二十歳になりました
七月二十五日。
虫達が騒がしくなり、野山の碧が青々と繁る、夏真っ盛り。
熱い日差しと、冷たいかき氷が、人々を生き生きとさせます。
子供達は肌を日に焼きながら、夏休みだと、町中を走り回り。
大人達は汗を流しながら、家族のためと、忙しなく働く。
そんな夏の真ん中辺り。
特に何でもない日。
子供達の休日。
大人達の平日。
私の大好きな日。
私の大切な日。
私の生まれた日。
そして、今年のこの日はもっと特別な日。
今年、私は、二十歳になります。
*
私も子供の頃はああして走り回っていたな。
なんて、感慨に耽ってみた、道行く子供達をベランダから眺めながらの朝。
まだ重たい瞼を少し擦って。
一つ伸びをして、欠伸が漏れた。
高校を卒業してすぐに就職した私は、家を出て、会社の寮で寝泊まりしています。
だから、部屋には一人だけ。
実家にいた頃は、お母さんが起こしに来てくれて、もう朝食が用意してあって。
でも、一人に成ってからは、パンの買い置きもしていない。
だいたいは、仕事へ行く前に買って食べるのです。
ピピピッ。
と、スヌーズで五分置きに鳴るよう設定してある目覚ましが、不意打ち気味に鳴り出しました。
お陰で目が覚めた。
止めるついでに、目覚まし時計の日付を見て、少しだけ胸が締め付けられる。
「今日は七月二十五日か……。いつの間にやら、誕生日じゃん」
呆気なくこの日を迎えてしまったなぁ。
と、少しだけがっかり。
「前々から緊張してた分、損した気分だ……」
今日、七月二十五日は、私の二十回目の誕生日だ。
それはつまり、私が二十歳を迎えたことを意味するわけで。
「いや、まだまだ朝じゃん!一日は長いぞ!」
落ち込みかけていた気持ちに軽く渇を入れて、その勢いで、眠たい顔を思いっきり洗う。
ごしごしとタオルで水気をよく拭いて、それから歯を磨く。
それから髪を整えて……。
私は、先程までの感慨なんて捨て置いて、テキパキと朝の準備を進めていった。
「準備完了。では、行ってきます」
そう言い残し、私は寮の部屋を出た。
あ、お気づきですか?
そう、勿論今日も仕事です。
一応大人の端くれですから。
あっそうか。
今日からはもう、立派な大人なんでした。
二十歳ですからね!
お酒も飲めるしタバコも買えます。
成人を名乗れます。
いろんな手続きで、親の保証とか確認とかが必要なくなります。
その分責任があるって事ですけどね。
あ、あと、選挙権もありますよ!
……えっ?今はもう十八歳から選挙権あるの?
ももももちろん知ってました!大人ですから。
冗談なのでした!
冗談なのでした!
大事な事なので!
うん、でも色々出来るようになって、やっぱりワクワクします!
今まで会社の飲み会でも、お酒を飲んだことのない私だけ空気感が掴めてなかったりしたけど、今日からは一緒に酔っぱらえる。
先輩はタバコを吸ってて。
大人っぽくてカッコいいなと、ちょっとだけ憧れてたり。
あ、でも体に悪いから吸わない方が良いんですよ?
先輩が言ってました。
百害あって一利なし、って。
タバコを吹かしながら。
説得力無いですよ!
いや、逆に説得力有りすぎですよ!
先輩、体に何か悪いことが……?
まあとにかく、ワクワクいっぱいで出勤です。
出勤と言っても、寮に住んでるので、会社はすぐ近くなんですがね。
でも、そんな短い距離も、今日は輝いて見えます。
「良い天気だなぁ」
なんせ今日は、私の二十歳の誕生日!
きっと特別な日になる、そんな期待で胸がいっぱいだからです!
「あっ。コンビニ寄るの忘れた」
*
普通だった。
今日という日は、何事もない、昨日と同じ、普通の、ごくごく普通の、平和な一日でした。
イライラするというか、モヤモヤするというか。
ネガティブだ……。
今は仕事が終わり、晩御飯時の午後六時。
蝉の声が止んだと思ったら、今度はコオロギが煩い。
子供達は急いで帰宅しているのか、バタバタと、朝よりも喧しく走り回って。
こっちは仕事が終わって疲れてんのに。
ご飯を食べる気にもなりません。
でもお腹すいた。
あーあ。
だーれも、おめでとうの一言も無いなんて。
そりゃそうだよ。
誕生日をわざわざ教えたこと無いもの。
逆に、私も先輩達の誕生日を知りません。
仲は良いと思うけど、今まで話題に出たことも無かったからなぁ。
しかも、仕事ではちょっとしたミスをしてしまって。
上司には怒られ。
まあ、かんかんって感じじゃなかっただけ救いかな。
でもやっぱ、しょげちゃうよね。
まあそれも、だいたい、いつもの事なのだけど。
はぁ……。
どうせなら、もっと大きなミスをしたら、いっそ清々しかったかもしれない。
あぁ。
今日は特別な日だったのに、もう終わってしまいます。
特別な、筈だったのに……。
友達からも、親からも、一通もメールは来ない。
LINEも来ない。
SNSは、そもそもやってない。
誰も私を祝ってはくれない。
せっかくの誕生日なのに。
せっかくの二十歳の誕生日なのに。
特別な誕生日なのに。
「うぐ……ひっぐ……」
気が付いたら、私は泣いていました。
大きな声をだして、子供のように泣いていました。
寂しくて、悲しくて。
夕日にも負けないくらいの真っ赤な目から。
日差しにも負けないくらいの熱い涙が、溢れて、零れて。
私の枕を濡らしました。
私は、何を期待していたんだろう。
私は、何に期待していたんだろう。
私は、何で期待してしまっていたんだろう。
「バカみたい……」
二十歳になったところで、いつもと変わりありませんでした。
二十歳になったところで、誰も祝ってはくれませんでした。
二十歳になったところで、急に大人になる事なんてできませんでした。
二十歳になったところで、私は、何一つ成長することも出来やしない。
私は幼い子供の頃のまま。
大人という言葉に憧れて、特別な何かになりたくて、かっこよく生きてみたかった。
走り回って、足掻いてみたけれど、何も変わりはしなかった。
二十年間ずっと、変わりはしなかった。
だけどきっと、二十歳になったら。
二十歳の誕生日を迎えたら。
私は何か、魅力的な者になれるんだって、そう思い込んできた。
大人は皆、成人しているから、特別なんだ、かっこいいんだって、そうやって。
でも違ったんです。
私は二十歳になったけど、成人したけど、二十年生きてみたけど。
やっぱり、急になんて変わるわけないんだ。
私はずっと、変わろうとしていたつもりだったけれど。
精一杯努力してきたつもりだったけれど。
きっと、大人達から言わせたら、努力不足なのだ。
だから、変われないんだ。
二十歳になりました。
だからなんだ?
そんな事、偉くもなんともない!
誰にも褒めてなんてもらえない!
認めてなんてもらえない!
ただ二十年間生きてきただけ!
ご飯を食べて寝ていただけ!
良い子でいただけ!
真面目なだけ!
そんな事のどこが特別なんだ!
ガキが!
気が付いたら、寂しさも悲しさも、怒りに変わっていました。
歯を食いしばって、爪を手の平に突き立てて、枕を思い切り叩いて。
それでもむしゃくしゃして、ベッドの脇に置いてあったものを、手当たり次第に。
投げるものも投げる場所も気にせず、適当に投げまくった。
嫌いだ!
こんな日大嫌いだ!
とてつもなくどうでもいい日だ!
誕生日なんて要らない!
――二十歳になんてなりたくなかった!
パリンッ。と、何かが割れる音がした。
私はその音で少し冷静になって、音のした方を見ました。
ガラスの破片が散らばっていました。
薄い青色のガラスが、散らばっていました。
棚に、大切に飾ってあった、グラスでした。
昔、友達とペアで買った、二十歳になったらこれで一緒にお酒を飲もうと、約束して買った。
私は呆然としていました。
言葉にできないショックで、何も考えられなくなって。
ただ、割れたグラスを眺めていました。
そうして、割れたグラスを見つめていく内に、自然と目から涙が溢れました。
不思議と声は出ず、ただただ涙が溢れて。
痛い。
胸が痛い。
心臓が、万力で押しつぶされるかのように、とてつもない強さで締め付けられて。
もう、死んでしまいたかった。
自己嫌悪とか、不安とか、いろいろな嫌な感情がない交ぜになって、お腹の中が気持ち悪くて、頭が痛くて、全てを吐き出して消えて無くなりたかった。
このまま本当に心臓が潰れてしまったのなら、どれだけ楽だっただろうか。
私は暗い部屋で、一人、延々と泣いて。
泣き止んでから、とりあえず、割れたグラスの欠片だけ、拾い集めました。
踏んだら危ないから。
それだけです。
きっと、一緒にグラスを買った友達も、約束の事など忘れているでしょうから。
時計を拾ってきて時間を確認すると、もう午後十時を回っていました。
ぐうぅ~。とお腹が鳴りました。
そういえば、何も食べていませんでした。
でもこんな時間では、コンビニしかやっていません。
なら、コンビニへ行くしかありません。
私は漸く制服を脱ぎ、身軽なジャージ姿へと着替え、部屋を出ました。
寮から最寄りのコンビニまではすぐ。
すぐの筈なのに、トボトボと歩いていたせいか、とても長い道のりに感じました。
入ってすぐに買い物カゴを一つ取り、雑誌コーナー沿いにドリンク売り場へ。
ふと。目の端に、缶チューハイが止まりました。
昔ジュースと勘違いして手を伸ばし、アルコールの文字を目にしてそっと棚へ返した事のある、缶チューハイでした。
「そっか、お酒買えるんだ」
私は、水とオレンジジュースのペットボトルと一緒に、そのブドウのチューハイを一つカゴへ入れました。
飲んでやる。
酔っぱらってやる。
それで、少しだけ大人の気分を味わおう。
おあつらえ向きに、明日は休日でした。
だから、今から飲んでも何も問題は無いでしょう。
あとは、梅とおかかのおにぎりを一つずつと、レンジであっためる鶏のから揚げを一袋買ってレジへ並びました。
初めてお酒を買うので、なんだか緊張してしまいましたが、すんなりと会計は済みました。
部屋へ帰り、チューハイとおにぎりと温めてもらったから揚げを机に並べ、遅めの晩御飯にしました。
チューハイのフタを開けると、ほのかにお酒の香りがしました。
飲んでみたらちょっと苦いブドウのジュースみたいで。
ちょっとだけ、がっかりしました。
でも、後から鼻を抜けていくアルコールが、ふんわりと、気持ちを和らげてくれるようでした。
そのうち頭がぽわぽわしてきて、なんだか足が浮いているようで。
私は少し陽気になっていました。
「カーテンを開いて星空を眺めちゃったりして」
我ながら良い発想だと思い、どうせならベランダまで出てみることにしました。
「わぁ……!」
見上げた夜空には、たくさんの星がキラキラと輝いていました。
瞬く星たちの一つ一つが、まるで宝石のように輝いて。
誰が一番きれいに輝けるのか、競い合っているように。
どうやら、今夜は月が出てないみたいです。
普段はお月様の強い光に隠されてしまっている小さな星たちも、所狭しと、闇夜の空白を埋めていました。
きっと、町の中じゃなかったら、もっときれいに映るんだろうなぁ。
夏の夜は、お日様が沈んだ後でも暑く、時々吹き付ける風が、妙に心地いい。
まだ冷たいままのチューハイを喉に通すと、体全体が冷やされていくのが分かって。
冷たくなった胃に、温かいから揚げを落とせば、今度は、体が驚いて、全身の毛穴が広がっていきました。
お酒を飲むっていいな。
きれいな景色を見ながら、冷たいお酒と温かいおつまみ。
大人って、こんな贅沢な事をしていたんだな。
そして、もっと沢山の、贅沢な事を知っているんだろう。
私はまだまだ知らない事が沢山あるんだ。
今日はお酒の味を知った。
今度は、おいしい飲み方を知りたいな。
明日、先輩に聞いてみよう。
他にも色々教えてもらおう。
知っていこう。
そうやって、素敵な大人になっていこう。
「よしっ!楽しくなってきた!」
私は残りのチューハイを一気に飲み干すと、部屋の中へ戻りました。
残っていた梅のおにぎりを、水で流し込むように胃に納めると。
私は部屋の明かりを消して、布団へ入りました。
そして、お風呂に入ってない事を思い出し、思い直して、シャワーを浴びて、再び布団へ入りました。
もう寝よう。
ふて寝してやる!
勢いに任せて寝入ろうという時に、スマホが光を放ちました。
LINEにメッセージが届いたようでした。
知るか。
と無視して寝ようとしたのですが、緊急の、仕事に関する連絡の可能性を考慮し、アプリを開いて確認することにしました。
しかし、メッセージを送ってきたのは友人で、緊急性は無さそうでした。
未読のメッセージは全部で三件有るようで、その最後はスタンプが送られているようでした。(LINEの仕様に関する説明は省略しますね)
こんな遅くに何の用だろうか。
まあ念のため、確認しておくか。
なんて考えてはいても、実は中身を見なくとも、私は内容を知っているのでした。
やっと、今さら、でも。
――忘れてはいなかった。
『やっほー(^^)/
誕生日おめでとう!
今日で二十歳だね!
生まれてきてくれた事と、出会ってくれた事に感謝!(笑)
これからも良い友達でいよう!』
『遅くなっちゃってごめんねm(。≧Д≦。)m
仕事が立て込んでて、言い訳だけど(笑)
今度飲みに行こ!奢るからさ!それで許せ!』
最後に『Happy birthday !』と書かれたプラカードを掲げた、熊のスタンプが添えられていました。
私は、寝る体制に入って重たくなった瞼を、少し見開いて。
眠気と闘いながら、メッセージを返信したのでした。
『遅い!許さん!ホールケーキを所望する!』
私はメッセージを送ると同時に、意識を微睡みの中に投げました。
明日の朝、どんな返事が返ってきているか、期待しながら。
まだ作者本人も大人に成れていません。
大人って何なのか。人生って何なのか。
そんな思春期のような事を考えてしまって。
でも、そんな宙ぶらりんな今だからこそ、書けるものがあるのではないか。
そう考えて、今作を執筆しました。
なんて、大層な話でなく。
この葛藤を書き残しておきたい。
この頃自分が何を思っていたのか、留めておきたい。
そんな気持ちで書かれた、いわば私の日記なのです。
最後に、この短くて、主人公の情緒不安定極まりないことこの上ない作品にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
皆様も、こんな葛藤、抱いたことありますでしょうか?