もが、花緒以外の誰もが、間狩に対し多少の畏怖を感じた。それほど間狩には只ならぬ強さがあった。
「あー、えっと、席は朝倉悠里の後ろがスペースあるな」
机と椅子を運んでくる、と言い教室を出る糸杉。2秒足らずでまた扉を開け、くれぐれも静かにと念押ししてまた去っていった。
「朝倉悠里さん、どこ?」
様々な空気感が入り混じった教室で間狩が口を開いた。
やはり大物の気質を感じる。
返事を返さない悠里の代わりに花緒が勢いよく手を挙げる。
花緒のおさげがふんわりと揺れるのを眺めながら、前の席がこの女の子で良かったと安堵する。
「ここ!私の後ろが悠里だよ!私は花緒!」
あ、読んだ本のどこかに自己紹介の時に苗字ではなく名前を名乗る人間はコミュニケーション能力が高いとかそういう文を読んだな。悠里は花緒を改めて尊敬しながら聞こえるか聞こえないかの小声でありがとうと呟いた。
「花緒、ね。元気一杯で眩しいね」
「あ、さっき言ってた眩しいってそういうこと?」
ケラケラ笑いながら手を挙げたまま間狩と会話を交わす。
さっそく花緒を呼び捨てにするとは、間狩も侮れない奴だ。
頼むから私のことは苗字で呼んでくれ。
「えーと、朝倉悠里さん?」
すでに花緒と悠里の側に来ていた間狩は悠里の顔を覗き込む。
「う、わっ」
突然距離を詰められたため思わず慄いてしまった。
こそこそと会話をしていたクラスメイトが一斉に悠里を睨む。なんだその反応は、という表情で。
「だめだよ間狩くん〜。悠里っちは近距離の接触が苦手なんだから」
花緒がやんわりと間狩を制し、ついでに悠里の反応のフォローも請け負った。
「そっか、ごめん」
「あ、え、い、いえ」
噛みまくりかつ無愛想な態度が可笑しかったのか間狩と花緒は吹き出し、笑い出した。
「悠里っち!面白いなお前!」
「悠里ぴょん噛み噛みぴょん〜!」
おいちょっと待て。なぜ悠里っちと呼ぶのか間狩よ。
花緒は相変わらずのバカだし。
しかし、間狩と花緒が笑ってくれたおかげでクラスメイトはもう誰も悠里を睨んでいなかった。
糸杉が戻り、悠里の後ろに机と椅子を置いた。
「お待たせ、これは今日から間狩の机だ。くれぐれも机に潜む睡魔と契約を結び、睡眠に従事することのないように!」
明るい戯けた糸杉に相変わらずクラスメイトは大ウケする。
糸杉も今回ばかりは少し緊張感を解いた笑顔を見せていた。
花緒は、真っ直ぐと糸杉を見ていた。
花緒が糸杉に対し嫌悪感のような態度を見せていることに悠里は気づいていた。
今はこんな状況だが、かつて花緒と悠里はこの好青年な教師、糸杉豊彦と仲が良かったのだ。
なぜならこの3人は家が近所なのだから。
糸杉は明るい性格ではなく、むしろ賢いがゆえに何をどこまで考えているのか読めない男だった。
小さい頃から糸杉に学問を叩き込まれていた花緒と悠里はそこそこ頭が良い子供だった。
だから、気づいてしまったのだ。
遊ぶ時は全力で遊び、教える時は教師になり、叱る時は厳格な態度の、頼りになる糸杉の本性に。
糸杉は花緒の視線に気づき、一瞬無表情を見せたように見えたが、すぐにニヤリと顔が歪む。
「いっ!」
「コラ花緒。なんだそのやる気ない顔は!」
糸杉は花緒の額をデコピンし、なぜか悠里の頭に手を乗せる。
わしゃわしゃわしゃ
ちゃっかりと悠里の柔らかい髪に触れ、掻き乱す。
「と、と、止めて!」
悠里は少し顔を赤らめ、糸杉を見上げ睨みつける。悠里の長い前髪が掻き乱されたことにより両目をはっきり見せていた。
そのため、悠里の綺麗な瞳が少し潤み、白い頬に紅色が乗っていることが誰から見ても明らかだった。
そのあまりの美しさに全員が固唾を飲んだ。
すでに見慣れている糸杉は全く気にすることなく悠里から手を離し、前髪を元に戻してやった。
それを見た花緒は心の中で、それも全部、自分のためだろうと黒い感情を濁らせた。
「はい!無駄話終了!ホームルームの時間もう足りないし、欠席も少ないし今日はこれで終わり」
喜びの声がいたるところから漏れ、少しずつ先ほどの悠里の表情がみんなの記憶から消え失せる。
悠里は美しい。それを知っているのは少しの人間で構わない。
糸杉は微かに悠里の唇に指を走らせた。
これはいつも誰にも気付かれることのない行為だったのだが、糸杉は迂闊だった。
今日からは後ろに人がいる。
直ぐ間狩の方に視線を移すと、冷めた目で間狩は糸杉を見ていた。なるほど、という表情で。
糸杉は自分の失態に動揺したが、別に動揺しなければよい話である。特に何かあるわけではないのだから。
にこりと笑顔をつくり、扉の付近まで歩むと静かにな、と言葉を残し教室を出て行った。
「ふんっ」
花緒は不貞腐れたように悠里の机に顔を乗せた。
その頬が風船ように膨らんでいる。本当に花緒は感情表現が上手い。
「ちょっと私の机に頭を乗せないで」
「いや!悠里は私の悠里なの!」
糸杉と必要以上に接した日はいつも機嫌が斜めになる。花緒が拗ねるのは珍しいことで、それは決まって糸杉関連のことだ。
「間狩君、東京ってどんなとこ?」
気持ちを切り替えたいのか突拍子もなく間狩に絡み始める花緒。
「煩い、臭い、人が冷たい」
「う、うわぁ」
「東京に興味でもあるの?」
「だって私生まれてこのかた、この町以外の土を踏んだことがないんだよ」
気持ちの切り替えに成功した花緒は、少し離れた間狩に自分の感情を表示するためにちょっとよくわからないジェスチャーをとる。
間狩の情報を聞き出したいクラスメイト達はその会話に聞き耳を立てている。
「間狩君の、うーん、恋愛対象!」
花緒が適当な会話をする時の逃げ場は恋愛トークである。恋愛トークは聞いてるふりをするだけで盛り上がったようになるから、楽!と以前悠里の前で公言している。
どうやら、というか予想通り花緒は間狩に興味がないようだ。悠里のせいで美しさに慣れているため間狩の美貌には免疫がある。そして本当に花より団子の少女なのだ。
「対象、か。一応異性愛者だよ。人間の女の子が恋愛対象」
「女の子かぁ!どんな子?」
「うーん、よくわからない」
きっと今間狩は嘘をついた。花緒は興味がないためそっかそっか〜と呑気な声で応答してる。クラスメイトも残念そうな声を漏らしながらも嘘つきとは言わない。
よくわからないではなく、興味がない可能性が高い。
「花緒は?」
「え?」
「花緒の好みの子は?」
花緒は軽く返事をしておけば会話が成立できると思っていたため自分のことなど考えていなかった。今こそ花より団子だからという決め台詞が使える時だというのに。
「私、間狩君よりよくわからないかも」
珍しく冷静なトーンでの返事だった。嘘をついた間狩を見破ったかのような返事。
「花緒は花より団子でしょう」
「あ、そう!それ!」
太陽の子の困り顔を見るのは好みじゃないため、思わず助け船を出した。先ほど間狩やクラスメイトにフォローも入れてくれたし、そのお返しだ。
「やっぱり眩しいなぁ」
なぜか、間狩のそのセリフにほんの少しの鳥肌がたった。眩しいなぁが欲しいなぁに聞こえたのだ。
間狩は花緒を欲しがっているように感じた。
悠里は、花緒の頬を手で包み、この柔らかい感触を誰にも楽しませたくないと思ったが、そんなことを触れているようで触れられない自分が思っていいわけがないことも承知していた。
花より団子は男子にも女子にも、団子にさえ興味がないのではないか。彼女はいったい何を想い、何を見ているのか。
「悠里の手、冷たくて気持ちいいですなぁ」
正直なところ、この子の感情はわかりやすいがその奥底にあるものがわからない。手に入れたいのに、手が届かない。こんなに近くに、触れるのに。
「花緒の頬っぺた好きよ」
「ふぇ、たまにデレる悠里ちゃんマジ天使!花緒の天使!」
「黙れおもち」
たまに思わず花緒に本音を伝えてしまう。良いことなのだが、自分でも気付かない何かを口走ってしまうのではないかとヒヤヒヤする。
私は、何があってもこの伸び縮みする頬で遊べなくなるのはごめんなのだ。
チャイムが鳴り授業が始まる。いつも通りの日常生活。
花緒のみる夢を私もみることができれば良いのに。
そうしたら、もっと花緒に触れられる気がするのに。
悠里の心に絡まる蔦は、小さな棘で彼女を苦しめる。これから先、何かが変わってしまうような予感。
絡まった蔦の取り方を悠里は知らない。