26 メアリー・グラスコード
「ああ、バチル・マクトレイヤは獣人だ。ペルメニアの南東にある小国の貴族だったか? 獣人だから身体能力は元々高いぞ」
「そうなのか。じゃあ留学生になるのか」
「そういう事だ。しかし、そこまで無茶苦茶な奴とは知らなかった」
裕二は昨日出会った、バチルとの事をテリーに話している。そしてバチルにスパイ扱いされながら逃げてきた事も話した。テリーもその話しを聞き、バチル・マクトレイヤが、かなりの変人だと知ったようだ。
「ハッハッハ。それは災難だったな」
「アイツの思考は、ぶっ飛びすぎててわからん」
そんな話しをしていると、遠くから何者かが走ってきた。バチル・マクトレイヤだ。
その姿は昨日の勇ましい革鎧とは違い、チェスカーバレン学院の制服に身を包んでいる。黙って立っていれば、可愛らしい女の子なのだろうが、今の猛然と迫り来るバチルを見ると、そんな事を感じる前に危機感を感じてしまう。
「見つけたニャアアア!」
「やべ、きた!」
裕二はテリーの後ろに隠れるが、そんな事しても無駄だ。猛ダッシュで近づくバチルにがっしりと肩を掴まれた。
「捕まえたニャ!」
「ひっ! だから誤解だって」
「お魚さん寄越すニャ!」
「え、ちょ、ちょっと待て。今はないぞ」
「ニャニ?! じゃあ森で捕まえてくるニャ!」
「いや、部屋に帰ればある」
「本当ニャか? じゃあ後で騎士科に持ってこいニャ」
「ええ、なんで俺が……」
「じゃあ私が取りに行ってやるニャ。ちゃんと塩振って焼いておくニャ。わかったニャか!!」
「あ、ああ」
裕二がその気迫に押され返事をすると、バチルは満足そうな笑みを浮かべて帰っていった。結局、スパイの事は何も言われず、お魚さんが目当てだったようだ。
「……凄い奴だな」
「だろ……」
◇
既に授業も終わり、ほとんどの生徒が寮に帰宅している頃。チェスカーバレン学院に向かう、一台の馬車があった。
「全く、許せないわ!」
「奥様。どうか落ち着き下さいますよう、お願い致します」
その馬車に乗るのは、二十代後半に見える美しい女性。実際はもう少し歳も上だろう。だが、彼女の美しさが本来の年齢よりも若く見せている。
濃紺のドレスに身を包み、見るからに高価な指輪やネックレスで着飾っており、今の表情の険しささえ無ければ、完璧な淑女と言えるだろう。
その女性を乗せた馬車は、チェスカーバレン学院の門をくぐり、学院長室のある棟の前で止まった。そして従者に手を貸され、馬車から降りてくる。
「あなたはシェリルちゃんを呼んできなさい」
「畏まりました」
その女性は建物に入り、院長室へ向かう。そして院長室の前にくると、数回ノックをしたが、室内から返事がくる前に勝手に開けてしまった。
「リシュテイン学院長!」
「こ、これはこれは。メアリー・グラスコード侯爵婦人ではないですか。いきなりやってきて何のご要件ですかな? エラい剣幕ですが」
「あの、ユージとか言う孤児の編入を認めたそうですが。どういう事ですか! 我がグラスコード家ではそんな事は認めておりません!」
「はて? ちゃんとマレットが、グラスコード侯爵の認可を受けた書類を持ってきましたし、後に確認も済ませておりますが」
「そんなのは無効です! 私は認めた覚えはありません!」
「そう言われましても……」
シェリルの母、メアリー・グラスコード侯爵婦人は室内に入り、椅子にも座る事も忘れ、立ったままの状態でスカートを握りしめ、リシュテイン学院長に猛烈な抗議をする。
リシュテインもいきなり現れたメアリーに驚きつつ、何とか落ち着いて対応をする。
「とにかく、私は認めません! 今すぐ学院から追い出して下さい!」
「それは出来ませんなあ。後見人はあなたではなく、グラスコード侯爵ですから。後見人か生徒本人か学院以外、ユージ・グラスコードの退学をさせる権利はないのです」
「な、なんですって! 私は後見人の妻ですよ! 私が意見すれば後見人も言う事を聞くのですよ!」
「ならば、それをしてからまたお越しください。後見人がユージ・グラスコードを退学させろと直接言いに来るか、後見人の認可を受けた書類をお持ちになるかしませんと、学院は許可出来ませんので」
「なっ! 私は……」
「どうぞお引き取りを」
「……くっ!」
メアリーは何も言わずにリシュテインに背を向け、そのまま部屋を出ると、『バタン!』と大きな音を立ててドアを閉めた。
「お母様! 来てくれたのね」
そこへちょうどやってきたシェリル。
メアリーの物凄い剣幕を無視して、笑顔で抱きつく。すると、メアリーの表情も一瞬で柔らかいものに変化した。
メアリーもシェリルを抱きしめ、その頭を優しく撫でる。
「ああ、シェリルちゃん。かわいそうに。私がそのユージとか言う孤児を、すぐ追い出して見せますからね」
「ありがとう、お母様」
メアリーが学院に来たのは、シェリルが手紙で、裕二に関してのある事ない事書きなぐって報告していたのだ。当然メアリーはそれに激怒し、裕二をグラスコード家からも、チェスカーバレン学院からも追い出す為にやってきた。
メアリーからすると裕二は、かわいい娘に害を成す、訳の分からない孤児、という事になる。
「そのユージとか言う孤児の元に向かいます!」
メアリーは先頭を切って魔法科一年の寮へと向かった。
その背後では、シェリルがいやらしい笑みを浮かべている。
――これでユージも終わりだわ。
◇
裕二は授業を終えてから、学院内の商店に寄りバター、スパイス等の調味料と、フライパンや鍋等の調理用具を仕入れていた。それを部屋に持ち帰りひと息ついたところだ。
「これだけあれば外でも部屋でも調理も出来るよな。セバスチャン」
「そうですね。まず手始めに魚のバターソテーなどよろしいかと」
「お、いいね。でも、タイミング的にバチルに食われるのか? まあ仕方ないか」
と、話していると。部屋のドアがけたたましくノックされる。
「ここを今すぐ開けなさい!」
外から聞きなれない女性の声が聞こえてくる。
「な、なんだ?」
その様子から、何か大変な事でも起こったのかと、裕二は急いでドアに駆け寄りノブを回した。
「あなたがユージ!」
「だ、誰ですか?!」
「私はメアリー・グラスコード。シェリルちゃんの母親よ!」
「シェリルの??」
恐ろしい剣幕で怒鳴る様に自己紹介をするメアリー。その背後には、腕を組んで悪人面で笑うシェリルが見えた。
「あなた、シェリルちゃんに散々暴言や暴力を働いたそうね! グラスコード家にお金を出してもらって学院に通えてる癖に、いったいどういう事かしら? それに私はあなたみたいな汚らしい孤児を養子にした覚えはありません! 今すぐ学院からもグラスコード家からも出て行きなさい!」
暴言や暴力という全くのデタラメに、裕二は反論をしようかと思ったが、この剣幕でマトモに取り合ってくれるとは思えない。
元々話しが通じないのはシェリルも同じだ。その母親はまさしくシェリルの大人になった姿なのだろう。
以前、グラスコード侯爵から何故、シェリルやグロッグのような子が出来たのか、不思議に思ったが。その原因はこの母親にあったのだ。
「僕はそんな事してません。それに学院に通わせてくれてるのはシャストニア・グラスコード侯爵です。グラスコード侯爵が出ていけというなら出て行きますが、あなたの言う事は聞けません」
「まあ! なんて生意気な……私が認めなければ、あの人もそうするしかないのよ! 何でグラスコード家が、あなたみたいな孤児にお金を出さなきゃならないのよ! 偉そうな事言ってるけど、そのお金は私達の物であってあなたのお金じゃないの! チェスカーバレンに通いたければ自分のお金で通いなさい!」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと、裕二には何も言えない。
確かにチェスカーバレン学院の学費は、裕二のお金ではなくグラスコード家のものだ。グラスコード侯爵が決めたとは言え、同じグラスコード家の者にそう言われては、どうしようもない。
「さあユージ。どうするのかしら? お母様の言う通りよね。それでもまだ、図々しく学院に居座るつもり?」
ニヤけた顔でしゃしゃり出るシェリル。
頭にくるが、裕二には何も言えない。
「さあ、今すぐ出て行きなさい! このドブネズミ!」
その言葉に裕二は強く拳を握りしめた。しかし――
「わ、わかりました……」
裕二は下を向き、絞るような声で返事をした。
「さすがお母様ね。こんな簡単に終わらせるなんて」
「当たり前よ。シェリルちゃんの為だもの」
「じゃあユージ。話しは決まったのだから、今すぐお願いね。それとお母様、ユージにお金を渡してあげて」
「お金? 何でこんな子に……」
それを聞いた裕二は即座にそれを断る。
――誰がこんな奴らから……
「いりませんよ、お金なんて……」
「勘違いしないでね。私はあなたに出来るだけ遠くへ行ってほしいの。その為にはお金が必要でしょ? どうせお金なんてないんだから、私達の見える範囲で犯罪でもされたらたまんないわよ」
「…………」
裕二はこの時、悔しくて悔しくて、シェリルを殴り飛ばしたい心境に駆られた。このバカ女を殴ったらどれだけ気分が良いか。そしてそのままここを出て行く。そんな考えに傾きそうになった。
だが、この時。開け放たれた裕二の部屋のドアから、あの男が静かに近づく。そしてその表情はいつもと変わらない自信たっぷりの笑顔だ。
「良かったなあユージ。これでグラスコードとは縁も切れた訳だ。安心してジェントラー家に来れるな」
「「テリー!」」
テリーの登場に、裕二とシェリル、二人とも驚い
て声をあげた。そして続けて口を開いたのはシェリルの方だ。
「テリーどういう事! ユージがジェントラー家に来れるって、何なのよ!」
「ん? そのままの意味だが? ユージはグラスコードとはもう関係ないんだろ? ならユージがどうしようと自由のはずだ」
「ちょ、ちょっと待って。意味がわからないわ。だからって何でユージがジェントラー家に行く事になるのよ」
「そりゃヴェルコート・ジェントラーがユージを養子に迎える事に決めたからだ」
「な、な、な、なんですって! ヴェルコート・ジェントラー……なんで……」
「さあ、ユージ。親父に報告に行くぞ」
「え、ああ、わかった」
テリーは裕二の腕を掴み、部屋から引っ張りだそうとする。
だが、その反対の腕を、なんとシェリルが掴んでいる。その表情は青ざめ、裕二の腕にはシェリルの爪がくい込む。
「ダメ! ダメよ! ユージはグラスコード家の養子なんだから。お父様が決めた事に逆らうつもりなの! そんなの許さないわ」
「へ? 何を……」
「おいおい。今すぐ出ていけって言ってなかったか?」
「ダメ! 絶対ダメ!」
その様子をオロオロしながら見ているメアリーは、この状況に思考が追いつかない。
「シェ、シェリルちゃん。その子はグラスコード家から出て行くのよ。その手を放しなさい」
「ダメよ! お母様も止めて!」
「で、でも、その子は……」
「早くして! お母様のせいでこうなったんだから!」
「え?! シェリルちゃん……」
「お母様がユージを追い出すなんて言わなければ、こうならなかったのよ! お母様なんかキライ!」
「シェリル……ちゃん」
メアリーは口をあんぐりと開け、魂まで抜かれた様な顔をしている。もうどうして良いのかさっぱりわからない。
「ユージ、ダメよ。お父様を裏切るつもりなの? お金を出してもらった恩があるでしょ?」
「それはそうだけど……今お前が――」
「お父様が悲しむわよ! それでも良いの? この恩知らず!」
――何なんだコイツは。自分がさっき言った事を覚えてないのか? だが……先に、この修羅場をどう納めるか。
「わ、わかったから、とりあえず腕を放せ。爪が痛い」
「嫌よ! ユージはグラスコード家の養子。ジェントラー家になんて行かせないわ!」
シェリルの言ってる事は先程までと全く正反対だ。その言い訳もめちゃくちゃとしか言いようがない。テリーとしては呆れるしかないが、とりあえずはこの状況を何とかしなければならない。
「だったらユージに謝罪したらどうだ? 誰のせいでこうなった」
「そ、それはお母様が……」
「良し行こうユージ」
テリーはそう言って、ユージを強引に引っ張る。シェリルはそれでも裕二の腕を放さずグイグイ引っ張られて行く。
「わ、わかったわ。わかったわよ! ごめんなさいユージ。お父様が悲しむからグラスコード家を出て行くのはやめて」
父親を引き合いに出した全く反省の感じられない謝罪ではあるが、裕二としては先に落ち着きたい。これ以上の修羅場はゴメンだ。
「もうわかった。わかったから二人とも出ていってくれ」
「絶対よユージ! 絶対に――」
「うるさい! 早く出ていけ!」
裕二のその強硬な態度に、シェリルもメアリーも何も言えず、複雑な表情を浮かべながら黙って部屋から出て行った。




