168 ヒュドラ
体長はおよそ二十メートル。胴の直径は一メートルはあり、体表には不気味な斑紋がヌメるように光っている。そして、首の数は十。そのそれぞれが鎌首をもたげている。
そこに現れたのは多頭蛇、ヒュドラ。それがエリネア、セバスチャン、ムサシの前に迫りくる。そして、そこには裕二の置いていったゴーレムが、ヒュドラの前に壁のように立ちはだかる。
「エリネア様。まずはゴーレムで様子を見ましょう」
「そうね。ゴーレム! ヒュドラに攻撃を」
ゴーレムとヒュドラ。お互いの攻撃が届く範囲に来ると、まずヒュドラがその太い首を振り回し、ゴーレムをなぎ倒そうとする。同時に別の首からは紫色のブレスが放たれた。
「毒ガス系のブレスのようですね。ゴーレムには通じないようです。物理攻撃も何とか耐えているのですぐには突破出来ないでしょう」
ゴーレムも負けじと岩の塊のような大きな拳を振り上げ、ヒュドラの頭を殴りつける。
地に叩きつけられたヒュドラの頭。ゴーレムはそれを足で踏み潰した。同時にヒュドラの別の首がゴーレムの頭部に直撃し、砕け散る。しかし、ゴーレムはその魔力が続く限り再生が可能だ。頭部は即座に盛り上がり、みるみる修復されて行く。
しかし――
「ヒュドラも再生されてますね」
踏み潰されたヒュドラも、ゴーレムと同じように再生を始めた。しかもかなり早い。
「となると、再生出来る魔力の多い方が勝つのかしら」
「だとするとヒュドラに再生させまくれば、いずれ力尽きるかと。このままゴーレムを的にさせ、ムサシが背後から攻撃。エリネア様は魔法で遠隔攻撃。ブレスの範囲には入らないで下さい。私は風魔法でこちらへ来るブレスを散らします」
「わかったわ!」
エリネアが返事をすると同時に、ムサシが消えた。そして、一瞬でヒュドラの背後に回り、その首を根本から一撃で叩き斬る。
すると斬られた首はのたうち回りながらブレスを撒き散らす。それはゴーレムを的にしていないので、こちらにも届いてしまいそうだ。首が完全に死ぬまでそれは続き、斬られた場所から新たな首が再生してくる。
「ふむ、厄介ですね」
「私がやってみる」
エリネアは短杖を取り出し、ヒュドラに狙いを定める。それを真横に振ると、十本の炎に包まれた槍が作られた。
「エクスプロードファイアーランス!」
そう唱えると同時に、炎の槍はヒュドラ目掛けて飛んでいく。それが全て、喉の辺りに突き刺さる。そして、ヒュドラが悲鳴をあげる間もなく、全ての首の喉から下顎にかけて爆発し砕け散った。
「ほう、ブレスは止まりましたね」
その辺りにブレスを吐く器官があるのだろう。これでムサシがどう斬っても、ブレスを撒き散らす事はない。再びムサシが攻撃を始めた。
「これでヒュドラの攻撃はほぼ封じる事が出来ますが……」
「再生が随分早いわ」
このパターンで攻撃を仕掛ければ、ヒュドラの攻撃はない。しかし、それではいつまで経っても戦闘は終わらない。ヒュドラの再生速度は早いので、うっかり攻撃を受けてしまう可能性もある。
「やはり元から断ちたいわね」
「ヒュドラも再生する以上はゴーレムと作りが似てるのかも知れません。その根本を探りましょう」
ゴーレムは体内の魔石により動いている。それが壊されたらもう動かない。ヒュドラにも、そのような部分があるのではないか、とセバスチャンは推測する。
「おそらく首の別れる根本の奥。そこをムサシに集中的に攻撃させますか」
「そうね……いえ、ちょっと待って」
エリネアもその推測は正しく、試す価値は充分にあると思っている。しかしそれとは別に、何か引っ掛かる部分も感じていた。
「ねえセバスチャン。ヒュドラが現れた時、変な感じがしなかった?」
「変な感じ、ですか……言われてみれば」
目の前にいる怪物ヒュドラ。それを出現させたのは既に殺された魔人。
このクラスのモンスターなら、今まで森に隠しておいたのではなく、ケツァルコアトルのように亜空間に格納していたはずだ。こんなのが今までずっと森にいて、エルフが気づかないワケがない。
その出現の瞬間は裕二以下全員が気配を感じ取っていた。もちろんエリネアもセバスチャンもだ。
「ヒュドラの気配は段階的に大きくなる感じじゃなかった?」
「そうですね。亜空間から出現した雰囲気ではなかった」
「そこは知っておいた方が良いと思うの。ムサシなら倒せるのでしょうけど、そこを壊してしまっては……」
「なるほど、確かに」
亜空間から出現したのなら、段階的に気配が大きくなる、と言うよりいきなり完成された気配が現れる感じだろう。そこに何か違いがあるのだ。それは知っておいた方が良いのではないか。
とりあえずは、このまま戦闘を継続しながら策を練る。
「私は手が離せないから、セバスチャンが魔力視でヒュドラを見てもらえないかしら」
「畏まりました」
エリネア、ムサシ、ゴーレムが今までのパターンを繰り返しながら、セバスチャンはヒュドラの魔力を探る。
体の外側に出る魔力を視認するのは、それほど難しくなく、ここにいる全員が造作もなく可能だろう。しかし、体の内側となると、難易度は一気にあがり、時間をかけ、高い集中力を要する。
セバスチャンはジッとヒュドラの内側を探る。
「やはり、首の根本の奥に、何かありますね。そこが魔力の中心です」
「やっぱり魔石なのかしら」
「……いえ、違うようです」
構造的にはゴーレムと似ているようだ。しかし、その基礎には魔石とは違う物がある。
「何か見える?」
「あれは……何でしょうね。形で言うと剣にも思えますが」
「剣?」
「いや、違うかも知れません。かなり凝った形ではあります」
それがエリネアに違和感を感じさせた正体なのだろう。出来ればそれを無傷で取り出したい。
「ではセバスチャン。作戦を変えましょう。頭は殺さず無力化します。ムサシはヒュドラの体を切り離さず中身を取ってもらいます」
ムサシはヒュドラの後方で待機。ゴーレムはヒュドラを破壊させないように戦わせる。その状態でエリネアが魔法を使う。
「ダイヤモンドダストクリスタライズ!」
それは、ダイヤモンドダストバーストの派生魔法。
エリネアの作り出した冷気は瞬く間にヒュドラの頭を中心に覆う。そこにキラキラと美しく輝く細かな塵が体表に付着すると、そこからジワジワと白くなり始める。
「動きが鈍り始めましたね」
エリネアはそのまま魔法を継続。ヒュドラはその巨体を凍らし始めた。それに伴い首の動きも遅くなる。やがて一本の首がドサリと地面に落ちると、他の首も既に攻撃が出来ない状態にされており、後は完全な無力化を待つだけだ。
「ムサシ。今です!」
セバスチャンの声でムサシはヒュドラの尻尾に乗り、首の別れる中心点にロングダガーをゆっくりと刺し込んだ。
「そこにある物を取り出して下さい」
ムサシは長方形に切れ目を入れると、そこへズボッと手を突っ込む。そして、そこで何かを掴むと一気にそれを持ち上げる。
その手には何かが持たれているが、ヒュドラの血と肉がこびりつき、ハッキリとはわからない。
「何かしら」
「ヒュドラの体は崩壊を始めてますね。やはりあれが本体」
凍りついたヒュドラはゆっくりと崩れていく。しかし、それとは反対にムサシの持つ何かは、徐々に大きくなってくる。そこから復活しようとしているのだ。
だが、ムサシはそれをスパスパと削りながらこちらへ歩いてくる。
「焼いた方が良さそうですね」
「わかったわ。ムサシ、それを地面に置いてちょうだい」
ムサシが出来るだけ削ったそれを地面に置くと、エリネアが即座に火魔法で復活しようとする肉を焼き払う。すると、徐々にその全容が見えてきた。
「何なのこれ?」
「ふむ、見た事ありません……しかし、やはり剣でしょうか。柄と刀身があります」
「柄に何か光ってるわね。ムサシ、そこだけ破壊して」
一応剣のようではあるが、その形の異様さからセバスチャンもエリネアも困惑気味だ。しかし、それでも何となくわかるのは、その柄らしき部分に嵌め込まれた青く光る魔石のような物。それが魔力の根源だと言う事。
ムサシがそこに刃を突き立てると、それはあっさり割れ、光も失われた。
「復活は止まりましたね」
「ええ……」
残った肉片は刀身の大部分を覆う。それを魔法で少しづつ焼き払うと、やがてそれは完全な姿を現した。
「これって、もしかして……」
エリネアは呟き、そのまま言葉を失う。
◇
裕二とテン。そして、白虎はエルファスの南側に向かう。ウォルターから借りた図盤を見ると、光はそこら辺に集中しているからだ。そこに魔人がいるはず。
「全部で四体か」
「裕二様。一体だけ後方にいるね。連絡係だと面倒だからそいつを先に殺ろう」
「わかった。テン行け!」
こちらは正面からの戦いではなく、隠密行動。出来るだけ魔人にバレないよう接近し、一瞬で倒す。
図盤からおおよその位置を把握し、そこを挟むように裕二とテンが別れる。
テンは霊体化で魔人の正確な位置を探り、それを裕二に伝える。
裕二は気配を消してそこへ背後から近づく。その気配断ちに優れているのが白虎だ。攻撃力はムサシに及ばないが、速さは負けていない。そして自身の気配を断ち、敵の気配や匂いを探るのに、白虎は適している。
裕二が白虎を憑依させれば、音もなく軽々と木に登り、敵に気づかれる事なく、その背後に立てるだろう。
――いたよ裕二様。あの一番高い木のてっぺん付近。枝に乗ってエルファス方面を向いてる。
――姿を隠してるが……確かにいるな。
その姿は見えておらず、魔法により隠されているのだろう。しかし、瘴気は感じる。
閉じられた扉からでも、その前を通れば僅かな匂いが漂うような、そんな独特な雰囲気。そこを開けたらゴミ屋敷になっているのではないか。それと同質のものを感じさせる気配。
そこにシュッと、刃が空気を斬る音だけが響く。直後に地面からドサッと何かが落ちる音が聞こえる。
「まずは一体だな」
そこには魔法が解かれ、姿を晒す魔人の首と胴体が離れて落ちていた。
「残り三体は固まってるね。一体ずつだと気づかれるかも」
「そうだな……」
今のところ大きな気配の変化はない。エルファスにはまだ、何も起きていないだろう。
「その前に速攻で殺る!」
しかし、その直後に空気が変わる。何か大きな気配の変化があるようだ。
「マズイ! 間に合わせるぞ」