176 亜空間の露天風呂
五章始めます。
裕二とエリネアはエルファスを出発してから、やや南下しながら東へ向かう。
そこには二人の目指すクラカト湖がある。
白虎で森を走り続け休む、を繰り返しながらひたすらクラカトへ向かう。
休憩はもちろん亜空島だ。裕二とエリネアはそこで休みながら、ウォルターの書いてくれた現在のクラカト周辺情報に目を通す。
それによると、クラカト湖はかなり大きく、岸から対岸は見えない。裕二が地図を見た限りの推測では、琵琶湖の数倍はありそうだ。
その周辺は広大な森となっており、そこをクラカトの森と言う。その先に複数の村があり、それを束ねるバルフォトス、ポルスク、エーゼルと言う三つの街がある。
「エーゼルがクラカト湖から一番近い街だな。とりあえずそこを目指そう」
「物資は足りてるし食料もエルファスで沢山もらったわよ。街で何するの?」
「ちょ、ちょっと見たいじゃん」
調達する物資も食料もなく、宿屋さえいらないので本来なら街に寄る必要はない。しかし、たまに見る他所の街と言うのは興味を引かれるものだ。
「うふふ、わかったわ。裕二が寄りたいなら寄りましょう」
今回の予定はクラカト湖に行って何かをする。その何かは調べる必要があるのだろう。しかし、トラブルさえ無ければ、それほど難航する旅にはならないはずだ。
「でもユージ。目的地に行くならセバスチャンか誰かを先行させて私達は亜空間を通った方が速いんじゃないかしら」
「まあね。でもクラカトが目的地と言ってもその一点だけじゃない。広範囲を自分の目で見る必要があるからな」
裕二たちはエルファスに行く目的があったが、その途中にも無視できないものはあった。それはウォルターの存在だ。彼がいたからこそ解決出来た部分は多かったのだ。そうでなけれは今頃裕二たちは、まだエルファスにいた可能性は高い。
アトラーティカの村からエルファスまで、もし亜空間を通っていたらウォルターには会わなかったかも知れない。
クラカトに行くにも、その周りの情報は得る必要はあるだろう。
「確かにそうね。急いだから近道とは限らないのね」
「そうだな。街も見たいし」
「ふふ、やっぱりそれもあるのね」
クラカトの三つの街はバルフォトスが一番大きく、続いてポルスク、エーゼルとなっている。
バルフォトスは商人が作った街で、フォートナー家の一族がそれを取り仕切る。ポルスクとエーゼルも同じだ。
その近辺に農村があり、涼しい気候ではあるが、クラカト湖の水が周辺を潤し充分な農産物が生産される。
そして、ここでしか取れない魔石の産地としても知られる。
「魔石か」
「かなり質が良いそうよ。薬にもなるのね。アントマンティスと言うモンスターから取れるみたい」
「モンスターから取るのか。しかも薬になる……珍しいな」
「効率よく取る方法でも見つけたんだと思うわ」
そう言った産業の基盤をフォートナー家が作り上げ、やがてそこに人が集まり街となった。どこの国にも属していない親族経営の極小国家とも都市国家とも言えるだろう。
「ペルメニアなら伯爵か侯爵クラスかしら」
「ほー、そんなのもあるだな。昔は何もなかったのに……」
「昔はって。ユージお爺さんみたいよ」
フォートナー家は貴族ではないが、やってる事は貴族とたいして変わらない。規模はわからないが、軍隊や騎士団もある。
その近辺にモンスターは少なく、割りと平和な場所だ。魔人の噂などもないだろう。
「エーゼルの方はシーハンス家と言う領主一族かしら? そちらが代官の役割を果たしているようね。私たちが向うのはそっちよ」
「エーゼルはシーハンス家か。とりあえずそれだけ覚えとこう」
エリネアもあまり良くは知らないので、ウォルターの作った資料に何度も目を通す。
大国ペルメニアの王族から見たら、周辺の目立たない貿易相手くらいの認識だろう。そのような街を維持出来ているのなら、隣国のペルメニアとも良い関係を保っているものと思われる。
「今回は観光気分で行けるといいな」
「そうね。いつ戦いになるかわからないから、休める時は休まないと」
そう言いながらエリネアは資料をパサリとテーブルの上に置く。そこへタイミング良く、セバスチャンがお茶を運んできた。
「ところで裕二様。エリネア様」
「ん、なんだ。セバスチャン」
「お二方がより一層日頃の疲れを癒せるよう、ペンションの裏に露天風呂を作ってみたのですが」
「なに! でかしたぞ、セバスチャン」
裕二はテーブルに手をつき、ガタッと勢いよく立ち上がる。それとは対照的にエリネアはキョトンとしている。
「露天風呂?」
「外の風呂だ。見ればわかる。行こう!」
「ちょ、ちょっとユージ」
露天風呂と聞いた裕二はエリネアの腕を掴み、嬉々としてそちらへ向かった。
困惑するエリネアだが、それも実物の露天風呂を見ると納得したように表情も変わる。
「こ、これが露天風呂……」
「岩風呂だな。つーかこっちには渓谷まであるのか」
ペンションの裏には露天の岩風呂があり、そこから見下ろすように渓谷が流れている。近くには日本の古い街にあるような赤い橋がかかり、その先は森だ。
眺めとしては高級温泉旅館と同等と言えるだろう。
「外のお風呂なんて、と思ったけど、こんなに素敵だと思わなかったわ」
「俺も思わなかった。さすがセバスチャン」
元々日本人の裕二からすると懐かしくも美しい光景。木々のざわめき、川のせせらぎ、小鳥のさえずり。それを湯につかりながら堪能する。ここには和の美しさが凝縮されている。
「小鳥までいるのね。気持ち良さそう」
「一応なんでも作れるからな。早速入ろう」
と、裕二が自分の服に手をかけた時。
「はっ!!」
となり、エリネアと顔を見合わせる。
――これは……エリネアと裸で一緒に……て事になるのか!
エリネアも同じ事を思っているのか、顔を赤らめる。そして――
「ゆ、ユージが良いなら――」
そう言いかけたエリネア。
「そう言えば男女に分ける必要がありますね。申し訳ございません」
と、セバスチャンが言うやいなや、露天風呂の中央には竹で作られた衝立が現れる。
――セバスチャン……セバスチャン。そうなんだけど……
そして、男女別の脱衣所も作られた。
「では、ごゆっくりお楽しみ下さい」
「そ、そうだな。ご苦労、セバスチャン」
残念な表情を表に出さない為、少し微妙な顔になっている裕二。そのまま服を脱いでお湯に入った。
エリネアの方はテンが脱衣所などの説明をして、衝立の向こうで一緒に入るようだ。
「ふう……」
しかし、湯に浸かるとそんな気分も変わる。水魔法で作られたお湯なので温泉ではないが、充分過ぎる程温泉気分を味わえる。
「どうだ、エリネア」
「ええ、とっても気持ち良いわ」
衝立を挟んで会話する裕二とエリネア。そちらからはテンの声も聞こえてくる。
「エリネア、肌すべすべだね」
「ちょ、ちょっとテン。そこはさわらないで」
――どこさわってんだ、凄いちびっ子!!
と、心をざわつかせながらも露天風呂を楽しむ裕二。
そして、下を流れる渓谷から森に目を移す。そちらは赤い橋を渡れば行けるのだろう。確か、セバスチャンは森に、戦闘訓練の出来る場所があると言っていた。
「そういやリアンのホーミングレーザーパック試してないな。セバスチャン、訓練場で使えるか?」
「可能です。訓練場上空のみ領域も高く、ループ加工にしてあるので、リアンの攻撃が突きぬける事はありません」
◇
なかなか戦闘訓練を行える時間もなく、クリシュナードの書斎も見つけたので、そちらは行っても亜空島の森は今まで行ってなかった。
裕二とエリネアは露天風呂を出ると、そちらへ向かってみる。
赤い橋を渡り森の小路を散歩気分で歩く。しばらく行くと開けた場所に出た。そこが訓練場だ。
「リアン、出てくれ」
すると、新たにホーミングレーザーパックを背負ったリアンが現れる。アリーとチビドラも興味があるのか、呼んでないのに現れて、その辺をパタパタ飛びまわる。
「ミサイルだねー、チビドラ」
「ミャアアア」
「いや、違うけど」
良くわかっていないアリーとチビドラは放置して、リアンが現れるとセバスチャンが裕二に訊ねた。
「的はモンスターにしますか?」
「そうだな。とりあえずヴィシェルヘイムクラスにするか」
裕二がそう言うと訓練場の端に大量のモンスターが現れる。それに驚くエリネア。
「えっ! な、なんでモンスターが……」
「小鳥が作れるならモンスターも作れるだろ。全く同じじゃないけど、ここでのセバスチャンなら出来る限り近いものを作れる」
セバスチャンの作る亜空島限定の訓練用モンスター。
そこにはベヒーモス三十体。メタルスコーピオン三十体。強化版キマイラ三十体。ケツァルコアトル五体。計九十五体のモンスターが並べられた。
「セバスチャン。レイスとスカルドラゴンも追加してくれ」
「畏まりました」
そこにエルファスで苦戦したモンスターも三体加わる。それに対し、こちらはリアンのみ。強力すぎる布陣だ。
「大丈夫かしら……」
「大丈夫です。モンスターに攻撃力はほとんどありません。それ以外はほぼ同じですが」
セバスチャンの説明では、モンスターの攻撃はダメージを負わないが、どの程度こちらが攻撃を受けるのかを見る必要がある。そして、モンスターはどの程度でリアンに倒されるのか。
「レイスとメタルスコーピオンはどうかな。一撃はさすがに無理か」
「リアンのレーザーは光属性も含まれるので、霊体のレイスにも使えるはずです。メタルスコーピオンもおそらくは……問題はどの程度で倒せるのか、ですね」
「じゃあ、始めてくれ」
セバスチャンが手を振り上げると、一斉にモンスターが動き出す。
地上の先頭に立って走り出すの強化版キマイラ。上空では中央にレイス、その両隣にスカルドラゴン、その外側にケツァルコアトルがおり、その口が光を帯びて光りだす。
最初の一撃はケツァルコアトルだ。
そして、同時にリアンのホーミングレーザーパックの先端が青く光る。
片側三本ずつ、二基のレーザーは螺旋を描きながら一瞬で真上に伸び上がる。それが見えなくなると一気に光の雨が降り注ぐ。
「おっ! 良いな」
それは全てのモンスターを突き抜けた。ケツァルコアトルやスカルドラゴンを突き抜けたレーザーも、その下にいるモンスターに同等の攻撃を加える。
そして地上、上空、全てのモンスターは一撃で倒される。そこには懸念されていたメタルスコーピオンやレイスも含まれていた。
「おし! 一撃。さすがリアンだ」
「す、凄いわね……」
この状態のリアンなら、ヴィシェルヘイムの谷での戦いもリアンひとり、補助にムサシを付ける程度でどうにか出来ただろう。
裕二は結果に満足しながらペンションに戻っていった。
◇
テリー、メリル、バチル、バン、セーラの五人は裕二たちと別れ、ヴィシェルヘイムからサレムへと抜け、既にペルメニア目前までたどり着いていた。
テリーはその連絡をジェントラー家とリシュテインに届ける為、小さな街に寄り、精霊郵便にて詳細を綴る。
「一度学院に戻る。バンは確かチェスカーバレンの卒業生だったな」
テリーが手紙を出すと、バンの方へ振り向く。
「はい。リシュテイン学院長と会うのは十数年ぶりです。お懐かしい。お変わりありませんでしょうか」
「あの爺さんはうちの親父、ヴェルコート・ジェントラーが学院にいた頃から全く変わってないそうだ。親父は、あれが人かどうかも疑わしいって言ってたぞ」
「ハッハッハ、なるほど。となれば当時と全く一緒と言う事ですな」
学院は各領地の人間を集める為の隠れ蓑として使われる。テリーとバチルは元々学院の生徒となるが、セーラとメリルも生徒として、バンは剣術講師など、一応の身分が作られる。とは言え、彼らが授業に出る事はない。
特にバンとセーラは教会と接触出来ないので、ジェントラー家から送り込まれた護衛に守られて行動する事になるだろう。
用件を終えたテリーは全員を引き連れ、適当な店に入り食事をする。
何の変哲もない小さな店。五人はそこのテーブルを陣取り、料理を注文する。
「バターソテーはあるニャ?」
「おう。ホワイトサーモンのバターソテーならあるぜ」
「ニャ! それを十人前持ってこいニャ!」
「ね、姉さんひとりで食うのかい?」
「当然ニャ。いいからさっさとするニャ!」
各自注文を終えるとセーラが話しだす。しかし、その話題の内容はだいたい決まっている。
「ユージ様は今、どの辺りなのでしょうか」
「たぶん、まだエルファスだろうな。何をしてるのかまではわからんが」
現状では、裕二がどの程度でペルメニアに戻るのかはわからない。それは裕二自身もわからないので、どうしようもないのだが、セーラはそこが気になるようだ。
「なんだ、早くユージに会いたいのか」
「い、いえ。そう言うワケでは……」
バンもそれについては気になっている。だが、もちろんセーラと同じ視点ではない。
おそらく裕二は、エルファスで更なる記憶と能力、そして知識を得るだろう。それがどれ程のものとなるのか。
バンにとって、ムサシはとてつもなく強かった。そして、それ以上とも言われるのがリアンだ。その強さは現時点でも、バンには推し量れるものではない。
「前から気になっていたのですが……リアン殿は、どれ程の強さなのでしょうか」
タルパの中でも最強と言われるリアン。しかし、その存在は人でも獣でもなくかなり異色だ。裕二に仕える精霊でなければ、地獄の大魔王と言われても信じてしまいそうでもある。
「どれ程かはわからないな。ただ、間違いなく言えるのは、俺は戦いたくない。勝てる気がしない。それはムサシも同じだが」
「ならば……もし、魔人が現れても……」
「正面から戦えば奴らは負けない。だからこそ魔人は正面からの戦いを諦めた」
「なるほど、それはそうですな」
ヴィシェルヘイムでの魔人。その戦い方は知らず知らずのうちに、魔人へ有利な方向へと導くやり方。とても正面から正々堂々と言えるものではない。
卑怯とも狡猾とも言えるが、魔人からするとそうするしかない、と言うのが本当のところだろう。
「ムサシ様とリアン様はどっちが強いですニャ?」
そこへメリルが疑問を挟む。
「あの二人が戦っても決着はつかないかもな」
リアンが最強と言われていても、それは攻撃力の差だ。同じモンスターの軍勢を倒すのなら、ムサシよりもリアンの方が早く確実となるだろう。
しかし、実際は敵により向き不向きもあり、どちらが確実に上位とは言えない。そして双方とも、防御力は異常に高く、オマケに霊体化の間はほとんどの攻撃を受けない。
なので、ムサシとリアンが戦っても、お互いに傷ひとつつけるのも困難となり、なかなか決着はつかないだろう。
「あの二人を御す事が出来るのはユージしかいない。まあ、それはユージがリアン、ムサシと戦って勝てる、と言う意味ではないが。あとは……いるとすればアリーがもしかしたら……」
「アリー殿ですか!」
「あれは特別だと聞いた事がある」
かつて、時空の女神ネメリーと呼ばれていたアリー。普段はチビドラに乗って遊んでいるようにしか見えないが、ヴィシェルヘイムの谷での戦いでは、最後にヴァリトゥーラを使い、魔人とモンスターをほぼ全滅させた。
そして、バンはその時テンの言っていた事を思い出す。
「アリーは特別。僕らのお姉ちゃんだよ。時空の女神だから、その力は……」
それは、アリーが自分たちより上位にいる事を示唆する内容でもある。それは、リアンやムサシも含めての事だったのだろうか。
そして、バンはそれを聞いて思い出した事がある。
「以前、学者に聞いた事があるのですが、時空の女神ネメリーは、世界の終わりに事を成す。かつてクリシュナード様がそう予言したそうで、その内容の意味をテリオス殿はご存知ですか?」
「ああ、それはヘスペリデスのケレーラと言う予言者の言葉だ。クリシュナードが言った言葉ではない」
「ヘスペリデス? そうなのですか」
「俺もそれ以上は知らん。ケレーラと言う人物に会ったこともない。それが本当にいるのかもわからない」
テリーによると、かつてヘスペリデスと言う女性のみの種族がこの世界にいた。精霊の特徴を色濃く残したエルフやフェアリーなどに近い種族だ。しかし、ヘスペリデスは戦闘には不向きで、魔人戦争に戦闘での参加はしなかった。したがってその存在を知る者は少ない。
「確か……アカシックレコードコネクトだったか。その一部を使って予言をするそうだ。そう言うのは俺よりもアドレイ・シェルブリットが詳しかったな」
「アカシックレコードコネクト?」
「ああ、魔法と言うより理論だ。トライアングルタイムアクシスと同等以上の価値があるとか何とか」
ケレーラもそれを自由自在に使えたワケではないらしい。本来のアカシックレコードコネクトは、世界の全ての記憶と繋がるもの。過去も未来も全てを見通す概念。限定的な未来予言程度では、初歩の初歩にもならないと言われる。
しかし、その点に絞ると、ケレーラはクリシュナードを上回る力を持っていたとも考えられる。
「クリシュナードも魔人戦争の節目節目には、ケレーラの助言をもらいに言ったと聞いた事があるな」
だが、当時を知るテリーでさえ、その程度しか知らず、会ったことさえない。
現代の研究者には、名前さえ知られておらず、先程バンの言った予言は、クリシュナード本人が言ったものとされている。ヘスペリデスと言う種族はもちろん、ケレーラなどと言う予言者は一般的には全く知られていない。
「その予言には"世界の終わり"と言う物騒な部分があるので、研究者には有名ではあるが、その意味は俺にもわからない。いずれにしてもアリーの力は未知でもある。それこそ、リアンやムサシ以上にな」
裕二以外でリアンとムサシを御す事の出来るかも知れないアリー。
高い戦闘能力があるようには思えない。と言うか、ないだろう。その力はどのようなものなのか。
そして、それに関する予言を残した、ヘスペリデスのケレーラとは……